Fight 12. 意志を継ぐ男(上)
今回の話は6500字くらいあります。次の話も多分同じくらいあります。
長いけど割と重要エピなので読んでくれると幸いです。
その日の授業が全て終わった放課後。慧秀は涙霧に連れられ、最寄り駅の近くにあるとある喫茶店に来ていた。
慧秀は隣に座る涙霧を横目で見る。昨日、彼女は自分が何故バトル・ファック部と戦おうとしているのか、その理由を説明してくれると言っていた。
会わせたい人がいる、とも。
(つまり、その人が涙霧先輩とバトル・ファック部との因縁に何か関係があるということか……?)
慧秀とて今まで考えたことがなかったわけではない。
思い返せば涙霧と初めて会った時、彼女が慧秀を助けてくれたあの日も、彼女はバトル・ファック部の実態をある程度知っているような口ぶりだった。
元々両者の間には「何か」があったのだろうとは思ってはいたが、聞くタイミングもなかったし慧秀自身も自分を鍛えることに手一杯だった故にあえて掘り下げようとはしなかった。
それが今日、本人の口から詳しく説明されようとしている───。
「あっ、来た来た。おーい、こっちこっち」
不意に涙霧が手を振りながら言う。どうやら彼女が呼び出した者が来たらしい。
見れば慧秀達と同じく、加美山学園の制服を着た男女二人組が喫茶店に入店してきている。二人は涙霧に気付くと慧秀らが座るテーブル席まで近付き、向かい側に座った。
涙霧はまず、二人に慧秀を紹介する。
「来てくれてありがとう。こっちの子は橋爪慧秀くん。私と一緒に戦ってくれる予定の、新しい味方。まだ一年生で黎命流にも入門したばかりだけど、来年にはかなり強くなってると思う」
慧秀が「よろしくお願いします」と挨拶をすると、二人組も同じようにぺこりと頭を下げて返してくる。
「中等部2年D組の谷川宗光です」
「私は和田垣あけみ……。2-Aです」
二人とも、涙霧と同じく中等部2年らしい。学友ということだろうか……。
「谷川くんと和田垣さんはね、元バトル・ファック部なの」
涙霧の言葉に思わず目を剥く慧秀。
警戒しそうになる彼に、涙霧は続けて言う。
「そして、連中の暴虐の被害者でもある」
「被害者……?」
それを聞き、慧秀は谷川と和田垣の顔を見る。
彼等の表情には、何か大きなトラウマが蘇ったかのような脅えが浮んでいた。
「谷川くん、和田垣さん」
涙霧はそんな二人に優しく語りかける。
「橋爪くんにも話してもらえないかな。二人に、あの淫売共が何をしたのかを」
谷川も和田垣も、涙霧のことを信頼しているのだろう。
語って欲しいと言われたのは思い出すだけでも苦しい記憶に違いない。しかし、二人は無言で頷いた。
口を開いた彼等の目に、恐怖と脅え、そして確かな怒りが宿っているのを慧秀は見逃さなかった。
◇
一年前のことだった。
入学したばかりだった谷川と和田垣はそれぞれ、バトル・ファック部に勧誘の声をかけられた。
谷川は巧みな誘い文句で邪な気持ちを掻き立てられ、和田垣は思春期故に持っていた異性の身体への興味を肯定され後押しされる形で入部を決めた。
声をかけてきたのは当時高校一年生の近藤乃莉凪だったという。
「もし辞めたくなったらいつでも辞めていい。バトル・ファックなんて、やってる奴の方がおかしいんだからな」
優しそうにそう言ってくれた彼女の人柄に惹かれたのも、入部するきっかけの一つだったと二人は語る。
だが、これが地獄の入口であったことに彼等はまだ気付いていなかった。
「最初のうちは優しかったんです。でも、一週間ぐらいしたら段々……先輩達が露骨に悪態吐いたり舌打ちとかしてくるようになってきて……」
谷川はそう語る。
いくら興味があって入部したとはいえ、彼等はまだ一年生。セックスやそれに準ずる行為には不慣れで初心な子供だった。
躊躇や緊張故に上手く動けなかったり、指導について来れなかったりするのは当たり前だ。
なのに先輩達はそんな谷川に対して「使えない」「死ねよ」など度を超えた暴言を吐きはじめたのだ。
一方、和田垣の方も次第にトラブルに巻き込まれ始めていた。先輩達からの当たりは強くなり、教わったことが上手く出来ないと酷くなじられ人格否定の言葉をぶつけられた。
