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第二話 「好転からの苦悩」

 週明け。男はまたモールに来ていた。


 今週は夜勤なので、半額弁当を買うことはできない。今日のお目当てはフードコートの安価な外食チェーン店と、カップラーメンなどであった。自炊する気力はとっくに失われていた。

 入口に差し掛かり、宝くじ売り場が視界に入ったとき、男は目を見開いた。


「出ました! 当チャンスセンターからサッカーくじ1等6億円!」

 心臓が、にわかに早鐘を打つ。


 夢想であった。甘い願望であった。藁にもすがる思いであった。


「人は自分の信じたいことを信じる」

 ユリウス・カエサルの言葉である。人間の本質は今も変わらない。


 震える手で財布の中に入っていたくじを取り出し、スマホで当せん番号を確認する。

 頭の中が真っ白になった。

 男は空腹も忘れ、職場に休みの連絡を入れた。


 夜。寮がわりの安アパートに戻った男は、例の消しゴムが入っているペンケースを取り出す。普段はボールペン派のため、あれ以降消しゴムを使っていなかったのは幸運だったといってよかろう。


 まずノートに書いたのは「サッカーくじに当せんしたことがバレる」であった。宝くじのたぐいに当せんすると、いずこともなく自称親戚や寄付の要求といった寄生虫のような連中が湧くと聞く。もしこの消しゴムが「本物」であったなら、これで周囲に知られないはずだ。


 男はひとしきり「事後処理」を済ませて、多少落ち着きを取り戻したらしい。ベッドに散乱する漫画を雑にどけて横になると、ぼんやり天井を眺めながら今後のことを考え始めた。


 もうすぐ六億円が口座に振り込まれる。もう金の心配はない。

 そう考えると、生まれ変わったような心持ちがした。

 誇張抜きで、目に映る光景がこれまでと全く違って見えた。これで一度は諦めた大学に行けるのだ。


 しかし、ふと考えた。

 今まで経済的に困窮していたのに、いきなり大学に行ったりしたら、当せんがバレるのではないか? 消しゴム効果があれば大丈夫なはずだが、自分から疑われることをするのは、バレるバレない以前に精神衛生上よろしくない。

 となると、大学に行くのはしばらくお預けか。そう結論した男の脳裏に、経済的理由で諦めねばならなかったもうひとつの夢が甦った。


 プロゴルファーである。


 父が失業する前は、よく一緒にゴルフに行った。男には人並み以上のゴルフの才があり、プロを夢見るのは決して身の程知らずの野心ではなかった。


 しかし、新型感染症の流行が全てを狂わせた。

 ゴルフ道具もピンキリであり、上を目指すにはそれなりの品が必要になる。プロテストを受けるのもタダではない。

 貧困という悪魔は、少年の夢を微塵に砕いた。


 だが今は違う。悪魔は退治されたのだ。カネという祓魔師エクソシストによって……


 むろんゴルフも金がかかることに変わりはないが、四年の学費よりは中古の道具やプロテストの受験費用のほうがいくらか安かろうから、働きながら貯金していたという誤魔化しが効くだろう。

 何より日数的なハードルの高さが違う。予備校に通ったり進学したりするよりは、怪しまれる可能性が明らかに低い。首尾よく合格したら賞金で進学し、大学生プロゴルファーの道を目指す手もある。

 男はスマホを取り出し、ゴルフ用品の検索を始めた。


 テスト当日。中古の安物クラブを見て、一緒に受験する奴がわらった。その嘲笑は、テストが終わった時には、絶望と屈辱の表情に変わっていた。快感だった。


 前もって「俺がプロテストに不合格になる展開」および「俺が気に入らないと思った奴が合格する展開」とノートに書き、消しゴムで消しておいたのである。


 ━━━━━


 すべてが変わった。


 消しゴムの力を使って優勝した。なくてもやれたかもしれないが、デビュー戦は確実に、そして華々しく飾りたかった。

 ゴルフ雑誌のインタビューを受けた。テレビにも出演した。

 それまで男を「高卒」とか「派遣」と呼び、名前すら覚えていなかった者たちが、掌を返して媚びへつらうようになった。

 男は内心の憎悪を隠して接した。


「夢を諦めなかった不屈の新人」

 そういう善玉ベビーフェイスのイメージ作りに好都合だったからである。上辺だけでも取り繕っておけば、あわよくば自動車会社がもと従業員(?)という経歴からスポンサーになってくれるかもしれない。恨みが消えることも許すことももちろんないが、報復するより利用したほうが得策と思えた。


