力丸と女神様
「どうした青生。何を考え込んでいる?」
夜、その日の診察を終えた瑠璃が事務室に入ると、事務処理をしていた青生が計算の手を止めて天井を睨んでいた。
「診察時間を長くしたら夜の方が患者が多くなっただろ?
だから二十四時間受け付けようか、どうしようか、って考えていたんだ」
「ふむ。ならば昼夜で交替すればよい」
「でもそうなると毎日すれ違いだよ?
瑠璃との時間が取れないのは嫌だな」
「ならば平日は此処で寝泊まりし、週末だけ帰るか?」
「やっぱり そうなるよね」
「何か問題があるのか?」
「家との往復の間、外に居るペットや野良達を診ていたんだよ」
「それがしたくて家から離れた場所にしたのか?」
「うん」
「ならば散歩がてら診て回ればよい。
まぁ、やってみて改善していったらどうだ?
他の者を雇うという選択肢は無いのだろう?
金銭的余裕も無いからな」
「金銭的問題は無いけどね、瑠璃と二人でじゃないと嫌だからね。
考え方が合致していれば考えなくもないけど……なかなかね」
抽斗から通帳を出して開いた。
「その尋常でない桁の収入は何だ?」
「印税?」
「何故 疑問形なのだ?」
「確かに本を出した出版社からなんだけど、どうしてこんな桁になったのか不明なんだ」
「ふむ……」
「何かの間違いかもしれないから当面このままにしておくけどね」
「それがよかろうな。あ――」
「ん?」瑠璃の視線を追って振り返る。
「ああ、狐儀殿。どうかしたの?」
宙に現れた小さな白狐――狐儀が後ろを向き、背後から意識の無い子狐を引き出してペコリと頭を下げた。
「病気じゃなくて怪我かな?」立ち上がる。
青生と瑠璃は子狐を受け取ると顔を見合せ、急いで手術室に向かった。
狐儀も二人の後を追ってテーンテーンと宙を跳んで来た。
「この子、普通の狐じゃないよね?」
青生の手が光を纏う。
〈はい。
ですので此方に参りました〉
「相当高い所から落ちたのだな?」
瑠璃の手も光を纏う。
〈はい。
飛べると思って崖から跳んだようです〉
〈瑠璃、全力で〉〈勿論だ〉
青生が治療に集中したのを確かめ、瑠璃は狐儀だけに話しかけた。
〈フェネギ様、オフォクス様は?〉
〈遠出しておりまして……だからこそ力丸は脱走したので御座います〉
〈この子……ティングレイスの子だな?〉
〈もう見えてしまいましたか〉
〈この粗雑な魂と同様の者を知っている〉
〈ショウ、で御座いますか?〉
〈フェネギ様もご存知なのだな?〉
〈このダイナストラは弟ショウを捜して人世まで来てしまったのです〉
〈そうか。
ショウにも捜してくれる兄が居たのだな。
つまり、この子も愛に触れずに育ったのだな?〉
〈然様で御座います〉
〈必ず助ける〉神力全開発動!
―◦―
そして翌早朝。
拠点を留守には出来ないからと帰っていた狐儀が再び動物病院を訪れると、瑠璃だけが力丸に付き添っていた。
〈力丸は……?〉
〈大丈夫だ。
まぁ、もしもの場合は再生するのみと思っていたのだがな〉
〈青生様は?〉
〈本来の治癒のごく一部しか出せぬからな。
今日は丸一日眠ることになるだろう。
が、満足気に眠っている。
案ずる要は無いだろう〉
クゥン……。
「目覚めたか、力丸」
あ……気持ちいいや……
あれ? もう痛くない?
ここって神世なのか?
だから痛くないのか?
でも……身体あるよな?
あるからサワサワ気持ちいいんだよな?
うん。あったかいもんな。
ピロリロ~ン♪ 「ん? 急患か?」
ピロリロ~ン♪ ピロリロ~ン♪
ドンドン! ドンドンドンドン――
「狐儀殿、力丸を頼む」
―◦―
ドンドンドン! ピロリロ~ン♪
『瑠璃! 瑠璃!! 居ねぇのか!?』
「開けるぞ」外向きに。
「わわっ!」
「開けると言った筈だ」
「猫! 車に跳ねられたんだ! 頼む!」
「利幸が跳ねたのか?」受け取り処置室へ。
「跳ねたヤツは走り去ったよっ!」
「こんな早朝に何をしていた?」
「新聞配達だよっ! あ――」
「放ったらかしなのだろう?
