078 眠れる森の山賊王子様
私の頬をガサガサとした手が撫でている。一体誰だ?そう不審に思い目を開けるとそこにはいた。
「で、でたな、山賊!!私は人妻よッ!!」
私は大きな葉っぱで作った布団を払い除け、山賊から距離を取る。そして腰にぶら下げた杖を山賊に向けた。
「君は変わらずだ。けど、確かにこれはないな……」
山賊は自分の頬や顎を撫で幻滅したような声を出している。
「何故ユーゴ様の声で!?」
ユーゴ様の声!?と私はハッとする。そして一気に目覚めたばかりの寝ぼけた頭が覚醒する。私はカッと目を見開き、山賊もといユーゴ様を見つめる。
「ユーゴ様?」
「うん。あんまり記憶がないんだけど、状況的に君がずっと看病してくれていたんだよね?」
「これは私が見たい幻?」
「えーと、僕は君の夫のユーゴ・ラージュだって記憶があるんだけど。取り敢えず、夢から覚める為に頬をつねってみたら?」
私はその言葉に従い自分の頬をつねった。とても痛かった。
「う、う、うわーーん。ユーゴ様」
私はユーゴ様がようやく目覚めた、喋ってくれたと感極まってその場で大泣きしてしまった。
「あぁ、ハンカチがないや」
「ユーゴ様だ……うっ、うわーーん」
いつも通り、慣れた感じでハンカチを探す素振りをしているユーゴ様を見て私はなお確信した。あれは山賊みたいに髭が伸びているけれど、私の最推しユーゴ様だ。
その事に気付いた私はユーゴ様に向かってイノシシの如く突進し抱きついた。
「うわっ」
ユーゴ様は私による渾身の突進を受けその場で私を上に乗せたまま後ろに倒れた。
いけない、病み上がりなのだ。だけど、嬉しい。離れがたい。大好き。そんな今まで堪えていた感情が一気に爆発する。
「何か植物に包まれて蒸し焼きにされていた夢を見ていた気がする。でもありがとう、ルミナ」
「うぅ、ユーゴ様が臭い。だけど尊い」
臭くても私の名を口にするユーゴ様からは離れがたく。
「臭い!?あ、確かに僕は相当臭いな。ちょっと水浴びさせてもらっていいだろうか?」
「……そうですね。冷静に考えて、だいぶ臭いですしね」
私は渋々、いや今回ばかりはかなり積極的にユーゴ様から離れた。そしてユーゴ様に着替えといい香りのする石鹸を手渡した。
「念の為に言っておくけど、覗くなよ。覗いたら金輪際……とにかく覗くなよ」
「はい、こっそりにします」
「変態だな」
「嬉しいです」
「……水浴びしてくる」
いつものようにユーゴ様の口から「変態」という言葉が飛び出し私は嬉しくて頬が緩んでしまう。変態という言葉を告げられた人の中で私が今一番幸せだ。
★★★
「――というわけで、山賊だと勘違いして現在に至るというわけです」
水浴びをし、髭を剃ったユーゴ様。伸びた髪は私がいつも髪の毛を編んでいる若草色のリボンで後ろを軽くまとめた。今まで着ていた服を脱ぎ捨てジスランが持たせてくれた旅装、黒いローブに白いシャツとズボンに着替えた。すっかり小奇麗になったユーゴ様は控えめに言って最高だ。
「そっか、君には迷惑をかけっぱなしだったんだな」
「そんなの全然平気ですよ。だって私達は夫婦ですから。むふふ」
「……ありがとう。君が適応能力の高い妻で助かったよ」
「へへへ」
私の頬は緩みっぱなしだ。ユーゴ様がちゃんと目を覚ましてくれたこと。元通り綺麗になったこと。そして何より嬉しいのは会話が出来る事だ。
「生きていても駄目でした」
「えっ?」
「生きていても、ちゃんとお話が出来ないと、つまらなかったし、寂しかったし。だからこうしてユーゴ様とお話が出来るのが私は嬉しいです」
私は今まで独り言しか出来なかった反動で饒舌になり、本音を口にする。
「僕も君とこうしてもう一度、話が出来て嬉しいよ」
ユーゴ様はポチャンと二人並んで足を入れた湖水に小石を投げ込んだ。現在私達はあまりの蒸し暑さに堪らず足を水に浸し涼を取っているのだ。
「それでユーゴ様は何で魔法を使っていたんですか?」
私は今まで解けなかった謎を口にする。ユーゴ様が魔力欠乏症に陥った原因だ。
