Fight 9. 獣の舎
そういえば先日、初めてブクマがつきました。
嬉しいですね……マジでね。
「おそらく、“気”の暴走だ」
「気の暴走!?」
黎命流秘伝の施術により、“気”を扱うための器官“丹田”を覚醒させた慧秀。しかし彼は突如暴走し暴れ出した。
何が起こったのかを問う涙霧に対し、師匠である雫子は気が暴走したのだと答えた。
そんな現象が存在するなんて入門して長い涙霧ですら初めて聞く。
「黎命流の文献に書いてあったのを思い出したんだ!」
雫子がそう叫んで答えると同時、慧秀が爆発的な踏み込みを見せる。瞬きが終わるか否かのほんの一瞬で雫子との距離を詰めた。
地を蹴ると同時に脚部を気で強化し、さらに足裏から気を放出する事でジェット機の如き推進力を得ているのだ。
雫子は鋭い突きを連発してくる暴走慧秀を迎え撃ちながら涙霧に今の慧秀の状態を説明する。
「あの方法で丹田を覚醒させた時、その者が“気”に関して天賦の才能を持っていた場合───。突然目覚めさせられた“気”が体内で暴走する事がある!」
ボッボッボッと空を裂く音と共に慧秀の拳が雫子に襲いかかり、彼女はそれをパンパンパンと手で弾き続ける。
暴走した気の影響で凄まじい威力となっている慧秀の打撃。しかし彼女は表情を全く崩さないまま防いでいる。
「なかなかの威力だ……! これは相当見込みがあるな!」
雫子は嬉しそうに言う。
意識も理性も吹っ飛び、ただ闇雲に暴れているだけの状態で放った打撃ですら彼女に「当たったら危険」と思わせ防御を選択させるほどの威力。
本格的に気を使いこなせるようになればどれほどの境地に達するのだろう、雫子は思わず想像してしまう。
「そんな事よりどうすれば元に戻るんですか!?」
「“気”は有限だ! 慧秀の身体が“気”を練るためのエネルギーを使い果たせば自然と暴走も止まる!」
雫子は中段蹴りを慧秀の脇腹に当てる。続けて、彼がぐらついたところに追撃の拳を叩き込む。
それは身体が宙に浮き後方に吹っ飛ぶほどの威力───しかし絶妙な力加減と“気”の操作により慧秀の骨や内臓は傷付いていない。
「慧秀の気が尽きるまで、暴れる奴を私たち二人で食い止める。それが今の私たちがやるべき事だ」
今の慧秀は身体の中で暴れる“気”に振り回されるまま周囲を破壊して回るだけの夢遊病者のようなものだ。間違っても道場の外に出すわけにはいかない。
「“気”の才能があるとはいえ、まだ目覚めて数分だ。そう長く暴れられるわけじゃない。組み付いて宥めるぞ」
「はいっ!」
雫子の指示を聞くや否や、涙霧は慧秀を押さえ込まんと駆け出す。
「ウガァっ」
気配を察知した慧秀が乱暴に腕を振るい、彼女を弾き飛ばそうとする。
「橋爪くんごめん!」
しかし、涙霧にとって闇雲な攻撃などスローモーションに等しい。幼い頃から雫子の施術を受け、動体視力や反射神経が常人より遥かに強化されているのだ。
「黎命流“脳揺らし”!」
腕を掻い潜って懐に潜り込み、その顎に掌底を当てた。
当てると同時に相手の体内に“気”を送り込み、表面ではなく内部を直接叩くのが黎命流の「浸透する打撃」。その中でも脳に直接作用する“脳揺らし”は一撃必殺となり得る強力な技である。
しかし───。
「ウガァアア!!」
慧秀は何事もなかったかのように再び涙霧に襲いかかった。
「なにっ」
脳揺らしをまともに喰らって昏倒しないというイレギュラーに涙霧の反応が遅れる。咄嗟に腕を挟んでガードは間に合わせたが、腕の一振りをかわせず喰らってしまう。
「ぐううっ!?」
その衝撃により涙霧の身体が宙を浮き、後方に飛ばされ床を転がる。ガードする際、腕に気を纏わせていたため骨にヒビは入らなかったが、鈍い衝撃が内部を襲う。
(打撃でダメージ受けるのなんて久々だ……)
“気”を用いた防御を崩す最も効率的な方法は、相手が防御に使っている以上の“気”を用いて攻撃する事、と涙霧は教わった。とすると今の慧秀の攻撃には相当な量の気が込められているに違いない。
慧秀の攻撃は終わらない。
立ち上がろうとする涙霧の顔を思い切り蹴ろうとしてきたのだ。
「あぶなっ」
間一髪屈んで避ける。後ろにあった壁に慧秀の蹴りが突き刺さり、何かが爆ぜるような轟音と共に足跡大の大きな穴を開けた。
(避け損ねたら骨がぐしゃぐしゃになりそうね……)
あまりのプレッシャーに涙霧の背筋を冷や汗が伝う。“気”で防御していても今のを喰らっていたら不味かっただろう。
だがそれより気になる事がある。
(なぜ“脳揺らし”をまともに喰らったのに効かないの……?)
