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ああ、くだらないこの世界

作者: 埴輪庭
掲載日:2026/09/03

 ◇


 ナロヨム王国王城、大広間。王太子ゼクスが婚約者の罪状を読み上げたのは、春の神在刻(かみありのとき)が半ばを過ぎた午後のことである。


「クラリーベル・フォン・エーベルバッハ。貴女の悪行、もはや看過できぬ」


 名指しされた公爵令嬢──クラリーベルはぴくりとその柳眉の端を動かしただけだ。


「そこに立つリゼットへの度重なる嫌がらせ。侮辱。人払いを用いた妨害。私はその全てを知っているのだ。よって私は、貴女との婚約をここに破棄する!」


 どよめきが周囲を取り囲む様にしている群衆から沸き起こる。嘆息と、扇の陰の囁きと。誰かが小さく声を洩らし、それが次々に伝播していく。


 王太子の背に隠れていた少女──リゼットがおずおずとゼクスの袖を引いた。男爵令嬢リゼット。潤んだ目。震える肩。絵に描いたような、というより、絵に描いたものをそのまま持ってきたような薄幸ぶりであった。


 庇護欲をかきたてるその所作は、爪先から頭の先まで計算しつくされており、クラリーベルが心中で「練習の成果が出ているようですね」と賞賛したほどだ。そんなリゼットの魅(・)せ(・)に対して、ゼクスのそれはやはりどこかぎこちない。それが良い事なのかどうなのかはクラリーベルには判然としない。感情としては嬉しいのだが、彼女の貴族としてのプラグマティックな部分はゼクスの拙さをチクリと批判している。


「殿下……わたくしのために、そこまで」


「もう泣かなくていい」


 ゼクスはリゼットの手を取り、クラリーベルに背を向けた。男爵家の娘ごときが王太子の衣に触れているというのに、それを咎める声は広間のどこからも上がらなかった。


 あとの顛末は語るまでもない。


 三日と経たぬうちに、国王は長子の王位継承権を剥奪した。名目は「令嬢への不当な仕打ちと、王太子にあるまじき公私の混同」。蟄居を命じられたゼクスは自室の扉を閉ざし、以後、公の場に姿を見せていない。


 代わって立太子したのは第二王子フリードリヒである。


 温厚、篤学、公正。宮廷の評も明るいこの好青年がエーベルバッハ公爵邸を訪れたのは、それからさらに数日後のことであった。


 ◇


「クラリーベル嬢。以前から貴女のことを──いや、遠回しはやめましょう。兄上は貴女の価値を見誤った。私は違う。どうか私と婚約の契りを交して頂けませんか? 兄上の代りになろうとか、貴女を慰めようとか、そんなつもりはありません。無論、エーベルバッハ公爵家と王家の関係に出来た罅(ひび)をどうにかしようと思う意図はありますが、それがすべてではない。私は一人の男として、貴女を全身と全霊で欲しているのです」


 クラリーベルの睫毛が伏せられる。


「……ありがたく、お受けいたします」


 クラリーベルの言葉にフリードリヒの頬に朱がさした。公爵令嬢の目尻が光る。控えていた侍女の一人が袖で顔を覆った──ところで、鐘が鳴った。


 ごぉん、ごぉん、ごぉん、と。


 ◇


 大聖堂の鐘楼から、音(ね)が三つ。重く、低く、床を伝って靴の底まで届く音だった。


 最後の一打の残響が消えると、クラリーベルがフリードリヒの手を離した。


 神去刻(かみさりのとき)が訪れたからだ。


「お疲れさまでございました、殿下」


 クラリーベルがフリードリヒをねぎらう様に言うと、フリードリヒはやや恥ずかしそうに答えた。


「こちらこそ。……最後のところ、早口になりませんでしたか」


「いいえ。しっかり練習の成果が出ておいででした」


 平然とした声だ。


 扉が開いた。蟄居中であるはずの前王太子が、杯をふたつ持って入ってくると、片方をクラリーベルへ渡し、もう片方をフリードリヒへ手渡した。


「ご苦労。二人とも見事な演技だった」


「殿下の台本のほうこそ、いささか大振りではありませんでしたか。『看過できぬ』のあたり、わたくし、笑いを噛み殺すのに難儀いたしました。大分古めかしい言いまわしを採用されたのですね」


「あちらの好みに寄せただけだ。ヴァイゲル侯、エルフェンブルクの件を」


 呼ばれた宰相が、白いものの混じった顎鬚を撫でながら進み出た。書簡の束を脇に抱えている。


「はっ。エルフェンブルク王国、昨年の恩恵の流入が例年の八割に届かなかったとのこと。先方の宰相から泣きの手紙が参っております。──『婚約破棄の場において令嬢が泣かなかったのが敗因と思われる。次回は発声の稽古から始めたい』と」


