30句 春陽
「意外と早く終わったね!」
「……うん。憩のおかげだよ、ありがとう」
憩の雷が落ちた後、僕は隊士たちに非礼を詫びられ、深々と挨拶をされた。
その後、憩が屯所の汚さや風紀の乱れを指摘し、指導。
帰る頃には、隊士たちからお嬢と呼ばれるほどになっていた。
「早く帰ったら、本屋さん行けるかなー?」
「……どうだろうね。そんなに欲しい本があるの?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど、千歳さんとお出かけするのが楽しみなの!」
もう、やめてほしい。
これ以上踏み込まれたら、何かを期待してしまう。
嬉しそうに笑う憩に、何も言葉を返せずにいた。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「……ううん、大丈夫」
「やっぱり、お出かけは今度にしよっか!」
「……どうして?」
「千歳さんも楽しめるときに行きたいなーって」
どうしてこの子は、人のことばかりなんだろう。
もっと、自分のことだけを考えてもいいのに。
「……今日。絶対、今日行こう」
「でも、大丈夫?」
「……大丈夫だよ、本当に疲れてないから。
ごめんね、憩の言葉がすごく嬉しかっただけなんだ」
「えへへ、そっかぁ……」
憩は少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑っている。
僕がきちんと思っていることを伝えれば、この子は自分の気持ちを押し殺さなくて済む。
なら、何も隠す必要はないじゃないか。
「……ねぇ、本を贈り合わない?
僕は憩の好きそうな本を、憩は僕の好きそうな本を贈る。
本屋に行くから、そのときにどうかな?」
僕の言葉に、憩の目はキラキラと輝く。
綺麗な金色の瞳が、より一層綺麗に見えた。
「やりたい! すごく素敵な提案!
千歳さん、どんな本を選んでくれるのかなー」
「……僕も、憩が選んでくれる本、楽しみだな」
きっとその本は宝物になる。
まだわからない自分の気持ちとは裏腹に、それだけは揺るぎないものに思えた。
「あー、やっと終わったなー!」
漣はぐいーっと背中を伸ばす。
屯所の掃除がようやく終わったのだ。
「さすがにもう次はないからね」
「はい……」
「ったく、こうなるのわかってんだから、大人しく外で吸ってりゃいいのによ」
「てかよー、旭の管轄でさえこれだろ? 南領やばくね?」
「南門がテメェの時点で終わってんだよ」
「はあ!? そういう西領はどうなんだよ!!」
この2人は本当に騒がしい。
後輩が叱られているのにこの状態だ。
「2人とも、後輩の前だよ。騒がないでね」
「だってよー、杣がいじめてくんだぜ?」
「事実を言ってるだけだろが」
「はあ!? 俺の方が先輩なんだけどなー!」
「なら先輩らしくしろよ!」
本当にこの2人には困ったものだ。
実力はあるのに、あまりにも幼稚すぎる。
「全く……。僕は先に帰るからね。
2人はずっとそうしていたらいいよ」
2人に背を向けて歩き出す。
これじゃあ、1箇所しか回れないはずだ。
昨日、千歳には申し訳ないことをした。
「おい、待ってくれよ旭!」
「テメェがうるせぇから、旭キレてんじゃねぇか!!」
「はあ!? お前がうるさいからだろ!!」
「俺のせいにすんじゃねぇよ!!」
どちらもとてもうるさい。
が、そんなことを伝えたところで静かになることもない。
「本当に、手のかかる2人だ……」
本人たちに届くこともない叫びを、旭は静かにつぶやいた。
「ただいま戻りましたー!」
「……戻りました」
先に屋敷に着いたのは、千歳と憩の方だった。
「お兄様たち、まだみたい。
先に着替えちゃってもいいかなー?」
「……そうだね。着替えちゃおうか」
「うん! それなら報告終わったら、すぐ出かけられるよね!」
憩の表情から、すごく楽しみにしていることが伝わってくる。
もちろん、僕も楽しみだ。
そうでなかったら、報告を終える前に着替えを提案したりしない。
着替えを済ませ、書斎に入ろうとしたとき、玄関扉が開いた。
「あ! 帰ってきた!」
「おう! お前ら、早かったんだなー!」
「……お疲れ様です」
「お疲れ様。もう着替えも済ませているんだね」
「朔夜もお疲れ様」
「あぁ、いこもな」
5人はわらわらと書斎へ移動する。
巡回任務の報告開始だ。
「さて、巡回お疲れ様。
僕たちの方は酷い有様だったよ。
次回も同じ状態なら、罰則を与えるつもりでいる」
「……そんなに酷い状態だったんですか?」
「とんでもねえぞ! 昨日の方がマシだったぜ」
「ま、僕たちの方はこれくらいで。
千歳たちの方はどうだったんだい?」
旭は千歳と憩を交互に見る。
「……今日は憩が報告してみる?」
「いいの?」
「……うん、もちろん」
千歳の言葉に、憩はスッと背筋を伸ばす。
旭は憩の方に身体を向けた。
「こちらの屯所も、環境整備不良や風紀の乱れが目立ちました。
また、上官である千歳さんに挨拶をしない等、隊士として目に余る行動が多く見られたので、指導いたしました」
「どこの屯所も乱れてんなー」
「やはり、どこも同じような状態だね。
今後も巡回任務は引き続き行う方向でいこう。
では、一旦解散。お疲れ様」
「なぁ、旭。あいつら仲良すぎねえか?」
「いいじゃないか。
任務で成果も上げているし、問題ないだろう?」
「いや、まあそうだけどさー」
漣はチラチラと朔夜を見る。
「なんだよ」
「お前、いいのか?
