Fight 7. シズコとレイカ
章タイトルをつけました
「紹介しよう。我が愛しの一人娘、皆川零花だ」
道場内のとある部屋に呼び出された慧秀。そこで座って待っていると雫子は何者かを連れてきてそう紹介した。
雫子の隣に立つ、小学生くらいの小さな少女がよろしくお願いします、と言いながらぺこりの頭を下げる。
「よ、よろしくお願いします!」
慧秀は畏まった態度で頭を九十度に下げて挨拶を返す。
師匠の娘という事は高い確率で彼女は黎命流の英才教育を受けている、つまり慧秀の姉弟子である可能性が高いのだ。自分より数年年下とはいえ、さっき入門したばかりの慧秀より黎命流のキャリアが何百倍も上なのだ。今後彼女から教えを受ける機会もあるかもしれない。なれば最大の学びを得られるよう、最大限の敬意を払い礼儀正しく接するべきだ。
そう考えていた慧秀に雫子は落ち着けと諭すような口調で語りかける。
「まあそう堅苦しくなるな。うちは上下関係に関しては緩めな方だ。敬語さえ使ってくれれば特に何も言わん」
そんで本題だが、と雫子が一冊の古びた書物を取り出し、あるページを開いて見せた。
「これから慧秀には、黎命流独自の施術で"気"を使える身体になってもらう」
「……はい?」
「具体的には、人体に三箇所存在する"丹田"を点く。この本に描いてある箇所だ」
雫子が指差すページには何やら人体模型のような画が描いてあった。身体のあらゆる箇所に点が書き込まれており、それぞれの点には何やら難しい名前が付けられている。まるでツボの解説図解のようだった。
「この眉間にあるのが"上丹田"。心臓周辺にあるのが"中丹田"で、臍の下らへんにあるのが"下丹田"だ。少なくとも黎命流ではこの三箇所の丹田が"気"を練るのに重要な役割を果たす箇所とされている」
解説しながら雫子は慧秀に手を伸ばし、肋骨のあたりを掌で触れる。
「あ、あの……」
「そして"気"とは何か……。これは体験してもらってから説明した方が早い」
ドッ、と雫子はそのまま掌を押し込む。さして強くない力、骨にダメージが入るようなものでは到底ない。その程度の強さだった。
「がっ、はっ……!?」
にもかかわらず、慧秀は苦しそうな顔をしながらその場に倒れ込む。
雫子に押された位置を手で押さえ、必死に荒い呼吸を繰り返す。
(い、息が……っ)
呼吸が苦しい。息がし辛い。何が起こったのかわからず混乱する慧秀だったが、その苦しみはあっさりと終わった。
「えいっ!」
ドッ、と背中に軽い衝撃が加えられたと同時、息苦しさも肋骨周辺の痛みも嘘のように消えてなくなった。
「な、何が起こって……」
振り返るとそこには零花がいた。背中から押してきたのは彼女のようだ。
「今のが"気"による攻撃、いわゆる"浸透系の打撃"ってやつだ」
雫子が解説する。
「私の体内で練った気を掌底で体内に打ち込み、慧秀の横隔膜を刺激した。それで一時的に呼吸困難になったんだよ。んでもって、そこに零花が同じ要領でもう一度横隔膜を刺激してそれを治した」
言葉が出てこない。俄には信じられないが、実際身を持って体験した慧秀は信じざるを得ない。
「まあ、いきなり信じられないのも無理はないよね」
涙霧が苦笑いをしながら混乱する慧秀に助け船を出す。
「でも、私も昨日バトル・ファック部と戦った時、"気"を使ってたよ? 思い返してみて」
そう言われてみれば、と慧秀は昨日の出来事を思い返す。
確かに彼女の打撃は見た目よりも大きなダメージを与えていたように見えたし、島金との戦いでは確かに「浸透系の打撃」という言葉を使っていた。
「あの時やった技……『継ぎ目崩し』っていうんだけど、相手の体内の関節を気で直接攻撃して破壊する技なんだよね。気を用いて行う浸透系の打撃は、皮膚や筋肉をすり抜けて相手の内部を直接叩く事が出来るの」
「そ、そんな事が……」
そんな事が本当に出来るとしたら、まるで───。
「まるでオカルトだろ?」
雫子が慧秀の心を読んだかのように語りかける。
「その通りだ。自分で言うのも何だが、黎命流は完全にオカルトに片足突っ込んでる。だから、これから慧秀はその摩訶不思議なオカルトパワーを使える身体に改造されなければならない。黎命流は"気"を扱える事が大前提だからな」
雫子は懐から、鍼治療に使う針を取り出し、慧秀に見せる。
