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061 イヴァンナ・リシェコフの激白

 クロヴィス陛下の命令によりホールに入ってきた人物は一斉に向けられる視線に動じる事なく、真っ直ぐ前を向いていた。


「エリン様……」


 まるで犯罪者のように後ろ手に縛られているエリン様。着ている服は馴染みの魔法部の黒いローブではない。生成りの囚人服だ。その姿を目にし私はショックを受ける。


 いや、確かに彼女にはユーゴ様の研究レポートを盗んだ疑惑もあるし、私に散々嫉妬の炎を燃やし、意地悪な言葉をかけた。さらに言えばルゥちゃんの子供の苗を盗もうとした悪役極まりない令嬢だ。


「だけどユーゴ様が好きだっただけだよね?」


 私の中でエリン様は恋心を拗らせた人。そういう認識だ。

 恋をすると誰にも渡したくはないし、常に自分を見て欲しいと欲張りになる。それは誰にでも起こりうる感情で、エリン様はその気持を拗らせてしまっただけなのだと私は思っていた。その結果、聴衆の前でこんな風に晒されるのだとしたら、私の知らない所でエリン様は他にも何か悪事を働いていたと言う事だろうか。


「大丈夫か?」


 ユーゴ様がよろめく私の肩を抱え込むようにして支えてくれる。


「ありがとうございます。何だか色々と混乱しています」

「そうだな。君には何も知らせていなかったから。だけど不正は正さなければならない。それが人の命に関わることならば特に厳しく」

「叔父様もエリン様も、ルゥちゃんの件の他にもっと酷いことをしていたという事ですか?」

「そうだ」

「一体彼女は何をしたんですか?」

「僕達からとても大事な人を奪ったんだ」

「それは一体――」


 私の言葉はライナル様の声でかき消される。


「お静かに!!陛下がお話なりますので皆様、落ち着いて下さい」


 到底落ち着く事なんて出来ない。けれど私が騒ぎ立てた所で意味がない。アダム様の件の当事者は私である。しかし今の主役はクロヴィス陛下だ。陛下がこの場をどう収めるつもりなのか、私はそれを見届ける為静かに口を噤む。


「軍関係者の中では彼女と顔馴染みの者もいるであろう。彼女は先日まで我がベルンハルト王国軍魔法部第一部隊で庶務をしていた、エリン・ギブソン=グレネルだとされていた者だ」


 されていた者?一体どういう事なのだろうと私は周囲が同じ様にざわめく中、ユーゴ様の顔を見上げた。けれどユーゴ様は鋭い視線をエリン様に向けている。とてもじゃないけれど話しかけていい雰囲気ではなかった。


「彼女の本当の名前は、イヴァンナ・リシェコフ。ルブラン帝国の軍人だ。我が国のグレネル伯爵の養女として登録されている。しかしそれは巧みに仕組まれた策であり、彼女は帝国側のスパイだという事がこちらの調べで判明している」


 クロヴィス殿下の言葉に私は素直に驚き言葉が出ない。

 スパイって、それは物語の中の話であって、本当に存在するものなの!?という驚き。同時に「あぁ、だからルゥちゃんの子供の苗を奪ったのか」と納得する気持ちが沸き起こる。


「そんな訳ないわ!!」


 張り裂くような高い声がホールに響く。シンシアだ。


「シンシア、黙りなさい」

「でもお父様、エリンは帝国のスパイなんかじゃないわ。だってあの子がスパイだったら私……私が協力した全てがこの国を裏切る行為だって事になっちゃう。そんなの、そんなことって!!」


 青ざめた顔でその場でフラリと体の力を抜いて倒れ込むシンシア。彼女の事は正直あまり好きではない。ユーゴ様に色目を使ったからだ。それから土下座もさせられた。けれどシンシアにされた事はそれくらい。しかも今、取り乱しながらも必死に発した言葉からも察するに、シンシアはエリン様改め、イヴァンナの正体に全く気付いていなかったようだ。


