プラムとハーリィ
職域に戻ったハーリィは、夜明け迄にラナクスに会っておこうと保魂域を訪れた。
アーマルの尾の騒ぎが その後どう扱われているのかを聞いておこうと考えた為だ。
瞬移なども結界の影響で制限されている場所なので、姿を消して飛んでいると中庭に佇む影を見つけた。
獣神は昼も夜も然程の違いもなく活動しているが、これも劣化 故なのか、人神は夜は大抵 眠っているので警戒を保って近付いた。
女神か? 夜中に何をしている?
回り込み、天を仰ぐ横顔を確かめた。
プラムか……やはり泣いているのか。
しかし声を掛けたところで
慰めの言葉すらも浮かばぬ。
女性の扱いは分からないと自嘲を込めて肩を竦め、生涯独身を覚悟して去ろうとした。
【ハーリィ様?】
恐る恐る振り返ると、無理矢理な笑顔がハーリィを捉えていた。
【プラム、だな?
その……邪魔をしてしまった。すまぬ】
【いえ……ミュムから聞いたのですね?】
【心配していた】
【エィムのことは……とっくに諦めていたのです。
死司と再生は見習いの間、必ずペアで活動します。
エィムが死司を選び、試験で知り合った狐の女の子を選んだ時に、私は……】
言葉を止め、頬を伝う涙を浄化した。
【私は絶望感から最も接触しなさそうな保魂を選んだのです。
私の恋は、その時 終わったのです。
そう……思っていたのに悲しくて……今夜だけは泣いておこうと星だけを見ていたのです】
【夜明けが近い】
【はい。朝陽を見たら、エィムは兄。
そう決めて星を見――あっ】
大粒の涙がぼろぼろと溢れ落ちていた。
【心を偽るな。
壊れそうだと悲鳴を上げている】
その言葉で心に決壊を起こしてしまったプラムはハーリィに飛び込むように抱きつき、声を押し殺して泣いた。
【ラナクス、明日――いや、もう今日か。
プラムの予定は?】
【ハーリィか。
休ませようと思っていた。
落ち込みが激しいのでな】
【そうか。では借りて行く】
【ふむ……頼む】
【ラナクスに話があったのだが……また、夜にでも】
【ふむ。心得ておく】
【プラム、声を上げてもよい場所に移動するぞ】
プラムからは返事は無かったが、ハーリィは大きく瞬移した。
―◦―
【此処ならば誰も来ぬ。
声を上げても誰も聞けぬ】
膝から崩れたプラムはハーリィの腿の辺りで泣きじゃくった。
動けばプラムを壊してしまいそうな気がして身動きがとれなくなったハーリィは掛ける言葉をさんざん探していたが、とうとう諦めて辛うじて届く後頭部を触れるか触れないか程度に撫で続けた。
天が明るさのヴェールを重ねて星を隠し、やがて地平の彼方に赤い新鮮な光が射した。
その間ずっと爽風に頬を撫でられるがままで前だけを見据えていたハーリィだったが、プラムが朝陽を見たらと言っていたのを思い出して下に目を向けた。
「っ……」
先に上を向いていたプラムと目が合ってしまい、困り果てて陽に目を戻した。
「ハーリィ様……ここは?」
「最果ての岩壁の上だ。
私が知る唯一の草原。
他は岩石荒野しかない。
此処は……勝手に出来た草原らしい」
「ぐるりと地平線なのですね。
空が……広くて綺麗……」
「寝転がってみたらどうだ?