最近ずっと寒凪にべったりだぞ?」
「気持ち悪ぃ言い方すんなよ。
別に誰といようが、いこの勝手だろ」
「あーあー、そうかよ。
そりゃ悪かったなー、勝手に勘繰ってよ」
「もう憩の話はいいだろう?
今日も潜入があるんだから、2人も仲良くね」
「へいへい」
「わかってます」
やれやれ、と旭はため息を吐くのだった。
一方、2人は穏やかな時間を過ごしていた。
「本屋さんって、いつ来てもわくわくするね!」
「……外に出られなかったときも、本屋には来てたの?」
「うん。朔夜が一緒に住んでた頃は来てたよ。
でも、楽しそうじゃなかったからやめた!」
「……そうだったんだね」
「お兄様も忙しくて一緒に来られないし、ほとんどの本は矢桐さんに買ってきてもらってたの」
「……そっか。じゃあ、久しぶりの本屋なんだね」
「うん! だから千歳さんと来られて嬉しい!」
杣さんも本は読む人だ。
つまらなかったわけじゃない。
おそらく、憩に集まる視線やらが気に入らなかったのだろう。
「……じゃあ、僕は憩に贈る本を探してくる」
「うん! 私も千歳さんに贈る本を探すね。
何冊? 何冊まで選んでいいの? 10冊?」
「……それはさすがに多すぎない?
ほら、この後そのままカフェーに行くし」
旭さんに、戻ってくるのは大変だろうからと、本屋から直接潜入に行くよう言われていた。
10冊の本を抱えて潜入に行くのは、現実的ではない。
「うーん、それなら3冊くらい?」
「……そうだね。3冊にしようか」
「わかった! 楽しみにしててね!」
「……ありがとう。本屋からは出ないでね」
「はーい!」
客が来ては、憩が自由に動けない。
階級章を見せると、店主は恭しく店を閉めてくれた。
特務部隊では北門だが、帝国陸軍での表向きの階級は少将だ。
憩に贈る本を選んでいると、1冊の本が目に留まる。
「……漢文、好きだって言ってたな」
パラパラとページを捲る。漢詩のようだ。
短歌も読むと言っていたから、好みに合うかもしれない。
「……隣君如春陽(隣の君は春陽の如し)。
隣にいる君は、春の陽射しのようだ。か」
まるで、僕にとっての憩みたいだと思った。
とても綺麗な句、気に入ってもらえるといいな。
そんな気持ちを抱えたまま、贈る本の1冊に加えた。
「……お待たせ」
「ううん、全然待ってないよ!」
憩は先に買い物を終えていたようで、包みを抱えて待っていた。
「……どうする? このまま交換する?」
「ダメ! 1冊ずつ、選んだ理由を言いたいの。
あとね、いっせーのせ、で見せ合いっこしたい!」
「……ははっ、そっか。
じゃあ、カフェーに行ってからにしよう」
「賛成! 今日は何食べようかなー」
潜入するには少し早いが、いいだろう。
本を贈り合っている間は、どのみち仕事にならない。
「……ご飯には早いから、着いたらケーキでも食べる?」
「うん! ケーキ食べながら本読みたいなー」
ニコニコと楽しそうに笑っている。
隣君如春陽。
本当に憩のためにあるような句だと思った。
※物語に出てくる漢句は、作者の創作です。




