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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第二段階『紅い眼、赤い炎』
11/64

2「帰宅」

石和武士が自宅であるマンションに戻ったのは夜の八時を過ぎた頃だった。島村専務の呼び出しがあり、それが終わった後も実験の話し合いをしていたせいで、すっかり遅くなってしまった。


 「勝義もことみもまだ起きているだろうから、ぎりぎり約束は守れたが……もう少し、早く帰ってくるべきだったな。この時間じゃあとっくに夕食は終わってるだろうしな」


 そんなことを独りごちながら、駐車場に止めた車の中から出て、エレベーターへ向かう。


 寒い。心なしか風も強く感じる。石和はぶるぶると体を震わせながら、小走りで一気にエレベーターの中に駆け込んだ。どうにも寒いのは苦手である。吐く息も真っ白で、今日の冷え込みは相当なものだ。スピードが変わらないのを分かっていながらも、せかすように繰り返しエレベーターの開閉ボタンを押してしまう。静かにエレベーターの扉が左右から閉まり、石和を乗せた機械の箱がぐんぐんと、上に向かって移動し始めた。

 ガラス張りで外が一望できるエレベーターの中で、石和は天を仰いだ。空には一面の夜空が広がっている。

 雲がほとんどない、綺麗な夜空だが、星は瞬きは少ない。排気ガスの汚染が強いし、なによりも街で輝く街灯やネオンの光が阻害し、よほど強い光星でないと、東京では見えない。


 「たまには満天の星空がみたいものだな……」


 父の田舎を思い出す。とんでもない田舎の街だったが、空一面に映し出される星の群が衝撃的だったのを覚えている。地平線が見えるほどの遮蔽物がない空間で、石和はそのとき地球が丸いことを実感した。空が球状にみえたのだ。


 天然のプラネタリウム。その圧倒的な光景に心が奪われ、時間を忘れた。いつかまとめた休みをもらって、千恵子たちを連れていきたいものだ。彼女たちにあの光景を見せてあげたい。第一段階の研究がひと段落したら、まとめて休みを取るのも悪くないかもしれない。


 そんなことを考えていると、エレベーターからぽーんと、アラームが鳴り響き、五階に到着した。エレベーターから降り、自分の城である501号室のドアに歩み寄り、鍵を開ける。すると、


 「おとうさんっ!」


 ドアを開いた瞬間、快活な声と共に、少年が飛び出してきた。タックルするように石和の腰に抱きついてきた。


 「うわっ! とっと、と」


 思わずバランスを崩し、そのまま尻餅をつく。尻を強く地面に打ち、石和は痛みに顔をしかめた。少年はそれを特に気にした様子もなく、石和の腹にすりすりと頬ずりをしている。


 「えへ~、おかえり! おとうさん」


 無邪気なその様子に石和は苦笑しながら、ため息を吐いた。

 石和勝義(いさわかつよし)。四歳なったばかりの石和の息子である。

 染み一つないぷにぷにとした肌に汚れを知らない純真なその瞳に小さなその身体。その愛らしい姿に尻の痛みを忘れ、頬が緩む。が、すぐさま顔を引き締め、勝義に向き直る。


 教育は幼い頃がもっとも重要だという。こんな風に飛びついてくるのは危ないときっちり叱らなければいけない。石和はしかめっ面を造り、勝義の頭を軽くこづいた。


 「こら、勝義。そんな風に飛びついてきたら、危ないってこの前いっただろう。お父さんも危ないし、おまえも危ないんだぞ。怪我をしたらどうするつもりだ?」

 「あははっ、だって、おとうさんが帰ってきたのがうれしくて、がまんできなかったんだもん! おかえりなさい、おとうさん。あそぼ! あそぼ!」

 「いや、あのな。だからな……」

 

駄目だ。まるで人の話を聞いていない。どうするべきか、もっと強く叱るべきか。いや、しかし、自分を慕って飛びついて来たのに、強く怒ったりしたら、勝義がショックを受けないか。いや、でも教育上それは仕方がないのでは――――     

 そんな葛藤を石和が続けていると、


 「きゃっ! も、もう……勝義、なにをやってるの」


 と、部屋の中から声が聞こえてきた。声の方へ向けると、エプロン姿の千恵子が両手で赤ん坊を抱き抱えながら、玄関に立っていた。千恵子の手にいる赤ん坊は二人の間に出来た女の子で、生後からまだ一年と六ヶ月しか経っていない。


 石和ことみ。勝義に続く、二人目の子供である。


 ことみは小さな手をこちらに向け、きゃっきゃっとはしゃいでいる。ことみも自分の帰宅を歓迎してくれているようだ。自然と頬が緩む。千恵子は勝義をきっ、と睨み付け、こちらに歩み寄ると、勝義の頭をゴンッ、と叩いた。