見易くなるだろう?」
「はい」
遠慮がちに腰を下ろし、ハーリィの表情を窺うように見上げた。
「あの……ハーリィ様も……一緒に……」
「そうか。確かに、こんな大男が横に立っていると寝転がるのは不安になるというものだな」
ぎこちなく苦笑して座った。
「ラナクスから休みを貰っている。
獣は大地と空に包まれていれば、それだけで幸せを得られる。
捨てたくなった過去の想いは風に運び去ってもらえばよい。
今日は……そういう日にすればよい」
「はい。ですが……ハーリィ様は?」
「虎と獅子の里に呼ばれていてな、休みを取っていた」
ゴロンと大の字。
「行かなくてもよろしいのですか?」
「いつ行くと約束していた訳ではない。
今日は、ただの休暇とする。
空がよく見えるぞ」
「ハーリィ様……ありがとうございます」
「ん?」
「本当に……不思議な感じなのですが、思いっきり泣いて朝陽を浴びたら……スッキリしてしまったのです。
本当に、風が憑き物を運び去ってくれたみたいです。
昨日の私が、今の私を見たら、きっとビックリすると思います。
見ても信じられないと思います。
今の私でも私が信じられませんので」
「んん?」頭だけを少し上げて傾げた。
「えっと……ハーリィ様は、その……奥様とか、、いらっしゃいますか?」
「生憎と女性には縁も何も無くてな。
気も利かぬ、扱いも分からぬ独り身だ」
「そうなのですね♪
私、もう、あんな辛い思いなんてしたくありません。
ですので今度は自分から幸せを掴みに踏み出します♪」
「それは良い考えだな」フッ。
「そう思っていただけるのですね♪
では、今、その第一歩を踏み出させていただきます♪」
「ん? 今? あっ!?」
大の字になっているハーリィの腕にプラムが飛びついた。
「エィム兄様より素敵な方を見つけてしまったのです♪
ですが、ハーリィ様にも好みというものが おありでしょうから……」
もう一度、座り直した。
「いや、その……一旦 落ち着くべきだと思う。
失恋したばかりの時に現れた異性に、その、何だ……勘違いしてしまうというのは有りがちなのだろう?」
「それでしたら、ラナクス様に先に慰めていただきましたよ。
他にも保魂神様に次々と。
どこでお知りになったのか廊下に列ができてしまっていたのですよ。
ですが全く揺れなかったのです。
それなのにハーリィ様には……エィム兄様よりもずっと激しく揺れて高鳴っているのです。
甘えて大声で泣くこともできるくらい安心していられるのです。
こんな広い場所に、ふたりきりでも不安なんて全く!
それどころか嬉しくて仕方がないのです♪」
「そ、そう、か……」
「そういうとこ、大好きです♪」
「親子程の歳の差――」「気にしません♪」
「とにかく落ち着――」「いていますよ♪」
ハーリィが溜め息をついた。
「私の事なんぞ、よく知らぬのだろう?」
「私が泣いている間、何も仰らず、微動だにせず待ってくださいました。
星空から、朝陽が顔を出すまでずっと。
それだけで十分だと思います」
「掛ける言葉が見つからなかっただけだ」
「それは優しいからだと思います」
「臆病なだけだ」
「慎重なのですよ」
「いや…………」
「ハーリィ様?」
「……この様に直ぐに言葉を見失う。
情けないと己でも思う」
「ですから。私は優しくて不器用な方が好みなのです♪
そう気づくと、確かにエィム兄様も表現が不器用ですよねっ♪」ふふふっ♪
「未だ……無理をしているのか?」
「そうではありません。
今、エィム兄様とチャムちゃんが目の前に現れても、私、笑って心から『おめでとう♪』って言えます。
さっきまで泣いていたのに……不思議ですよね。
今までが夢? やっと目覚めた?
そんな感じなのです♪」
無理をしていない、心からの笑顔だとハーリィは思い、目を細めた。
「眩しい……」
「はい?」
声に出ていたのかと今度は慌てる。
「いや、何もっ」
「そうですか?
それで……ハーリィ様の好みの女性は?
私……ダメですか?」
「いや、、、その、それは……駄目も何も、私はプラムをよく知らぬ。
答え様なんぞ無い」これ以上ない困り顔。
「今のところ嫌われていないのですね?」
「それは、だな、、ふむ……」
「ん~~と、では試しに――」
すすっと寄ってハーリィの腕を枕に、ハーリィの方を向いて横になった。
「――失礼いたします。
いかがですか?
