残していくもの
僕は置いていく側の人間なんだと思う。
懐かしい話をすれば、駆け足は速かった。徒競走では常に一位だし、高校でも陸上部には負けず劣らずのタイムも叩き出した。
真面目な話をすれば、家族や友人、お世話になった人を置いて、僕は先に死んでしまった。
僕は残される側の人の気持ちを理解はできない。
何せ、全部僕が先に行ってしまう人間だったから。
僕がいなくなって、皆はなんて思ったんだろう? 交通事故で死んだそのあと、皆は悲しんだのだろうか?
それは分からない。僕は、残ることができなかったから。
そして異世界に転生してからも、僕はきっと先に行ってしまうんだろう。
狭い箱の中で大切だと思っている数少ない人を……魔女さんを、エイフィアを残していく。
レイシアちゃんはきっとそうじゃないと思う……けど、人間として生を受けてしまった以上、長寿種の二人よりかは先に死ぬ。
だとしたら、また僕は知らないまま死んでいく。
知らないこそ、エイフィアの吐き出したものは全て僕には『知る』という一点でのものでしかない。
そして、知ったからには———何もしないなんて考えられない。
二度目の人生だからこそ。
残された人が悲しまないように、何かを残していくんだ。
「何を残そうかな」
雨の音が聞こえてくる店内で、僕は天井を見上げる。
「僕がずっと元気でいれば、この店も残せると思う。その頃までには今よりもこのお店を繁盛させる。そしたら、今まで以上に賑やかな空間になるはずだよね」
その時の僕はどんどん大人になっていて、きっと憧れていた渋めのマスターになっているかもしれない。
席に座るお客さんのことを微笑ましい目で見つめながら、コーヒーを淹れるんだ。
「このお店にはレイシアちゃんがまだ来てくれていて、僕の横ではエイフィアが変わらない姿で立ってくれるんだ。歳はとっていくのに、僕はエイフィアの明るさに振り回されて、レイシアちゃんと一緒にまったりして、今と変わらない楽しい毎日を送っていく」
そういう先の未来が容易に予想ができる。
それは彼女達が僕とこのお店に刻みつけられているからだろう。
「それと、僕達の部屋にいっぱい傷もつけておかなくちゃね。些細なものでいいんだ、身長を測るために線を入れたり、喧嘩して壁紙を汚したりとか、そんなくだらないものでいい」
そうすれば「あの時はこんな馬鹿なことをやったな」って、傷を見る度に思い出せる。
「写真があれば一番なんだけど、それは今後の異世界技術に期待しよう。もしなかったら、下手くそだけど絵日記もいいかもね。毎日何をやったか、エイフィアが僕とどうしたのか……簡単でいいし、飽きたら手を止めてもいい。それでも少しずつ書き記していくんだ」
残せるものは限られてくるけど、残せるものは残していく。
そうすれば―――
「いっぱい、思い出が残せるでしょ?」
見上げた天井から視線を戻し、エイフィアを見つめる。
彼女の瞳は、まだ伏せられていた。
「思い出が残っちゃったら、余計に辛くなるよ……」
「辛いと思うよ。想像しただけで、僕も辛くなっちゃった。僕ですらこうなんだ……きっと、エイフィアの方がもっと辛いんだと思う」
「だったら……ッ!」
「けど、辛いことばかりじゃないと思う」
辛さを味わうのは僕じゃない。
僕じゃないけど、それだけは間違いなく断言できる。
「思い出として残るっていうことは、自分の記憶に刻みつけたいものが残るってことなんだ。楽しいことも、嬉しかったことも、幸せだって思うことも全部。いつまでも、ずっと心に沁みついて残っていく」
もちろん、悲しいこともあるだろう。
泣きたくなるようなことも思い出として残るだろう。
だからこそ、それに負けないほどの思い出を上書きするように残していくんだ。
「ねぇ、エイフィア? 思い出は全部が全部辛いことじゃない。楽しかった、幸せだったって思えるものを残すのは辛いわけじゃない、逆だよ。辛いと思うのは《《やり残したことがあるからだ》》。人生を一つの物語として完結させていれば、全ては終わったものとして割り切れる」
あの時、一緒に笑っていれば。
もう少し、自分に素直になっていれば。
この人と、めいいっぱい寄り添っていれば。
そういう後悔が積み重なるから、辛い気持ちだけが表面に現れて辛いと思ってしまう。
「人は死ぬ。僕が先に死ぬ。辛いと思ってくれるかもしれない、泣いてくれるかもしれない、やっぱり寂しいって感じてしまうのかもしれない―――だけど、これだけは約束する」
僕はエイフィアの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「僕は絶対、君に『笑ってくれるような』思い出を、君に残していくよ」
辛いけど、僕と過ごした時間は楽しかったんだって。
楽しくて、嬉しくて、幸せで、長い長い人生の一ページとして思い返しても思わず笑みが零れてしまうようなものを。
大切だと思っているエイフィアだからこそ、泣いてくれることを嬉しく思いながら……最後まで、笑ってもらえるように。
「だからエイフィア……我慢しないで、やり残したことがないように一緒に思い出を作っていこうよ」
「…………ッ!」
「僕はいつでも付き合うし、ずっと笑っていくからさ」
エイフィアが流していた涙をもう一度カウンターに落とす。
「我慢、しなくてもいいの……?」
「後悔しないように」
「絶対、辛くなるよ……?」
「辛いと思う。けど、それ以上の幸せをあげる」
「……そっかぁ」
小さな嗚咽を残したまま、コーヒーの熱が徐々に冷めていく。
それでも、彼女は———
「私、やり残したことがいっぱいあるんだぁ……」
涙を浮かべたまま、笑顔を見せた。
僕の言葉が彼女に届いたかは分からない。それでも、言葉じゃなくて笑顔で僕に教えてくれた。
「じゃあ、あとで泣いてしまわないように……一緒に生きていこうか。僕と、エイフィアで」
「うん……っ!」
二度目の人生は、後悔をしないように。
エイフィアだけじゃなくて、僕も。
残していった人達が、笑ってもらえるように。
僕はこれからもコーヒーを淹れていく。
思い出と一緒に、箱の中に注いでいこう。
「タクトくん、冷めちゃった……」
「じゃあ、もう一杯作ろうか。あ、僕も飲んでいい?」
箱の中には、きっとコーヒーの香りが残っているはずだ。