 嫉妬深く小心な男なればこそ、このような小賢しい打算には長けていた。もっとも、金銭的余裕が生まれ社会的地位が向上したことから、心にゆとりが生じたことも大きかったろう。


 安定した精神状態がそうさせたのか、柄にもなく消しゴムを世の中の役に立てようと思ったこともある。

 しかし、そちらはあっけなく頓挫してしまった。世の中はなにも変わらなかったのだ。


 確かに、「汚職議員○○が生きている状況」と書いて消しゴムをかければ、その議員は消える。病や事故で死亡したり、社会的地位を失って自死したり、とにかく消える。

 直接手を下さないためだろう、罪悪感はなかった。感じる必要もない。彼らの悪政のために、何人の人間が自ら命を絶った、事実上殺されていったことか。


 だが結局は、別の誰かが同じことをするだけであった。


 相変わらず政治家は私腹を肥やし、欲望のままに日本を食い潰す。某国の独裁者がいなくなっても、国際情勢は日に日に混迷の度合いを深めてゆく。


 男は他者のために貴重な消しゴムを消費するのを止め、自分のためだけに使うようになった。私利私欲に走ったと言えば聞こえが悪いが、確かにこれでは虚しくもなるだろう。


 しかしそれ以外は順調だった。

 獲得した賞金で念願の大学にも行けた。その間やや戦績は落ちたが、そこはやむを得ないことだった。

 大学で彼女もできた。就職していたため同学年にはなったが、高校の後輩で、学園のマドンナ的な扱いを受ける美少女である。

 名声を獲得したことで、父も仕事にありつけた。

 卒業後ほどなく結婚した。夫婦仲も円満、子宝にも恵まれた。


 幸せに満ちたバラ色の毎日。

 この世の主人公として輝く人生。

 その一方で、消しゴムは少しずつ小さくなっていった。


 新しいものを補充したかったが、メーカーは倒産したのかあっという間に姿を消し、HPもいつの間にか無くなっていた。ネットショッピングにも件の消しゴムは影も形もなく、匿名掲示板のたぐいを覗いても人々の口に上ることはない。要するに、これを使いきったら終わりの可能性が大ということだ。


 ともあれ時は流れた。


 いまや男はゴルフ界のスターとなっていた。確かに消しゴムの力も多少は借りたが、本人の素質と努力のほうが大きかったという自負はある。

 そんなある日、妻が沈鬱な表情で封筒を差し出した。中に入っていたのは病院の診断結果を記した書面であり、完治が難しい難病の名が記されていた。


 なんたること。こんな事態にならぬよう、消しゴムを使っておいたはずなのに……

 文章の書き方が悪かったのか、消しゴムの力が及ばなかったのか。だがそれは後で考えればいい、今は妻の病をどうするかが問題だ。男は苦悩した。


 もう一度、文言を変えて消しゴムを使えば、妻の病は癒えるかもしれない。しかしその消しゴムは、次で終わりと思えるほど小さくなっている……


 男は妻に、金に糸目をつけぬ治療を受けさせた。が、ついに消しゴムに手をつけはしなかった。難病ではあるが完治の例がないわけではない。最新の高額治療なら、消しゴムの力を借りずとも治る可能性は十分あるからだ。


 ここで再びカエサルの言を引用しよう。すなわち「人は信じたいことを信じる」のである。

 男は家族が問題なく過ごせると思いたかったし、それが叶わなかった今は妻の病が完治すると思いたかった。だからそう思い込んだのだ。それは結局のところ、自分に都合のいい願望にすぎないのだが。


 なんのことはない。男は最後の一回を妻に使うのが惜しかったのだ。愛が欲に負けたのである。最初からその程度の愛だったのかもしれない。


 そんな心がけにバチが当たったのか、妻の容態は少しずつではあるものの、確実に悪化していった。


 ━━━━━


 その年、ゴルフ界は男の話題が常にも増して多かった。今年度の戦績次第では、過去に例のない大記録が樹立されるのだ。

 そんな男に、しかし強力なライバルが立ちはだかる。昨年、彗星のごとく現れた俊英だ。この強敵に勝ち、前人未到の栄光と名誉を確実に手に入れるには、消しゴムの力を借りねばならないだろう。


 一進一退の攻防が続き、決着はついに最終戦に持ち越された。

 世界中のゴルフファンの目が二人に集中していた。その一方で、妻の容態は消しゴムなしでは命をつなげるか分からぬ状態となっていた。


 最後の一回を使う時が来たのだ。

 男は家族にも秘密の隠し場所から、消しゴムを取り出した。

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