ドアマットヒロインってこうやるんでしょう?
「……ドアマットヒロインだぁ……」
伯爵家の庭園で行われた自身の6歳の誕生会で、その小さな呟きを捉えたヴィオラ。
目の前で挨拶する子供たちから視線を外し、その緑色の瞳をきょろりと動かせば、すぐに一人の少女と視線が合った。
(ドアマットヒロインって?
…えっと、あの子は誰だったかしら??)
印象の薄い、小麦色の髪に茶色の瞳の少女。ヴィオラが見つめると何故か「ぴゃっ」と小さく悲鳴をあげた。
何処の誰なのか、考えても思い出せないので、ヴィオラは子供たちの輪をスルリと抜け出し、少女に近づく。
「ねぇあなた、ドアマットヒロインってなに?
ドアマットって、床に敷いてあるあれのこと?あれがわたくしなの?」
「ひっ、ゔぃ、ヴィオラ様…!!
あああ、あの、その…っ!なんでも、なんでも無くて、特に意味は…!!」
本日の主役が話しかけたことにより、一気に注目を浴びる事となった少女は、ペコペコと頭を下げながら「なんでもありません、すみません」と繰り返す事しかできない。
激しく狼狽しながら誤魔化そうとする少女に、ヴィオラは形の良い眉を寄せた。
「もう!そんな事が聞きたいんじゃないわ!
ちょっとこっち来なさい!!」
「えっ」
そう言って力強く少女の腕を引っ張って、大勢の人が集まる人混みの方へと走っていく。
さっと大人の間をすり抜け、追ってくる子供たちの視線を撒くと、二人は足元までクロスの垂れ下がったテーブルの下へと潜り込んだ。
「ふふん、ここまで来れば追手は来ないわ。完璧ね!」
「あ、あの、ヴィオラ様…私はこれから何をされるのでしょうか…」
何を想像しているのか、少女は芝生の上に正座しながら震えている。
その様子を見てヴィオラはニヤリと意地悪げに笑い、二人の頭の上にあるテーブルの天板を指さした。
「ここ、デザートのテーブルよ。
我が伯爵家のシェフが手によりをかけた絶品スイーツが並んでいるの」
「…は、はぁ…」
「でもあなたは、隠してる事を教えないと、ここから出してあげないわ!」
「…えーと?」
「つまり、これだけ近くに有るというのに、デザートを食べそこねるということよ!
この恐ろしさがわかったかしら!?」
膝をついたまま胸を張って「さぁ、わかったらさっさと教えなさい!」というヴィオラの幼くも堂々とした脅しに、少女はしばしポカンとしたあと、手で口を覆いながらくすくすと笑いだした。
「ふふふ、それは恐ろしいですね」
「そうよ。ここなら他の人に見られないし、わたくししか居ないんだから言えるでしょ」
「…人の視線から隠してくださったんですね。
………わかりました」
そう言うと少女はスカートのシワを直して、姿勢を正した。
見た目はヴィオラと同じ歳くらいに見えたが、その佇まいにはどこか年上のような大人びた雰囲気が宿っていた。
「申し遅れました。私はロンド子爵家のミシェと申します。
これは私が前世……いえ、夢でみた、荒唐無稽な話なのですが…」
そう言って少女…ミシェから聞かされた不思議な話。
曰く、ここはミシェが夢で見た小説と同じ世界。
曰く、ヴィオラはその物語の主人公である『ドアマットヒロイン』なのだと。
「今までは不自由なく、普通のご令嬢と同じ様に育てられたと思いますが、6歳の誕生日を機にヴィオラ様の扱いが少しずつ変わっていくんです」
「わたくしの扱いが?」
「はい。ヴィオラ様には、妹君がいらっしゃるでしょう。そのカレン様が、だんだんとヴィオラ様の持ち物を欲しがるようになっていくんです」
ピンクのドレスでこの誕生会に参加している、2つ下の妹の姿を思い浮かべる。
何にでも「イヤイヤ」と言っていたのが、最近やっと落ち着いてきたと思っていたが、イヤイヤの次はクレクレだとは。
「ドレスも宝石も、ご両親の関心も、そして数年後に縁を結ぶヴィオラ様の婚約者様さえも、なんでもクレクレです!!
しかもカレン様は、その……成長と共に癇癪も酷くなり、ヴィオラ様のご両親は、カレン様を宥めるよりヴィオラ様に我慢をさせる方を選んだのです。
『お姉さんなんだから妹に譲りなさい』って、長年全てを奪われ続けたヴィオラ様は心は踏みつけられ、まるで地べたに敷かれたドアマットのようになってしまうのです!」
「地べたに敷かれたドアマット…」
「はい!踏みつけられても耐え続ける姿から、そう呼ば……」
「…なるほどね!!!