「ふふふ、そうか。大分苦労していると見える。まあ我が国の劇団を派遣して、良いシナリオ作りを指導してやっても良さそうだな」


「は、そのようにいたします。この件に関しましては我らは皆被害者のようなものですからな。被害者同士、手を取り合わなければ」


 笑いが起きた。先ほどまでの張りつめたものとは別種の、仕事終わりの笑いである。


 その笑いに紛れて、フリードリヒが兄に小声で訴えた。


「兄上。わたしの長台詞、覚えるのに三晩かかりました。次がもしあるならば、もう少し短くしていただけませんか」


「短くすると誠意が足りんそうだ。が、まあ説得はしてみるか。神官たちには苦労をかけるが……」


 実のところ、公爵家と王家の罅云々の一節は、神官たちの提案で書き足したものである。恋情だけを語らせるとしらじらしいからだ。幾分かの打算を混ぜてやったほうが、かえって真に迫るという寸法である。


「神々ときたら、変に目だけは肥えていらっしゃいますかな。素人ではないくせに、筋書きだけは素人が好みそうなものしか受け付けない。始末に負えない連中ですよ」


 宰相がさらっと毒を吐くが、ゼクスらにはそれを聞かない事にするだけの情けがあった。


 ◇


 召使いたちが入ってきて、卓を運び込みはじめた。仔羊の腿の丸焼き。香草をまぶした鶉。脂の浮いた濃い汁物。杏を煮詰めた黄金色の菓子。神在刻のあいだ、この国の貴族の食卓には麦の粥と塩漬けの野菜しか並ばなかった。


「ようやくまともなものが食える」


 ヴィルデンブルフ侯が鶉の脚を掴んで齧りついた。作法もへったくれもない。隣にいた伯爵がつられて手を伸ばしかけ、思い直して銀の匙を取る。


「侯爵閣下。あちらはまだ完全にお発ちになったとは限らないのでは」


「発った。鐘が鳴っただろう」


 この「あちら」が何を指すかは、ナロヨムの子供でも知っている。


 神々は物語を好む。それも決まった型の物語を。高い者が低い者を虐げ、報いを受けて堕ち、心優しい者同士が結ばれる。それが神在刻のうちに起これば恩恵が降り、穀物が実り、疫病が退く。型を外せば恩恵は細り、悪くすれば天災が来る。つまるところ、神々は客(・)であった。しかも、同じ演目を何度でも見たがる種類の客である。


「あの方々がもう少し広い趣味をお持ちなら、こちらも演目を選べるのですが」


 外務卿ブランデンブルク伯が、書簡から目も上げずに言った。各国の順番を確かめている。


「来年がヴェルデン公国、その次がハルシュタット連合。当国の番が再び回ってくるのは八年後にございます」


「八年か。──それまでに新しい台本を用意せねばならんな。まあ八年後の神々の流行など分からぬが……」


 ヴァイゲル侯がゼクスに向き直り、いかにも芝居がかった敬礼をしてみせた。


「ときに殿下。明日から蟄居なさいますかな。部屋は掃除させてございますが」


「よせ、侯」


 ゼクスが笑った。眉根に寄っていた皺が、そこでようやくほどけた。


 ◇


 ゼクスはクラリーベルの隣に立った。窓の下、大聖堂の周りでは屋台が畳まれ、祈りの旗が降ろされていく。


「ひとついいか」


「どうぞ」


「……芝居だとは分かっている。だが、あれだけの人前で君を罵るのは、堪えた」


 クラリーベルは杯の縁へ目を落とし、それから少し笑った。


「存じております。三日目あたりから、声に力がなくなっておいででした」


「なに? そんなに感情が出ていたか」


「出ておりました。稽古をともにした者なら、誰でもわかりますよ。それに──わたくしは平気ですよ、ゼクス様。台詞は台詞です。第一、あなたがあのような事を本気で言う方ではないということは、この広間の全員が承知しております」


「あの方々を除いてな」


「ええ。あの方々を除いて」


 クラリーベルの語尾が、わずかに落ちた。


「いなくなればいいのに」


 呟きはほとんど独り言だった。窓の外、大聖堂の尖塔が西日を受けている。


「同意する──だが、いなくなれば」


「国が立ち行きません。この国だけでなくありとあらゆる国々が。世界は余りにも長く続きすぎて、もはや成長の限界を迎えているそうです。神々の中にはすでに別の世界へ旅立った方々もいるのだとか。それでもこの世界が存在しているのは、神々の中にもいわゆる昔(・)な(・)が(・)ら(・)の光景を好む方がいるからだとか」


「いずれはそういった神々もこの世界を去っていくのだろうな」


「ええ。しかしそれは私たちが生きている間ではないでしょう」


「それならばよい、と君は考えるのか?」


 クラリーベルはその問いにすぐには答えなかった。


 少し待っても答えない。


 答えないのは自身の考えが判然としないからではない。


 それを口に出すのは、貴族として許されない事だからだ。貴族とは多くの権利を有するが、同様に義務や責任も多く有する。


「──殿下はどう思うのですか?」


 今度は逆にクラリーベルが問いかける。


 ゼクスは答えるかわりに、窓の桟に置いたクラリーベルの手へ自分の手を重ねた。


(了)




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