喫茶店でのニアミス
目の前のカップからの湯気で、ほんの少し周りが温かくなったような気がすると共に、コーヒーの芳香に包まれる。
「自分は今の白久サンの家には一度も行った事がありません。
厄介になっていたのは東京の家でしたので」
「今は?」
「自分は社宅です。
白久サンは生まれ育った家らしいです。
東京の家は今は社宅として貸しているそうです」
「常務から親が敷いたレールを走りたくなかったみたいなのを聞いたんですけど、常務の親って?」
「邦和で暮らしていないとしか聞いていません。
親が一緒に暮らしていないからイジメられたと聞きました。
イジメられないようにアタマになったと」
「アタマ……じゃあ萱末高校とか?」
「櫻咲高校だと聞きましたよ。
大学は煌麗山で医学部だったそうです。
道を外す為に医学博士になったとか」
「そうまでしないと進みたい道には行けないとか?」
「誰にも文句を言わせない為には、と付け加えていましたね。
何を言われても耐えられるのなら、そうまでしなくても進めますよ。
ですが金銭的援助とか、そういう甘えは一切 通用しないと思います」
「常務は条件クリアで甘えてるんですか?」
「自立していると思いませんか?」
「ですよね……」溜め息。
「家がある、兄弟が居る。
それだけで十分。すこぶる幸せだ、と言っていました」
「一人っ子だし、もう大学は卒業するし……手遅れかなぁ……」
「大学院は?」
「響じゃあるまいし……ムリですよ」
「ヒビキ?」
「中学の時の同級生で天才って言うか、なんでもできる女の子だったんです。
でも、なんでか渡音大に居たんですよ。
けど大学院はヤマ大に行くって……」
「もしかして紗桜さん?」
「なんで知ってるんですかっ?」
「栄基土木の紗桜さんと一緒に仕事をしているのです。
3月に娘さんが結婚すると聞いたのです。
その時に名前と春から大学院に行くとも聞いていたのです」
「結婚!?」
「夫婦で煌麗山の大学院に行くとか。
ずっと居てほしいけれど、目標に向かって進むのなら止められないと寂しそうに話していましたね。
ですから明確な目標を持てば、社長も送り出してくれるのではありませんか?」
「目標、かぁ……」
「何がしたいのです?」
「そこが問題なんですよね……」
「音楽は? バンドをしていたのでしょう?」
「それも響の方がずっと上手くて……」
「それで諦められる程度だったのですね?
先ずは、やりたい事を探すべきでは?
年末年始、じっくり考えてみてはどうです?」
「そう、します……」 カランコロン♪
『へぇ~♪ いいお店ですね♪』「うわっ」
響の声だと気付き、入口に背を向けている琢矢が縮こまった。
「彼女が響さんですか?」小声で。
口に指を立てながら小さく頷く琢矢は、洒落た木製の仕切りに隠れようとしているが、立っている女性達には見えていそうだ。
『あ♪』「ああ、こんばんは」
『十万さん、ほら♪』『あら……』
足音が近付く。
「ひっ――」「大丈夫ですよ」
「いつもありがとうございます。
お邪魔をしては申し訳ありませんので、お礼だけで失礼します」
「いえ……、ご丁寧にありがとうございます。
何か役に立ちたい。それだけですので」
結解と会釈を交わした女性は去った。
「誰なんです?」ほぼ口パク。
「交差点で多重事故があったでしょう?
その支援団体の事務の方です」
「寄付とかしてるんですか?」
「はい。自分一人、生きていければ十分ですので」
「結婚とかは?」
「自分には……その資格はありません」
「あ……」
「それよりも、動けなくなりましたね。
何か追加注文しますか?
此処のナポリタン、旨いですよ」
テーブルの空になったカップを見ていたが頷いた。
「マスター、ナポリタン2つ、お願いします」
老マスターが穏和な笑みを向け、奥に行った。
―◦―
響達は結解達とは反対側の端の席に着いてメニューを眺めていた。
「あ~、ナポリタン美味しそう」目で追う。
「ダメよ響、お母さんに叱られるわよ?」
「夕飯食べるって出て来ちゃったもんね」
「明日にでも翔君と来たらいいじゃない」
「そうね♪ お姉ちゃん今日は ありがと♪」
「私もショウに買ったんだから、お礼なんていいわよ」
「でも、ありがと♪
決~めた♪ コーヒーゼリーデラックス♪」
「夕飯前なのに……」ふふっ♪
「奏さんは?」「ブレンドで」
「マスター♪
ホットブレンド2つとコーヒーゼリーデラックス2つでお願いしま~す♪」
「億野さんもデラックス?♪」
「はい♪ すっごく美味しいんですから~♪」
「やっぱり~♪」 カランカラン♪
「あ♪ リーダーこっちです♪」
爽は隣のテーブルの響と背中合わせの席に座った。
「残業続きなワタルには言ってない。
博多行きで忙しいヤスは来れない。
ソラは来るってよ」
「ん♪」
「マスター、今月のオススメ、ホットで。
で?」
「中渡音中央交差点多重事故、遺族支援団体事務所の十万と申します」
「億野です」
「2月最初の週末に慰霊祭を行います。
土曜、日曜ともに演奏していただきたいのです」
「出演オファーなら喜んで♪」
「ただ……慰霊祭ですので相応の曲をお願いしたいのです。
ご遺族の心情を――」
「それなら心配しないでくれ。
奏サン、話していいか?
