060 正義の味方、クロヴィス陛下
考えなければいけない事は山積みだ。けれど私だけ意識を残し時が止まってくれるなんて都合のいい魔法はない。
そんな訳で、本日私はユーゴ様と一緒にクロヴィス陛下主催の壮行会という名の夜会に出席している。帝国のものらしき船の目撃情報が相次ぎ、急遽開催される事が決められた壮行会。王城で開かれるそれは、軍関係者は勿論のこと、国内の貴族たちも集まり大盛り上がりを見せている。そんな中私は一人、とうとうユーゴ様が戦地に赴く日が近づいてきてしまったのだと実感し、とても複雑な心境で壮行会に参加している。
因みに今日の私は「ユーゴ様の凛々しさに釣り合うように!!」と張り切ったマノラによってユーゴ様の瞳の色に合わせられた若草色のドレスに身を包んでいる。
最近新しいドレスや普段着を作る場合、他の色を差し置いてひとまず若草色の生地を進められる。その結果私のクローゼットを開けると、まるで森の中かと見紛うほど見事に緑色のグラデーションで揃えられているのが密かな悩み。しかしこれはその色の瞳を持った妻の宿命だと、もはや他の色のドレスを着る事を私は諦めつつある。
夜会の前半戦。私はユーゴ様と共に挨拶周りに勤しむ。勿論疑惑の人物、フレデリック殿下にもユーゴ様と一緒に挨拶をした。
フレデリック殿下は私とユーゴ様が仲良く出席しているのを見てとても満足そうだった。
そして現在、私は最重要人物であるクロヴィス陛下による激励の挨拶をユーゴ様と横並びで聞いている所である。
「――先の戦いで命を失った者達。その仇を必ずこの戦いで打とうではないか」
クロヴィス陛下の渋い声がホールに響く。そして同時にパチパチパチパチと力強い拍手の音が鳴り響いた。
「先の戦いで我が国の、そしてこの大陸の為に命を失った者に対し、私は僅かばかりではあるが褒賞を出した。それで残された遺族の心が救えるとは思っていない」
クロヴィス陛下が口にした言葉に辺りがざわめく。というのもこれから戦いに行く。その士気を高める為の集まりである筈なのに、戦死後の補償の話をクロヴィス陛下が口にしたからだ。
ここに集まる軍人の家族は大事な人の出立を控え不安でしかない。その気持ちを隠し明るく振る舞っているだけ。それなのに「夫が死んでも補償はするから」だなんて、あんまりだと私も密かに穿った思いで陛下を見つめる。
「しかし国の為に散った命。その者を支えた家族に私が出来る事と言えばそのくらいである。悲しみを共有する者同士が肩を寄せ合い、故人の死を悲しむ時間を与える。そんな気持ちで褒賞を与えたのだが」
陛下の言葉に戸惑いながらも、静かに話に耳を傾ける。
「どうにもその恩給を私が指名した遺族から取り上げていた者がいると私は報告を受けた。誇り高きベルンハルト国民においてまさかとは思うが、思い当たる者はいるだろうか?」
私は陛下の言葉に目を丸くする。それから周囲の視線が一斉に一点を見つめた事に気づき、顔をそちらに向けた。
するとそこにはいた。顔を青ざめた感じで驚いた顔をしているアダム様が。
その脇にはワインレッドのドレスに身を包んだドロテア様と薄紫色のドレスに身を包んだシンシアもいた。
二人が袖を通しているのは、以前ヒポグリフレースで見たときとはまた違うドレス。あれもまたテオドル様の遺品である美術品などを売り払ったお金で購入したのだとしたら、許すまじである。
「ほほう。皆の視線は一点にバルトシークに向いているようだが。何か思い当たる節はあるのか?」
陛下の重低音ボイスがホールに響く。壮行会の筈なのに、どうしてアダム様の悪事を暴くような流れになったのか良くわからない。けれど私は内心「イケイケゴーゴーへ・い・か!!」と拳を上げ全力で応援する。
「し、失礼ですが陛下、確かに私は姪であるルミナに一定期間、恩給を渡しておりませんでした。しかしそれは手違いによるものでありまして」
「手違いとは?」
「ルミナは戦死した兄、テオドルの実の子ではありません。ですから陛下から恩給を頂いた時、家族にという事でしたので私が受け取りました。私と兄は血の繋がりがありますので」
私がテオドル様の実の娘ではないこと。その事をこの場で暴露するなんて酷いと私はアダム様に向かって一歩足を踏み出した。
「落ち着け。君は血の繋がりがなくたって、バルトシーク中将の娘だ。ほら、みんなも今の言葉に怒りを訴えているだろう?」
ユーゴ様に腕を軽く掴まれハッとした私は周囲に目を向ける。
「バルトシーク中将はお嬢様の魔法写真を年代別に執務机に飾られていた。それくらい愛されていたと思う」
「それに貴族の中には有望な子息を縁組みする者だっている」
「そもそも息子の嫁とは血の繋がりなどないが、私は大事な家族だと思っているぞ」
ユーゴ様と同じ様に軍服に黒いローブを身に着けた男性たちが口々にそう声を出した。流石軍人さんだ。張りのある大きな声がホールの隅々にまで響き渡る。
「皆さん、お静かに」
ホールから数段ほど上。陛下の座っている豪華な椅子から少し離れた所に立つ年配の側近がざわつく会場を鎮める。
「なるほどバルトシークの手違い。その理由は理解した。いささか自分勝手のような気もするが、爵位を継いだばかり。何かと金は必要だったのだろう。しかし現在はきちんと支払われているんだろうな?」
「はい。ラージュ少佐に返済させて頂きました」
アダム様は人垣の向こうからユーゴ様と私に視線を向けた。お陰でホールにいる人達の視線がユーゴ様と私に集中した。ちょっと怖い。