「愚かな女は嫌い。早く私の前から消して下さる?」


 いつもよりずっと低い声でイヴァンナが小馬鹿にしたような言葉を吐いた。私が二人の密会を目撃した時とは大違いだ。あの時は仲睦まじくさえ感じていたが、今は軽蔑するような眼差しをイヴァンナはシンシアに向けている。


「そっか、彼女はエリン様じゃない。イヴァンナというスパイ」


 情報を得る為に他人に成り切る。だからエリン様は実在するけれど架空の人物でもあるのだ。私は態度を急変させてこの場に立つイヴァンナの姿を見てその事に気付いた。


「シンシア、しっかりなさい」


 ドロテア様に付き添われ、倒れ込んだシンシアが衛兵によって部屋の隅に運ばれる。


「自分がした事の意味を受け止めるでもなく、気絶すれば何でも許されると思っているのかしら。これだから箱入り娘は嫌よ」

「陛下が発言を許可するまで君は黙っていなさい」


 ライナル様がイヴァンナをたしなめる。


「うるさいな。どうせあんた達の国で行われている悪事を暴きたくて、私をこんな場所に連れ出したんでしょ?だったらさっさと喋らせてくれない?」


 イヴァンナは苛々とした様子でクロヴィス陛下を睨みつけた。


「いいだろう。君がアダム・バルトシークと共に行った悪事をここで話すがいい」


 クロヴィス陛下は余裕ある表情でそうイヴァンナに告げた。そして顔を支えるように肘掛けに肘を立て、ゆっくりと足を組み高みの見物とばかり、イヴァンナを見下ろしている。


「ベルンハルト王国の紳士淑女の皆様ごきげんよう。私はルブラン帝国軍諜報部第一班、イヴァンナ・リシェコフと申しますわ。私の悪事……そうね、あなた達からみたら私は悪。だけど私は私の信じる正義の為にこの任務についているの」

「いいから、早く要点を述べなさい。君はあそこにいる男。バルトシーク伯爵経由でルブランに情報を流していた。間違いないな」


 陛下の代わりにライナル様がお喋りなイヴァンナを(とが)め要点を口にした。


「この国の人間は冷たいわね。どうせ全部喋り終わったら見せしめの為に私をここで処刑するんでしょう?だったら最後くらい好きなように話をさせなさいよ」


 イヴァンナは忌々しいと言った顔を私達に向けた。それからまるで死人のように顔を青くし小さくなるアダム様を集団の中から見つけると、とても嬉しそうに生き生きとした表情に変わった。


「あんたたちって寄ってたかって悪趣味ね。でも、あいつは相当性根(しょうね)が腐った愚かな男には違いないわ。私だったら即刻首を跳ねるレベルで」

「な、何を言い出すんだ。私はそんな女は知らない!!」


 アダム様は慌てた様子でそう口にしたが、顔色の悪さが既にその罪を暴いている。あれはやましい事がある人の顔だ。


「あら、あんなに仲良くしてたじゃない。自分が伯爵になりたいからって、私が入手した機密情報を調べ上げる手伝いをしてくれたわよね?」

「そんな事はしていないし、した記憶もない」


 あくまでもシラを切るアダム様。図々しさと諦めの悪さは一級品だ。


「ふうん。往生際が悪い男ね。あなたが軍の幹部達が密会する場所を教えてくれたから、随分と帝国側に有益な情報を私は入手できたのだけど」


 イヴァンナの吐き出した言葉に驚く声が上がる。


「どういうこと?」

「あいつは帝国のスパイなのか?」

「だとしたら、バルトシーク少尉は帝国の味方だという事か?」

「まさかそんな……」


 そんな戸惑いの声を聞きながら私はアダム様以上に身が縮こまる思いに駆られる。アダム様は私の事を他人だと口にした。けれど私にとってみれば、決して好ましい相手ではないけれどお父様の弟。そのせいか全くの他人だとすぐに気持ちを割り切る事が出来ない。自分でもこんな気持になるなんてと私は激しく動揺した。


「彼は軍に所属している。けれど、無能な男のレッテルを貼られていた。だから雑用をやらされていた。あなた達だってそういう扱いをしていたと、思い当たる節があるでしょう?」