「零花や涙霧の場合は幼少期から時間をかけて、少しずつ"気"を使える身体を作っていった。けど、なるはやで強くなってバトル・ファック部に復讐したい慧秀の場合はそんな悠長な事をしていられない。怪しい薬と怪しい鍼施術と怪しい気功と怪しい整体指圧……あらゆる得体の知れない手段を用いて強制的に丹田を覚醒させなければ間に合わない。当然かなり苦しいし痛みも伴う。それでもやるか?」
再び試すような目で慧秀を見る雫子。
当然、彼の答えは決まっている。
「やります。それで強くなれるなら、どんな苦痛も耐えてみせますよ」
「よろしい。すげえ気に入った」
雫子は嬉しそうに笑う。
「なら善は急げだ。今日中に丹田を覚醒させ、慧秀の"気"を目覚めさせるぞ」
そう言うと彼女は懐から陶器で出来た瓶を取り出した。大きさは牛乳瓶くらいか。
「まずはこれを飲み干せ。秘伝の調合法で作った特殊な薬だ。身体中の"気"を扱うための神経を活性化させる作用がある」
慧秀は恐る恐るといった様子で瓶を手に取り、蓋を開けて軽くにおいを嗅ぐ。
「う゛ぐっ!?」
叫ぶのを我慢出来ないほどの強烈な刺激臭が彼の鼻を襲った。
「ほ、本当にこんなの飲むんですかっ!?」
「言っとくがそれでも昔よりはマシになった方だぞ」
あまりの臭いに決意が綻びかけている慧秀の抗議をいなしながら、雫子は鍼の準備を進める。
「それを飲んだら全身のツボに鍼を刺す。丹田に繋がっているツボを点いておく事で覚醒しやすい状況を作るんだ」
そして鍼を全身に刺したままの状態で、雫子と涙霧と零花の三人が協力して慧秀の丹田全てに同時に刺激を与え"気"を覚醒させるのだという。
「薬と鍼で下地を作った状態で、この三人で三ヶ所の丹田に同時に"気"を送り込む。そうすると丹田が"気"に反応し、眠っていた本来の機能を思い出すんだ」
「本来は私や零花ちゃんみたいに、薄めて薬効と臭いと味をかなり控えめにした薬を長期間飲み続けて、鍼や指圧で毎日少しずつツボを刺激して、一年くらいかけて徐々に目覚めさせるんだけどね……」
つまり、雫子達が慧秀にやろうとしているのはかなりの荒療治的な方法なのだ。
「無論、身体には多大な負担がかかる。この方法も改良を重ねたから昔みたいに寿命が縮んだりはしないが、それでも丹田を刺激された瞬間に意識は飛ぶだろう。そして数週間から一ヶ月は慢性的な疲れや怠さ、鈍い痛みが付き纏う。身体そのものを改造する施術だからな」
しかも、施術の後遺症に悩まされている間も稽古はしなければならない。短期間で強くなりたい慧秀には休んでる時間が惜しいからだ。
「それでもやるか? それとも普通の武道や格闘技に切り替えるか?」
「やります」
慧秀は即答した。
「楽して強くなれるなんて最初から思っていません。涙霧さんと同じ強さを手に入れるというなら尚更です。あんな風にバトル・ファック部の淫売共をまとめて薙ぎ倒せるようになれるなら、どんな苦痛にだって耐えてみせますよ」
安全面が最大限に考慮されたキッズクラスだったとはいえ、慧秀とて幼少期から格闘技に触れてきた人間だ。強くなるために必要な代償などとうに知っている。
痛みも苦しみも、避けては通れない。
(……ついこの間までランドセル背負ってたような歳の子供が、ここまで言うとはね)
末恐ろしい、と言わざるを得ない。だが、同時に雫子は慧秀に大きな期待を抱き始めていた。
(ここまでいい顔する子はそうそうお目にかかれない。屈辱をバネに武術に打ち込む人間は、大概見違えるほどに強くなると相場が決まっている……)
加えて彼は育ち盛りの思春期。第二次性徴をこれから迎えようとしている、やり方次第でいくらでも強く出来る年頃なのだ。これはなかなかに教え甲斐がありそうではないか。
「わかった、ならばその覚悟を買って今日からオカルト武術家の仲間入りをさせてあげよう。一年もあれば見違えるぐらい強くしてやれる。ちゃんと言うこと聞けよ?」
「はいっ!」
慧秀は雫子の問いに力強く返事をする。これにて彼は名実共に黎命流殺人術の門下生となったのだ。
守破離で言えば彼はまだ「守」。師の教えを忠実に守る段階だ。その一歩として、慧秀は早速受け取った怪しい薬を一気に仰った。
「うっ、う゛お゛げぇえええええええっ!!?」
「おい馬鹿一気に飲もうとするな!」
だが、雫子ですら未だ一杯飲むのに十分以上を要するような劇物をイッキするのは無謀だった。
次回、慧秀の身体は───!?