獲物に狙いを定めるかの如く、絶妙な間合いを維持して涙霧に飛びかかる隙を狙っている慧秀。
距離を取りつつ、彼を睨み返しながら彼女は考える。
あの“脳揺らし”は体勢もタイミングも完璧だった。紛れもなくクリーン・ヒットしたはずなのに───。
「言っただろう、今の慧秀は意識などないと」
困惑する涙霧に雫子が語りかける。
「意識がない相手に意識を飛ばす技を使っても意味はない。痛みも感じてないだろうから打撃全般効果が薄いだろうな」
「そ、それじゃどうすれば!?」
例えば関節技を極めれば痛みを感じない相手でも無力化できるだろう。しかし、それでは慧秀に大怪我を負わせてしまう。
これから彼に稽古をつけ強くするつもりの二人としては、関節を破壊して再起不能にしたり、そこまで行かずとも長期間の療養を必要とするダメージを負わせるなんてするわけにはいかないのだ。
「二人で慧秀に抱きついて押さえ込むしか方法はない!」
「えっ」
「私ら二人で前後から抱きしめ自由を奪い、そのままあいつが“気”を使い果たすまで離さず抑え続けるんだ。そうすれば安全に無力化出来る!」
至って真面目な顔で叫ぶ雫子。
だが思春期真っ只中の涙霧としては、歳の近い異性に抱きつくのはかなりの試練である。師の指示とはいえ、流石に二つ返事で「はい」とは言えない。
「行くぞ!」
だが雫子には涙霧の覚悟が決まるまで待つ気はない。そのまま慧秀に向けて駆け出していく。
「ああもうっ」
こうなってしまえばもうやるしかない。涙霧も少し遅れて慧秀に近づく。
「ウガァアアアアアアッッ!!」
獣のような雄叫びを上げながら慧秀が傍らに置いてあった自身の荷物を二人に向かって投げつける。
気で強化された腕力は決して軽くないスクール・バッグを軽々と放り投げ、砲丸のような質量が雫子と涙霧を襲う。
「しゃあっ」
掛け声と共に雫子が投擲されたスクール・バッグを下から蹴り上げる。
高く蹴り上げられたバッグは天井にぶつかり、雫子の背後に落下する。床に触れる頃には涙霧が既に慧秀の間合いに入っていた。
「ウガァッ!」
迎撃せんと拳を突き出す慧秀。顔面を狙って放たれたそれを見切った涙霧はそれを皮一枚で避け、タックルを仕掛ける。
「ウガッ!?」
突然足を取られ、狼狽える慧秀。意識も理性もない彼にこのテイク・ダウンに対処する事が出来るはずもない。
慧秀はそのまま床に引き倒された。
「橋爪くん落ち着いて!」
雫子に言われた通り、涙霧は慧秀が体勢を立て直す前に彼に覆い被さり、そのまま抱きしめた。
「大丈夫だから! 私達は敵じゃないから!」
「グガアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」
懸命に声をかけ落ち着かせようとする涙霧だが、慧秀はそんな彼女を引き剥がさんと手足をばたつかせて暴れる。
ゴシャッ、と涙霧のすぐ側の床が破壊された音がする。闇雲にバタバタさせている手が床に打ち下ろされたのだ。
「それ以上はやめろーっ!! 去年床張り替えたばかりなんだぞっ」
遅れて雫子も背後から慧秀に抱きつき、押さえ込みにかかる。
二人分の体重をかけられ、身動きが取れなくなった慧秀はより一層激しくもがく。
「ウガッ、ウガァッ!! ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
「お願い早く落ち着いて!」
「頼むから寝てくれ! これ以上道場壊すなっ」
今まで以上の抵抗を見せる慧秀だが、流石に二人に密着されると出来る動きも限られる。最後の力を振り絞って抵抗するものの、だんだんその力は弱くなってくる。
