Fight 5. 節穴の拳闘家、現る
今年も今日で最後ですね。
来年はいい年にしたいですね……本当に。
「用? 決まってんだろ、道場破りだよ」
黎命流の道場を突然訪ね、道場主であり涙霧の師でもある皆川雫子に喧嘩を吹っかけているのはキック・ボクサーを自称する水流龍敬。
品行方正とは無縁そのものな顔つきをしたこの男は、現代においてあまりに非常識な行いを悪びれもせず実行しようとしていた。
「格闘家、武術家同士が出会ったなら死合うのが必然。オレの挑戦を受けてもらう」
水流は言いながらポケットからスマートフォンを取り出す。
「そして勝負の様子は動画に撮影し、オレのYouTubeチャンネルにアップさせてもらう」
「勝手に撮られるのも、無断でSNSにアップされるのも困ります。それにやるなんて一言も言っていません」
「もしあんたが怪しい健康法や胡散臭い体操で強くなれると嘯くようなインチキ武術家だったら、それを信じている情弱が可哀想なんでねぇ。オレがファクトを世に広めてやるのよ」
言いながらその場でシャドー・ボクシングをする水流。ボッボッボッ、と空を叩く音が二人の間に響く。
雫子はため息を吐く。またこの手の輩か、と言い足そうな顔だ。
「お断りします。うちは道場破りなんか受け付けていません。取材も基本的にはお断りさせていただいています。どうしても他流試合をご希望なら、貴方の所属するジムや道場のトップを通してちゃんとしたアポを取っていただかないと」
「おいおい、それでも武術家か? それともビビったのか? やっぱり今のご時世古武術なんてやってるのは胡散臭いインチキばかりか?」
「帰る気はないんですね、なら───」
雫子はおもむろにスマホを取り出し、素早いフリックさばきでどこかへと電話をかけた。
「警察に通報します」
「えっ」
水流は雫子のその宣告に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。全く予想だにしなかった対応をされたと言わんばかりの表情だった。
「道場主の許可なく侵入するのは立派な住居侵入罪、その上で出てけと言われても帰らないのは不退去罪、あと脅迫罪もつくかもね」
「お、おい待て……」
「あ、もしもしお巡りさん? 実はまた道場破りがですねぇ───」
明らかに慌てだす水流。構わず警察に電話をかける雫子。この手の事には慣れているようだった。
「待てって言ってんだろうがっ」
次の瞬間。水流は拳を固め、電話中の雫子目掛けて振るった。
「あ、あいつ───!」
その瞬間を見ていた慧秀は思わず飛び出しかける。電話中の相手に襲い掛かるあまりにも卑劣な不意打ちに、雫子の身を案じたのだ。
しかし彼を涙霧が制止する。
「大丈夫だよ、ほら見て」
涙霧は全く落ち着いた様子で慧秀を抑え、様子を見守るように言う。
彼女は正しかった。
「なにっ」
水流の拳は雫子の掌によって受け止められていた。彼女は涼しい表情を一切崩さず、何事もなかったかのように電話を続ける。
「あっ、今殴りかかってきました。防犯カメラに映像映ったと思うんで確認するならどうぞ」
呆然としている水流を横目で見ながら、そう言って電話を切る雫子。
彼女は心底軽蔑するような視線で水流を睨む。
「電話してる最中の相手に急に襲い掛かるとはね……。あなたこそ人をインチキ呼ばわり出来るほどちゃんとキック・ボクシングをやってるようには見えないけど」
「な、舐めるなっ」
雫子に指摘された水流は叫びながらファイティング・ポーズを取る。
「今受け止められたのは咄嗟に手が出ただけの雑なパンチだったからだ! ちゃんと構えて拳を固めさえすれば───」
「どうでもいいけどもうすぐ警察来るって事を忘れてないかしら?」
雫子はうんざりしたような顔と声色で水流の言葉を遮る。
「その前に貴様の綺麗な顔をグチャグチャにしてやるよっ」
水流は再び殴りかかる。先程のとは違い、速さも鋭さも並のものではない、水流の本領を発揮したパンチだった。
だが、雫子は正面からそれを弾いてみせる。
「なにっ」
あっさりと全力の打撃を捌かれた水流は動揺する。その隙を雫子は見逃さなかった。
「黎命流“喪魄掌”」
雫子の掌底が水流の額にクリーン・ヒットする。
パァンッと大きな音が鳴り、水流の頭が仰け反った。
「あっ、あうっ……」
雫子の掌底を喰らった水流はたちどころに様子がおかしくなる。白目を剥き、口は半開きのまま茫然自失としたように立ち尽くしている。
「あれが師匠の“喪魄掌”……。相手の前頭葉に“気”を打ち込んで刺激し、一定時間機能を停止させる技だよ」
何が起こったと困惑してる様子の慧秀に涙霧が解説する。
「今のところ師匠しか使えない技なんだよね……」
と、ぼやくように付け加える涙霧。
幼少から黎命流を習ってる彼女でさえ習得が難しいほど困難な技であるようだ。
それから数分後、水流は駆け付けた警官にあっさりと連行されていった。
雫子は来た警官に事の次第を伝えたが、慧秀の目にはかなり親しげに話しているように見えた。だいぶ打ち解けているらしい。
おそらく、こういった事が怒ったのは一度や二度ではないのだろうな……と、慧秀は何となく推測する。
「で、そこの二人はいつまで隠れてるつもり?」
警察が去った直後、雫子は慧秀と涙霧が隠れている電柱を一瞥し、そう声をかけた。
「えへへ……」
影から顔を出し、苦笑いをしながら雫子に寄っていく涙霧。その後ろを慧秀が着いていく。
「い、いやあ……。なんか出て来づらくて……」
「お前裏口知っているだろう。面白半分で見てただけじゃないのか?」
呆れながら弟子を窘める雫子。涙霧の後ろにいた慧秀を見て問いかける。
「後ろの彼は?」
「後輩の橋爪くんです。黎命流に興味があるみたいなんですよ」
ほう、と雫子は興味深そうに慧秀を見る。
その視線に思わず身震いする慧秀。
明らかにただ者ではない。そう感じさせるような眼光だった。殺気も敵意も何も込められていないはずなのに、だ。
だがそうでなくとも、目の前にいる女性はあの涙霧の師匠なのだ。バトル・ファック部の部員達、そして島金先輩を歯牙にもかけなかった彼女より遥かに強い存在なのだ。
その上、脳の一部の機能を停止させるなんておっかなすぎる技さえ使えるときた。
恐れるなと言う方が無茶な話だろう。
そんな慧秀の緊張を解こうとするかのように、雫子はニィッと笑いかけた。
「ま、入門希望者もただ興味あるだけの奴も大歓迎だ。好きに見学していくといい」
中を案内しよう、と踵を返して道場の中に入っていく雫子。慧秀は涙霧に手を引かれ、その後を追うのだった。
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