「君の青汁キャンディー。あれで魔力回復が出来ると気付いた僕はコレでエド達と連絡を取り合っていたんだ」
ユーゴ様はそう言ってシャツの内側から首に下げたネックレスを取り出した。若草色の魔石がドロップ型になったペンダントヘッドのついたネックレスだ。
「あ、それ。私も持ってます」
私も襟元からそのペンダントを手繰り寄せユーゴ様に見せる。以前アーチが行方不明になったと大騒ぎした時にクロード先生扮するユーゴ様から渡されたネックレスだ。そしてユーゴ様とお揃いのネックレス。だから私は肌見離さずいつも身に付けている。
「うん。僕が研究してた小型通信装置の魔道具なんだけど、君の他にエドとリアンにも協力してもらっていて、彼らも同じ物を持っているんだ」
何だ私だけじゃなかったのかと少しだけ残念な気持ちになる。
「だからユーゴ様はベルンハルトの情報に詳しかったんですね。叔母様の事とか」
今思えば確かにドロテア様の事を全く知らない帝国の人間がする噂話で、ピタリとその人物をドロテア様だと言い当てるだなんて出来すぎている。
「そうだね。君に告げておかなかったのは悪いと思ってる」
「そのせいで、無理をして瀕死になりましたからね」
「うん、ごめん。反省してる」
しょんぼりと肩を落とすユーゴ様。その姿が濡れた子犬のようでとてもキュンとした。だから私はユーゴ様を全力で許す事にする。
「もう二度と秘密はなしですよ?」
「うん」
「ところで青汁キャンディーは美味しかったですか?」
「え?突然どうしたの?」
「お得意様の本音が聞きたくて」
ユーゴ様にはそうもっともらしく説明した。けれど本当はユーゴ様の味覚不全を私は密かに疑っている。記念すべき第一試作品の青汁キャンディーは今思えば相当まずい、苦い味だったからだ。
「あーなるほど。そうだねとても美味しかったよ」
「忖度なしで?」
「勿論」
「ユーゴ様の妻という贔屓なしで?」
私は本音を探ろうと横に並ぶユーゴ様の顔を覗き込む。うっ、格好いい。
「あ、普通に言えてる」
「え?」
ユーゴ様が私の顔を見てニコリと微笑んだ。
「僕の妻ってところ」
「あ、ホントだ」
「怪我の功名ってやつかな。だいぶ僕に慣れてくれたみたいだ」
「そりゃ、まぁ。数え切れないくらい、私の手ずから青汁をユーゴ様に飲ませましたし」
それに大きな声では言えないけれど、毎日拭ける所はちゃんと清拭しましたし。というか、推しだとか尊いだとかそんな事を呑気に口に出来る余裕がなかったというのが実情だ。
熱心なファン活動は平和だから出来る。私はユーゴ様に妻という言葉を自然と発する事が出来た事を指摘され、初めてそう気付いた。
「ほんと、君には頭が上がらないな」
「だったら、その気持ちを態度で示してくれて全然いいですよ?」
「感謝の気持……確かにそうだな」
ユーゴ様は私が冗談で口にした事を真剣に考え始めてしまった。真面目さも変わらず健在のようである。
「あいにく僕は君の大好きな金を現在所持していない。すまない」
「あー、それならジスラン様に借金をしたので大丈夫です」
申し訳なさそうな顔を私に向けるユーゴ様に私はお金持ちだと伝えておく。
というか、お金が大好き。そんな守銭奴みたいな人間だと思われていた事にややショックを受けなくもない。でもまぁ確かにゆとりある生活をする為にお金は大事。私はわりと現実的なのである。
「そっか。彼にも僕の身体を診察してもらったり、君と僕の逃亡の手伝いをさせてしまったり、ずっと世話になりっぱなしだ。何だか申し訳ないな」
ユーゴ様は眉毛をハの字にしてうつむいてしまった。
「大丈夫ですよ。そんなに気にしなくても。私の家族ですから。つまりそれはユーゴ様の家族でもあるって事ですから」
「でも、家族だからこそちゃんと何かお礼はしておかないとだよ」
「だったら、私達で平和な世の中になるよう頑張りましょう」
「そうだな。それが何よりの恩返しか」
私はユーゴ様の言葉に笑顔で頷く。
以前は次に会ったら許さない。そう口にするほどユーゴ様はジスラン様を恨んでいた。
けれど、その気持は状況が判明する事により、だいぶ緩和されたようだ。
