094 嘘つきの代償
お茶会と言えばお茶。アルカディアナ大陸では主にお茶と言えば紅茶を指し、帝国ではそれがコーヒーに変化した。そしてここフムニア王国ではサレップと呼ばれるとろりとした甘い飲み物がお茶の代名詞である。
サレップの原料は野生のランの球根を潰して作られた粉。そこに砂糖やミルクを混ぜ、お好みでシナモンを振りかけて飲むといった感じだ。私はどこかミルクキャラメルを彷彿させる味のするサレップを自分の中で好ましい飲み物に位置づけている。何故ならお風呂上がりの一杯が格別に美味しいからだ。
今日のお茶会に用意された飲み物もサレップ。そこに色を添えるのは見ても楽しめるスィーツ達。パイ生地が薄くなった物を何枚も重ねて作られたサクサクなペイストリーやら、一見するとチョコケーキに見える蒸しパンなど。
その中でも代表格は、何と言ってもロクムと呼ばれる小さな四角のカラフルな物体だ。何処に行っても見かけるロクム。その原材料は砂糖と小麦粉と色素らしい。そこに蜂蜜や糖蜜など深い味わいを出す甘みを追加して捏ねればロクムの完成となるらしい。ロクムはもっちり、そしてねっとりとした食感が特徴で気軽に食べられるお菓子としてここハレムでも大変人気が高い一品である。
そんな食文化が豊かな事がうかがえる様々なスィーツが並ぶ円卓。それを囲む女性達の話題は、何と言ってもスンブル陛下とカディル殿下である。
「カディル殿下ってどんな人なの?」
ギュナナが単刀直入に私に聞いてきた。
「悪……あ、あくの強い方ですが、とても利発な方だと思います」
ギュナナの素朴な質問に私は、悪魔のような人ですよと言いかけ、それは不味いなと気付き、慌てて言葉の軌道修正をした。
「利発な人か。って事は色仕掛けは通用しないかもなぁ」
確かにと、元気溌剌グループが一斉に肩を落とした。
「でも、美しいは正義ですし、ギュナナ様にもチャンスはあるかと」
私は元気溌剌グループに励ましの言葉をかける。
「うわ、やっぱり一歩先を歩く人は違うね。励まされちゃったわ。あたし達もしかして馬鹿にされてるのかもね。あはは」
ギュナナが私のかけた言葉に対し少し機嫌を悪くしてしまったようだ。早速嫌味っぽい言葉をかけられてしまった。うむ、なかなか言葉の駆け引きは難しい。
「ユーゴ様が亡くなったってのはホントなの?」
シンシアが疑うような視線で私を射抜くように見つめてきた。どうも未だ信じていないようだ。確かにシンシアは私がユーゴ様グッズを収集していた事も知っている。だからこそ、あの熱量を持って愛した人を亡くしたにしては呑気なのでは?と疑っているのだろう。悲壮感が足りないと自覚はしている。でもユーゴ様が亡くなったというのが、そもそも嘘なのだから仕方ない。
とは言え、ここは騙し通す必要があるわけで。
「うぅ、酷い。思い出させないで。折角傷が癒えてきたというのに」
私はハンカチを出し顔にそのまま当てる。そして全力で泣き真似をした。
「ねぇ、シンシア様、ユーゴ様って誰?」
「ルミナの夫。この子はその夫を変態的な感じでいつもストーカーしていたのよ」
事情を知らないギュナナにシンシアが捻じ曲げた真実を伝えている。私はパッとハンカチを顔から剥がし、キリリとシンシアを睨みつける。
「変態な時もあったしストーカーみたいな事もしてたけど、だけどそれはいつもじゃないし」
「あら、ユーゴ様はいつもあなたに迷惑そうな顔を向けていたわ。私見たもの、ヒポグリフレースの時」
「あ、あの時はまだお互いお試し期間みたいな物で……あれから色々あって今はもうすっごく好き合ってるんだから」
「今は?」
シンシアの訝しむ声で私は自分の失言に気付く。イヴァンナの深いため息が背後から私の髪にかかる。
「い、今だって心ではお慕い申し上げてますって事。だって大好きなんだもん。たとえ離れ離れになっていたとしても、そんな急に嫌いになんてなれないでしょう?」
わりと誤魔化せたんじゃないだろうかと私は得意げな顔になりかけて、ピタリと固まる。
何故ならうっ、うっと嗚咽を漏らす声が耳に飛び込んできたからだ。一体何故?そして誰?と私は慌ててテーブルを見回す。すると、私の向かい側でレイラが周囲の人に肩を抱かれグスン、グスンと涙を流していた。
「えーと、レイラ様はどうかされたんですか?」
私は自分のハンカチを差し出しながら恐る恐る尋ねた。するとレイラの隣に座る友人らしき人物が「ハンカチは大丈夫です」と丁寧に私に断りの言葉を告げた。
