その2
パソコンの画面にはまだ、南田トンネルの出入り口が映っていた。勿論、まりさく、知トラの二人も一緒だ。
『あの、今日はありがとうございました』
まりさくが二人に頭を下げた。小さな声だ。
知トラの二人は、まりさくをほぼ無視だった。
『あー、疲れた。つまんねー、だりー』
マイマイがぼやく。
『おい、ガッシー!』
ユウチの怒鳴り声が飛んだ。ええ! ユウチってあんな声も出るんだ。怖っ。
『はい』
小さな返事が聞こえた。ガタ、と画面が揺れて、三人の足元しか映らなくなる。その足元はすぐ四つになった。画面が動いていないってことは、どこかにカメラを置いたのかな?
『おまえ、何やってんだよ!』
ユウチの怒号が続く。
『すいません』
蚊の鳴くような、ガッシーの声が聞こえた。
ガッシーは、知トラの三人目のメンバーとも言われる裏方さんだ。動画に映ったことはないけど、二人が時々ガッシーを話題にするから、ファンであれば誰でもガッシーを知っている。
『こんなの失敗するに決まってんだろ!』
こんなもん、無名配信者のお粗末企画なんだからさぁ、とまだ怒鳴り声。すいません、と、また声が聞こえた。
『何か仕込んどけよ!』
『だよなー』
マイマイのダルそうな声。
『ったく使えねーな! このポンコツが』
『すいません……』
ガッシーの声はどんどん小さくなっていった。ええ、何、この人たち……。いつも散々動画内で『ガッシーには感謝してる』って言ってたのに。『ガッシーは天才だ』、『ガッシーがいなかったら今の俺たちはいない』とまで言ってたくせに、全然言ってることと態度が違うじゃん。
あれ? ってことは、ちょっと待って。ユウチ、ガッシーに『仕込んどけ』って言ったよね? もしかして、今までの動画もガッシーが仕込んでたの?
というのも、知トラが人気な理由の一つに、二人が非常に『持っている』という点があるからだ。二人の動画は地元密着取材のものが多いんだけど、ハプニングが多い。たまたま入ったカフェでクレーマーが暴れてて、それを止めに入ったり、河原を散策中、禁止のバーベキューをする人たちを見つけてやめるよう説得したり。正義の二人を演出するのにうってつけなことが度々起こる。
<もしかして他の動画でもヤラセやってた?>
やっぱり。私と同じ考えの人がいる。
<ゴミ掃除の動画も自分たちでゴミ撒いてたとか?>
ゴミ掃除の動画も上げていたけど、それも疑わしくなってくるよね。
画面が変わった。足元から映像が上がり、四人の姿が映る。
え? 四人映ってる? ってことは、これ誰が撮ってるんだろう。
三人の他に、小柄で細身の男の人が映っていた。これがガッシーなのか。でも初めて見るガッシーに感動している暇はない。
『ガッシー、タバコ!』
『はい』
一瞬ガッシーの姿が消え、タバコを手に戻ってきた。火までつけさせる始末だ。
<ユウチ、タバコ吸うんだ。ショック!>
<ユウチ嫌煙家って言ってなかった?>
そんなコメント欄の声は届かない。ユウチは空に煙を吐いた。
『ったく、おまえじゃなくてもいい画は録れんだからな』
『もっと俺たちに感謝しろ!』
マイマイも便乗する。便乗、なのかな? いつもやってたら便乗じゃないか。
『ったく、おまえみたいなポンコツ、社会じゃまともに扱ってもらえないんだからな。俺らに見放されたら、おまえおしまいだよ?』
『はい……』
<うわ、モラハラ>
<なんでガッシーこいつらの言いなり?>
<キモいんで落ちまーす>
<もう観ない>
視聴者数が少しずつ落ちている。そうだよね。幻滅した人は多いと思う。
――というのも束の間、また視聴者数が伸びはじめた。これはもしかして……。
私は嫌な予感がして、『呟き』を開いた。
やっぱり! 知トラのライブ配信が拡散されている。正確にはまりさくのチャンネルだけど、きっと今入室してきた人たちは知トラのスキャンダラスな姿を求めて来たんだ。
それにしても知トラの二人、何でコメント欄に気づかないんだろう。中には<配信されてますよー>って教えてくれている人もいるのに。あ、そうか。皆、スマホ切ってるんだ。だから気づかないのか。
『おい』
二人の矛先は、まりさくにも向いた。
『こんなしょっぼい企画に参加してやったんだから。約束、ちゃーんと覚えてるよな?』
『え、あ、えっと、はい……』
まりさくは完全に委縮してしまっている。
『じゃ、ホテル行きますかー!』
マイマイがまりさくの肩に腕を回した。
ホテル、何で?
