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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第二段階『紅い眼、赤い炎』
10/64

1「検視官と警部」

 いくつものパトカーが回転灯の赤い光をくるくると回しながら、停車していた。『KEEP OUT!』と書かれた黄色いテープが周囲に張り巡らされ、その一帯に一切立ち入りは出来ない。テープの外には幾人もの警官が立ち並び、辺りの通行を完全に塞いでいた。


 緊急時における通行規制。距離を置いて、その騒ぎに注目した人々が群がっている。


 「あそこか?」

 「あそこですね」


 運転席にいる部下の青年に質問すると、間髪入れず答えが返ってきた。まあ、あそこまで派手な通行規制が行われているのだ。分かりやすいといえば、分かりやすい。


 そんなことを胸中で独りごちながら、芳田源五郎(よしだげんごろう)は車のドアを開け、助手席から抜け出した。つん、と針を刺したような冷気が芳田の彫りの深い顔に触れる。今日は比較的暖かい一日ではあったが、それはあくまでも陽が沈むまでの話だ。陽は十の昔に沈み、今では氷のように冷たい風が大気の中で泳いでいる。暖房の効いた車の中から外へ出ると、その温度差が顕著(けんちょ)になるので、いささかきつい。


 (やれやれ……この寒さは少々老骨に堪えるの)


 芳田は長めのコートの裾を整えながら、現場に向かって歩いてゆく。運転席から降りた青年がそれに続いた。芳田の前に入り込み、人混みを強引に掻き分け、道を造ってゆく。もの凄い数の人だかりだった。


 『ナニナニ? ナニが起こったの?』

 『事故じゃね? 誰か大怪我したんだろ』

 『ばっか、怪我人じゃねーよ。怪我人だけでこんなケーサツいっぱいいるワケないじゃん。コロシだよ、コ・ロ・シ。サツジン事件ってヤツだよ』

 『うっそマジ? マジヤバクね? ドラマみてえじゃん』

 『きゃあ~やだ怖い! ね、中見れないかな。シタイってどんなカンジかな。お腹とか胸とかさされたりしてるのかな?』

 『頭がなかったりするんじゃね? うひゃお~まじヤベェって! テンション上がってきたわあ!』


 ……不謹慎な若者の会話が耳に入ってくる。他人の不幸は密の味とはよく言ったモノだ。平和な日常を謳歌している人々にはそれがたまらなく刺激的に映るのだろう。携帯端末を用い、写真を撮っている輩もいる。フラッシュがちかちかと瞬き、芳田は眩し気に目を細めた。ここからでは現場は見えないのに、いったい何処を撮っているのだろうか。


 そんな若者の戯れを横目に、芳田と青年は前へ、前へと進んでゆく。

 人混みを抜け、視界が開ける。

 栄えた繁華街の中、ビルとビルの合間にある狭い狭い路地裏だった。


 どこにでもある、街の死角。人気のない、黒い閑散とした世界。


 繁華街の中で、ここは人気もなく、人々の視界を遮断した場所だ。この路地の裏は倉庫街に繋がっているので、確かに動くのには都合がいいのかもしれない。夜の倉庫街は完全に無人なので、万一奥へ逃げ込んだとしても、誰も助けを呼べないからだ。


 警官の敬礼に小さく頷き、芳田は黄色いテープをくぐり抜け、そのまま路地の中に入り込んだ。奥へ進むと、紺色の鍔付き帽子と制服を着た鑑識班の面々が写真を取り、目の前にある『ソレ』を丁寧に調べ上げている。周囲にはライトが設置され、アスファルトの上に這う『ソレ』を鮮明に浮かび上がらせていた。

 

「よお、源ちゃん。来たの」


 と、『ソレ』を調べていた一人がこちらに気付き、立ち上がった。手入れをほとんどしていないぼさぼさの白髪に前歯が所々欠けた中年の男である。司法警察員の検死官で、芳田とは付き合いの深い男だ。芳田は頭にかぶった丸い帽子のずれを直しながら、


