009 私は逃げる
青ざめた私を見てなんとなく美人なエリートさんは、まるで餌を見つけた蛇のように目を細めそれから口元を緩めた。
「もし、あなたがユーゴの妻だというのが事実であれば、ユーゴはこの国の為に、自分を犠牲にこんな結婚だなんて馬鹿げた事をしたのよ。それに、前回の戦い、第二次帝国大戦でユーゴは心に深い傷を負っている事をあなたは知ってここにいるの?」
「えっ、知りません……」
「公にはされていないけれど、バルトシーク中将の死にユーゴが関わっているって噂があるの」
「お父様の死にユーゴ様が」
先程より更に重い衝撃を私は受ける。そんなの知らなかったし、何となく出来れば知りたくなかった。私の推しへの想いは、そういう複雑なしがらみとは関係なく真っ直ぐ向けていたかったから。
「その噂が本当ならあなたが側にいる限り、自分のせいで命を失ったバルトシーク中将をユーゴは永遠に思い出す事になるでしょうね。あぁ、もしかしたら常に自分を責め続ける為にあなたと婚姻を結んだのかも知れないわ。そんなの誰が見たって罰でしかないと思わない?」
「確かに、そうかも、知れませんけど……」
初対面のくせに、やけに突っかかるような言い方が気に食わないし、色々と美人なエリートさんが口にする話は気になる。けれど、それら全てが事実だとすれば、私はユーゴ様にとって罪の意識を具現化したような存在である事は間違いないだろう。
そしてきっと誰よりも真面目で努力家なユーゴ様はその罪を償おうとして、私と結婚なんて馬鹿な真似を勝手にしたという考察もあながち間違ってはいなそうである……でも待って。
「えっと、結婚って親の同意がないと出来ないですよね?」
それはつまり、ユーゴ様と私の結婚はテオドル様がまだ存命している時に交わされた契約だという事を意味するのではないだろうか。
「もしかしたら、バルトシーク中将が亡くなる寸前、あなたの事をユーゴにお願いしたのかも知れないわ。だとしてもそれはあまり良い事ではないと思うけど」
美人なエリートさんにそう言い切られて、私は何も言えなくなった。そもそも私とユーゴ様が結婚している。その事実すら信じられないのに、ジルリーア王国だとか人質だとか、さらにはテオドル様の死にユーゴ様が関係しているだなんて、もはや何が何でも私をユーゴ様に近づけない為の陰謀が働いているとしか思えないくらいの状況だ。もう意味がわからない。
「現在もまだルブラン帝国とは休戦状態。そしてユーゴはこの国に必要な魔法使いよ。それはわかるでしょう?」
「はい」
私は全力で頷く。魔法学校でユーゴ様の凄さは目の当たりにしたし、どれだけ凄い魔法使いなのかはテオドル様からも沢山聞いた。現に飛び級で卒業させられて前線に送られた事からもユーゴ様が優秀な魔法使いである事は疑い様がない。
さっきから私に敵意をむき出しといった様子で、何処と無く感じの悪い美人なエリートさん。だけどユーゴ様が特別優秀な魔法使い。その意見にだけは完全同意である。
「彼はあなたを見る度、バルトシーク中将を救えなかったと罪の意識に苛まれる。それでもし魔法を使えなくなったら、この国はどうなると思う?」
私はハッと息をのむ。
「そ、それは、もっと沢山の人が戦争の犠牲に……なります」
確実にそうなる。ユーゴ様の繰り出す美しい補助魔法はエドヴァルド様やフロリアン様が的確に敵に対し魔法攻撃を当てる為には必要だ。それは魔法学校で同じポジション。地属性の魔法を専攻していた私だからよく分かる。補助に特化した地属性は目立たないけれど絶対に必要な職なのである。
「だったら、あなたがすべき事はわかるわよね?」
考え込んでいた私に美人なエリートさんが畳み掛けるような言葉をかける。
「それに、私はユーゴの……」
「ユーゴ様の?」
私は美人なエリートさんの口から一体次はどんな爆弾が飛び出すのだろうかと、不安な顔を向ける。美人なエリートさんは視線が宙をさまよい何かを必死に考えているように見える。
「……婚約者なの。うん、そう。私はユーゴの婚約者なのよ」
「えっ、まさかの重婚!?」
まさかそうきたか!!と私は驚きが隠せない。
それにユーゴ様に許嫁がいただなんて全くの初耳だ。けれどユーゴ様は国王陛下の弟であるフランク殿下の三男坊でリヒデンベルク公爵家の人間だ。つまり現国王陛下の甥なわけで、身分的に生まれた瞬間から婚約者がいてもおかしくはない。
しかも、目の前の美人なエリートさんは先程からやたらユーゴ様の事情にまるで保護者ですかと指摘したくなほど詳しい。となると婚約者だというのはあながち間違ってはいないかも知れないと私はがっかりして俯いた。
「ユーゴがあなたと結婚した。それが事実なら大問題。でもユーゴは優しいから自分を責め続ける為にあなたと結婚した。それは一時の気の迷いだと思うから、これからも私は彼を傍で支えていくつもり」
「気の迷いですか……」
「私は今回のようにユーゴがどんな愚かな選択をしても彼を許す。それにあなたと結婚してるだなんて誰も知らないもの。そうだ、あなたは誰かに揶揄われたんじゃない?」