猫さんは直感が鋭いのですよね?」
「……豹だ」ガチガチに固くなっている。
「黒くて艶々で素敵です♪」
「揶揄うな」
「本当ですよ。
そんなこと仰るのでしたら~」ぴとっ。
「お、おいっっ」慌てて起き上がろうと――
「もう逃がしません♪
大きくても小さくても猫さんの仲間は直感で嫌なものを避けると聞いています♪
ですからもう離しませんよ♪」
「だから離れようと――」
「私が泣いて飛び込んだ時に受け止めてくださいました。
ここに連れて来てくださいました。
泣き終わるのを待ってくださいました。
とっくに直感で避ける期限なんて切れていますよ♪」
ハーリィは悪戯っぽい瞳から目を逸らし、大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。
「ならば私も試させて貰う」
「え? あっ」
枕にされている腕でプラムを抱き寄せた。
「……ハーリィ様?」
「逃げ出したくなったろう?」
見上げて揺れている瞳をお返しとばかりに悪戯っぽく覗き込んだ。
「いいえ♪ 全く!
ずっとこのままでいてくださいね♪」
「そ、そうか……」
「はい♪」
敗北を心地よく受け止めたハーリィだった。
―◦―
陽が地平から離れ、赤みを帯びていた空が爽やかな青に透き抜けた。
「誰が猫の云々を教えたのだ?」
「死司のディルム様です♪
白い虎さんですよね♪」
「あのバカ兄貴め……」
「お兄様なのですね♪」
「直ぐ上の兄だ。行動が軽率で困る。
だが……今度 会ったならば、今回ばかりは礼を言わねばならぬな」
「あ♪ ということは私、受け入れていただけたのですね♪」
「あ……うむ……」
「では、ディルム様にお会いしなければなりませんね♪」
「当面、無理だろうな」
「どうしてです?
死司と再生でしたら、人世でお会いしているのでしょう?」
「今は月で修行している」
「月で!?」
「生き生きしていた」
「今日、行けますか?」
「神世が変わらねば行けぬだろうな。
私達の手で変えなければならぬ。
共に……頼む」
「はい♪」
【獣神の皆様ーーーっ!!】「えっ?」
「マディアだな」
【獣神狩りは終わりましたーーーっ!!】
「まあ♪」
【王の従者が回りますので!
隠れたり! 攻撃したり!
しないでくださいねーーーっ!!】
「そうか……ひとつ終わったか……」
【それと! 昨日はお騒がせして!
すみませんでしたっ!!
通してくださって!
ありがとーございましたっ!!】
「全力で叫んでいるな」フフッ。
「昨日?」
「敵神を乗せて最果てを一周したそうだ。
その間に保魂域ではアーマルの尾が騒ぎを起こしていたらしい。
絡みの有無を調べねばと思っていた」
「あ……では、その為に保魂域に?
ラナクス様を訪ねていらしたのですね?」
「ま、先程のマディアの言葉で虎も獅子も納得しただろう。
ラナクスとは今夜 会う約束をした。
……別の話をする事となったが……」
プラムとは反対側を向き、上になった頬を空いている方の手で掻いている。
「別のお話、ですか?」
「保魂から再生への魂の運搬役にプラムを加えて貰うつもりだ。
受け取りは魂の確認をせねばならぬ。
つまり……再生最高司補の仕事だ」
じわりじわりとプラムには後頭部しか見えないように首を曲げていった。
「つまり……重要な上位職なので昇格試験を受けて貰わねばならぬが……頼む」
「はい♪」耳も首も赤くなっていますよ♪
はい。またまたまた長い章終話でした。
m(_ _)m
傷心のプラムは新たな恋を見つけて笑顔になりました。
めでたしめでたしです。
獣神狩りが終わったと、マディアが文字通り声を大にして叫びましたので、こちらも、めでたしめでたしです。
というところで陽も昇りましたし、響とソラがウロウロしていた日に移ります。