その3
それから、桜子は学校に来なくなった。理由は誰もが知っている。
「でも鞠川さん被害者みたいなものでしょ?」
「そうなんだけど、立ち入り禁止のトンネルに入ったのが悪かったみたい」
だからこそ、警察がすぐに動いてくれたんだけど。
「でもあんな噂立っちゃったらね」
「まぁねー」
「私は信じてないけど、鞠川さんを知らない人は、ね」
「そうかもね」
桜子に味方する声は多い。――のに、私にはクラスメイトの口元が吊り上がっているように見えて仕方がない。
桜子とは、今も毎日連絡を取っている。私はどうしても気になることがあって、桜子に訊いた。
『本当に、枕やったの?』
『ううん』
『でも、約束したんだよね』
『……うん。でもね』
彼らはオファー承諾時には何も言わなかったらしい。当日配信前になって急にあのような要求を突き付けてきたとのことだ。
『私、訳分からなくて。で、慌ててるうちに配信時間が来ちゃって』
つまり、約束を覚えているか否かの質問に『はい』と返事をしたのは、ただ『言われたことを覚えている』という意味でしかなく、『要求を呑んだ』という意味ではなかったのだ。結局警察が来たからうやむやになったみたいだけど、ほんっとあいつら最低。
「それにしても知トラがあんなヤバい奴らだったなんて」
「ほんとクズ」
そう言うクラスメイトの顔も、どこか楽しげに見えて仕方がなかった。
あのライブ配信の後、知鹿トラベラーズはすぐに謝罪動画をアップした。
『あれはドッキリでした!』
『でも内容が過激すぎて、皆が楽しめるものになっていなかったと思います』
『すいません!』
嘘ばっかり。私のコメントに便乗しただけじゃん。
『でもほんとに信じてもらいたいのは、あれが普段の俺たちの姿じゃないってことです』
『そうです。ちょっとふざけてやっちゃっただけだったんです!』
ちょっとふざけてあれだけのこと言ってするって異常じゃない?
活発なマイマイの顔が、ただのふざけた奴の顔にしか見えない。ユウチの穏やかな声が、ただの面倒臭そうな声にしか聞こえない。人って印象一つでこうも違って見えてしまうんだってうすら寒くなった。
その後も知トラは何本か動画をアップしたけど、再生回数は伸びなかった。時々動画を開いてみたけど、コメント欄は例のライブ配信に対する批判ばかりだった。
<立ち入り禁止区域に入ったことについては釈明なし?>
<立ち入り禁止区域に入っておきながら、ゴミ捨てるなとか説教ウケル>
中には今更その点を突く人もいて。それは配信中に言えよってちょっと思った。
ゴミ掃除の動画にも、
<※自分たちで撒いたゴミを片づけています>
なんていうコメントがついていたりして、彼らの全てが悪として扱われていた。
二人はあの後も懸命に良い動画を作ろうとしたみたいだけど、ファンは戻らなかった。百歩譲って、本当にドッキリ、おふざけだったとしても、あまりに品がないと、まともな視聴者が遠ざかったのだ。残ったのは、二人の次のやらかしを楽しみに待つ人たちだけだった。
そうしているうちに、肉体的暴力も受けていたガッシーが被害届を出したことが明るみに出た。
これ以上の活動は無理だと判断したのか、知トラはチャンネルを閉鎖した。
「知鹿の恥」
「ほんとそれ」
「それはそうとさー、昨日この動画観たんだけど――」
「これ知ってる。めっちゃ面白いよね」
「だよねー」
もう次の話題だ。ご当地配信者やスキャンダルを起こしたクラスメイトなど、自分の人生を楽しいものにさせるコンテンツの一つに過ぎないんだろう。
私は隣の空席に目をやった。
桜子にだって心があるのに。人間なのに。関わりのない人には退屈しのぎのコンテンツでしかないんだ。
私も、誰かのコンテンツなのかな。
本当に、怖い世界だ。ううん、世界は怖いって言った方が合っているのかな。
私は空席から目を逸らし、机に突っ伏した。
桜子は転校することになった。
引っ越しの日、私は桜子に会いに行った。
「ごめんね。今までありがとう」
「ううん」
