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第一話 フィナンシェ

今日、職場でミスの犯人にさせられた。


理不尽すぎるが、ミスを被せてきた人間は社長の親族。平社員の灯里に抗う術はなかった。


「リカバリーできたし顔色が悪いから、今日はもう帰りなさい」と上司に気を使われ、まだ夕方なのに灯里は職場を出た。

下を向いたまま会社を出て電車に乗って最寄駅で降りて、灰色の地面を見つめながらトボトボと歩き出す。


(もうやだ、消えたい……)


込み上げる涙を抑えようと、ぎゅっと目を瞑る灯里。その時、風が強く吹いた。


「……ん?」


ふわり。

焼き菓子の甘く香ばしい匂いが灯里の鼻をかすめる。

どうやら香りの元は、駅の反対側らしい。


(そういえば、今日はミスのカバーで忙しくて昼ごはん食べてなかったな……)


甘い香りに刺激されたのか、急に空腹を感じた灯里は、匂いを辿って普段通らない道を歩き出した。

公園の脇にある寂れた細道を抜けると、そこはーー


「わ……ぁ……」


色とりどりの花達が咲き乱れるイングリッシュガーデンだった。

灯里が入った箇所以外は、ぐるりと高い生垣に囲まれていて外からは見えない。

まるで、子供の頃に読んだ本に出てきそうな秘密の庭。

その中央には、アンティーク調の白いテーブルと椅子のセットが置いてある。


(え、もしかして人様のおうちの庭に入っちゃった!?)


急いで庭から出ようと灯里は忍び足で踵を返す。


「あら、いらっしゃいませ。こちらのお席にどうぞ」


背後から落ち着いた女性の声が聞こえ、振り返る。

柔らかそうな銀髪を後ろでまとめた、薄紫色のワンピースの上に白いエプロンをした緑色の目の中年女性が、柔らかく微笑んでいる。

どうやらここは民家の庭ではなく、カフェのテラス席だとわかり、灯里はホッと安堵の息をした。


「は、はい」


促されて白い椅子に腰かける。


「あっあの、駅で美味しそうな香りがして辿ったら、ここに……」


灯里の言葉に女性は目を細めて微笑む。


「今日は風が強いものね。フィナンシェの香りかしら」


そう言いながら店内に入った女性は、手にバスケットを持って灯里のテーブルに戻って来た。

バターの匂いが濃くなる。


「あっそうです!」


女性が持つバスケットの中には長方形の焼き菓子ーーフィナンシェがどっさり入っている。


「二つください!」


自然と口が動いた。


「飲み物はロイヤルミルクティーがおすすめよ」

「ではそれをお願いします」


女性は頷き、店内の厨房に入っていった。

ほどなくして灯里のテーブルに戻って来た女性は、手に持ったトレイから皿とティーセットを並べる。


(本当に美味しそう!ああ、やっと食べられる……!)


灯里はもうフィナンシェを食べることしか頭になかった。

焼きたてのフィナンシェが二つ乗った皿の前で手を合わせた後、フィナンシェにかぶりつく。

表面はカリッと香ばしく、噛み締めるとバターがじゅわりと口の中いっぱいに広がった。それから優しい甘み。

咀嚼して飲み込んで、あたたかいロイヤルミルクティーを流し込む。


「なんて幸せな味……」


灯里が漏らした独り言に女性は少し目を見開いたが、食べることに没頭中の灯里は気付かない。

あっという間にフィナンシェを食べ、ミルクティーを飲み干して、ティーカップを静かに置く。


(よし、明日も仕事がんばろう)


お腹だけじゃなくて心も満たされて、灯里は駅に降り立った時と違って前向きになっていた。

立ち上がり、会計をするため女性に声をかける。レシートを持って来たので、テーブルで支払いをした。


「……私、今日仕事でミスを被せられて落ち込んでたんです。でも、フィナンシェのおかげで幸せな気持ちになれて……明日も頑張ろうって思えました」


灯里は一気に言って、ありがとうございましたと女性に頭を下げた。


「パティシエにも伝えておくわね」


顔を上げると、柔らかく微笑む女性と目が合った。


「はい!また来ます!」




*****


「あんたの口癖と同じことを言ったから、びっくりしちゃった。伝わってよかったわねぇ」


女性が話しかけた先は厨房。

白いコックコートを着た緑色の目の黒髪美男子は、オーブンを見つめながら小さく頷いた。


「ああいう人ばかりなら、俺も……」



続く

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