「でも、身上書に。あ、いえ。そうですね。もし本当だとしてもユーゴ様を縛り付けるなんて駄目ですね」
私は反論を口にしかけて、すぐに思い留まる。
だってユーゴ様は国の宝だから。それに私のように、家族を亡くして悲しむ人が増えるのはやっぱり嫌だと思ったからだ。
「ということで、あなたは私と来るしかないってこと」
美人なエリートさんはそう言い切ると私の腕を引っ張った。
「おい、エリン。何してるんだ?ユーゴはいないのか?」
この声は間違いない、エドヴァルド様だ。私は咄嗟に何かにつけてエドヴァルド様を持ち出すローザの事、そして趣味友メイド、リンダの事を思い出した。
「また、ユーゴに近づく恐れ知らずな子に忠告ですか?エリンも暇ですねぇ」
今度はフロレリア様の声まで聞こえてきた。フロリアン様といえばメガネクイッ。メガネクイッといえば、レティ。
私はそう言えば親友二人に何も言わず、相談せず今まで過ごし、ここまで来てしまった事に気づいた。そして、二度と魔法学校に戻れない事に今更気づいて、何だかとても悲しい気持ちが込み上げて泣きそうになった。
「ま、そんなとこ。ユーゴの事を思うなら、ね?あなたは諦めたほうがいいわ。それにあなたには他にもやるべき事があるんだから」
美人なエリート様は有無を言わさぬ勢い。逃すまいといった様子で私の肩を掴んだ。そして、エドヴァルド様とフロリアン様が現れたのと反対方向に私の背中を押し出したのである。
「ユーゴを不幸にしたくないでしょう?」
ダメ押しとでも言うのだろうか。何だかうまく言いくるめられような気がしてモヤモヤとする。けれど、魔法部でしかも人気のある魔法使いの登場に私の心は動揺しまくり、正常な判断はできそうもない。となると逃げるが勝ち。私は言われるがまま一先ずこの場を立ち去ろうと足を進める。
「おい、うるさいな。人の部屋のドアの前で騒ぐな」
突然横のドアが開いて、私はユーゴ様の声とそれからやっぱり寝不足気味で目の下に隈をつくる不機嫌な顔とバッチリ目があってしまった。
「あ、本物……」
推し魔法使いの登場に私はつい足を止め、その姿に見入ってしまった。本物だ。ミントの香りがするし、やっぱり鋭い目つきに、目の下の隈が格好いい。大変だ、本物だ。緊急事態だ、そして尊いが爆発だ。
「ん?君のその髪色……確か……」
ユーゴ様は私の顔を凝視し、考え込む素振りを見せた。それから私の銀色の髪の毛を見てハッとした顔になり、そしてとても傷ついた顔になって私から視線を逸らし俯いた。
「ほら、エドとリアンが話しがあるって。中に入れてあげて。じゃ」
美人なエリート様が私をグイッと引っ張る。
「いや、僕はこの子と話が」
「し、失礼しました」
私は頭を下げ、その場から一刻も早く立ち去ろうと美人なエリート様の手を全力で振り切り走り出す。鍛冶場の馬鹿力の出番だ。
「あ、待て!!」
ユーゴ様の声がして、シュルシュルと馴染みある音が私の背後に迫ってくる。本心としてはユーゴ様が繰り出す魔法の蔦に一度でいいから絡まれて見たい気持ちはある。けれど今は無理。何故ならさっき、ユーゴ様は私を見てとても悲痛な顔をしていた。その姿を目の当たりにして私は尊さのあまり呼吸困難になりながらも理解した。
美人なエリートさんの言う通り、私はユーゴ様を苦しませる存在なのだ。そして私はやっぱりユーゴ様が大好き。だからユーゴ様を煩わす存在にはなりたくない。
それに、やっぱり尊すぎる。あんな近くで声を聞けただけでも、全身に鳥肌が立った。死にそうだった。だから毎日顔を合わせるなんて無理。朝起きて目覚めたら隣にユーゴ様が寝ているとか即死出来るし、名前なんて呼ばれたら恥ずかしくてやっぱり即死できる。
だから私は迫り来る蔦に対し、持ちうる限り全力の魔力を使い、自分に防御壁を貼り、ダミーの泥人形を召喚し、それから竜巻を起こし、ユーゴ様の蔦を風で巻き上げた。そして目の前に迫る壁に空気砲をぶつけ、穴をあけた。ついでに自分に浮遊魔法をかけ、自分の作った出来たての穴から迷わず外に飛び降りた。
「な、何だ?凄いテクニカルな感じで魔法を繰り出してるぞ」
「ユーゴのファンにしては過激派ですね」
背後からそんな声が聞こえ、チラリと振り向くとエドヴァルド様とフロリアン様がこちらを壁に空いた穴から見ていた。
「おい、ちょっと待ってくれ!!」
「ユーゴ、落ち着きなさいってば」
美人なエリート様に抱きつかれたユーゴ様は「待て」と口にしながらも怒った顔を私に向けている。
軍の警報がけたたましく鳴り響き、バタバタと人が走り回る音がする。勝手に魔法を炸裂させた上に、壁に穴を空けたので敵襲だと勘違いされたのかも知れない。私は前を向くと全速力で屋根伝いに空中を駆け抜ける。
ごめんなさい。開けた穴についてはそのうち必ず弁償します。だけど今は無理なんです。許して下さい。そして「ユーゴ様、あなたはやっぱり素敵ですね」と私はだらしなく微笑みながら、全力で軍の施設から逃げ出したのであった。