煉瓦造りの倉庫
その後は穏やかに過ぎて4月になり、紗は小学校、彩桜は中学校に入学した。
空までもが祝っているかのように晴れ渡り、まさに燦々としていた陽が低くなって朱みを帯び始めた頃――
開きにくいままにしている戸をガタギシと開けて、午後からだった入学式を終えた彩桜が帰って来た。
「たっだいま~♪
紅火兄♪ 店番していいよねっ♪」
「鞄は自分の部屋に――」「うんっ♪」
住居の方に行ったと思ったら直ぐに着替えて戻った。
「ねっ♪ いいでしょ♪」
「部活は?」
「歴史研究部にする~♪
月1しか集まらないんだって♪」
「動物の世話を――」「うんっ♪」タタタッ♪
「ねぇ紅火、いいじゃないの?
彩桜くん、ずっと我慢してたのよ?」
「解っている。
ただ、中学生として大切な事は他に在る」
「お客様なんて少ないんだから、店番しながら勉強を見てあげれば?」
「……ふむ」「なぁ紅火」「む?」
住居に続く渡り廊下から黒瑯が覗いている。
「邪魔して悪い。頼んどいた圧力鍋は?」
「出来ている」視線で示す。
「お♪ ありがとなっ♪
早速 試すからなっ♪」
「仕事は?」
「辞めるのは1年先になっちまったが動き始めたいんだ。
だから鍋を保温したら出掛けるんだ♪」
「早退なのだな?」
「違ぇよ早番だ♪
これからは早番と遅番、1週間毎だ♪
時々シフト絡みでイレギュラーもあるけどなっ♪」
「活動時間確保か」
「だよ♪ お♪ 青生だ♪」
「なんだかハイだね、黒瑯」「おうよ♪」
「踏み出したから?」「そのと~りだ♪」
黒瑯は鍋を持って弾むように台所へ。
「紅火、この子の寝床をお願い」
「ふむ」「あら♪ フェレットね?♪」
「うん。
彩桜と帰っていたらマンションから落ちてきたんだ。
飼い主さんの部屋は見つけたんだけど留守なんだよ。
探したり、手紙を残していて遅くなってしまったんだ。
彩桜は帰ったよね?」
「今は庭だ。
そうか、保護者として行っていたのか」
〈ふむ。龍神様だな。
自覚して頂いてから返すつもりなのだな?〉
「うん」〈手伝ってもらえる?〉
「直ぐに作る」〈勿論だ〉
「ありがとう。それじゃあ病院に戻るよ」
「ふむ」
青生が住居の方へ行ったのに合わせたかのように店の戸が音を立てた。
「若菜、頼む」立ち上がって奥へ。
「どこ行くの?」
「紙……」素早く、しかし静かに襖が閉まった。
『すみませ~ん』開かないらしい。
「いらっしゃい紗桜さん♪」開けた。
「こんにちは♪ いつもの紙を――あ♪」
襖の隙間から紙束を持った手が出ている。
「あ~、はいはい♪ これねっ♪」
「今日も当てられちゃった♪
2束って言おうとしてたの♪」
「そうなの? たまたまよ~♪
紗桜さんは就職……は来年?」
「はい♪ 大学は あと1年あります。
でも就職じゃなくて、院に行くつもりなんです。東京の」
「祓い屋は? 東京で続けるの?」
「まだ考え中で……でも、続けるなら御札の紙は帰省した時に買いに来ます♪」
「ありがとうございます♪」
―◦―
庭に行ったっきりの彩桜はウィスタリアと話し込んでいた。
【――うん。白久兄と黒瑯兄は隙間も全然。
だから今の状態で月に連れてってもダメなんだって~】
【そうですか……神力を浴びられるように工夫しなければなりませんね】
【オニキス師匠に、抱き枕になってもらうとか~♪】
【私と同じ方法で――】【チョイ待てっ!】
黒犬が塀を飛び越えて着地した。
【あ♪ オニキス師匠~♪】
【抱き枕って!?】
【ウィスタリア師匠、藤慈兄の抱き枕♪
一緒に寝てたら隙間 開いたの♪
だから月に行ったの♪】
【オレは黒瑯なのか?】
【仲良しさんでしょ♪】
【そうだけど――ウィスタリア兄様まで笑うなよなぁ】
【あれれ? 黒瑯兄だ♪
どこ行くんだろ?】
【尾行すっか♪】【うんっ♪】
―◦―
【黒瑯は何してるんだ?
大通りから路地の方見て、ブツブツ言って次の路地へ、だろ?】
【お店の場所探し? かなっ?】
【店?】
【うん。レストランしたいんだって~♪】
【へぇ~】【植え込みクンクン!】【お、おう】
黒瑯とは車道を挟んで反対側の歩道を散歩している風な彩桜とオニキスは、度々立ち止まる黒瑯に歩調を合わせるのに苦労していた。
【ペットも一緒に入れるの♪
だからペットメニューも充実させるんだって♪
でね、トリミングとか健康診断も青生兄達が出張するんだって♪
青生兄と藤慈兄がペットフードも作ろうかって言ってたよ♪】
【へぇ~♪】
【味見お願いしま~す♪】
【へ? オレは犬じゃねぇからなっ!】
【でも犬用クッキー大好きでしょ?】
【……確かにな。あ! 路地に入ったぞ!】
【行こっ♪】
彩桜は信号待ちしている間に見失うかと心配していたが――
【あのなぁ、オレは神なんだからなっ】
――オニキスがシッカリ見てくれていた。
【コッチだ!】ビンッ!【ゲッ!】
【『コッチ』じゃ、どっちかわかんないでしょ。それにリード忘れてたでしょ】
【忘れてたよっ! うわっ】
今度は彩桜に引っ張られた。
【コッチなんでしょ? あっ】
蔦の絡む煉瓦造りの倉庫らしい建物の角に黒瑯の服が少しだけ見えていた。
【此処……わりと彩桜ん家に近いよな?】
【でも学校とは反対側だし、ぜ~んぜん知らなかった~けど、あれ……アパート?
