36句 光風
「あの……、憩さんの家って、こちらですか?」
ぼたんは目の前の大きな屋敷を見上げる。
まさか、このかわいくて人懐っこい子が、名門相楽のご令嬢だったなんて……。
「そうです! さぁ、どうぞ上がってください!」
憩はぼたんの手を引くと、玄関扉を開ける。
「ただいま戻りました!」
「おかえりなさいませ。お客様ですか?」
「はい、ぼたんさんといいます。
客間にお連れしますので、紅茶とコーヒーを人数分お願いします」
「かしこまりました」
使用人は深々と頭を下げると、奥へ戻っていった。
「さぁ、こちらへどうぞ!」
客間へと案内し、ぼたんをソファへ促すと、隣へ腰掛ける。
他の面々もそれぞれソファに腰掛けた。
「改めまして、憩と申します。
急に連れてきてしまって申し訳ありません。
帰りは車でお送りしますので、ご安心ください!」
「そんな……!!
歩いて帰れますので、大丈夫ですよ」
「そういうわけにはいかないよ。
妹が強引に連れてきてしまったようだし、こんな夜道を女性1人で歩かせるわけにはいかない。
僕は、憩の兄で旭というんだ。よろしくね」
「すみません……、お手数おかけいたします。
私はぼたんと申します。よろしくお願いいたします」
「ぼたんちゃん!!
改めて、俺は漣! よろしく!」
「……寒凪です」
「寒凪 千歳さんです!」
「……千歳です」
皆が挨拶をしていく中、朔夜だけがムスッとしていた。
「朔夜、挨拶して」
「別に名乗る必要ねぇだろ」
「ぼたんさんは挨拶してくれたよ?
礼儀には礼儀で返すべきでしょ?」
「チッ……、杣 朔夜」
「よ、よろしくお願いいたします……」
「別によろしくしねぇよ」
「朔夜!」
朔夜は腕を組み、足を組んでそっぽを向いている。
「もういい……。
朔夜はいつもああなので、気にしないでください!」
そんな朔夜の様子を見て、旭はやれやれと首を振るのだった。
「さて、そろそろ本題に移ろうか」
「お兄様、その前によろしいですか?」
「どうしたんだい?」
「ぼたんさんのお父様を、入院させてあげられないでしょうか?」
「ごめん憩。
全く話が読めないんだけれど」
「ぼたんさんは、病気のお父様の薬代を稼ぐためにカフェーで働いているそうです。
入院させてあげられたら、その必要がなくなります」
「そんな!!
入院だなんて、もっとお金が……!!」
憩の言葉に、ぼたんは立ち上がる。
父さんを入院させてあげたい。
それはずっと思っていた。
でも、薬代もやっとなのに入院だなんて……。
とても賄いきれない……!!
「憩、彼女の言う通りだよ。
そのお金はどうするんだい?
入院先を探すことはできるけれど、それじゃあ済まないんだよ?」
「なら、ぼたんさんを家で雇いましょう。
カフェーより、お給金も高いはずです。
それにお父様が入院できれば、住み込みで働けます。
それなら、入院費だけにお給金を使えますよね?」
「本気で言っているのかい?」
「私はいつも本気です。
お兄様、本部のお仕事が大変だと仰っていましたよね?
でしたら、ぼたんさんを専属書記にするのはいかがでしょうか?」
憩の提案に、皆、呆気に取られていた。
「いこ、お前何考えてんだよ!!
そんなの無理に決まってんだろ!?」
「私はお兄様に聞いているの」
「専属書記か……」
憩の言うように、専属書記がいてくれたら正直助かる。
自分の管轄である東領の管理、白銀としての業務に加え、総司令であるお祖父様が不在の今、本部に送られてくる書類は全て自分が処理している。
漣や朔夜に手伝いを頼んでも、逆に仕事が増える。
千歳や憩の方が適任だが、成果を上げている2人を偵察から外すのは惜しい。
そして最近、軍の晩餐会に顔を出すと、上官から異様に娘を紹介される。
あれもかなり面倒だ。
「ぼたん、書記以外の仕事も頼むかもしれない。
それでもよければ、僕の書記になってくれるかい?」
「わ、私でよろしいのでしょうか……?」
「僕はぼたんだからお願いしているんだよ。
話し方や所作を見ていれば、教養の深さはわかるからね」
「お兄様も、お気付きになられましたか?」
「うん。さすがだね、憩。
おかげで優秀な右腕ができたよ」
「旭様、よろしくお願いいたします」
「かしこまらなくていいよ。
これからよろしくね、ぼたん」
「いいなー、旭。
俺もゆりちゃん側に置きてえな」
「ゆり……?」
「あ、そうだ!!