サッサと配れ」
「じゃあ頼んだぞっ! 助けろよなっ!」
バタバタダダダッ――
「騒がしい奴だ。
助けるからな。安心しろ」
―◦―
〈狐は飛べないと覚えたかい?
もう脱走してはならないよ?
素直に頷いたね。
それならさっきの女神様が今どうしているのかを見せてあげよう〉
あ……何かに光? 何してるんだ?
〈あの猫も瀕死なのです。
女神様は助けようとしているのです。
力丸もそうだったのですよ。
彼女は力丸が王子だと気付いていました。
ですが、王子だから助けたのではありません。
力丸を助けたのも、あの猫を助けようとしているのも同じなのです。
まだ生きていたいと願っている命だから助けようとしているのです〉
あの真っ黒なのが猫?
猫ってのと俺が同じ?
俺はもう助かったから放ったらかし?
さっきの手……俺だけのにならないかな。
神なら王子の命令聞いてくれるよな?
〈どうやら未だ修行が足りないようだね。
暫く此処で、命と闘う彼女を見ていなさい。
彼女も人として生きている堕神です。
力丸が教えられた『堕神』との違いも己が目で見て知りなさい〉
そう言って狐儀は去った。
―◦―
狐儀が去っても力丸には診察室や処置室が見えていたので、忙しなく動いている白衣の女神をずっと追っていた。
いいな……
俺にはもう、ああしてくれないのかな?
アイツ、もっといいコトしてもらって……
俺には? まだ動けないのに
どうして放ったらかすんだ?
次々と女神の所に来る動物達が撫でてもらったり抱っこしてもらっているのを力丸はただただ羨ましく見ているのだった。
真っ黒猫……動かないな……あ、女神様だ。
何してるんだろ? 紐? 水?
そーいや喉渇いたな。
あ♪ こっち来る♪
ドアが開いた。
「意識は確かなようだな。
だが内臓は治っていないからな。
食事は無理だから点滴だ。
チクッとするが、落ちた痛みに比べれば大した事では無かろう。我慢しろ」
ィタッ!
けど……ソレでコレならいいや。
撫でられる心地よさに目を閉じ、そのまま眠りに落ちた。
―◦―
あれ? 俺……運ばれてる?
え? 下ろされた?
女神様? また俺を放ったらかすの?
あ、でも……あったかい……
身体ぜ~んぶあったか~い……
でも、女神様の匂いじゃない?
けど……この手もいいな……
うん。どっちでもいいや――
「青生、起きているのか?
無意識に撫でているのか?」
「ん……ちゃんとは起きていないけどね。
力丸、回復したみたいだね」
「青生が頑張ったからだ。
もう少し寝ていろ」
「何時?」
「気にするな」
「気になるよ」目を開けた。
「夜だ。診察も終わった」
「そうか……すまない」
青生の脇に頭を乗せ、腕と胴の間で伸びている力丸に微笑み、また撫でた。
「だから気にするなと言っている。
事務処理が残っている。
力丸を頼む」
「ありがとう、神留先生」
「研修時代の夢でも見たのか?」
ドアノブに手を掛けたまま立ち止まった。
「そうかもね。
変わらず頼りになるなぁと思ってね」
「普段は私が青生を頼りにしている」
「そうなの?」
「そうでなければ結婚なんぞせぬ」
「そう……」
「何を不安がっている? ずっと共にだ」
ドアノブから手を離した瑠璃は仮眠ベッドに戻ると、口づけを落として踵を返した。
――が、再びドアノブを握ったまま止まる。
「瑠璃……?」
「私は……青生に見捨てられぬよう気を張っているだけだ」
背を向けたまま、そう言って出て行った。
この幸せは幻。
執着してはならぬ幻なのだ。
ドラグーナ様の一部である青生を
これ以上 愛してはならない。
解っているのに私は――
きりゅう動物病院でのお話でした。
キツネの社が在る稲荷山より更に奥に在る奥ノ山の社で狐儀と暮らし、修行ばかりの日々を送って1年経った力丸は、相変わらず ただの子狐でした。
サイオンジ達が『龍神様』と呼んでいた四獣神のひとり黄金龍神ドラグーナは、発動する7つの大神力毎に鱗色が変わる獣神の男神です。
青生は、7つに分けられたドラグーナの治癒の部分で、鱗色は瑠璃色です。
ドラグーナが元に戻ったら兄弟は……?