サクラ牧場へ
紅火に頼まれて啓志に昼食を届けた黒瑯が家に向かおうと出ると、八郎と彰子が玄関から駐車場に向かっていた。
「晩メシは外でしたね♪ ごゆっくり♪」
二人揃って恥ずかし気に会釈して車に乗り、出て行った。
「初デートだなっ♪」
黒瑯も嬉しくて弾んで玄関に入った。
―・―*―・―
「父様♪」
久し振りに帰宅した父に竜騎は抱き着いた。
「先に昼食だ。もう食べたのか?」
「いえ。一緒にと思って待ってました♪」
「そうか」
ダイニング前に控えていた執事に
「和膳で」「僕はフレンチで♪」
そう告げて入り、向かい合って座った。
「父様……あの……」
「どうした?」
「竜牙がケガをしてしまったんです。
僕が未熟だったのは分かってます。
ですが……次の競技会で昇級したいんです。
勝ちたいライバルがいるんです!
ですから……馬を……新しい馬を!
お願いします!」
「未熟だと分かっているのならいいだろう。
誕生日も近い。
そのプレゼントとしてでよいか?」
「はい!♪ ありがとうございます!♪」
「宿題は?」「しました!」
「ならば今日の内に見に行こう」「はい♪」
―◦―
父子が昼食を終えた丁度よいタイミングで、訪問客を応接室に案内したと執事が告げに来た。
「え? 馬は?」
「そろそろ新しい馬を、とは考えていた。
だから目利きを呼んでおいたのだ」
「今日は そのお話だったのですね♪」
『そうだ』とも『違う』とも答えず父は息子に視線だけで『一緒に来い』と示して応接室に向かった。
応接室で待っていた客人を見た竜騎は、それまでの浮かれきっていた気分が叩き落とされたどころではないくらいに地の底まで墜落した。
なんでここに!?
そーいや馬に乗ってたよな。
マジでお嬢様だったのか……。
どう考えてもマズ過ぎだろ!
馬を買ってもらうどころじゃなくなる!
とにかく今は黙ってるのが得策だよな。
目も合わさないでおこう。
このまま一緒に行くのか?
昨日の、もう父様は知ってるのか?
いや、知ってたら馬を買う話なんかに
ならないよな?
バラされる前に何とかしないと!
でも、どうすればいいんだ?
馬を見に行くんだから
どうしても馬の話になるよな?
どうしたら――「いえいえそのような」
父様、口調がぜんぜん違う!?
間違っても出向者にじゃないよな。
お嬢様だよな?
けど、中学生? 高校生?
そんなの相手に父様が?
「この愚息を後継ぎとは決めておりませんよ」
えええっ!?
「猪瀬君をこのまま我が社に。
我が社の後継者とさせて頂きたいですな」
「それは出来ませんわ~」にっこり。
「やはり松風院様も後継者と――いえ、後継者の補佐とお考えなのですね?」
「後継者ですよ~」にこにこ。
「しかし彰子お嬢様が後継者なのでしょう?」
「全てが私より遥かに上ですから~。
私が補佐ですよ~」にこにこにこ。
お嬢様の隣で出向者が慌てている。
「どうやら、そちらのお話も猪瀬君には初耳だったようですな」はっはっは♪
「そうですね~」にこにこにっこり~♪
「祖父も認める大切な方ですから、お渡しできませんよ~」
お嬢様の瞳が一瞬だけキラリと本気を見せた。
「納得です。
では、そろそろ牧場の方に参りましょう」
「はい♪」
「どちらの牧場ですか?」
「サクラ牧場です。
競走馬も競技馬も良馬が多く居りますからな」
「確かに良い牧場ですよね。
場所は存じておりますが追走させて頂きます」
「では外に」
―◦―
「八郎さん……あの……」
「先程は素晴らしい演技でしたね」
「いえ……その……演技では……」
「本気で狼狽えましたよ」はははっ♪
「つい……すみません……」
「いえいえ助かりましたよ。
ですが、これからが……勝負なのか正念場なのか……とにかく大変な事になるかもしれませんので説明しますね」
「はい」
「すみません、楽しくもない事に巻き込んでしまって。
ですが私には彰子さんにしかお願い出来なかったのです。
彰子さんでなければ私は――あ、説明しなければなりませんね」
「……はい」私でなければ何なのでしょう?