 「どうだ? ホトケさんは」


 と、訊いた。中年男はシシシ、と笑った。


 「ドロドロよ。ドロドロのグチャグチャ。それでいて、とぉっても綺麗なホトケちゃんだね♪」

 「例の『アレ』かの?」

 「間違いないね。やり口がまったく一緒だし、こんな見事な切り口はそこらの殺人狂じゃお目にかかれないしさ。間違いなく、『ヤツ』だよ」


 楽しそうな声で言いながら、歯抜けの中年男は後ろに下がった。遮られていた視界が開け、『ソレ』が芳田の目に映った。


 『ソレ』は奇怪なオブジェだった。


 辺り一面に赤黒い血をまき散らし、その中心には女性の遺体が仰向けに横たわっていた。十代後半から二十代前半であろう若い女性だった。苦悶の表情を浮かべたまま、息絶えている。頸動脈がある首筋の部分がざっくりと切られ、吹き出した血がビルの壁一面にペンキをぶちまけたかのように真っ赤に染まっている。上半身の服は綺麗に切り裂かれており、乳房から腹部にかけてまで完全に露出している。


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 剥き出しになっているのは肌だけではない。そこに内包されていた中身までをも剥き出しにして、その様を外気へ晒していた。


 腹部には十字の大きな切り傷があり、ぱっくりと開いたその中から、様々な臓器がこぼれ出て、残骸となって、地面に散らばっている。腹に残った臓器はほとんどなく、左脇にある柵に途中で途切れたピンク色の腸がぶらりとぶら下がっていた。


 生前はそれなりに整った顔立ちだったのだろう。美貌の面影がかすかに残留している。 しかし、今はその姿は影を潜め、醜く歪んでいた。充血した眼球は飛び出すほどに大きく見開かれ、瞳孔は拡大しきっている。口は獣のように大きく開かれ、大量の血筋が口からこぼれ出ていた。ねっとりとした液体が遺体と地面を覆い、鉄が錆び付いたような異臭が辺り一面に充満している。


 「うっ……ぐっ、うええ……っ!」


 近くにいた刑事が青ざめた顔で、両手で口を塞いだ。この間入ったばかりの新任の刑事だろう。経験が浅く、猟奇死体に免疫がないようだ。


 「うわっ、おいコラ! ここに吐くなよ。現場を荒らすんじゃねえ!」


 傍らにいた鑑識班の男が新米刑事に小さな紙袋を手渡し、後ろに押しやる。芳田はそんなやりとりを聞き流しながら、眉間に皺を寄せた。


 「これで……十人目という訳か」


 歯抜けの中年男は頷いた。


 「相も変わらず、見事なホトケさんだよ。いや、最初に比べ、更に手慣れてきた感があるねぇ。ホントに惚れ惚れするくらい見事な殺し方だね。他の殺人狂にも見習ってほしいくらいだねえ」


 うっとりとしたような顔で、そんなことを言う。芳田と一緒にきた青年が露骨に眉をしかめ、


 「……猟奇殺人に綺麗とか、汚いとかあるんですか。俺には本能のままに命をもてあそんだイカレ野郎の犯行にしかみえないんですが」


 と、嫌悪を露わにした口調で言った。歯抜けの中年男はヒヒヒ、と愉快そうな声で笑った。


 「まだまだ若いな、おまえさんは。一見、ドロドロのぐちゃぐちゃな猟奇殺人に見えるかもしれんがな。その実、きれぇ――な殺し方をしているんだな、これまた」

 「綺麗? これが?」


 青年は臓器があちこちに散らばった遺体を見回した。どうみても綺麗には見えない、と言いたいのだろう。


 「よく考えてみぃ。虚を突かれない限り、相手は抵抗をするもんだぜ。襲われた人間だって、死にたくなんかないはずだからなあ。しかし、驚いたことにこのホトケさんを造った奴はほぼ一撃で、首筋の頸動脈を両断し、しとめてる。ためらった様な形跡も手こずった様子も一切なしだ。ホレみてみぃ、この綺麗な切り傷」