 「いだっ! ふ……うあああああああん!」


 さほど大した力には見えなかったが、千恵子の拳は子供には充分強い衝撃だったようだ。石和の腹の上で勝義が両手で頭を抱え、大声で泣き始めた。

 「お父さんに飛びついちゃ駄目だって何回もいってるでしょう! すごくすごく危ないんだよ!」

 「ひっ……ぐっ、だって、だって……」


 しゃくり声を上げながら、ぼろぼろと涙を零す勝義。


 「だってじゃないの。そんなことやって、お父さんが怪我して、死んじゃったらどうするの? 大好きなお父さんがいなくなっちゃってもいいの?」


 「やだっ! おとうさんいなくなっちゃうのやだ! 死んじゃうのやだあっ!」


 大声で泣いて、首を大きく横に振る。


 「だったら、お父さんに『ごめんなさい』ってしないと駄目だよ。もうしないって約束して。そうすればお父さん、いなくならないから」

 「うっ……ぐす。ごめんね、ごめんなさい、おとうさん、しななないで……いなくなっちゃ、やだよ……」


 勝義は腕の裾をくいくい引っ張りながら、上目遣いで詫びてくる。石和は微笑んで、勝義の頭を撫でた。


 「ん。分かってくればいい。これからは気をつけような」

 「うん……ごめんなさい」


 目をごしごしとこすりながら、勝義は石和の腹から降りた。千恵子がにこっと微笑みながら、手を差し伸べた。


 「武ちゃん。大丈夫?」


 その手を掴み、石和は立ち上がった。


 「ああ。大丈夫、ちょっと腰を打っただけだ」

 「ならよかったけど……武ちゃんもああいうときはビシッと言ってあげないと駄目だよ。ちゃんと怒ってあげるのが子供達の為になるんだから」


 と、そんなことを言う。石和は唖然とした表情で千恵子の顔を眺め、その後、「ははははっ!」と、笑い出した。


 「え……? な、なに? あ、あたしなにか変なこといったかな」


 目をぱちくりとさせて、慌てふためく千恵子。石和は目尻から滲み出てきた涙を右手で拭いながら、かぶりを振った。


 「くくく……い、いや、別に変なことは言ってない。し、しかし、あの『泣き虫チエコ』がこう、毅然とした態度で『お母さん』をやってるのが、なんだか急におかしくなってな……くっ、くくく……!」

 「やっ……! な、なによ、もう、武ちゃん! ひ、ひどいよ!」


 千恵子の顔が耳まで真っ赤になった。


 「すまん……べ、べつに笑うつもりはなかったんだが……くっ、くくっ」


 必死に堪えるが、どうしても笑いがこぼれでてしまう。千恵子とのつき合いは小学生の頃からなので、子供の頃の彼女をよく知っている。


 あだ名は『泣き虫チエコ』。


 ちょっとしたことですぐに泣きわめくことから、小学校のクラスメイトからつけられた名前だった。あの頃は気弱で、頼りなく、自分の後をついて回るような少女だったというのに。あの頃から比べると随分と成長したものだ。どうしても子供に甘くなってしまう自分に比べ、千恵子はきっちりと『母親』している。その光景を目の当たりにすると、それを実感する。


 「ふんだ。武ちゃんのバカ」


 むう、と頬を膨らませて、そっぽを向く。昔のことを引き合いに出すと千恵子は機嫌が悪くなる。小さな頃の泣き虫な自分が好きでないのだろう。少々笑いすぎたかもしれない。 石和は千恵子の頭に手を乗せて、笑った。


 「いや、すまなかった。別にからかったつもりはないんだ。いつの間にか『母親』になっていたんだなぁって、微笑ましくなっただけだ」


 言いながら、千恵子の頭を撫でる。しばらく、むくれ顔を浮かべていたが、頭を撫で続けるうちに頬が緩み、目がトロンとしてきた。

 「昔から、頭を撫でられるのが好きだよな、千恵子は。こうしてると機嫌が直る」

 「も、もう、武ちゃんってば。あたしは子犬じゃないんだから……ふあ……ん」


 そう言いながらも、目尻が緩んできている。口も元も緩み、あっという間に機嫌は直っていた。本当に子犬のようだ。石和は苦笑した。


 「ぱーぱ、ぱーぱ」


 と、千恵子の胸元にいることみが手を伸ばしてくる。


 「おっ、ことみもか。ほら。よいしょ……っと!」


 千恵子の胸に手を伸ばし、ことみを抱きかかえた。柔らかい感覚なその身体をそっと抱きしめ、頭を撫でる。ことみは嬉しそうにきゃっきゃっとはしゃいだ。千恵子はその光景を眺めながら「えへへ」と楽しそうに笑った。そして、


 「おかえり。武ちゃん。今日も一日お疲れ様」


と、満面の笑顔で千恵子は自分の帰宅を歓迎してくれた。石和も笑顔でそれに答えた。


 「ただいま、千恵子」




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