やって来た人は私の―――
(※レイシア視点)
「はぁ……」
自分の部屋のドアを閉じると、大きなため息が自然と口から零れてしまいました。
重たい足取りで向かうのは自分のベッド。
辿り着くと、そのまま体を倒してベッドに顔を埋めます。
学園が終わり、習い事が終わっての疲労感が溜まっているのかもしれません。
ですが、それは今までにもやって来たことのはず。
このようなため息、今まで吐いたこともありませんでした。
理由は———
「あと三日……」
いよいよあの婚約話も詰まってきたらしく、三日後に第二王子がこの屋敷にやって来るみたいなのです。
パーティーで顔を合わせることも何度かありました。
その際、口説かれたことも多々……あったようにも思えます。
ですが、こうして屋敷にやって来るというのは初めてです。
恐らく今回は顔合わせ程度……これから、徐々に段階は上がっていくと思われます。
「はぁ……」
もう一度、大きなため息。
(こうしてその日が近づいてくると、実感が強くなるものですね)
婚約はまだ結婚ではありません。
ですが、貴族の婚約———それも、公爵家と王家の婚約ともなればほぼ結婚と考えてもいいでしょう。
まだ公に発表こそされていませんが、発表されてしまえば取り消すのが難しくなってきますから。
取り消してしまえば、両家の沽券に関わってしまいます。
「逆に言えば、今の段階ではお断りができるということ……」
……などと考えてしまう辺り、私もまだダメダメさんですね。
話が挙がってきた以上、この段階ですら断ることができないというのに。
お母様からは「断ってもいいわよ?」という言葉を投げかけられますが貴族として、家のことを考えれば断れるはずもなく―――
(……タクトさん)
首元のチョーカーを握りながら、ふと彼のことを思ってしまいます。
今頃何をされているのでしょうか?
今日も変わらず、あの店でコーヒーを作っているのでしょうか?
それとも……あのような一方的な別れを告げたことに怒っているのでしょうか?
(もしくは、私のことなど忘れているかも……)
私とタクトさんはお客さんと店員。
深い関係があるわけでもなく、ただ私があのお店に入り浸っていただけの関係。
忘れられていても、おかしくはありません。
そう考えてしまうと、胸がきつく締め付けられました。
重く、強く、息すらもし難くなるぐらい……苦しく。
「は、ははっ……私、未練ばかりじゃないですか」
未練を強くさせないためにタクトさんから別れてきたのに。
結局は、彼のことを思い出すだけで激しい未練が後ろを追いかけてしまいます。
「こんな思いをするなら、いっそのことタクトさんと出会わなければ―――」
―――よかった。
そう言いかけた口を、私は無理矢理閉じます。
そうではありません……それだけは、絶対に口になどしてはいけないのです。
だって、間違いなく私はタクトさんと出会ったことを感謝しているのですから。
絶対に、あの店の前に行き着いたあの日を、なかったことにはしたくありません。
ですが、そう考えでもしないと……本当に苦しいです。
(私は一体、どれだけ彼に惹かれていたんでしょうね……?)
こういう思考と苦しさを覚えてしまう時点で、私はそれだけタクトさんに惹かれているということ。
あの日のお出掛けは楽しかったです。
服装を褒めてもらって、一緒にお店に入って、プレゼントをもらって、庭園を見て、魔法をお見せして喜ぶ姿を見た。
そのどれもが楽しかった。
間違いなく、私の人生の中で一番幸せな一時だったでしょう。
それを知ってしまっているからこそ、私は———
「……戻りたい」
あの日の幸せはたまにでいいです。
戻れるのであれば、あのお店でコーヒーを飲み、まったりとした空間でタクトさんとお話しする……あの時間にさえ、戻ることができれば。
本当だって、今の時間は『異世界喫茶』に行っているはずなんです。
婚約話さえなければ―――
「やめたい……私は《《タクトさんとお付き合いしたい》》です……ッ!」
物語のお姫様みたいに恋をして、好きな人に好かれるために努力をして、結ばれて。
そうして私は一生を添い遂げるパートナーを見つけたい。
このような、好きでもない相手と結ばれる前提の結婚など……私はしたくないのに。
(タクトさん……)
一度流した涙は止まることを知らず、嗚咽となって外に吐き出されます。
ここが自分の部屋でなければ、使用人の方々が心配をして駆け寄って来るでしょう。
自分の部屋でよかったです……私は、誰にも心配をかけたくありませんから。
この件で、私は我儘を言ってお父様やお母様にご迷惑は———
「……会いたい、タクトさんに会いたいです」
そんな時でした。
私の部屋の扉がノックされたのは。
慌てて涙を拭おうとシーツを掴み上げます。
本当はこういうもので拭くのは行儀が悪いのですが仕方ありません。
涙を見せて心配をおかけするわけにもいきませんから。
「……どうぞ」
拭き終わると、私は部屋に入るよう促します。
一体誰でしょうか?
まだ夕食までは時間があるので、使用人の方ではないと思うのですが……。
「失礼しまーす」
しかし、そんな疑問は聞こえてきた声によって掻き消されてしまいました。
何せ、その言葉は———随分と聞き慣れていた、焦がれていた声なのですから。
「僕、なんだかんだ家族以外の女の子の部屋って初めてだから緊張しちゃうんだよね」
そう、その人は。
ここにいるはずもない人で、私の会いたいと思っていた人で―――
「タクトさん……ッ!?」
「うん、久しぶり……レイシアちゃん」
私の、想い人でした。
「じゃあ、コーヒーでも飲みながらお話しよっか」