時には下着を破かれたり、私物を勝手にゴミ箱に捨てられたりした事もあったという。
加えてこんな事も。
「学生のバトル・ファックは基本的に挿入なしルールで行われるって言われたのに、経験した方が強くなるからってしつこく男の先輩に迫られる事もあって……」
思わず、慧秀の顔が怒りで歪む。二人の話を聞いているうちに彼の脳裏にはあの日に受けた屈辱と、慧秀を見下ろしながら笑っているバトル・ファック部達の顔が浮かんでくる。
(アイツらはそうやって、弱い立場の者を集団で甚振ってきたんだろう)
横目で涙霧を見る。
彼女は慧秀よりも冷静そうに聞いているが、その目はいつもよりかなり鋭くなっている。内心では怒りと義憤を沸き立たせているに違いなかった。
「けど、それだけなら耐えられました。近藤先輩や平河先輩みたいな、僕らを気にかけて庇ってくれる人達もいたし……。当時は部活はどこもこんなものなんだろう、って思ってましたから……」
だが、入部してから二ヶ月が経った6月のある日だった。
二人に一生消えない傷を負わせた、凄惨な事件が起こってしまう。
ある日、和田垣は谷川とスパーリングをしていた。その際、谷川の手が和田垣の股間に伸び、下着の中に入り込みそうになったのだが───。
「い、いやっ!」
和田垣はそれを本気で拒絶し、谷川を突き飛ばした。驚いた谷川はただならぬ様子の彼女に何があったかを聞く。
すると和田垣は「彼氏が出来たからもう他の男とこんなはしたない行為をしたくない」と明かしたのだという。
「実は……この日の少し前、私は偶然、小学校時代に片想いし続けていた男の子と再会したんです」
和田垣には小学生の頃、好きな人がいた。しかし受験勉強などもあって告白する機会をなかなか掴めず、結局そのまま卒業して離れ離れになってしまった。
完全に終わったと思っていた恋だったが、ある日偶然にもその彼と通学途中の駅で再会。流れで連絡先も交換できたのだ。
これを運命にして本当に最後のチャンスだと思った和田垣は意を決してアプローチを仕掛け、遊びに誘い、想いを伝えた。
結果、告白は上手くいき付き合う事になったそうだ。
「谷川くん……私もう退部したいよ……。」
和田垣は半泣きになりながら谷川に相談した。
純情な彼女は彼氏を裏切りたくなかった。もう彼氏以外に身体を触られたくない。彼氏以外に肌を見せたくない。ファースト・キスも処女も好きな人に捧げたい。
しかし、このままバトル・ファック部に所属し続けている限りそれは叶いそうにない。
加えて、最近は先輩達からのあたりも一層キツくなってきており、精神も限界に達しつつあった。
けれど、怖い先輩達に一人で退部の相談をしに行くような勇気が持てない。人殺しのような目で睨まれ、ヤクザのような口調で声を荒げて怒鳴られたら萎縮して退部届を撤回してしまうかもしれない。
和田垣はジレンマで板挟みになっていた。
バトル・ファック部に所属し続ければ彼氏を裏切り続けている気分になり、罪悪感に蝕まれる。
しかし、あの怖い先輩達に向かって「辞めたい」なんて言ったらどんな恐怖を味わう事になるか、考えただけで足がすくむ。
泣きながら相談を受けた谷川は和田垣の想いを汲み、ある決断をする。
「そうだったんだ……。わかった、じゃあ僕と一緒に先輩達に辞めるって言いに行こう」
「えっ……?」
一人で行くのが不安なら二人で行けばいい。谷川はそう考えたのだ。
それに、彼自身ももうこの部活は辞めたいと思っていた。
バトル・ファックという競技は公に認められておらず、やってる事を人に言えないどころか存在そのものがバレてはいけない。
バトル・ファック部なんて存在が露見したら間違いなく退学、最悪の場合は警察沙汰になる。続けたところでその経験は将来何の役にも立たないどころか関わっていた過去そのものが黒歴史にしかならない。
リスクばかりで得られるものが何もないのだ。
それでも楽しいならまだいいが、先輩達の指導も態度もやたらと厳しく高圧的で、自分ら後輩を常に虐げ抑圧しようとする。
日々の練習でも先輩部員達によるシゴキは昭和の野球部かと思うくらい酷かった。
