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触れるべきではなかったこと

「レイシアちゃん来ないなぁ……」


 休日の昼下がり。

 お店の外から賑やかな喧噪が聞こえ、浮足立ち始める時間帯。

 お昼に近いからか、昼食を提供していないこのお店は閑散としていて、久しぶりに味わう静けさが広がっていた。


 いつもであれば、こんな時でもレイシアちゃんの姿がある。

 だけど、今日に限ってはミスリルのような銀髪を見せることはなかった。


(まぁ、レイシアちゃんにも予定の一つ二つはあるだろうし、たまたま遅くなっているだけかも)


 そういう日もある。

 レイシアちゃんがいなくて……うん、かなり寂しいけど、このお店だけが全てというわけじゃないんだ。

 レイシアちゃんにも、自分の生活があるだろうしね。


「そう思っていても、寂しいものは寂しいんだけどね―――」


 などと愚痴っていたら、不意にドアベルが鳴った。

 僕は「レイシアちゃんかな?」と思いつつ、入り口の方に顔を向ける。


「いらっしゃいませ……って、エイフィアじゃん」


 入り口に現れたのは、長い耳が特徴の少女。

 腰までかかった金髪を下ろし、軽装が体のラインをくっきりと浮かび上がらせている。

 恐らく、冒険者の仕事が終わって帰ってきたのだろう。

 だけど―――


「……どうしたの、エイフィア?」


 彼女の顔には、明確に浮かび上がる陰りがあった。

 可愛らしい耳もしゅんとうな垂れ、いつも見せる明るさは見る影もない。


「ううん、なんでもないよ……ただいま、タクトくん」


 エイフィアはそう言うと、そのまま足早に店の奥へと行き家へ戻ろうとする。

 戻るぐらいだったら、初めから家のドアを潜ればいいのに―――僕には、それが違和感を強めるものだった。


 それほど余裕がないのか、それとも何か話したいことがあったのか。

 今のエイフィアを見ているだけでは分からなかった。


『エイフィアから直接聞く……なんてことはするなよ、タクト』


 ふと、魔女さんから言われた言葉が脳裏に浮かび上がる。

 単純な忠告。エイフィアが何かで悩んでいるのは、分かり切っていた。

 触れるべきではない、解決できないから。

 でも……こんな姿を見ちゃったら、僕は———


「待ってよ、エイフィア」


 立ち去ろうとするエイフィアの腕を掴む。

 すると、エイフィアの華奢な肩がビクン、と跳ねた。


「……部屋に、戻りたんだよ」

「ちょっとだけ時間くれないかな?」


 小さな拒絶を向けられるけど、僕は腕を離さず引き下がらない。


「……離して」

「ううん、離さない。ねぇ、もしよかったらコーヒー飲まない? カフェオレでもいいからさ」

「……タクトくん、お願い。離して」

「寂しいんだ、お客さんもいなくて。だから話し相手になってよ」


 エイフィアから受ける明確な拒絶。

 だけど、僕の中ではここで引き下がっちゃいけないような気がして。

 引き下がっちゃったら、取り返しのつかないことになっていしまいそうで。


「ねぇ、エイフィア……話してよ、お願い」


 どうしても、君が心配だから。


「僕達、《《家族》》じゃないか」


 でも、この選択は———間違っていたのだろう。

 魔女さんの言う通り、僕が口を挟むべきことではなかったのかもしれない。

 それは———


「離してよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 エイフィアから零れたものが、悲痛な叫びだったからだ。


「どうして……どうして、皆私を揺さぶってくるのっ!」


 百年以上生きた少女が、初めて僕の方を向いた。

 そこには悲しく歪んでしまった表情に、大量の涙が添えられた顔が———


「優しくしないで! タクトくんはもう、私に優しくしないでよぉ!」

「優しくって……どうして? 僕はただ、エイフィアが心配で……」


 踏みこんではいけない部分に踏み込んだ。

 それが僕に、焦りと戸惑いを生ませた。

 でも、もうエイフィアは……止まらない。


「それが私を揺さぶるの! せっかく決意した心を、蓋をした気持ちを、生きていく覚悟を、全部全部揺さぶってくるの! 私、悪いことした!? 悪いことしてないよね!? だったら、どうして皆揺さぶってくるの!?」


 エイフィアの言葉は意味が分からなかった。

 何を、何に対して、どんな想いを? 全て、全てが伏せられたまま叫んでいるから。


「もう嫌だよ……私だけ、どんどん辛くなるよぉ。こ、この―――」


 叫び終えたエイフィアの顔は疲れ切り、いよいよ消え入りそうなものに変わる。

 そして———


「タクトくんが《《好き》》な気持ちが……もう、辛いんだよ……」 


 明確な感情おもいの吐露を、してしまったのだ。


(え……? エイフィアが僕のことを好き……?)


 流石の僕でも、この状況で言われた言葉が『弟として』ではないことは分かる。

 でなければ、こんな悲痛そうな顔はしないはずだから。


 僕はエイフィアの言葉に思考が固まってしまった。

 だけど、エイフィアは止まらない。


「好きで好きで仕方なくて、優しさを向けられる度に嬉しくなっちゃう……好きっていう気持ちが強くなっちゃう。その度に、私は苦しんだよ……蓋をしなきゃいけない心が、軋んでいくから」


 僕の顔を見て、泣いて、溜め込んでいたものを吐き出す。

 これは決して告白なんかじゃない。

 きっと、これは───


「先に、死んじゃうのに……」


 ───壊したんだ。

 エイフィアが我慢していた、心を。


「先に死んじゃうのに、私の心を揺さぶらないでよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 エイフィアは掴んでいた僕の手を振り払うと、そのまま再び店の外まで出て行ってしまった。

 固まっていた僕の思考は、床に落ちた彼女の雫によって引き戻される。


「ま、待ってエイフィア!」


 僕は慌ててエイフィアを追いかけようと走り、店の扉に手をかける。

 だけど───


「やめておけ」


 パタリと、家を繋ぐの扉が開かれ、魔女さんの言葉が聞こえてきた。


「今のあやつに何を言っても追い打ちにしかならん。気持ちの整理がつくまで待っておれ」

「魔女さん、僕……」

「長生きする生き物がの、人の世界で生きるなら誰しも通らなきゃいけない道じゃ。それは、人には決して理解できん」


 姿を見せた魔女さんの顔が、寂しそうに笑った。


「それに……あやつにとって、タクトという存在は特別じゃ。長生きする者の中で誰よりも悩むのは必然じゃろうよ」


 僕は魔女さんの言葉を聞いて、足が止まる。

 開けたドアの先からは、さっきは降っていなかったはずの雨の音が、耳に響いた。


 沈んでいた心を、更に打ち付けるように。




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