第三話 チョコレートケーキ
「そんな……嘘でしょ……」
灯里は深刻な顔で崩れ落ちた。
「増えてる……体重が!」
一人暮らしの自宅の体重計の上で嘆く灯里。
嘆きつつも、心当たりはありまくりだ。
甘い焼き菓子の匂いに誘われて迷い込んだ、カフェ ソレイユ・ヴェール。
カフェだけでなくパティスリーもあることを知ってからというもの、灯里は休日は必ずカフェに行ってスィーツを食べ、帰りにパティスリーの方で日持ちのする焼き菓子 (クッキーやフィナンシェ)を買い込み、カフェに行けない平日に食べていた。
平日でも少し早く帰れた日はパティスリーに行き、クリーム系のスィーツを買って家で食べていたのだから、体重が激増するのは当然だった。
(でも、あの美味しさと幸せを知ってしまったからには、完全に絶つことはできない……!)
灯里は食べた分だけ運動をすることに決めた。
「ジョギングと筋トレと……そうだ、自炊を再開しよう!」
社会人になってからは疲れからしなくなっていただけで、学生の頃はしていた自炊。
灯里は遠めのスーパーにジョギングがてら行き、野菜などの食材を買い込んだ。
普段なら買ってしまう菓子パンはスルーした。
我慢というより、ソレイユ・ヴェールのスィーツが美味しくて、あまり食べたくならないのだ。
自宅に戻るとすぐに、スマホで作り置きレシピを見ながら調理を始めた。
手馴れた手つきでいくつかのおかずを作り終える。
「よしっできた!明日からお弁当持ってくぞ~」
翌朝。
灯里は作っておいたおかずと夕飯の残りを詰めたお弁当を仕事用のバッグに入れた。
そして、パンプスではなく、スニーカーを履いた。
早めに歩いたり電車で背伸びをして立ったりして、隙間時間も筋力を鍛える作戦だ。
*****
「誰か事務員さんー、これやっといて」
「はい、かしこまりました!」
雑な課長にも灯里は笑顔で対応する。
今までは生きるために仕方なく仕事をしていた。
だが、今は違う。
ソレイユ・ヴェールで美味しいスィーツを食べるために稼ぐ目的ができたので、仕事に前向きになれたのだ。
それに、明日は休み。
ダイエットは順調&平日頑張って仕事をしたご褒美に、カフェ ソレイユ・ヴェールでチョコレートケーキを食べる予定なのだから。
終業時刻を過ぎていたので、頼まれた仕事を手早く終わらせた灯里は、さっと着替えて「お疲れ様でした、お先に失礼します」と笑顔で帰って行った。
「神見ちゃん、なんか最近生き生きしてるわね~」
「ね。さっさと帰っちゃうし、彼氏ができたんじゃない?」
灯里がさっさと帰宅するのは夕飯を作るためと筋トレのためなのだが、勝手に盛り上がるベテラン女性社員達。
その話に聞き耳を立てている男性社員がいた。
「……」
成木 金太郎。
社長の親族の新入社員で、灯里に仕事のミスを擦り付けた犯人である。
*****
翌日。
灯里は筋トレを終えた昼下がりに、カフェ ソレイユ・ヴェールに行った。
運良くテラス席が空いていたので、腰を下ろす。
(いつ見ても綺麗な庭だなぁ。テラス席は他にお客さんがいなくて、解放感があっていいんだよな~)
ローズに注文をした後、美しい庭をぼんやり眺めていると。
「お待たせいたしました、チョコレートケーキとアールグレイでございます」
「ありがとうございます」
灯里が頼んだチョコレートケーキを持って来たのは、男性パティシエだった。
普段は接客全般はローズが担当しているのだが、どうやら彼女が忙しい時はパティシエの彼も駆り出されるらしく、最近何度か遭遇する。
「わぁ……!」
灯里の意識はすぐに目の前に置かれたチョコレートケーキに移った。
念願のチョコレートケーキは、つるりとなめらかな表面にチョコで作られた葉が飾られていて美しい。
崩すのが惜しいが、灯里はフォークで一口大に切り分けてぱくりと食べた。
「チョコが濃厚で美味しい…!スポンジはしっとりとしていて、ラム酒かな?ほんの少しお酒が効いてて良いなぁ。上に乗ってる葉っぱみたいなチョコ細工は見た目が綺麗だし、食べるとパキッとした歯応えが気持ちいい。またアールグレイの紅茶が合う!あぁ幸せ~~」
灯里はテラス席の解放感+あまりの美味しさに、いつもは心の中で呟く感想を口に出してしまった。
しかも気付いていない。
小声ではあったが、静かなテラスだ。
それは、厨房に戻ろうとしていた翡翠の耳にしっかりと届いた。
突然の褒めに驚いた翡翠は、呼吸が乱れてむせてしまった。
「ごほっ!んんっ」
咳き込む声が聞こえて、灯里はハッと振り向く。耳が赤くなった翡翠と目が合った。
「えっ?……あっもしかしてわたし、口に出して……?」
「……お褒めいただき、ありがとうございます……」
翡翠の返答で、灯里はようやく自分の失態に気づいた。
スィーツへの褒め言葉とは言え、無意識に出た独り言を他人、しかもスィーツを作った本人に聞かれるのはかなり恥ずかしい。
「独りでブツブツ言ってうるさくしてすみません!あまりにも美味しくて……っ!」
慌てふためく灯里を見て、翡翠は笑みを浮かべる。
「いえ、パティシエ冥利に尽きます」
「パティシエさんのスィーツ、本当に美味しくて……いつも幸せをありがとうございます!」
翡翠と灯里は微笑み合った。
ーーこの時から、カフェに他の客がない時に限り、灯里のスィーツは翡翠が運ぶことが増えていった。
続く