「ユーゴ。お前は確かにバルトシークから受け取ったのか?」
「はい陛下。数週間前にしっかりと全額受け取りました」
「ルミナ・ラージュ。今の話に間違いはないか?」
えっ、私にも尋ねちゃうんですか?と驚きつつ、私はユーゴ様に恥をかかせないよう、顔を上げしっかり陛下と目を合わせた。
「はい。主人からそのお金は将来何かあった時の為にしっかりと貯金をしておくようと言われました。ですから先日主人の監視付きで銀行へ赴きしっかり満額を預けておきました」
「……余計な事はいいから」
「あっ、ごめんなさい」
人前で喋る。そんな経験をあまりした事がないせいか、緊張のあまり包み隠さずに真実を公衆の面前で口にしてしまった。恥ずかしさの極みである。
「前にヒポグリフレースで拝見した時よりご夫婦っぽくなっているわね」
「ほんと、何だか微笑ましいわ」
「初初しくて私も新婚時代を思い出します」
近くにいたご婦人達からそんな声があがった。私は正直顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。けれど「前より今の方が夫婦らしい」その言葉は正直とても嬉しかったので、思わず頬を緩めてしまった。
「なるほど。しかしだとすると腑に落ちない点があるのだが。ライナル、バルトシーク家の財政報告を」
「かしこまりました」
司会進行を勤めていた陛下の側近が近くにいた部下らしき人物から書類を受け取った。
「バルトシーク中将の恩給について不正が行われているとの報告があり調査した結果、現在バルトシーク伯は多額の負債を抱えているとの報告が監査より上がりました。ここでは詳しい金額は差し控えさせて頂きますが、かなりの額になります」
「そうだな。それに私の記憶が正しければ、バルトシーク家は今期の納税に関し特例を申請している。そうだったな、ライナル」
「そのように記憶しております」
一体特例とは何だろうと私が首を傾げていると、周囲でも同じ様に首を傾げるご婦人の集団がいた。それを見て無知なのは私だけではないのだなと安心した。そしてその気配を察したのか、先程から陛下にライネルと何度も声をかけられ、頼りにされていた老年の男性が私達に説明をしてくれた。
「軍の関係者以外、馴染みのない制度だと思いますので僭越ながら私が説明させて頂きます。特例とは先の戦いにおいて我が国の為に尽力され、惜しくも戦死された方のご遺族に対し陛下の温情により、一定期間納税を免除するという制度であります」
なるほどと首を傾げていた集団と共に私も頷いた。なんて遺族に手厚い国なのだろう。これでユーゴ様に何かあっても……絶対駄目だ。何かあったらなんて思うのも嫌だ。
「バルトシーク家は特例の申請をするほど困窮していた。だとすると恩給をどうやって支払ったのだ?私はバルトシーク中将にかなり個人的にも世話になった。その事も踏まえかなりの額を遺族には与えたつもりだが。恩給から税を支払えとは言わない。しかし国民の最低限の義務である税に待ったをかけ、まさか豪遊していたのではあるまいな」
クロヴィス陛下がわざとらしく目を細めアダム様を見つめた。私なら陛下に疑うようなあんな厳しい視線を向けられたら多分呼吸が止まる。そう思ってしまうほど恐怖を感じさせる視線だった。
「滅相もございません。家にあるものを売り払い細々と生活しております」
全方向に悪い意味で流石アダム様であると私は呆れてしまう。どうみても逃げ切れない流れなのに、まだ言い訳を口にしている。その度胸と図々しさには完敗だ。
「でもバルトシーク伯爵夫人のドレスはマリアベルのオートクチュールだわ」
「まぁ、あそこのドレスはかなり高級品ですわよ」
「お嬢様のドレスも、娘が口にする所によると、マリアベルの姉妹ブランド、リボンのオートクチュールだって話よ」
「えぇ、私も娘にせがまれて困ったから確かよ」
「それにリボンのオートクチュールは素敵なデザインではあるけれど、ドレスにしてはお値段がねぇ」
「私だったら同じ値段で美術品を投資の為にも購入するわ」
「まぁ、奥様へそくりを貯めるおつもりね」
「ふふふ、それは秘密よ」
充分着飾ったドレスに身を包む貴族らしきご婦人達。扇子を口元にあてているにもかかわらず、ホールに響き渡る高い声で井戸端会議を実況中継している。
「ユーゴ様。叔母様達のドレスはとても高級な物らしいです」
私はたった今奥様方から仕入れた情報をユーゴ様に報告する。
「君も欲しいの?」
「違います、私はそのお金がお父様の遺品を売ったお金でと思うと、悔しいし悲しいのです」
「なるほど。それは酷いし、許してはならないな」
ユーゴ様と私は小声で会話を交わす。
「静粛に!!」
ざわついたホールはライナル様の声で静けさを取り戻す。
「そうか。先程からバルトシークが口にする言葉はどうも私の受けた報告とは異なるようだ。皆の者、悪いがもう少し私の話に付き合ってくれるだろうか?」
陛下の言葉に「勿論ですとも」や「仰せのままに」だとか「御意」だなんて肯定の声が一斉に上がる。確かに陛下に逆らうだなんてあり得ない。そう思う一方でどちらかというと、突然始まったこの事態が一体どういう結末を迎えるのだろうかという好奇心で周囲の人達の目が爛々と輝いているようにも私には思えた。
「皆の優しさに甘える事にしよう。では、この件に詳しい者を呼ぶとしようか。ライナル、例の者を連れてこい」
クロヴィス殿下の思いがけない提案と掛け声に私達は、今度は何が始まるんだと一斉にホールの入口に顔を向けたのであった。