「ルミナの使ったハンカチなんて汚くて使えないって事よ。早く仕舞いなさいよ、その汚いハンカチを」
「なっ!?」
シンシアの言葉に私は軽くショックを受けた。けれど使用済みである事は間違いないので、私はハンカチを渋々ポケットに戻す。
「レイラには幼い頃からの許嫁がいたんです」
「それなのに、奴隷狩りにあって」
「許嫁の方に挨拶も出来ず、わけがわからぬうちにここ、フムニア王国に連れて来られてしまったんだそうです」
レイラの肩を庇うように抱きながら、慎ましいグループの女性達が私に状況を説明してくれた。
「そうだったんだ。何かごめんね」
私は軽くショックを受けながらとても切ない気持ちで謝罪の言葉を述べる。
確かに奴隷をここに集めているとは聞いていた。けれど、どうして奴隷になったのか。その理由について思い巡らせた事はなかった。しかし実際、レイラの口から聞かされた理由は私を落ち込んだ気分にさせるには充分すぎるものだった。
そしてもし、ここに奴隷として集められた人達の多くがそんなに辛い過去を抱えているとしたら、ハレムは即刻解体すべきだと、私はカディル殿下の意見に賛成の気持ちを抱く。
「いいえ、私が悪いのです。勝手にルミナ様の言葉に自分の気持を重ね、それで悲しくなってしまっただけなので。お茶会の雰囲気を壊してしまって私こそごめんなさい」
レイラは吸い込まれるような黒色の瞳に涙を浮かばせながら私に謝罪の言葉を述べた。そんなレイラの言葉に私は小さく首を振る。
「謝らないで。レイラ様の気持ちはわかるし。だって好きな人に会えないってとても辛いもんね」
私は自然とポケットの中に手を入れる。そしてそこにあるトレカの固い魔法転写紙の感触を切ない気持ちを持って確かめる。
「悪いけど不幸自慢の会なら帰りたいんだけど。シンシア様もそう思うでしょ?」
「まぁ、そうね」
ギュナナが苛々とした声を出した。そしてシンシアがそれに同意したように大きく頷く。
「えっと……ごめんね?」
ひとまず私は穏便にという気持を込め、謝罪を口にする。
しかし何故そこまでイライラとしているのかがわからない。
「ルミナ様はまだここに来たばかりだから、知らないかもしれないけど」
ギュナナはそこで言葉を切って、思いつめたような顔をした。それから諦めたような顔を私に向ける。
「ハレムの女は大抵が奴隷よ。だから好きで入った人なんていやしない。みんなそれぞれの事情を抱えて、仕方なくここで暮らしている。何故なら一度ここに売られたら外には出られないから。だからここで生きていく、生き抜いていくしかないの」
ギュナナはサレップの入ったカップを両手で包み込む。そしてカップの中身に視線を落とす。
「そうやって昔の男を思い出してメソメソしてるばかりだったら、一生大部屋から出られない。私はそんなの嫌。私は殺された家族の分も背負ってここにいる。だから必ず私は自分の子をフムニアの王座につけてやる」
ギュナナは強い口調でそう言い切ると、カップを掴んだ手が白くなるほど強く握りしめた。その気迫に私は圧倒され何も言えなくなる。
「私だって母に裏切られてここに売られた。ギュナナは住んでいた村が盗賊に荒らされて皆殺しにされた、そしてレイラは奴隷狩りにあって恋人と引き裂かれてここにいる。あんただってユーゴ様が亡くなったからここにいるんでしょ?」
シンシアの言葉に私はすぐにそうだと返せない。
何故なら私だけ任務が終わればハレムから出られるとそんな確約をもらってここにいる。だからここから出られない。ハレムの内側にいるギュナナから発せられたその言葉の重さに私は咄嗟に都合の良い言葉を発せなかった。
「ユーゴ様はお亡くなりになりました。ですからルミナ様はこちらに」
無言を貫く私の代わりにイヴァンナが無機質な声で背後から答えてくれた。
「やっぱり、すぐに自分で答えられないって、ユーゴ様が亡くなったというのは嘘なのね?」
私が何も言えないでいると、シンシアが確信を持った様子で私に再度そう尋ねた。
「嘘って何が?まさかルミナ様の旦那が死んだって事?嘘でしょ?」
ギュナナが発言の真意を確かめるような感じでシンシアの顔を覗き込んだ。
「そうなんですか、嘘なんですか?」
レイラの声が訝しげな、疑いの籠もったものに変わる。
みんなが私を責めるような雰囲気になった。当たり前だ。私は嘘をついてここにいるのである。そしてその事を突然申し訳なく思った。そして勝手に口が開く。
