相合傘の距離
お兄ちゃんのことが好きで好きで仕方ない。
朝、目が覚めるたびに、まず思い浮かぶのはお兄ちゃんのこと。
学校でも、家でも、何をしていても、気づけばお兄ちゃんのことを考えてしまう。
でも——この気持ちをお兄ちゃんに伝えたら、どうなるんだろう?
喜んでくれる? それとも……距離を置かれる?
考えるだけで怖くて、胸がぎゅっと締め付けられる。
だから私は、何も言えないまま、ただお兄ちゃんのそばにいられるだけでいいと思うことにした。だけど……。
放課後のチャイムが鳴り、今日の授業が終わりを告げる。私は鞄を手に取り、席を立った。
廊下に出ると、友達と楽しそうに話しながら帰る生徒たちの声が響いていた。そんな中、私はひとり、昇降口へ向かう。
靴を履き替え、外へ出た瞬間——。
「……あ」
ポツ、ポツ、と冷たい雨粒が頬に落ちてきた。
空を見上げると、いつの間にか分厚い雲が広がり、灰色の空から静かに雨が降り始めていた。
そういえば、雨予報だったっけ。でも、傘……。
傘を持ってこなかったことに気づいて、私は思わず立ち止まる。
「傘、持ってないのか?」
その声に振り向くと、そこには智希が立っていた。
「……お兄ちゃん」
智希は片手に傘を持ち、私の様子を見てくる。
「ったく、抜けてるな」
そう言って、智希はスッと傘を開いた。
「一緒に帰るぞ。入れよ」
私はその言葉に驚いた。
「えっ……で、でも……」
「濡れて帰るつもりか?」
智希は当然のように傘を差し出す。
戸惑う私の心臓が、ドクン、と跳ねた。
相合傘……? みんなに見られちゃうかもしれない……。
ちらりと周りを見渡すと、まだ帰り支度をしている生徒たちが何人かいる。みんなが見ているわけじゃないけど、もし誰かに「仲良すぎる」と思われたらどうしよう。
——でも、そのときふと思い出した。
……そういえば、ノートに書いたっけ。
『雨の日に相合傘をする』
秘密のリストに書いた願いのひとつ。お兄ちゃんと並んで、同じ傘の中で歩く。そんな些細なことが、どうしても叶えたかった。
「……有紗が濡れたいって言うなら止めないけど?」
智希が私の迷いを見透かしたように言う。
「……っ」
私はぎゅっと拳を握る。
叶えたい……でも、みんなに見られたら……。
不安と期待の間で揺れる心。でも、せっかくのチャンスを逃したくない。
「……お願い、します」
小さな声でそう言うと、智希はクスッと笑った。
「素直でよろしい」
智希の傘に入ると、思ったよりも距離が近くてドキドキした。肩が触れそうな距離に、胸が苦しくなる。
「ふふ、顔赤いぞ?」
「なっ……!」
思わず智希を見上げると、からかうような笑みを浮かべていた。
「べ、別に赤くなんてない!」
「へぇ? 鏡見てみるか?」
智希がスマホを取り出そうとするのを慌てて止めた。
「もう……いじわる!」
ぷくっと頬を膨らませると、智希は優しく「ごめんごめん」と笑った。
学校の門を出ると、他の生徒がチラチラとこちらを見ているのがわかった。
やっぱり、目立つよね……。
でも、お兄ちゃんと並んで歩くこの時間が、どうしようもなく嬉しくて仕方ない。
もう……開き直っちゃおうかな。
どうせ隠そうとすればするほど、不自然になって怪しまれるかもしれない。だったら、堂々としていた方がいいんじゃない?
学校のみんなには、私たちが「仲のいい兄妹」だって思ってもらえばいい。何も変に隠す必要なんてない。
学校でも、お兄ちゃんと自然に仲良くできる方が、楽しいし、幸せ。
だったら、私は——。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「これからも、一緒に帰ってくれる?」
智希は少し驚いたように私を見たあと、ふっと笑った。
「気分次第だな」
「もう、いじわる」
でも、その声はさっきよりも軽やかだった。
私は幸せに生きたい。だから、この幸せな時間を大切にしよう。
そう思いながら、智希と並んで歩く足を、そっと揃えた。