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Fight 38. 本気の涙霧

や、やっと時間が取れたのか…

 ふぅー、と深く息を吐く涙霧。

 黎命の呼吸法により、“気”を練っているのだ。


(明らかに雰囲気が変わった……)


 涙霧と向かい合っている平河、そんな彼女を見守る近藤が警戒を上げる。

 一方で慧秀は冷や汗を流していた。


(ヤバい……。涙霧先輩が完全にキレた……)


 こうなればもう自分でも止められるか分からない。自分に出来るのはもはや人死にが出ないように祈る事。


「……平河先輩」

「? 何か用?」


 そして、今のうちに一番危険なところにいる平河希美に釘を刺しておく事だけだ。

 今の慧秀の心情はそれだけだった。


「気を抜いたら死にます。ここからは生き残る事だけ考えてください」


 急にどうした、と近藤が訝しむ。

 だが、平河に忠告する彼のその顔は至って真面目なものだった。


 そんな事は敵であるお前に言われるまでもない、涙霧を見ながら内心でそう返事する平河。

 彼女に油断などない。一挙手一投足に至るまで、あらゆる涙霧の動きを見逃さない。何かしようとすれば即座に対応出来るように極限まで集中している。


 バトル・ファックの大会と同じかそれ以上の集中を見せていた平河は、涙霧が何をしようと見失う事などないはずだった。


 そして、わずか一瞬後。あり得ない事が起こってしまった。



 気が付いたら目の前に冴木涙霧が迫っていた。



「えっ?」


 平河は決して涙霧から目を離していない。絶対に姿を見失う事も、初撃に反応できないなんて事もないはずだった。


 しかし、そんな平河の集中を潜り抜けた涙霧の縦に構えられた拳は、あっさりと、決められた動きであるかのように彼女の腹に叩き込まれた。


「ごぶ、っ!?!!?」


───は、発勁……?


 身体の中を大きな衝撃が突き抜け、貫通していったかのような感覚。

 意識を手放しそうになる平河は歯を食いしばり、踏みとどまる。


(お、落ち着け……これは致命傷ではないはずだ)


 当てられたのは肺のある胸部分ではなく腹だった。つまり今のこれは肺裂拳ではない。

 だからまともに当たったとしても鹿島や大井川のようにはならない。まだ戦闘は続行可能だ。


 自分に言い聞かせ、涙霧に反撃を試みる平河。

 再び引き倒して自分の土俵に引きずり込まんと手を伸ばす。

 だが、平河の手は虚しく空を切った。


 確かに一瞬前までいたはずの涙霧の姿が、突如目の前から消えたのである。


「な、なにっ!?」


 馬鹿な、一体どこに?

 狼狽する平河の耳に悲鳴のような近藤の声が届く。


「希美っ! 後ろだ!」


 その声に反応して振り向き、そこで初めて涙霧が自分の後ろに回り込んでいた事に気付く。

 その瞬間は涙霧の“継ぎ目崩し”が平河の膝関節を破壊する直前だった。


「ぐあああっ!!?」


 平河の絶叫が響き、同時に彼女の身体が勢いよく前のめりに飛ぶ。

 ドサッと音を立て倒れる平河。大井川も鹿島も、谷川も和田垣も───誰もが彼女の関節が破壊されたと思った。


 近藤乃莉凪と橋爪慧秀、そして継ぎ目崩しを放った当人の三人を除いて。


「……チッ」


 軽く舌打ちをする涙霧。同時に平河は何事も無かったかのように立ってくる。


(被弾直前に自ら前に飛ぶ事で“継ぎ目崩し”を不発に終わらせたか……なかなかやるな)


 慧秀は平河の膝関節が何故無事だったのか、そのカラクリを見抜いている。

 現実の殴り合いでは格闘漫画みたいにぶっ飛ぶ事はあまりない。本当に効いている時は糸が切れたようにストンと身体が崩れ落ちるものだ。


 だが、平河とて決して無事ではない。

 継ぎ目崩しは凌いだものの、その前に喰らった発勁のような打撃のダメージは相当だ。

 それに、突如として先程までとは比べ物にならないほど早くなった涙霧の動きにもまだ対応出来ていない。


(クソッ、一体どんな手品を使ったというんだ?)


 だが本気になった涙霧は相手に考えてる暇など与えない。

 間髪入れず、ふくらはぎを狙ったカーフキックを繰り出す。


(単なる蹴りなら見えるっ!)