私としては、自分の家族なので出来れば仲良くして欲しい。だから敢えてそのこと。ユーゴ様の心の内には触れないでおいている。
「それでこれからどうします?」
「僕もナディール大陸は一度だけ、フムニア王国の王都にいる魔道具研究仲間を訪れた事があるだけだ。だからあまり詳しくはない。だけどその時の知り合いに顔を出すってのもな。なんせ僕は指名手配中だし。彼に迷惑をかける訳にはいかない」
「あー確かにそうですね」
「とりあえず、ナディール大陸のフムニア王国を目指そうか。この大陸で一番大きな国だし。時間はかかるかもしれないけど、そこからアルカディアナ大陸に船が出てるから」
「あ、ヒポグリフのユーゴ様に頼めばいいのかも」
「え?」
「実は私、どうも本当に魔王らしくて――」
私はさっきここまでの道のりを説明する時「ヒポグリフにユーゴ様を縛り付けて」とサラッと流した部分を詳しく説明した。
ついでにヒポグリフにユーゴ様と名前をつけた事を知らせると「それは流石にどうかな?」とかなり引かれた。だから本当はユニコーンもガーゴイルも、魔物は全部一括りにユーゴ様と名付けた事までは口に出来なかった。
「とりあえずここからヒポグリフでアルカディアナ大陸に行くのは可哀想だよ。それにここナディール大陸に魔物は生息していない。だからヒポグリフに騎乗して移動したら目立ち過ぎるだろうな」
ユーゴ様は私にそう訴えてきた。その言葉を受け、確かにそうだなと納得する。
私はユーゴ様を助けようと戦艦から逃亡しようとした時、あまりに必死で深く考えていなかった。けれどよくよく考えたらヒポグリフはアルカディアナ大陸に生息する魔物だ。というか魔物という存在自体魔力が豊富なアルカディアナ大陸にしか生息してない。つまりユーゴ様の言う通り。むしろ魔物を引き連れてフムニア王国を目指した場合、冗談抜きで私は魔王だと疑われる恐れがある。それは危険だ。
「緊急な時以外は魔物の力を借りるのは控えよう」
私はきっぱりとそう言いきったユーゴ様に大きく頷いた。
あの時は緊急事態だったから仕方なく魔物の力を借りた。けれど今回はきちんとした経路と手段で何とかフムニア王国の首都へ行こうと決まった。
「今までは君に任せっきりだったけど、今度は僕もいる。だからきっと大丈夫だよ」
ユーゴ様は私と、そして自分に言い聞かせるようにそう口にしたのであった。
★★★
その日の夜。私はユーゴ様と並んで葉っぱの寝床で横になった。
「そう言えば、君へのお礼なんだけど」
「あ、いつでもいいですよ。だってこうして隣で並んで寝られるだけでもうご褒美だし」
「うーん。だけどそれじゃなんか申し訳ないっていうか」
「全然嬉しいですってば。ふわぁぁ。ユーゴ様覚醒したから眠くないんですか?」
私はユーゴ様の美しく凛々しい顔をぼんやりと見つめる。いつまでもこのまま眺めていたい。だけど眠気が急激に私を襲い、ともすると瞼が下りてくる。
「そうだね、疲れてるけど、君の青汁キャンディーのお陰かわりと元気みたいだ」
「私もユーゴ様ともっとお話したいけど、だけど目が……」
「いいよ、君は寝なさい」
「だけど、でも折角ユーゴ様と寝る前のお喋りが」
「僕はどこにもいかないし」
「でも……」
私の心はいつだってユーゴ様を全力で求めている。だからもっと話をしたいと思うのに、自然に瞼が下りてきて開かなくなった。どうやらユーゴ様が目覚めホッとした事もあって、一気に疲れが私を襲ってきているようだ。
「君は僕なんかよりずっと強い人だ、尊敬してる」
ユーゴ様のそんな私をべた褒めする声がぼんやりと耳に入り、それから私の頬にかかる髪をユーゴ様が上げる気配がした。それから大きな手で何となく頬を包まれて、心地いいしとても安心するなと私は思った。
「本当にありがとう。感謝してる」
ユーゴ様の甘い声が耳に届き、それから私はいい匂いのするユーゴ様に包まれた。そして額になんとなく柔らかい感触を感じ、そして私はとても幸せな気持ちで暗闇に全力で飲み込まれたのであった。