奪われそうになったら、ドアマットのように地べたに突っ伏して必死に踏みとどまりなさい、という意味ね」
「え?あれ?そうではなくて、もっと精神的な忍耐の話で…」
「それで?続きは?」
「あ、はい!それでですね!
ヴィオラ様が15歳になった時に辺境…っ、えっと、運命のヒーロー様に助け出され、そこからデロデロに溺愛されて、自尊心を取り戻すという素晴らしいストーリーで…」
先ほどの大人びた雰囲気は何処へ行ったやら、目を輝かせ鼻息荒く語り続けるミシェから、ヴィオラは少し意識を離して考える。
(なるほど。奪われそうになったら、ドアマットの真似をして防衛すればいいって事なのね!
ミシェの話はよくわからないところもあったけど、夢のわたくしったら、地べたに這いつくばる事でクレクレを阻止するだなんて、なんて斬新な方法を思いついたのかしら!!)
一人で勝手に納得し、大満足の笑顔を浮かべるヴィオラ。
ミシェは「あの……正しく伝わってます……?」と不安を隠せない様子でヴィオラを見つめていた。
「もう十分よ、ミシェ。素敵な防衛術を教えてくれてありがとう。
さあ、そろそろここから出てデザートを食べましょう!」
「え、防衛術…!?なんの話…あぁっ」
ヴィオラはミシェの手を引いて、テーブルクロスを押し上げ、すっとテーブルの下から這い出た。
ミシェも慌ててその後に続く。
ふう、と息をついてドレスのシワをポンポンと叩いて伸ばした、まさにその時であった。
「あ、お姉さまいたー!」
舌っ足らずで可愛い声を響かせ走ってきたのは、ピンクのドレスをまとった妹のカレンだった。
ヴィオラと同じ緑色の目をキラキラと輝かせ、目の前でピタリと足を止める。
「あらカレン。わたくしに何かご用?」
「あのね、お姉さま。きょうお父さまとお母さまに、キラキラの髪どめもらってたでしょう?」
カレンが小さな指で指し示したのは、ヴィオラのふんわりとした金髪に飾られた、緑色の宝石が埋め込まれた大きな蝶の髪飾りだった。今朝、両親から誕生日プレゼントとして渡されたものだ。それを…
「カレン、それほしいの。ちょうだい!!」
天使のような笑顔で、寄越せと手を出してくるカレン。
(ひっ…!これはまさか、最初のクレクレイベント!?
いくらハッピーエンドになるとはいえ、6歳の子が誕生日にこんな目にあうなんて、いくらなんでも可哀想…!!)
ここから始まるドアマットな日々を想像し、一瞬で真っ青になったミシェが、おろおろと二人の顔を見比べる。
しかし意外にもヴィオラは落ち着いた様子で、カレンに首を振った。
「だめよ。これはお父様とお母様がわたくしにくれた、わたくしへの誕生日プレゼント。
同じ物が欲しければ、貴女の誕生日に買ってもらいなさい」
そう言うと、まん丸なカレンの瞳から徐々に涙が溢れだして、
「ヤダーーーー!!!それがいいの!!カレン、それが欲しい!!!お姉さまのケチーーー!!!」
真っ赤な顔で仁王立ちして、全力で叫んだ。周りの招待客が何事かと、驚きこちらを見ている。
またもや注目を浴びてミシェは狼狽えるが、当の二人は気にした様子はない。
ヴィオラはきっぱりと拒否し、カレンはさらに泣きわめく。
それを数分繰り返すうちに、騒ぎを聞いた両親が駆けつけてきた。
「おね、お姉だまが、いじ、いじわる言って…ガレン、はぁ、あれ…ほじいだけ、なのに…!!!」
周囲の視線を浴びつつ、両親は「お姉様へのプレゼントだからね」「カレンにも後で買ってあげるから」と宥めようとしたものの、カレンの泣き声は大きくなるばかり。
地団駄を踏んで泣き喚くカレンの姿に、両親は次第に困り果て、疲れの色を浮かべ始めた。
そのうちにカレンに言い聞かせる事を諦めた両親は、ヴィオラへと困惑の視線を向ける。
「……ヴィオラ。誕生日プレゼントなら新しく用意してあげるから。それはカレンに…」
そう、父親が言い終わる前に、ヴィオラの体が倒れた。否、勢いよく地面に仰向けになったのだ。
ラベンダー色のスカートが綺麗に芝生に広がり、周囲から戸惑いの声が上がる。
(よし……見せてあげるわ。夢の中のわたくしが編み出した、最強の防衛術…『ドアマット』を!!)
地面に転がったヴィオラはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、深く息を吸い込んだ。
「っイヤァァァァァッ!!!! 絶対に渡さないわぁぁぁぁぁッッ!!!!!!」
「び、ヴィオラ様っ!?」
最初に悲鳴を上げたのはミシェだった。
ドレスが捲れあがる事など意に介さず、背中を芝生になすりつけ、細い手足を全力で動かし、地べたで大暴れするヴィオラ。
「妹だからって渡さない!!わたくしの髪飾りだものぉぉぉ!!