桜子は、親に滅茶苦茶怒られたらしい。それもそうか。あれのせいで引っ越しまでしなくちゃならなくなったんだもん。幸いヤリマン、枕の誤解は解けていたけど、やっぱり学校には戻りづらかったみたい。動画のチャンネルも閉鎖した。
「本当に、ごめんね……」
「桜子が謝ることじゃないよ」
「うん、でも……」
桜子の目から涙が零れた。
「私、何で間違えちゃったのかな……」
間違えてないよ。強いて言うなら、立ち入り禁止の場所に入ったことくらい。
「ちょっと、自分を好きになりたかっただけなのにな……」
知ってるよ。分かってるよ。
一つも言葉にならない。
桜子が動画配信を始めたいって言い出した時、私は少し不安だった。桜子にそんなことできるのかなって不安だった。でも、そういう考えってなんだかんだで友達を馬鹿にしてるんじゃないかなって思って、止めなかった。止められるわけもなかった。動画配信は悪いことじゃないし、それに、何かに向かって頑張りたいって思う友達を応援するのは友達の役目じゃん。
でももし――。
『桜子は名前負けなんかしていないよ』
『もっと自信持ちなよ』
私がそう言ってあげていたら、こうならずに済んだのかな。桜子が傷つくことなかったのかな。友達と離れずに済んだのかな。後悔ばかりが頭に浮かぶ。
桜子が涙を拭いて笑った。
「これからも、連絡していい?」
「もちろん」
もっと言ってあげたい言葉があったのに、私はそれだけしか言えなかった。
『ごめんね』
それは、私の言葉だよ。でもやっぱり言えないまま、私は桜子を見送った。
一年の月日が流れた。
私は無事、大学に合格することができた。残念ながら第一志望の大学には合格できなかったけど、力の限りを尽くしたっていう自信はあったから、結果には満足できた。
今でも、桜子とは連絡を取り合っている。勿論、顔を合わせることだって。
桜子も大学生になった。桜子は第一志望の一流大学に合格した。桜子の頭が良いことは知っていたから驚きはしなかったけど、凄く喜びはした。
桜子は今でも、メッセージ以外のSNSを断っている。今は老人介護や児童福祉のボランティアを頑張っているらしい。電子機器を通さない、生の人の関わりを大事にしているのだそうだ。
落ち着いたころに聞いたことだけど、怖いことに、ライブ配信終了後の動画を誰が撮っていたのかは、未だに分かっていない。てっきり知トラに四人目のメンバーがいるんだと思っていたんだけど、桜子が言うには、その場には四人しかいなかったとのことだ。
いけない。そろそろ時間だ。私はマイクを付け、配信ボタンを押した。
『こんにちはー。楽しいお話の時間だよ』
声をいつもより高くして、優しげに、でもはっきりと発音するように心がける。
私は今、動画を配信している。と言っても、顔は出していない。
『今日は、くまさんとひよこさんのお話をするね』
画面には、絵本が映っている。公開している作品は全て絵本サークルに所属していている友達のオリジナルで、それをプレゼンテーション用ソフトウェアで表示し、私が読み聞かせをしているのだ。
再生回数は、かつてのまりさくの動画くらいしか回っていない。コメントも少しだけ。でもその数少ないコメントを、いつも一つ一つ、大切に読んでいる。一緒に作ってくれている友達と、その感情を共有している。
まりさくのライブ配信は、私の心にも傷を作った。
あれから、私は動画を観るのが怖くなってしまった。人の裏面、本性、演技、嘘、何より、電子化された人の存在の軽さ。その恐怖は、例の動画を誰が撮っていたのかという恐怖すら忘れてしまうほどのものだった。そして、それらを多方面から疑ってしまうことにも疲れたのだ。
でも、今の時代電子機器を通さず人と関わりを持つことは簡単じゃない。これからますます、その機会は増えるだろう。もしかしたら、いつかそれらを介してしか人と交流しなくなる世界は来るのかもしれない。
だからこそ、私は自らデジタルコンテンツとなった。そうして、電子機器を使って人との交流を図る。自分の先にいるのは決してコンテンツではなく、人なのだということを忘れないようにしたいからだ。
こうして、私も桜子とは違った形で、自分の心の傷と向き合っている。