コーヒー
「……さて、こんなものでいいかな」
軟膏を塗って、布で足を固定し氷で腫れた患部を冷やす。
女の子の足に触るって「彼女いない歴は年齢です」の僕には抵抗があったけど、なんとか応急処置を終えることができた。
ふぅ……緊張したぜ。一生分働いた気がするね!
「あ、ありがとうございます……」
カウンター前の椅子に座っている少女が頭を下げる。
「いえいえ、これぐらいのことは。それよりも……訴えたりしない?」
「触っただけで訴えたりはしませんよ!?」
僕がいたジャパンでは恐ろしいことに、触っただけで訴えられるセクシャルハラスメントというお言葉があったんだ。
「ま、訴えても別にいいんだけどさ、しばらくはそのままでいてね。魔女さんがいればもっとちゃんとしたやり方があったかもしれないんだけど……今はどこか行っちゃってるんだよ」
「魔女さん……というのは『薬師の魔女』のことでしょうか?」
流石は魔女さん、お嬢様でも知られているような存在だなんて。
「うん、そうだよ。僕はその魔女さんにお世話になってる人だから」
いつか独立して魔女さんに恩を返さないと。
一番はこの異世界喫茶を繁盛させて魔女さんに恩を返したいところではあるんだけど、今はそんな兆しはないから毎日の肩叩きと……血を吸われることで恩を返していこう。
「せっかくだからさ、コーヒーでよかったら出すよ。どうせ人も来ないし、その足じゃすぐに帰るってわけにもいかないだろうしね」
それに、今は逃げてる最中らしいから。
匿うって話になってるし、暇を弄ぶぐらいだったらコーヒーでも飲んでいってもらいたい。
「こーひー……というのは?」
「あ、知らないっすか……そうですか」
悲しきかな。コーヒーを知らない人がいただなんて。
いや、滅多に飲むものじゃないし知らないのも無理はないんだけどさ。
確かに、お嬢様とか上品に紅茶を飲むイメージはあってもコーヒーを飲む姿なんて想像がつかない。
日本だったら、全然いるとは思うんだけど。
「コーヒーっていうのは、渋い苦みが特徴の飲み物なんだよ。この店は、そのコーヒーを扱うお店なんだ」
「お、お店の飲み物だったのですか……で、でしたら大丈夫です! 私、今は持ち合わせが———」
「気にしない気にしない。僕は飲んでくれるだけで嬉しいからさ」
僕はそう言ってカウンター前のキッチンに移動する。
予めブレンド……複数のコーヒー豆を調合しておいたものを棚から取り出し、ミルに入れて挽いていく。
ミルっていうのはコーヒー豆を挽くための道具で、簡単に言ってしまえばコーヒー豆をよく見るインスタントコーヒーみたいな粉状にする道具だ。
これがないとコーヒーを抽出できないし、そもそも作れなかったりするんだ。
……苦労したんだよ、これを作るの。異世界ってさ、コーヒーを飲む習慣がないからそもそもこういうコーヒーを作る器具なんてないんだもん。
高校生のなけなしで断片的な記憶を使って、試行錯誤の後にようやくこれらを作ることができたんだ。
(あぁ……懐かしい、あの研鑽の日々。失敗しまくって魔女さんにいっぱい怒られたっけ)
数分ぐらいハンドルを回すと、挽いたコーヒー豆を取り出してセットしたフィルターの中に入れて、ゆっくりと回すようにお湯を注いでいく。
するとなんてことでしょう……徐々にサーバーに黒い液体が落ちていくではありませんか。
感激! これがコーヒー誕生の瞬間!
「…………」
その様子を、少女は黙って見入るように覗き込んでくる。
(うんうん、分かるよ。初めてコーヒーを作る瞬間を見たらついつい見入っちゃうよね)
僕も子供の頃はこんな感じだった。
渋いマスターがゆっくりと一工程一工程を大事にしながらコーヒーを入れる。
その姿がなんかかっこよくて、憧れちゃって、苦いのを無理して飲むようになって。
……あの時「バリスタになろう」って思ったんだよね。
(懐かしいなぁ……)
あの時のマスターみたいにかっこよくできてはいないけど、こうして誰かに淹れてあげることに嬉しさを感じてしまう。
香ばしいコーヒーの匂いが立ち込めて、そそる様な刺激が鼻腔をくすぐった。
「いい、匂いですね……」
「でしょ? まぁ、皆嫌がるんだけどね……」
こう言ってくれる人がいることに、僕は更に嬉しくなった。
胸が温かくなるのを感じつつ、抽出し終わったコーヒーをカップに注いでいく。
―――これで、異世界喫茶特製ブレンドコーヒーの完成だ。
「はい、どうぞ。美味しいかどうかはあまり自信ないけど」
「いえ……ありがとうございます」
カウンター越しにソーサーに乗せたコーヒーを少女に渡す。
普段飲んでいるティーカップとは違うからか、受け取る時にまじまじとカップを見ていた。
「やっぱり、珍しい?」
「えぇ、初めて見る形です……」
「やっぱり珍しいよねー」
「これは、どこで売っているのでしょうか……?」
「これ、別に売ってないよ? 僕のお手製!」
というか、ここにあるものほとんどが僕の作ったものなんだよね。
さっきも言ったけど、コーヒーの器具類はそもそも作られてないから。
「凄いですね……このようなものをご自身で。素直に賞賛してしまいます」
「僕としては、そのコーヒーを褒めてほしいけどね。これを作ったのも、全部コーヒーのためなんだからさ」
僕が少女に笑うと、おずおずとカップを口元に近づける。
桜色の潤んだ唇がカップに近づくにつれ、思わずジッと見つめてしまった。
いや、本当はよくないんだけどさ……美味しいかどうかって、結構気になったりするんだよ。
そして、少女が一口だけ口に含む。
すると———
「苦い……ですが、嫌というわけではなく―――《《美味しい》》、です」
小さく、口元を綻ばせてくれた。
その表情を見て、僕も思わず口元を綻ばせてしまった。