ドアマットのように!!地べたに突っ伏して!!ぜぇぇぇったいに譲らないんだからぁぁぁ!!!!!」
「…ち…違いますぅ…!…ドアマットの解釈違いですぅ……!!」
ミシェの小さなツッコミは、ヴィオラの「絶対に嫌だぁぁぁ!」という大絶叫にかき消された。
あまりの衝撃的な光景に、周囲の招待客は静まり返り、フォローさえも忘れてドン引き。
愛らしく利発な伯爵令嬢、という人物像が一気に崩れ去った瞬間だった。
なんなら、「うちの子の婚約者にどうかしら」なんて先程までは思っていた招待客たちだったが、目の前に広がる惨状を前にして、そっと息子を自分の背中に隠した。
「お、ねえ…さ、ま…???」
姉の突然の変貌に、カレン自身もぽかんと口を開けて泣きやんでしまうほどだった。
「ヴィ、ヴィオラ!?な、なんだ急に!立ちなさい、お行儀が悪いぞ!」
「そうよ、ヴィオラ。お姉さんなのだから、そんな小さな子のような……」
ハッと我に返って、うろたえながら制止しようとする伯爵夫妻。
しかし、物理ドアマットヒロイン、ヴィオラは止まらない。
「嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁ!!!お姉ちゃんだからって我慢させるなぁぁぁ!!わたくしは!!絶対!!渡さないーーー!!!!」
ドロワーズが見えようとお構いなしに手足をばたつかせ、顔を真っ赤にして叫び続ける娘の姿に、両親は戦慄した。
(……アッ。これ、妹に譲らせようとしたら、永遠にこの地獄が続くやつだ…!!)
我が子のとんでもない暴走と、招待客からの冷たい視線に耐えかね、父親はいまだポカンとするカレンに向き直ると、必死の形相で言い放った。
「……カレン!お姉様のものを欲しがるのは、やっぱりダメだ!
お前には他の物を用意してやるから、諦めなさい!!!」
「ふえ……?」
険しい顔の父親と、大暴れする怪獣、その2つを見比べてカレンは…
「…わかりました……」
涙を拭いてすんなり受け入れた。
その瞬間、ピタリと動きを止めたヴィオラは、髪に芝生をつけたまま、何事も無かったかのようにスッとスマートに起き上がった。
(こうやって地べたにへばりついて暴れ回れば、何も奪われないのね!
夢のわたくし、なんて完璧な防衛術を思いついたのかしら!)
完璧に間違った『ドアマットヒロイン』をマスターし、満足げにボサボサの頭でニッコリと微笑むヴィオラ。
それを見たミシェは、ガクガクと膝を震わせながら、あまりの恐怖に顔を覆ったのだった。
(もしかして……私……とんでもないドアマットヒロインを生み出してしまったのでは……!?)
◇◆◇
それから十数年の月日が流れた。
かつて我儘でクレクレだった妹のカレンは、あの誕生会以来、何かあるたびに地べたでドアマットする姉の姿から凄まじい恐怖心を植え付けられていた。
「人間とは、いつ爆発するかわからない恐ろしい生き物なのだ。
だから誰に対しても誠実に接せねばならない」
そんな独特な訓戒を胸に刻んで育った彼女は、今や誰もが認める心優しい淑女となり、愛する婚約者と仲睦まじく穏やかな日々を送っている。
また、あの日トラウマを刻まれた両親も、「お姉ちゃんだから」「妹なのだから」という便利な言葉を完全に封印。二人の娘を平等に慈しみ、家庭には平和が訪れていた。
一方、幼少期に『物理ドアマットヒロイン』として、社交界にその名を轟かせてしまったヴィオラは、当然のように婚約者が決まらぬまま成長をした。
(なんでかしら?あの1回以外、外ではドアマットしないようにしてるのに)
しかし、学園時代に留学生として訪れていた隣国の王子から「おもしれー女。俺の妃になれ」と迫られるやいなや、一分の隙もなく地べたに突っ伏して全力拒否。
もう少しで国際問題に発展しかけたものの、何とか事態は収拾し、そんな不思議な縁から現在は隣国へと留学を果たしていた。
あちらでも相変わらず、理不尽な目に遭うたびに床を転げ回る「やべー奴」として恐れられているが、本人は至って満足そうに幸せな留学生活を満喫している。
そんなヴィオラから月に一度で届く手紙を読みながら、ミシェは今日も遠い目でつぶやくのだった。
「……ドアマットヒロインって、こうだったかしら……?」
ちなみに。
原作でヴィオラを救い出し、デロデロに溺愛するはずだった辺境伯令息が、今どこで何をしているのかは……特に誰も気にしてない。
(おしまい)