ぼたんちゃんて、ゆりちゃんの友達なんだろ!?」
漣の言葉で、ようやく本題へと戻るのだった。
「あの……、1つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだい?」
「皆さんは、どういったご関係なのでしょう?」
「……そういえば、説明していませんでしたね」
「私と千歳さんはお友達です!」
「……憩、そういうことじゃないよ」
「え? 違うの?」
「あのな、ぼたんちゃん。
俺と旭が同期で、憩は旭の妹で、杣と寒凪は俺らの後輩なんだよ!」
「……説明になってない」
「別にどうだっていいだろうが。
なんで気になんだよ。なんか企んでんのか?」
朔夜はぼたんを睨みつける。
旭が認めたとはいえ、納得いかないのだろう。
「おい、杣! そんなわけないだろ!
普通に気になるじゃんか! なー?」
「申し訳ありません……」
「ぼたん、僕たちは簡単に言うと軍人さ。
詳しいことは後で話すけれど、5人で行動している」
それから旭は、カフェーへ潜入していたことなどを手短に話した。
「軍人さん、でしたか……」
「……ごめんなさい、騙すつもりはなくて」
「いえ、謝らないでください。
ゆりのことを心配してくださったのは、お2人だけでしたから……」
「お兄様たちなら、きっとお役に立てると思うんです!
ゆりさんについて、知っていることを教えていただけますか?」
憩の言葉に、ぼたんはこくりと頷いた。
「私とゆりは、店で出会いました。
お互い、苦学生だったので話が合ったんです」
「ぼたんは、女学生なのかい?」
「父が病気になるまでは、女学校に通っていました」
「なるほど、だから教養が深いんだね」
「本当は、女学校に通えるような裕福な家庭ではなくて……。
父が必死に働いて、私の夢を叶えようとしてくれていたんです」
母さんが病気で死んでから、父さんは寝る間も惜しんで働いていた。
私がタイピストになりたい、なんて言ったばっかりに。
「女学校かー、いいなー!」
「憩さんは、通われていないのですか?」
「私は、屋敷から出られなかったので!」
「そう、なのですか……。
すみません、不躾な質問をしてしまいました」
「気にしないでください!
ゆりさんも、女学校に通われていたんですね」
「はい、ゆりはカフェーで学費を稼いでいました。
ここで働いていれば、住むところも安心だと言っていて」
「そっかー、ゆりちゃん苦労してんだなあ……。
賢くて、いい子だなーって思ったけど、頭よかったんだな!」
「テメェよりバカは滅多にいねぇよ」
「はあ!? お前なんなんだよさっきから!!」
「はいはい、騒がないでね。
それで、ゆりがいなくなった日。
いつもと違うことや、気になったことは、何かあったかな?」
「気になったこと……」
何か、あっただろうか……。
そういえば、たしかあの晩……。
「次はきっと、私の番だと思う。
オーナーたちが話してるのを聞いちゃったから……」
「それは、どういうことだい?」
「わかりません。でもゆりがそう言ってて……」
「それだ!!
きっとゆりちゃんはそれで狙われたんだ!!」
「なんの話を聞いたのか、それがわかれば真相に辿り着けそうだね」
「千歳さん、明日聞いてみようね!」
「簡単に教えてくれねぇよ。怪しまれて終わりだ」
「……うん。杣さんの言う通りだよ」
「そっか、じゃあどうしよう……」
「すみません。これくらいしかわからなくて……」
「いや、ぼたんのおかげで店主が絡んでいることがわかったよ」
「店主がよー、誰と話してたかわかればいいんだけどなー」
「……誰と、話していたか」
「だってそうだろ?
店主から話聞けなくてもよ、そいつから聞けばよくね?」
そういえば、憩と初めて潜入したときにいた下衆。
あいつらは、上に行く金がないと言ってた。
なぜ、上の存在を知っていた? 常連だから?
いや、常連でも合言葉を知らない限り上がれない。
つまり、上の存在は知っているけど、行く必要がない……?
「……話してた相手、わかったかも」
千歳の元に、全員の視線が集まった。