教わった事の習得が遅いと大声で怒鳴られるし、機嫌が悪い時は殴られたり蹴られたりする。雑用や掃除は全部押し付けられ、ローションの拭き取り方もコンドームなどの備品をしまう位置もまともに教えられてないのに正しく出来ていなければ「何やってんだグズが」「雑用すらまともに出来ないのか」などとどやされモップの柄でぶたれるのだ。
スパーリングも毎回地獄だった。
もう出ないと言っているのにフェラや手コキをやめてくれないし、必死でタップしているのに乳房で口と鼻を塞いで窒息させるのを止めてくれない。
イカされた時、精液が尽きて勃たなくなった時などは人格否定のような罵詈雑言をぶつけられ嘲笑されながら動画を撮られた。
面白半分で関節技や金的の実験台にされるのも珍しくない。
バトル・ファックの試合に勝つために鍛えてやってるんだ、と説明をされても谷川はただ虐められてるようにしか思えなかった。
「僕も正直、もうこの部活を続ける意味を見いだせなくなってきたんだ。二人で辞めるって言いに行こう」
そうして部長か副部長、またはその二人と近しい位置にいた近藤乃莉菜と平河希美という女子生徒に相談しに行ったのだが───。
「その前に、大井川先輩と鹿島先輩に見つかってしまったんです……」
当時の事を思い出して、少し震えながら和田垣はそう語った。
大井川湘子。そして鹿島晴恵。あの日、慧秀を陥れようとした集団の中にいたリーダー格の二人の名が出てきた。
二人は話を続ける。
部長や近藤乃莉菜らに会う前に大井川と鹿島に見つかってしまった二人は、彼女らに自分らの事情と退部の意思を伝えた。
しかし───。
「あのさあ、一ヶ月後には新人戦が控えてるって知ってるよね? 今抜けられたらあたしらすげぇ困るんだけど?」
大井川はイラつきを隠そうともしない口調と表情でそう突っぱねる。
新人戦。プロのバトル・ファック団体のイベントの時間の一部をもらい、いくつかの学生バトル・ファック団体が集まり新入生同士の公開交流戦を行うという毎年恒例の行事である。
それに谷川と和田垣は出場する事になっていた。
和田垣は強い口調で責めるように言われて萎縮するが、心の中で彼氏の事を思い浮かべながら反論する。
「し、知りませんよそんな事! 彼氏に操を立てる事を優先して何が悪いんですか!」
「……は?」
「大体、迷惑だとか言うなら私達のこともっと大事にしてくれれば良かったじゃないですか! あんなイジメみたいな事をされなければ、私も谷川くんも新人戦終わるまで待とうって気になったかもしれないのに……」
和田垣は内心怯えつつも、言ってやったという達成感を覚えていた。彼女に負けじと谷川も啖呵を切る。
「そ、そうですよ! あんな真似をされたら愛想も尽きます! それに冷静に考えたらバトル・ファックなんて上手くなっても今後の人生で何の役にも立たないし……」
そして谷川は続ける。
「第一、近藤先輩だって最初に言ってたじゃないですか! 『バトル・ファックなんてやってる奴の方がおかしいんだ、辞めたくなったらいつでも辞めていい』って! だから行事が近づいてようが僕らには辞める権利があるんですよ、最初にそういう約束で入部したんですから!」
自分らの言いたい事を捲し立て、ぶつける。
言い終わった直後、谷川も和田垣も不思議な高揚感に覆われていた。長年溜まった鬱憤を一気に晴らしたような、そんな気分だった。
大井川も鹿島も沈黙したままだ。数秒経っても何も言い返してこない。
「とにかく、僕も和田垣さんも明日からもう部室には来ません。辞めた後バトル・ファック部の事を口外しない代わりに、二度と僕らには関わらないでくださいね───」
谷川はそう言い放って踵を返す。
和田垣もそれに着いて行き、二人でそのまま帰ろうとした瞬間だった。
突如、谷川の側頭部を大きな衝撃が襲った。
「がぁっ……!?」
頭部への急な痛み、加えて平衡感覚が突然狂った事で谷川はその場に昏倒する。
意識は朦朧とし、自分に何が起きたのかを考える事すら難しい。
「た、谷川くんっ!?」
和田垣がそんな彼に慌てて駆け寄ろうとする。
しかし、倒れた彼を起こそうと近づいた彼女の腹に、大井川のつま先が突き刺さった。
「ぐえっ……!?」