黒い高級車を追って海沿いの道を運転しつつ、前車の後部座席に並ぶ父子の後頭部を見詰める八郎の横顔をチラチラと窺っては頬を染める彰子だった。
―◦―
父が仕事で集中している時は相手にしてもらえないとは知っているが、竜騎は応接室での話が気になって仕方無かった。
隣に居る父は応接室を出た時に執事から手渡された書類を難しい顔をして読んでいる。
「あ、あの、父様――」
「そういうところだ」
「え?」
「会社を経営するという事に関しては何度も様々な角度から話してきた筈だ。
社長のみならず経営者は、何を置いても会社を最優先しなければならない。
大勢の社員とその家族の生活、未来に向けての夢を担っているのだからな」
「ごめんなさい」
父は目を通し終えた書類を横に置き、息子と視線を合わせた。
「私も大勢を抱え、大きなものを担えるようになれた。
経営者としては成功したと自負している。
しかしその分、父親としては不十分で、子育てには失敗したのかも知れない。
竜騎にも寂しい思いをさせてしまっている。
解ってはいるのだが……この続きは帰りにしよう。
後継者に関しては、この大荷物を担える者に継ぐと、竜騎が幼い頃には既に決めていた。
さっき言った、社員の家族の夢までもを担っていると教えて頂いた時にな。
それまでの私のままならば何の迷いも無く竜騎に継ぐ、の一択だっただろう。
利を求める事だけに盲進していた私ならばな」
「あの人に継ぐんですか?」後ろをチラリ。
「話を聞いていなかったのか?
猪瀬君は松風院グループを担うと決まっているらしい。
補佐に回ると言えるお嬢様も大したものだ。
流石、巨大グループを担うお嬢様だと、器の大きさを痛感したよ」
「では父様は誰に継ぐつもりなんですか?」
「まだまだ軽く10年、いや20年は先の話だ。誰とも決めてはいない。
竜騎が継げる者に成ってくれればよいだけの話だ。
ただ……期待を込めて見ている少年達は居る。
現状、竜騎よりも相応しい少年達がな」
「それは誰ですか!?
僕は負けませんから!」
「今の竜騎には教えられんよ。
その少年達が理解し、得ている大切なものを竜騎は理解すら出来ていないのだからな」
「そんな……大切なものって……?」
「自分の力で見つけ出し、理解し、得られなければ後継者とは認めん。
まだまだ先なのだから、ゆっくり考え、得ていけばいい」
「……はい」
エンジン音とロードノイズと寒そうに閑散とした海辺の景色だけが流れる。
「竜騎は3歳になったばかりの春に大きな犬に乗せてもらったのは覚えているか?」
「覚えています。それだけは、とても強く」
「出会った少年については?」
「顔とかは全く。何を話していたのかも全然。
ですが、怖くないから一緒に乗ろうみたいなことは何度も言っていたような……」
「鞍木に しがみついて泣いていたそうだな」
「たぶん……」
「乗ったら乗ったで降りたくないと駄々を捏ねて泣き喚いたそうだな」
「かも……しれません」
「その子の家に向かっている途中で その子を捜していた兄に出会い、渡して帰ろうとした時に その子の家まで犬に乗って行くと大騒ぎ。
その後も何度も、行くと駄々を捏ねて暴れていたそうだな。
幼い子供の行動範囲だ。
小学校は違うのかも知れんが、中学校は同じなのでは?」
「あ……」
「自力で探そうとは思わなかったのか?」
「小学校では探しました。
悟も一緒に探してくれました。
その子に会って、また犬と遊びたくて。
悟も一緒に乗せてもらえると思って。
だから私立に行かなかったのに……悟とも一緒に居られるし、悟と同じで その子も公立だと思って。
でも見つかりませんでした。
諦めた後……馬に乗りたいと思い始めて……忘れてしまっていました」
「今、会えたなら どうしたい?」
「今なら……今度は僕が馬に乗せてあげたいです」
「そうか。その為にも新しい馬が必要だな」
「はい!」
『よし!』と心の中でガッツポーズをする竜騎だった。
馬白父子と八郎と彰子もサクラ牧場へ。
鞍木と竜牙に会うのでしょうか?