『それは、その、……今日、無理です』
やっと届くぐらいの小さな声。
『何で』
マイマイとユウチの顔が歪んだ。
『その、今日……、生理なんで』
ホテルの意味を確信したコメント欄が騒いだ。衝撃からの悲鳴、高揚からの悲鳴。とにかくコメント欄には『え』とか『きゃ』とか、そんな文字が多く並んだ。
<まりさく枕やってんだ!>
<マジウケルwww>
いや、まりさくはそんな子じゃないよ! 何か、騙されたに決まってる!
<そこまでして再生回数欲しいんだ>
<前に折り紙好きのオヤジとコラボしてたけど、あのオヤジともやったのかな?>
違うよ! 今回の知トラは多分、再生回数考えてのオファーだったんじゃないかなって思うけど、折り紙の先生は本当に、まりさくが尊敬しまくってる人で、やっと叶ったコラボだったんだから!
私の胸の中には強い反対の声があったけど、コメントは控えた。全身がムカムカする。この話、早く終われ。
でも、コメント欄はさらに私を激怒させた。
<学校でもヤリマンで有名>
<人の彼氏に手出すのが大好きって聞いた>
「ふざけんなー!」
私は階下にいる親の存在を忘れ叫んだ。ムカつく、ムカつく、ムカつく……!
こいつら、絶対に同じ学校の人じゃない。同じ学校の人が適当なこと言ってる可能性もあるけど、絶対にまりさくを本当に知る人なんかじゃない。だって、だって、まりさくは――。
まりさく、本名鞠川桜子は、すごく地味な子だ。制服を着崩すなんて絶対にしない。今の明るい茶髪だってウィッグで、いつもは黒い髪を後ろに一つ括り。ヘアアクセどころか、カラーゴムすら使わない。今はカラコンを入れているけど、いつもは丸い眼鏡をかけている。
桜子は、すごく大人しくて引っ込み思案。顔は結構可愛いのに、とにかく自分に自信がなくて、いつもおどおどしていた。
前に桜子が、自信を持てないのは名前のせいだって教えてくれた。『鞠川桜子なんていう煌びやかな名前に私は相応しくない』って零していた。そのせいで、桜子は本来の大人しい性格と相まって、余計内向的になってしまったみたいだ。
そんな桜子が、動画配信を始めると言い出した時は驚いた。
『名前負けしない自分になりたい』
それが、桜子が動画配信を始めたきっかけだった。明るいイメージを作りたくて、桜子は自分とは正反対のギャルの姿で配信を始めたのだった。
<げ!>
その文字が目に飛び込んできて、私は我に返った。
画面に、まりさくの髪を掴むユウチの姿があった。
<うわ! 女の子の髪掴むとかサイテー!>
<こいつら終わったわ>
『まりさくちゃんさー! 分かるっしょー! なんでこんな日に配信しよーと思ったの?』
『空気読まなきゃねー』
『それは、今日、なるとは、思わなくて』
今にも消えてしまいそうな声で、まりさくが弁解する。どうしよう。
<ヤリマンだから大丈夫じゃない?>
だから! 桜子はヤリマンなんかじゃないって!
もしかしたら、コメントはうちの学校のカースト上位にいる奴? 一部に、桜子が動画配信しているのを面白く思っていない奴らがいるって聞いたことあるけど。
<まりさく可哀想>
<誰かまりさくを助けろ!>
さっきまでまりさくを叩いていた知トラのファンにも、まりさくの擁護に回っている人がいる。
<このまま連れていかれたらヤバくない?>
<警察に通報>
視聴する一部の人たちが、これはまずいと思いはじめている。でも、この中のどれだけが本当に動こうとしているんだろうか。私、動いた方がいいのかな?