「ユーゴ様は亡くなってなんていない。生きて自分に課せられた任務を今も頑張ってこなしている。そして私をちゃんと待ってくれている。ごめん」
「ルミナ!!」
イヴァンナが私を叱咤するような声を出した。私は隠しきれない自分の弱さを恥じた。そして、今まで何処かお気楽に楽しんでこの任務についていた自分も恥じた。
ハレムは楽園なんかじゃない。みんな何かを背負い、もがきながら生きている場所なのだ。その事に今まで全然気づく事が出来なかった自分を私はとても愚かな人間だと思った。
「ほらやっぱり。おかしいと思ったのよ。この子はねジルリーアを餌にユーゴ様を誑かしたの。それで今度はカディル殿下を誑かしてここにいるんだわ」
「へーそうなんだ。純情そうに見えるのに、あんたやるじゃん」
ギュナナが隣に座る私の肩を後ろに強く押した。その勢いで私床に肘を付いて仰向けに倒れかかる。
「ルミナ、大丈夫?シンシア、もう口を閉じたらどう?あんただってこの子に相当酷い事を、しかも一家揃ってやっていたじゃない」
イヴァンナが倒れかけた私に背後から駆け寄ってくれた。そして力が抜け放心状態になっている私の体を支えてくれる。
「よく言うわ。みんな良く聞いて。この女は帝国のスパイなのよ。私の母国であるベルンハルト王国と対立していて、それで私のお父様を殺した帝国のスパイ。そんな女がルミナと行動を共にしてるって事は、ルミナは帝国にもいい顔をしてるってことよね?ホント、最低ね」
シンシアが立ち上がり、私の前に立ちはだかった。その顔には明らかに憎悪と蔑みといった負の感情が浮かんでいる。私は初めて見るシンシアの隠された冷酷な部分がむき出しにされ、それを受け恐怖を覚えた。
「どういうことなの?壮大過ぎてちょっとついていけないんだけど」
「確かに帝国はアルカディアナ大陸を落とそうとしているって話ですけれど」
ベルンハルトでの事を知らないギュナナとレイラは戸惑いの声をあげている。
「この子はね、神の使いエルフの子孫なんだって。だからみんなが、世界中が血眼になってルミナの力を欲してる。そしてそれを利用してこの女は自分に都合のいい世界にしようとしてるってこと。ふふ、このまま行けばルミナ、あなたは歴史に名を刻む悪女になれるんじゃない?」
シンシアは私を痛烈に、これでもかと批判した言葉を発する。
「そうなの?ははは。うける。一番純情そうに見えて、あんたが一番狂ってるとか。もしかしてカディル殿下も魔法で魅了して?」
「そうかもね。エルフの血って馬鹿に出来ないらしいから。きっと魅了魔法なんて簡単にできちゃうのよ」
「シンシア様の言うことは本当なんですか、ルミナ様?」
レイラが発したシンプルな問いかけ。その答えを聞こうとみんなの視線が私に集まる。
だけど色々な事が一気に起こって、私には咄嗟にここで発するべき正解の言葉が浮かばない。
それに私が嘘をついていた事を自らバラしてしまったせいで、きっと何を言っても信じて貰えないだろうなという諦めの気持ちが今一番私の心を占めている。それでも否定すべきだと何とか私は口を開く。
「ちが……」
「最低な女。悪魔のエルフ。お父様が亡くなったのだって、お母様と離れ離れにさせられたのだって、それに戦争だってみんなあんたのせい」
勇気を振り絞って違うと言いかけた私の言葉を遮り、シンシアが私に怒りの塊をぶつけてくる。そしてそのまま私の胸ぐらを掴んだ。
「ちょっと、やめなさいよ」
咄嗟に私に手を伸ばしたイヴァンナ。だけどそれは間に合わず、私はシンシアに両頬を叩かれた。突然の事で、驚きの方が大きくて防御出来なかった私はされるがまま、何度もシンシアに頬を打たれた。血の味が口の中に広がり、私は段々と痛みを感じなくなる。
「ちょっと離しなさいってば」
「やめないよ。あんた帝国人なの?」
「あたしの住んでた国、帝国にやられたんだよね」
イヴァンナが誰かに取り押さえられたのが何となく私にはわかった。これだけの人がいれば、きっと帝国と関わりのある人もいるかも知れないという事実に私は今更思い当たる。
「あんたなんか死ねばいいのよ。大嫌い」
私への憎しみを隠そうとしないシンシアの顔が悪魔のように私には映った。そして私はお腹に鈍い痛みを感じ、それから体が引き裂けるような痛みを感じ、成すすべもなく視界が黒い幕で覆われたのであった。