口から空気が吐き出され、直後強烈な吐き気に襲われる。たまらず和田垣もその場に蹲り、腹を手で押さえる。
「なに、を……」
和田垣は必死に絞り出した言葉で抗議の声を上げる。
自身の腹を蹴った大井川湘子と、谷川の側頭部にハイキックを放った鹿島晴恵に。
「何をじゃねえよ」
「黙って聞いてりゃ舐めたクチばっか聞きやがってよぉっ!」
大井川と鹿島は荒げた口調で和田垣の抗議を一蹴する。その表情は怒りに歪んでいた。
「彼氏が出来たから辞めたい? 辞める権利がある? ふざけてんのか。弱くてロクな戦力にもならないくせに権利だけは一丁前に主張してんじゃねえぞクソガキ共っ!」
バシィン、と甲高い音が鳴る。激昂した大井川が和田垣の頬を叩いた音だった。
「お前らがそうやって、自分の都合で好き勝手に辞めたりするから毎年毎年先輩達は大変な思いしてるんだよ。わかってんのか? ああっ!?」
痛みと恐怖で和田垣と谷川の身体は震え、言葉も出てこなくなる。助けを呼ぶ声さえも出すことが出来ない。
そんな彼らの内心を見透かしたかのように鹿島が言い放つ。
「申し訳ありませんでした、辞めるなんてもう言いませんって言うならこのくらいのヤキで済ませてやるよ」
だが、谷川と和田垣は屈しなかった。どれほど痛め付けられようと彼等は折れなかったのだ。
「いいえ辞めます……! 思い通りにならないからってこんな風に人を従わせようとする人達と一緒に部活動なんて無理です!」
「私も谷川くんも間違ってません……! 先輩みたいな野蛮な人達より彼氏の方が大切です!」
ここで屈したら二度と辞められなくなる。人として大切なものを奪われ続ける学生生活になってしまう。だから彼らは意地を張り倒した。
その結果は、大井川と鹿島の怒りの炎にさらなる油を注ぐ結果となった。
「…………あっそ」
凄まじい形相で怒鳴り散らかしていた先程までとは正反対の、能面のような表情と温度を感じない静かな呟き。
それが逆に谷川と和田垣の恐怖心を煽る。人は本気でキレた時、逆に静かになる。そう聞いた事があったからだ。
鹿島は未だ立てない谷川を蹴飛ばし、仰向けにする。
そして───いっさいの躊躇もなくその足を力一杯、彼の股間に振り下ろした。
「ぎ ぃ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ っ」
谷川の絶叫が響く。しかし、叫び終えると同時に彼は白目を剥いて意識を失ってしまった。口からは泡のような涎が垂れている。
「た、谷川くん───」
駆け寄ろうとした和田垣。だが彼女の髪を大井川が掴み、引っ張り上げる。
「い、痛いっ」
「晴恵は片方しか潰してねえよ。安心しな」
潰した……? 何を……?
考え、そして答えに至った彼女は全身から血の気が引いた。
「な、なんて事を……」
「いいよ。お前も谷川も辞めたいなら退部させてやるよ。うちらから近藤先輩達に伝えておく」
大井川は和田垣との会話には全く応じず、ただ一方的に喋り続ける。
「ただ───バトル・ファック部を舐めた代償は払ってもらうけどなっ」
大井川は叫ぶと同時、近くの壁に和田垣の顔を叩きつけた。
「ごぶぇっ」
鼻血が出て口の中が切れ、和田垣の顔が血に染まる。呼吸が苦しくなり、頭への衝撃で意識も少し飛んだ。
「好きな男に処女をくれてやれるような幸せモンに、うちらの気持ちなんか理解できるはずねぇもんなぁ……!」
顔を手で押さえ口や鼻から出てくる血を止めようとしている和田垣の耳に、ジュポッという変な音が届いた。
まさか、と思い恐る恐る振り返る。
大井川の手には火のついたタバコが握られていた。
「い、いやっ、やめてっ」
逃げようとするが鹿島が逃さない。立ち上がろうとする和田垣を蹴り飛ばして倒したあと、後ろから羽交締めにして自由を奪う。
「いつか彼氏に見せてやれよ」
大井川は和田垣の制服のボタンを引きちぎり、下着も剥ぎ取る。
露わになった彼女の小ぶりな乳房に、大井川はそっとタバコを近づけ───。
「い、いやっ! い や あ あ あ あ あ あ あ あ あ ああ あ 」
その時に聞いた自身の肉が焼け焦げる音は、今も和田垣の耳にこびり付いている。
悲しき過去───。