「ウ、ウゥ……グゥ……」
やがて唸り声にも元気がなくなり───。
「ゥ……ア、ァ……」
消え入るような声と共に瞼をゆっくりと閉じた。
数秒経つと獣のような唸りは発さなくなり、代わりにすぅ、すぅと静かな寝息が聞こえてきた。
「はぁ……やっと収まった……」
「よかったぁ……」
雫子は道場への破壊行為が終わったことに、涙霧は後輩にして弟弟子となった慧秀が元に戻ったことにそれぞれ安心し、思わず安堵の声を呟くのだった。
◇
「えっ、ちょっ……何ですかこれ!?」
慧秀の暴走が終わってから数分。
目を覚ましたら美人な先輩と美女な師匠に挟まれるように前後から抱きしめられていた慧秀は顔を赤くしながら取り乱していた。
「ははは、中学生に照れてもらえるあたり私もまだまだ捨てたもんじゃないらしいな」
「……」
既婚者にして大人である雫子は面白そうに慧秀を揶揄う。一方で涙霧は思春期ゆえ、慧秀と同じく顔を真っ赤にして俯いてしまった。
さっきまでは緊急時だったから気にならなかったが、落ち着いて後から考えてみると自分のしてたことに羞恥心が湧いてくるのである。
「そんで慧秀、調子はどうだ? 何か変わったと感じはするか?」
「凄く疲れてます……。身体全体が重いです……」
“気”の暴走に流されるまま、限界を超えた破壊力を発揮しながら暴れ回った反動により、彼は今まで経験したことのないような疲労に襲われていた。油断していると瞼が閉じそうになる。
「けど……不思議なことですが、それとは別に身体の奥底から何かが衝き上がってくる気がします。今まで感じたことのない、何か大きなエネルギーのようなものが全身の血管や神経を巡っているような感覚です」
「それが“気”だよ。目覚めたばかりなのにもう感じる事が出来るとは……。やっぱお前には凄い才能がありそうだ」
雫子がお世辞や煽てで言っているわけじゃないことは慧秀にもよくわかった。彼女は何か面白い、夢中になれるものを見つけた少年のような、輝く瞳で見つめてくる。自分に大きな期待をかけてくれているのだとわかり、彼の胸が熱くなる。
「まっ、とはいえ流石に今日はもう遅い。明日からビシバシ鍛えてやるからよく食って寝て覚悟しとけよ」
そう言って雫子は慧秀と涙霧を送り出した。
帰り道、慧秀は涙霧におそるおそる話しかける。
「あ、あの……涙霧先輩?」
「…………」
「そ、その……すいませんでした……。まさか、あんな……その……。知り合ったばかりの男に、抱きつかなければいけない事態にしてしまって……」
「ああもうっ! 忘れて! 忘れさせてっ!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く涙霧。
慧秀なりにフォローしよう、謝ろうと思っての事だったが、逆効果になってしまったらしい。
それに対して追加ですいませんと謝る慧秀。内心で気まずいと思う傍ら、少しだけ安心する自分もいた。
(涙霧先輩も、普通の女子っぽいところがあるんだな)
年相応の中学生らしい一面。自分と一つしか年が違わない、思春期の女子らしい冴木涙霧の姿。
そういった部分が彼女にもちゃんと存在する事に何故か安心する。
「でもすいません、正直いい思い出になりそうすぎて忘れられないと思います」
「何言ってんだ馬鹿っ」
ベシン、と慧秀の背中を思い切り叩く涙霧。痛がりながらも何だか楽しく感じて笑みが溢れる慧秀。
それは側から見れば、学生達のよくある青春の1ページのようであった。
黎命流の修行、始まる───!