まだ話してないんだろ?」
1拍だけ考えて頷いた。
「ボーカルの奏サンは遺族なんだ。
婚約者を亡くしてるんだよ。
だから俺達は最適だと思う」
「そうだったんですか……何も知らずに声を掛けてしまって……」
「お買い物してて見つけた♪ って喜んじゃって、すみません!」
「いや、だから歌いたいんだろ? 奏サン」
「はい。歌わせてください」
少し潤んでいるが力強い眼差しを向けた。
「それではお願い――」カラララン!「え?」
「響、ちょっと――待てショウ!」必死!
すぐに扉が閉まり、ドアベルが騒いでいる。
「お姉ちゃん、早速その首輪!」「あっ、ええ」
受け取って響が走った。
〈またお兄なの!?〉〈そうなんだよ!〉
〈ホント困ったお兄ね!〉〈うわっ!!〉
「また!?」
「浄化して入るよ」お兄と植え込みとボク。
「お兄、今度やったら本気で怒るからね!」
奏が居ると確信しているらしくハッハッと嬉しそうなショウをシッカリ繋いで店に入ると、注文品はテーブルに並んでいた。
「ソラ、こっちだ。何にする?」
爽が席を詰めて奏と背中合わせになり、ソラは響と背中合わせに。
「コーヒーだけじゃないんだ……紅茶も凄い。
迷うけど……最初だから一番好きなアッサムをストレートでお願いします」
老マスターがニコリと頷いた。
「ついて来ちゃったの?」心配そうな奏。
「ボクはバイト先から直行したんですけど、店前で飛び掛かられてしまって……」
どうしても苦笑が浮かぶ。
「そんじゃあ手短にだな。
脱走したら大変だからな。
2月最初の土日にライブだ。
多重事故の慰霊祭。
ヤスがムリな可能性も、ワタルがムリな可能性もある。頼んだぞソラ」
「はい! 頑張ります! あ……」
やっと視界に十万と億野が入った。
「やっぱりドラムはソラ君だったのね~♪」
「知り合い?」
十万と億野には見えないようにグッと向いて響が睨む。
「輝竜さん家に住んでるから」
「私達、居候なんです~♪」
―◦―
「一緒に演奏したいのではないのですか?」
「それは……そう、ですけど……もう俺なんか……」
「先に就職ですかね?
安定軌道に乗ってから手伝うとか、復帰するとか、きっと何か出来ますよ」
「手伝う?」
「マネージャーは?」
「リーダーのお姉さんがライブハウスの店長でマネージャーも兼ねてて。
新メンバーも入ってるし……もう入る隙なんてありませんよ」
「響さんの他は社会人なのですね?
どうやら彼は穴埋めサポートをしているように見えますよ?
それと、響さんの婚約者のようですね」
「えっ?」仕切り板の彫刻穴から窺う。
「うわ……顔でも負けた……」
「もしかして初恋の相手とか?」
「う……」現在進行形で片想い中。
「だからライブハウスのバイトに誘ったのに。
俺を選べば玉の輿なのになぁ……」ボソボソ。
「つまり、社長が敷いたレールを走るつもりだったのですね?」
「あ……」
「まぁそれは年末年始の課題ですよね。
連絡先を交換していますから、もうすぐ解散でしょう。
帰って考えてください」
「なんか……俺ずっと、ただただ愚痴ってたってだけは気づきました。
幼稚な反抗期だったんだな~と。
常務みたくヤマ大で博士になるとか、響みたく突っ走るとかムリだけど、俺なりに考えます。
ありがとうございました」
「そこに気付けたのなら、白久サンも少しは優しく対応してくれますよ」
「知ってたんですか!? ぁ……」口に両手。
「『私が払う合戦』になっていますから気付かれていませんよ。
支社長室内の事なんて知りません。
ですが自分も荒んでいましたので、気付く前後を考えて言いました」
「そうですか……」コクン、コクンと何度も頷く。
ドアベルの音がして老マスターに向けている明るい声が去った。
「では行きましょうか」伝票を持って立つ。
「あっ」
「考えて踏み出す第一歩への餞別ですよ。
ほんの少しですがね」
背を向けてレジへ。
「あ……ありがとうございました!
美味しかったです。すっごく。
俺、頑張って考えます。踏み出します。
あのっ……また、、いいですか?」
「自分なんかで良ければ、いつでも」
薄く笑って店を出た。
輝竜兄弟は移動中ですので、邦和のお話だけでした。
坊っちゃんこと琢矢にとって響とソラは、さぞかし輝いて見えたことでしょう。
それなりに苦労しているんですけどね。
十万さんも結解さんに会えました。
進展するといいですね~。