 そう言って、首筋の大きな切り口にライトを当てる。青年は芳田の方に顔を向け、


 「相当の手練れ……ってことですか?」


 と、訊いた。芳田は深々と頷いた。


 「最初はまだ、手こずった様子があったようだがの。最近発見された遺体はほぼ一撃で仕留められている、という話だ。『第二の切り裂きジャック』とはよくいったもんだの」


 『第二の切り裂きジャック』。


 刑事たちの間で名付けられた、この一連の殺人事件の通り名である。鋭い刃物を毎回犯行に使われていること、狙われるのが常に女性であることから、この名がつけられた。


 今回の被害者を入れて、十人目となる。

 被害者の共通点は若い女性であるというだけで、被害者同士の面識も接点も一切なし。

 無差別殺人だと思われる。殺害の手法はいつも同じ手口で、その命を弄んでいる。人気のない路地で、首にある頸動脈を鋭い刃物で切り刻み、そこから出血多量を誘っている。


 その後、上半身の衣服と腹部を十文字に切り裂き、中の臓器をえぐり、ぐちゃぐちゃに潰した臓器を周囲にまき散らしている。


 これだけ残虐の限りを尽くした事件が連続で発生したのにも関わらず、警察機関は犯人の特定がまったくできない状態が続いている。事件発生の頻度は回数をかねるほど頻繁となり、被害者は増える一方だった。


 捜査一課内でも早期解決が望まれている事件である。


 歯抜けの中年男は遺体の傍らで、しゃがみこみ、内蔵のはみ出た腹部をまじまじと見つめる。


 「それにしても、不可解なのはこの腹の中だな。手で引きちぎった訳でもなさそうだし、どうやってここまで臓器をばらばらにしているのか。腹の中にプラスチック爆弾でも詰め込んだのかもしれんなぁ」


 一人でぶつぶつと呟き、興味深そうな面持ちで被害者の腹の中を調べている。芳田はふう、と嘆息した。


 「……ともかく、これ以上の被害者を出すわけにもいかん。犯人の割り出しを急いでくれ。あとは任せた」


 芳田はそう言って、踵を返し。路地の出口に向かって歩き始めた。歯抜けの中年男は笑顔で手を振り、作業に戻った。青年は芳田のあとに続き、話しかける。


 「なにか手がかりらしいものは見つかったんですか? 犯人の目星は?」

 「相変わらず、ほとんど無し、だそうだ。これだけ好き勝手やっておきながら、痕跡がほとんどない、というのもすごいの。おそらく今回のホトケもたいした情報は得られんだろうな」

 「ここまで来たら、いい加減、情報を世間に公開してしまったら、どうですか? その方が市民への牽制にもなって、被害者を減らすことが出来ると思うんですが」


 芳田は静かにかぶりを振った。


 「それが出来るのなら、とっくにやっとる。だが、課長が首を縦に振らんのだ。『今回の事件は決して、情報公開をしてはならない』の一点張りでの。ワシにもどうすることもできん」


 おそらくは今回の一件、課長よりはるか上――本庁のお偉いさん方からの圧力が働いているのだろう。でなければ、課長も十の昔にそれをやっているだろう。現在の情報管制が負の方向に働いていることは百も承知のはずだ。青年は苛々の募った表情を浮かべ、芳田に食って掛かった。


 「し、しかし! それじゃあ、どうすればいいんですか? 遺体からの手がかりはほぼ皆無。被害者に共通点はなし。犯行現場も毎回違うんじゃあ、一体どうすれば――――」


 感情的にまくし立てる青年をよそに芳田は足を止めて、俯き、


 「……(しらみ)潰しにするしか、ないかもしれんの」


 と、小さく呟いた。


 「え?」

 「こうなれば、人海戦術で攻めるしかない。詳しくはこれからの会議で提案する。これ以上は捜査一課の面子にもかかわるしの。ここらで一気に逆転といこう。気合いを入れていくぞ、若いの」

 「りょ、了解!」


 芳田は路地裏を抜け、再び車に向けて歩き始めた。

 その最中、芳田はこの辺りのマンションに住む、大事な大事な、娘のように想っている女性のことを想い出し、彼女の身を案じていた。


 (嬢ちゃんもこの辺りを通るといっておったしの。危険が及ばんとも限らん。早々に解決せんとな……)


 芳田は助手席の中に乗り込むと、帽子を深く被り、『第二の切り裂きジャック』捕獲案を頭の中で練り始めた。





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