 イヴァンナの言葉にあからさまに顔を逸らし、動揺する軍服の集団がいた。アダム様の件で思い当たる節がある集団だろう。


「ふふ。恥じる事はないわ。あなた達がバルトシーク少尉を放置してくれていたお陰で、私にとってみれば彼はとても都合の良い人材だったのだから」

「雑用係が一体どうやって帝国のスパイである君の役に立てるんだ?そりゃ確かに雑用だって大事な仕事ではあるが……」


 聴衆の中から困惑したような声があがる。


「雑用係ってみんな馬鹿にしがちよね。だけど利用する方としては、本当に便利なのよ?だってどこに出入りしたって、魔石灯の魔石を取り替えていますって言えば、誰も彼を疑わないんですもの」


 なるほどと私はつい感心してしまった。無能だとレッテルを貼られているからこそ、誰も気にしない。だからアダム様が機密情報を盗み見しようとしているだなんて誰も疑いもしないのだ。


「私はバルトシーク少尉に軍の重要人物が提出した経費の領収書を探らせた。お店の名前に値段に日付。それらがわかれば後は簡単。店を監視してターゲットが現れたら侵入し、話を盗み聞きすればいいんだもの」

「しかし、そういう店は防音魔法がかけられている筈だ」


 軍服の男性がイヴァンナに異論を唱えた。確かに高級料理店の中には防音魔法が完備されている事を謳い文句にし、プライバシーが守られる事を積極的にアピールしている店も多い。


「ふふふ。あなた達って平和ボケしすぎだし、呆れるくらい魔法を信じ過ぎなのよ。何処にだって愚かな人間はいる。そして色仕掛けでも、金を積むといった方法でも、博打で大損をさせるでも。人間を簡単に操る方法は魔法が使えなくたっていくらでもあるのよ。やだやだ、魔力のせいで脳が退化しちゃったのかしら」


 イヴァンナは私達全員を小馬鹿したような言葉を吐いた。

 私はイヴァンナの口から飛び出した「博打で大損」という言葉を聞いて、それはアダム様の事を指しているとすぐに理解した。

 確か以前、ユーゴ様も『アダムは賭博で負けが続き、金銭的に困りルブラン帝国に我が国の情報を流している』と口にしていた事を思い出したからだ。


「魔力すら操れない帝国の犬が私達を馬鹿にするだなんておかしな話があってたまるか」

「そうだ。バルトシーク伯爵の事はともかく、アルカディアナ大陸は二回に渡る帝国との大戦で勝利を収めているじゃないか!!」

「結果を見てみろ。機械では魔法に勝てない。それが証明された戦いだ」

「その(おご)った思いを今すぐ捨てないと必ずやこの国は滅ぶわよ。いつまでもあると思うな魔力と魔法ってね。ふふふ」


 アルフレッド殿下からラフレイシアについて聞いた私はイヴァンナの指摘を正しいと思わざるを得なかった。私達は魔法が当たり前に存在する世界で生きている。だからそれがいつまでも続くと思い込んでしまっている。だけどそんな事はない。ラフレイシアに寿命があるように、ジルリーアの王女だという私も寿命がある。その両方を失えば、生態系が崩れ、この大陸から魔力も魔法も失われる可能性があるのだ。

 その事に気付いた人は私だけではないようだ。私の周囲でも顔を顰める人や俯く人がいた。魔力を魔法を盲目に過信しすぎている。その事に思い当たる節があるからだろう。


「そう言えば、確か戦争の時も私は彼に手伝ってもらったわ。通信機器の部品調達会社。その入札にバルトシーク少尉が関わってくれたから、防御壁の交換時間の情報を傍受する事が出来たんだっけね。だとすると、同じ国の人間に無能扱いされているバルトシーク少尉に対して、私は心から感謝しなきゃかしら?」


 あははははとイヴァンナは高らかな笑い声を上げた。とても癪に触る笑い声だ。そしてこの瞬間、私にとっても、バルトシークという名にとっても一番最悪な事態が暴露されてしまったのである。

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