 カットしつつ、平河は次の動きを警戒する。

 このカーフキックはおとりだ。すぐに本命の攻撃が襲ってくる。


「シッ!」


 平河の想像通り、脚に意識を向けさせた上で涙霧は本命である上体への攻撃をしてきた。

 しかもそれは、一切の躊躇を感じさせない目突きだった。


「クッ、殺人術らしくなってきたなっ」


 皮一枚で躱し、平河の目の横を涙霧の指が少し裂く。

 だが平河は滴る血を意に介さず、涙霧の腕を取って一本背負いを決めようとする!


「ごふっ!?」


 しかし涙霧はそれを許さない。

 背中に膝蹴りを当て平河の動きを一瞬硬直させる。その隙をついて腕を振り払い、チョークスリーパーを仕掛けた!


「舐めるなっ」


 だが相手も猛者。完全に形に入る前に頭突きをかまし、後頭部で涙霧の鼻っ柱を叩く。顔面の防御に割ける“気”が残ってなかった涙霧は鼻から血を吹き出し、平河に逃げられる。


 再度二人は立って向き合う形に戻る。


(くっ……!)


 嫌な形に戻ってしまった。

 距離が開け、正面で対峙するこの配置では再び涙霧があの技を使ってくるはずだ。


 ふぅううう、と再び涙霧が呼吸で気を練る。


(一体何をどうやってあんなに早く動いてるんだ!? 考えろ、次で見極めなければもう後はないぞ……!)


 必死に頭を回す平河。

 それを見て慧秀はフッと笑う。


(涙霧先輩をよく見て考えているな……。だがそれでは逆にドツボに嵌る一方だ)


 当然、同門である慧秀は涙霧がやっている技のカラクリを知っている。彼女は別に猛スピードで動いているわけではない。


 その正体は黎命流“煙霞えんか”。


 “気”というのは生命力そのもの。丹田が覚醒していない者はごく少数しか生み出せないが、“気”自体は実はどんな生き物でも持っているエネルギーなのだ。

 そして人間は無意識のうちに他者の“気”を感知している。五感から得られる情報に比べれば無いに等しいレベルだが、確かに他人の気、すなわち生命力を感じ取り相手の姿や存在を認識するための情報の一部として処理しているのだ。


 “煙霞”の原理はこの人体の仕組みを利用した至極単純なトリックである。


 身体全体に纏った“気”を瞬時に霧散させ、自身の“存在感”を一瞬だが薄くする。それにより目の前に立つ相手に、ほんの一瞬だが涙霧をうまく認識出来なくなる時間が発生する。

 そのごく短い瞬間の隙間を抜い攻撃を加える───それが黎命流“煙霞”である。


 回りくどく、攻撃に転じる瞬間は“気”が使えないので防御力が下がるというリスクがある。しかし一般的な格闘技や武術と違い体捌きやテクニックで視界から外れるのではなく、純然たるオカルトである“煙霞”を見破れる者などまずいない。


 再び涙霧が動き、“煙霞”を使う。

 平河は一瞬彼女の姿を見失い、咄嗟に頭をガード。


 涙霧は0.1秒ほどの僅かな隙を突き、守られていない心臓部分に全力の掌底を叩き込む───!


「捕まえた、ぞ……ぐふっ」


 涙霧の掌打を受けた平河は衝撃で血を吐く。だが、彼女の腕は確かに涙霧の手を捉えていた。


「なにっ」

「バトル・ファッカーは、胸や股間への攻撃には敏感なんだよっ」


 自分に涙霧の技のカラクリは見抜けない。

 そう判断をした平河が選んだ策は「あえて喰らってカウンター」だった。

 だからわざと心臓を晒し、胸部分への攻撃を誘発した。

 見えずとも、バトル・ファッカーとしての経験と本能が胸部(=乳房)への攻撃に反応してくれると信じて。


「もう離さんぞっ」


 掴み取った二度目のチャンス。

 平河はそれを逃すまいと心臓に喰らったダメージを無視して動く。

 涙霧の足を払い、彼女が体勢を崩して倒れる途中で腕に飛びつき脚を絡める。


(飛びつき腕十字か!?)


 そうはさせるかと腕の関節に気を集中させガードを固める涙霧。

 しかし、それはブラフ。


「私の尻で潰してやるわっ」


 本当の狙いはボディプレスならぬヒップ・プレス。

 背中から倒れる涙霧の腹に、平河は頑強な尻を思い切り落とした。


「ごふっ……!?」


 先程“煙霞”を使った事により腹は“気”を纏えていない。

 涙霧はかつてないほど重い腹への衝撃により、強烈な吐き気と共に唾と胃液を吐き出した。


次回、涙霧の運命は───!?

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