三角公園の近くのかな?】
少し離れた木々の向こうの屋根を見ながら頭の中に地図を広げる。
【うん。たぶん知ってるアパート♪
アッチから見よっ♪】
大通り側のビルに身を寄せていたが、アパートの方へと静かに駆けて行った。
―◦―
「ナンか古めかしいけどオシャレだよな。
でも倉庫じゃ仕方ねぇよなぁ」
ぐるりと一周して正面から見上げた黒瑯が呟いていると正面扉横のドアが開いた。
「あら? 何かご用?」
「あっ、すみません!
煉瓦の倉庫が珍しくて、つい」
「ありがとう♪ こんな古い倉庫なのに」
「その古さがカッケーです」見上げた。
「そう……?」同じように見上げてみた。
黒瑯は中も見てみたかったが、倉庫としても便利な場所に建っているのだから、レストランにしたいとは言い出し難いと言葉を探していた。
「それじゃあ私は――」「あのっ!」
「ん~~、何として使いたいの?
相当 気に入ってもらえたみたいだから内容次第では考えてもいいわよ?」
「あっ、えっと……レストラン、なんですけど……」
「大通りに面してる方が良くないの?」
「車通り多いから落ち着かないかな、と。
だから大通りからチラッと見えるチョイ奥がいいな~と思って探してて。
此処、駅からも近いし――ってか、そんな立地条件とかよりも!
この建物がオレ好みなんです!」
「レストランねぇ……」もう一度 見上げる。
「ダメ……ですよね……?」
「ちょうど借りてくれてた会社が移転になって、明日 募集を出そうと思って掃除したのよ。
写真 撮らないといけなかったから。
このドアの向こうは、その会社が付け足した事務室なの。
電気は勿論、水道も引いてるわ。
つまり、中は自由にしても構わないし、私は借り手を探してるの。
運命的な出会いね♪」
話しながら倉庫の扉を開けて中を見せた。
「って……マジですかっ!?♪」
「いいわよ♪
あら、開けたけど……薄暗いわね。
明日また見に来る?」
「はい! ヨロシクお願いします!」
「賃貸料とか知りたいわよね?
書類とか名刺とか、向こうなのよね。
でも庭を通れば近いから♪」
ガランとした倉庫を突っ切って裏の搬入出口から外に出た。
「向こうまで全部 庭!?」
「だだっ広いだけよぉ。
母が どうしても買いたいって~」
一旦 道に出て、すぐに庭へ。
「スッゲー金持ち……」
「輝竜さんだってお金持ちでしょ?」
「ウチなんかボロいだけ――ええっ!?
ナンで名前!?」
「だってソックリ♪
あのコがお世話になってる輝竜先生に♪」
遠くから白い大型犬が駆けて来ている。
「だから信用したのよ♪
もしかして双子?」
「いえ、年子で……オレが下です」
なんだか急に恥ずかしくなって俯いた黒瑯に白い大型犬が飛びついた。
「うわっ!」
その拍子にポケットから飛び出した紙袋を大喜びで咥えて逃げた。
「モフ! 返しなさい!」
「いや、食って大丈夫です。
犬用クッキーですから」『わわわっ!』
「え? あの黒い犬……まさか――」
「あらまたソックリくんね♪」
「彩桜! オニキス! 何してやがる!?」
「見たら分かるでしょっ!
お散歩してたのっ!」
大歓迎なモフに追いかけられている。
「コッチのクッキーはオニキスのなのっ!」
彩桜が中学生になったので少しだけ輝竜兄弟の日常のお話を挟みます。
黒瑯が見つけた古めかしい煉瓦造りの倉庫は、輝竜家と同じ頃に建てられたもので、百合谷町の西端に在ります。
百合谷小学校は百合谷町の北東端、輝竜家は百合谷東町に在ります。
┃ 百合谷北町 │ │栂野原町
┃────────── 百合谷│
┃倉庫 百合谷小→□│ 東町│中渡音
┃★ ☆ │ ★ │□第二
┃百合谷町 戌井家 │ 輝竜家│ 中学
╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ☆ 百合谷南町 │ 柏本町
┃ 紗桜家 │
小学校には近所の子達と会わないように遠回りしていた彩桜でも、西端までは行っておらず、この倉庫は知らなかったようです。
何処を起点に『反対側』なのか?
たぶん大好きな紗ちゃんの家でしょうね。
彩桜がこれから通う中渡音市立 中渡音第二中学校は、百合谷東町の東に隣接する栂野原町に在ります。
彩桜にとっては小学校よりも近くなるのですが……また遠回りする毎日になるようです。