『ったく、どいつもこいつも使えねーな!』
ユウチが乱暴にまりさくの髪から手を離した。それと同時にマイマイもまりさくから離れる。ひとまず肉体的暴力からは遠ざかったみたいだけど、まだ安心できる状況ではないということが、ユウチの声で分かった。
『ってかおまえ、来週覚えてるだろな?』
『は、……はい』
何の話?
『俺らの名前出しちゃっていいからさ。俺らの名前出せば、来たいって子いるでしょ』
合コンだー。マイマイが両手の拳で緩く天を突く。
『ちゃーんと女の子献上してよー⁉ ブスは駄目ぇー。可愛い子でよろしくー』
『ヤれる子な。可愛くてもおまえみたいに『生理です』なんつーシラケる奴いらねーから』
生理くさー、きもー。またもやマイマイの声。生理を馬鹿にすんな。ほんとイラつく。
『はい……』
『はい』ってあんた。絶対無理じゃん! 私を除けたら部活仲間の二、三人しか友達いないあんたがどうやって人集めるのよ。しかも私含めて皆、こんなチャラい人らと遊ぶような子たちじゃないし。
<なんだ。ただのヤリマンとチャラ男の会話じゃん>
<心配して損した>
いや、だから、ぜんっぜん違うって! まりさくの顔見てよ。暗いから分かりにくいと思うけど、ずっと下向いてるじゃん。
どうしよう。このままじゃ桜子が完全にヤリマン認定されちゃう。でもここで、
<まりさくはヤリマンじゃないよ!>
なんてコメントしても荒れるだけだし。友達を助けたいのに、どうしたらいいんだろう。ああ、頭が痛い。胃がムカムカする。
そう言えば、なんか適当に流れちゃったけど、この人たちヤラセの疑惑あったよね?
「そうだ!」
私はすぐにコメントを打った。送信。
<これ、ドッキリじゃない?>
いくらなんでも変だ。カメラマンのガッシーが一度どこかにカメラを置いたのに、それをまた構えた人がいるなんて。四人目のメンバーがいないとそんなこと起こらない。もし部外者が触ったのなら、それこそ皆気づくはずだ。
それに、いくらなんでもあの二人がこれほどまでに最低な姿を見せるとは思えないって、信じたいファンがいると思う。
<あ、私も思った>
<だよね! あー、びっくりした。騙されるとこだった>
<お三方、ばれましたよ>
<ドッキリ失敗>
<いや、もう成功で良くない?>
良かった。賛同してくれた人たちのおかげで、流れが少し変わった。
ユウチがポケットからスマホを取り出した。電源を入れたんだろう。少しの時間を置いて、ユウチの顔が白く光った。
ユウチの顔が真っ青に染まった。暗がりのため、その顔色の変化は視覚的には捉えられないけど、きっとそうなったんだろうなって、形相で想像がついた。
『おいガッシー、テメェ! ふざけやがって!』
ユウチが慌てて画面に近づいてくる。途端に、画面がガタガタ揺れた。う、酔いそう。
『仕返しのつもりかよ!』
『どしたー?』
『録画した――だよ!』
『え、――のも配信されてる?』
『クソが!』
画面は真っ暗になった。配信が終了したようだ。
コメント欄は、ドッキリではなかったのではないか、といった文字で埋め尽くされた。けど、まりさくについて触れるコメントはほとんどない。ヤリマン認定がどれくらい視聴者の頭に残っているのか分からないけど、少しは薄れてくれたよね?
私はひとまず動画サイトを閉じた。
桜子、大丈夫かな? あのまま八つ当たりでどっかに連れて行かれでもしたら。
私はすぐに桜子に電話をした。
「もしもし?」
『……もしもし』
良かった、出てくれた。けど、元気がない。当然か。
「今どこ? 大丈夫?」
逃げられる状況なのかどうなのか。それが知りたい。
『大丈夫……』
「桜子、迎えに行こうか?」
『ううん。……今、警察が来たから』
後ろで、サイレンの音がする。良かった。誰かが本当に通報してくれていたんだ。
じゃ、またね。おやすみ。桜子の電話はそれで切れた。