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箱の中で、大切だと思える人

 僕の世界は、本当に小さい。

 あまり外出させてくれないからっていうのもあると思う。

 だけど、やっぱり一番の要因は僕がこの世界の住人じゃないってことだ。


 大きかった僕の世界は日本に全て置いてきてしまって、新しい人生で掴んだのは小さな箱。

 箱の中には今までの記憶と、この『異世界喫茶』と、魔女さんやレイシアちゃんといった深い関りを持つ人達だけ。

 その中にはもちろんエイフィアだっている。


 残念で、すぐに関節をキメてくるけど、それ以上に優しくて、明るくて、可愛くて……姉のような存在だ。


 僕は狭い箱の中でしか世界を知らない。


 知らないからこそ、今あるものを大切にしたいと思う。

 井の中の蛙だって、その井の中に同じ蛙がいれば大切にするに決まっている。

 大切だからこそ、情が湧き。

 情が湧くからこそ、幸せになってほしいと願ってしまう。


 僕は、エイフィアには幸せになってほしいって思っている。

 心配はするし、優しくだってする。

 寂しい思いをさせないように一緒にいることだって吝かじゃないし、お店とエイフィアを選べって言われたら迷うことなくエイフィアって答える。


 でも、それこそがエイフィアを傷つけている要因だとしたら―――


「僕は、どうすればいいんだろうね……」


 カウンターに椅子を置いて、頬杖をつきながら窓に映る雨を眺める。

 弱かった雨も次第に音を増していき、小さな呟きですら反芻することなく消えてしまう。

 お客さんも流石の雨で姿を見せておらず、静かな空気が懐かしさを与えていた。


 懐かしさは考える時間をもたらせてくれる。

 エイフィアが店を出て行ってしまった小一時間、僕は彼女の言葉をずーっと考えていた。

 追いかけることはせず、ただただ魔女さんの去ってしまったお店で一人───


「先に死ぬのは、僕が人間だから」


 逆にエルフは長生きする。

 そんな二者が出会えば、よく考えればすぐに分かることだ。

 寂しい思いをさせたくないと思いつつも、僕が人間である限り寂しい思いは必ずさせてしまう。


 ―――それを、エイフィアは我慢していた。

 我慢していたからこそ、想いの内を秘めて耐えてきたんだ。

 僕はそれに気づいてあげられなかった。


「話さなきゃ……うん、エイフィアの心の整理ができたら」


 どうすればいいのか? 自問したとしても、結果なんて分かり切っている。

 長生きできるような薬を見つける? 健康であれるよう気をつける?

 馬鹿言え……現実的に考えろ。


 ―――僕には、話し合うことしかできないじゃないか。

 今までも、これからも。


『……ぃ』

『で……ぇ』

「……ん?」


 そんなことを考えていると、不意に入り口辺りから声が聞えてきた。

 こんな雨の中にお客さん? そう思ったけど、ドアに映る人影の形がそれを否定した。


「早く入ってください、エイフィアさん。ここまで来てまだ雨に晒されるのは流石に嫌です」

「で、でもっ! よく考えたら私、タクトくんに告白してるんだよ!? お悩み解消の前にそれに対する覚悟とか必要だと思うんだよ!」

「それは素直に賞賛ですが、こういう時は勢いが大事なのだと学びましたから」

「誰から学んだの、それ!?」


 そしてカランカランと、ドアベルの音が店内に鳴り響く。

 お店のドアから現れたのは、二人の女の子。

 その二人は、僕の狭い箱の中にいる……数少ない、大切な人だった。


「エイフィア……」

「ッ!? た、ただいま……」


 声をかけると、エイフィアは肩を跳ねさせた。

 だけど諦めがついたのか、おずおずと僕に小さく手を振ってきた。


 色々と話したいことがある。

 きっと、エイフィアと僕との関係が変わってしまうような、そんな話を。


(いや……これは《《僕達らしくない》》、かな)


 ふと、そんなことを思ってしまった。

 関係が変わるのだとしても、今までの僕達の関係はしみったれたものじゃない。

 ―――きっと、違うんだろう。


「傘もささないで飛び出すなんて……やっぱり、エイフィアはどんな時でも残念だね」

「あれ!? あんなやり取りしたあとなのにそういう反応なの!?」

「ずぶ濡れになっている姿を見れば、自然とそんな反応になっちゃうんだよ」


 僕は笑みを浮かべながら、こんなこともあろうかと思っていたタオルを持って二人に近づく。


「はいこれ、レイシアちゃんも使ってよ」

「はい、ありがとうございますタクトさん」


 レイシアちゃんは素直に僕からタオルを受け取る。


「エイフィアは頭を前に出して」

「わぷっ! わ、私も自分でできるんだよっ!」

「いいからいいから」


 エイフィアには、僕直々に頭を拭いてあげる。

 流石に体までは拭けないから、その時はエイフィアと変わってあげよう。


 雨に濡れていたからか二人の服は肌にピッタリと張り付いていて、大変目に毒な光景だった。

 幸いなのは、まだ下着までは浮かび上がっていないことだろう。

 漫画やアニメではお約束な展開にならなくてよかったと、心底思ってしまった。


「レイシアちゃんごめんね……その、《《色々と》》」

「いえ、お気になさらず。私がしたいことをしただけですので」


 僕が何に対して言った言葉なのか理解したレイシアちゃんは柔らかい笑みを浮かべる。

 その顔を見てしまっただけで、少し胸が高鳴ってしまった。


「タクトさん、少しお家の方にお邪魔させてもらってもよろしいですか?」

「うん、大丈夫……体を拭いたら、寛いでいてもいいから。お風呂も、魔女さんに言えばきっと教えてくれるよ」

「そうですか。では失礼しますね」


 レイシアちゃんはそう言うと、最低限の水分を拭いてから僕達を置いて店の奥へと立ち去ってしまった。

 きっと、僕達のことを気遣ってくれてのことだろう。

 ……本当に、レイシアちゃんは優しい女の子だ。


 だから―――


「ねぇ、エイフィア」


 エイフィアの頭を拭きながら僕は真っ直ぐに顔を覗き込む。

 逃さないと、そう見つめる僕を見て、エイフィアは瞳を揺らがせる。

 けど少しの時間が経ち……気持ちに覚悟を添えたのか、真っ直ぐに見つめ返してきた。


「……うん、分かってる」

「そっか……じゃあ―――」






 狭い箱の中には、彼女がいる。

 今の僕がいるのは、間違いなくエイフィアのおかげだ。

 こうして『異世界喫茶』が開けているのも、応援して支えてくれたエイフィアのおかげ。


「話そっか。とりあえずコーヒーでも飲みながら、さ」



 ねぇ、知ってる……?


 普段は馬鹿やって散々「残念」だって言ってるけど───


 僕はこう見えて、エイフィアのことを―――……だと思ってるんだよ?

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