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翡翠視点(ダイジェスト)


食べた人に幸せを感じてほしくて作ったお菓子が、上っ面だけ評価されて食べられることなく捨てられ、オーナーもそれを許容していることに耐えられなかったーー



「翡翠、自分の店を作るといいわよ」


夫婦で長年レストラン経営をしていた叔母ローズの言葉にハッとする。

オーナーシェフをしていた叔父も賛同し、パティスリー&カフェを開くことにした。


映え目当ての客が来ないよう、お菓子のビジュアルはオーソドックスに。

俺は厨房から出ないというルールを決めた。


自分の店を開いた初日。


カフェの接客担当のローズ叔母さんに、駅でフィナンシェの香りがして辿って来たというお客様の話を聞いて、気になった。

厨房の裏口はテラス側の木陰にある。

木々を挟んでそのお客様の声が、微かに聞こえた。


「なんて幸せな味……」


驚いた。

幸せな味ーーそれこそが俺がずっとお菓子に込めて来た想いだったからだ。

純粋にお菓子を味わってくれてうれしかった。

あんなお客さんばかりなら、俺も……。


◇◇


ありがたいことにパティスリーもカフェもお客さんが増えてきた。

ある時、ローズ叔母さんが忙しくて手が離せないからと、俺がお客様にデザートを運ぶことになってしまった。


ホールには出たくなかった。

女性客が俺の顔を見た途端、気に入られようと媚びを売って来る経験がトラウマになっているからだ。

しかし、お客様を待たせるわけには行かないので、マスクをしてテラスに向かう。


後ろ姿で、あのフィナンシェのお客様だとわかった。


「お待たせいたしました、デザートの苺のミニタルトでございます」


言いながらお客様が食べ終えた皿を片付けて、ミニタルトの皿を置く。

お客様が顔を上げた。

正直、怖かった。

純粋に味を気に入ってくださったお客様も、俺の顔を見ると好意を抱き、太りたくないと言ってケーキを残すようになったり、食べた後吐くようになってしまったこともある。


しかし、お客様はミニタルトを置くとすぐにそちらを向いて感嘆の声を上げ、嬉しそうに食べ始めた。

ケーキを優先した若い女性は彼女が初めてだった。


厨房に戻るとローズ叔母さんが「ちゃんと灯里ちゃんに持っていってくれたわね」と言ってきて、そこで彼女の名前を知った。


ーー神見 灯里(かんみあかり)ーー


俺の頭にしっかりとインプットされた。


◇◇◇


テラス席の神見さんにチョコレートケーキを運んだら、俺が立ち去る前にケーキの感想を呟き出した。

突然の称賛に驚き、むせてしまったことで彼女は自分のうっかりに気付いた。


呟いていた内容は的確で、美味しくなるように工夫をしたことがちゃんと伝わっていて感動した。

……それだけではない。

あまりに美味しくて感想が漏れてしまったと照れる彼女を、かわいいなと思ってしまった。


この頃にはもう自覚していた。

俺は灯里さんに恋愛感情を抱いていると。


◇◇◇◇


閉店後のカフェで新商品の試作をしていると、扉の前に人影が見えた。

なんとなく気になって扉を開けると、憔悴した顔の灯里さんが立っていた。

動揺して、いつも心の中で呼ぶように「灯里さん」と言ってしまった。

指摘されて焦ったが、なんとか誤魔化せた。


灯里さんの話を、腸が煮えくり返りそうになるのを抑えて静かに聞く。

成木という男は許しがたいが、言い寄る気持ちは理解はできる。

最近の灯里さんは生き生きと輝いているから。

彼女はどうも自分の魅力に気付いていなくて危なっかしい。


◇◇◇◇◇


灯里さんのワンピース姿がかわいすぎて動揺してしまった。

クラシカルなデザインは、彼女の清楚な雰囲気にとても合っていた。

普段の彼女はカジュアルなパンツスタイルなので、本人が着なれてないからと照れているところも可愛かった。

ローズ叔母さんありがとう。

ローズ叔母さんの好物の蟹を贈ろう。


灯里さんがホットケーキを食べる姿を正面から見ることができて幸せな時間だった。



大家の話を聞いて、昨夜彼女を多少強引でもカフェ二階に泊まらせた自分を褒めたい気持ちになった。


******


灯里さんの退職を友人の弁護士に任せることに決めた。

彼女に少し聞いた範囲でも明らかなパワハラだ。

成木の大伯父とかいう社長もろとも完膚なきまでに叩き潰したいところだが、『逆恨みをされそうで怖いから出社せずに退職できればいい』という彼女の望みを優先する。


灯里さんの顔色が悪くて心配だったが、アップルパイを嬉しそうに食べていてホッとした。

灯里さんにはもう二度と怖い目に遭うことなく、楽しくスィーツを食べていてほしい。


◇◇◇◇◇◇◇


灯里さんの手料理を食べることができて幸せだった。

彼女は恐縮していたけれど、とても美味しくて優しい味がした。

夕食も一緒に食べたかったのに、急用が憎い。

お礼にクッキー缶をあげたら、喜んでいてかわいかった。

灯里さんがクッキー缶を欲しそうにしていた情報は、パティスリーの接客担当のマリー叔母さんから教えてもらったのだ。

マリー叔母さんには美味しい和牛を贈ろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇


とうとう灯里さんが俺の店で働き始めた。

仕事中に会えるのがうれしい。

新作の試食をしてもらったら、やはり的確な感想を言ってくれて喜びが溢れてしまい、浜地さんに生温かい目をされた。


でも、この日以降、なんとなく灯里さんに避けられるようになった気がする。

夕食に誘おうとしても、見たい番組があるとかやんわりと断られてしまう。

気付かないうちに何か失礼なことをしてしまっただろうか……。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


食べずに残された経験から、前の店で作っていたケーキを作れなくなっていたけれど、灯里さんに食べてほしい気持ちが勝った。

作り終えた後に灯里さんからのメッセージに気付き、慌ててマンションを飛び出す。

間に合って本当によかった……。

灯里さんが成木に蹴りを食らわせたことは驚いた。

弁護士経由で釘を指しておこう。

二度と灯里さんに近づけないように。



灯里さんに好きだと言われて夢のようだ。

灯里さんはバラのケーキを食べた後、泣いていた。

本当に優しくて素敵な女性だ。

あの涙で、ケーキを残されて傷ついた自分が浄化された。



灯里さんが生き生きと輝いていた理由が、俺のお菓子だと聞いてたまらなくなる。

話の途中から、摘みたてのさくらんぼのような唇にキスをすることばかり考えていた。


灯里さんは俺のことを聖人君子だと思っていそうなので、ストレートに伝えてからキスをした。


なんて幸せなんだろう。


今まで生きてきて一番の幸福を感じながら、俺は熟れたりんごのように真っ赤になった彼女を抱きしめた。


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