黒い羽の天使
私は黒い羽の天使です。
本当は雪のように真っ白な羽を持っていましたが、ひどい失敗をした罰として神様に黒く変えられてしまったのです。
ある日、私は太陽の卵を割ってしまいました。太陽は一日に一個の卵を産んで燃えつきます。次の日はその卵が孵って地上を照らします。
それなのに、次の日を照らすはずの大切な卵を私は割ってしまったのです。そのせいで、地上から日の光が失われてしまいました。来る日も来る日も真っ暗な夜が続きます。太陽の恵みを受けていた人々は困り果て、嘆き悲しみました。
神様は、償いとして私に彼らを救うよう命じました。私に黒い羽を与え、それが見える者の願いを叶えなさいと。
そうして毎日私は真っ暗な空を飛び回り、黒い羽の見える人を探しました。だけど、天使を見ることのできる心の清らかな人は少なくて、なかなか思うように見つかりません。
たまに私の姿を目にする人があっても、黒い羽は夜の闇にまぎれて、天使であることにさえ気づかないのです。ある人は「お化けだ」と言い、ある人は悲鳴を上げて、おびえたように窓を閉ざしてしまうのです。
白い羽だった頃にはそんなことはなかったのに。悲しみで胸がつぶれそうになるけれど、太陽の光を取り戻すために私は黒い羽で、明けない夜の空を飛び回らなければならないのです。
そんな時、大きく開かれた窓が私の目に入りました。窓辺には小さな人影があります。もしかしたら天使の見える人かも知れないと思い、私は黒い羽をはばたかせて近づきました。
窓辺にたたずんでいたのは小さな男の子でした。
「こんばんは」
私が声をかけると、男の子はびっくりしたような顔をしました。
「あなたはどこから来たの?」
「空から舞い降りてきました」
答えると、男の子は少し首をかしげて、
「じゃあ、あなたは鳥なの?」
と不思議そうに聞きました。
「いいえ。私は鳥ではなく、天使です。私の羽を見ることができる人の願いを叶えるために、こうして空を飛び回っているのです」
すると、男の子は残念そうにうつむいてしまいました。
「そう。それなら僕じゃだめなんだね。僕は目が見えないから」
よく見ると、男の子の二つの瞳は固く閉ざされていました。これでは羽どころか光さえ見ることはできないでしょう。
「悪い病気にかかって見えなくなっちゃったんだ。それからずっと真っ暗な夜の中にいるみたい」
「それは、とてもつらいでしょう」
「うん、はじめはね。だけどもう慣れちゃったよ。それに、目じゃなくても耳で知ることができるから」
男の子はこともなげに言います。まるで目が見えないことをまったく気にしていないかのような口ぶりです。
「羽音が聞こえたんだよ」
不意に、男の子はそう言いました。
「今まで聞いたこともないような、優しい音。それが聞こえたから窓を開けていたんだ。他の人の耳には届かなかったみたいだけど」
そこで、男の子は小さく息をついて、
「でも、羽が見えないと願いごとは叶えてもらえないんだね」
と、少し残念そうな顔をしました。私はどうすることもできず、窓辺でただ黙って見ているしかありませんでした。
すると、男の子は話をやめて、部屋の片隅にあるピアノの前に腰を下ろしました。そうして慣れた手つきで、静かな曲を弾き始めたのです。
「『月光』っていうんだよ。真っ暗な中で聞くと、本当の光みたいな気がするんだ。だから、太陽が消えて夜しかない今の世界にはぴったりでしょう」
その時、下から「こんな時間に何をしているの」と、男の子のお母さんの怒った声が聞こえてきました。私はあわてて、さよならも告げずに窓辺から飛び去りました。
しばらく飛んで、月の真下の高い屋根に私は腰を下ろしました。男の子のいた窓も遠くなって、今はもう見えません。あの子のお母さんに姿を見られたくなかったということもあるのでしょう。だけど、何よりも私は逃げ出したかったのです。
あの男の子は、私の羽に気づいてくれた初めての人でした。他の誰にも見えなかった黒い羽を、あの子だけが見ることができたのです。
きっとあの子が、私の探していた人だったのでしょう。あの子の願いを叶えることが、私の使命なのでしょう。
だけどあの子が光を望めば、再び戻った太陽の下で、あの子は私の羽を目にすることになるのです。光の中でますます醜く見える、不格好な黒い羽を。
それに気づいた時、私は怖くなりました。だからこうして逃げ出してしまったのです。
高い屋根の上で、私は膝を抱えて座っていました。すぐ近くで輝く月は、私の背中に淡い光を降りそそぎます。
深い暗闇の中で、月だけが黒い羽を照らし出すのです。だから私は月の光が好きではありませんでした。それなのに、あの子の奏でた月光の調べが耳に残って離れません。暗闇を優しく照らす光のようなピアノの音が。
振り返ればまるい月も、黒い羽も、涙でにじんでぼやけて見えます。私は濡れた目をこすり、再び黒い羽をはばたかせました。
「こんばんは」
私はもう一度あの窓辺に降り立ちました。
「よかった。天使さん、戻ってきてくれたんだね」
男の子は嬉しそうに顔を上げます。
私は大きく深呼吸してから、その言葉を告げました。
「あなたの願いを叶えてあげましょう」
すると、男の子は喜ぶよりも不思議そうな顔をしました。
「どうして? 僕には天使さんの羽が見えないのに」
「いいえ。あなたには私の羽が見えています。目ではなくてもその耳で、天使の羽音に気づけたのですから。だからあなたの願いを叶えられるのです」
男の子は少しの間考えて、その願いを口にしました。
「じゃあ、光がほしいな」
思った通りの答えに、私はほんの少しだけ胸が痛みました。しかし、次の言葉は私の想像をはるかに超えていたのです。
「でも、僕にはなくても困らないから。だからみんなに太陽の光を戻してあげて。みんな、光がなくて困っているんでしょう?」
私はしばらく声が出ませんでした。そして、この子が私の求めていた人だったのだと、改めて思いました。だからこそ、この子の願いを叶えてあげなければと、強く心に誓ったのです。
その時、真っ暗だった空が急に明るくなり始めました。驚いて見上げると、目にもまぶしいほどの強い光が青空に輝いています。長かった夜が終わり、太陽がまた戻ってきたのです。
「光だ」
男の子は小さくつぶやきました。振り返って見ると、固く閉ざされていたはずの瞳が、うすく開かれようとしています。なくしたはずの光を、神様がこの子に与えてくれたのです。
男の子が突然の光に目を細めている間に、私は窓辺から飛び立ちました。白く輝く光の中で、私の背中の黒い羽はどうみてもふつりあいだからです。
慌てて飛び去ったせいで、私の背中からたくさんの羽がこぼれ落ちてしまいました。
天に帰ろうとする私の耳に、その声が聞こえてきました。
「わあ、雪みたい……」
逃げることで精一杯で、私はまだ気づいていなかったのです。
――光を取り戻した青空の中で、いつの間にか私の羽が雪のようにまばゆく降り注いでいたことに。




