055 アーチ、開眼!!
今日はアーチを連れて軍本部にあるユーゴ様の執務室にお邪魔している。アーチがユーゴ様の働く姿を見たいと気の利く事を口にしたからだ。全く天使な上に、気の利く子である。
「うわ、ル、ルミナ先生。それ、痛くないの?」
私を見つけるや否や「ごはん!!」とばかり私の頭にかぶりつくラフレイシアのルゥちゃん。私にとっては慣れた光景である。けれど、巨大な花に頭を噛みつかれる姿を目の当たりにしたアーチは私を見て顔を青ざめている。
まぁ、これが自然な反応だろう。最初からこの状況を受け入れていた様子のユーゴ様はやはりマッドサイエンティストの気があるのだ。
「痛くはないよ。スーッて魔力が抜ける感じはするけど」
「魔力が餌なの?」
「そうみたい。最近は私の魔力を魔石に溜めておいてそれを吸わせていたんだけどねぇ、久々だから嬉しいのかな?」
「そ、そうなんだ……」
魔法の眼鏡で身元詐称事件がユーゴ様に見破られてしまってから数週間。残念ながら私は前ほどユーゴ様の執務室を訪れなくなっている。
『毎日通うのも大変だろうから、悪いけど君の魔力をこの装置に溜め込ませてもらってもいいかな?』
意気揚々とやっぱりマッドサイエンティスト化したようにしか見えないユーゴ様に、私はやんわりとそう告げられてしまったのである。
本当はエリン様がユーゴ様に近づくのを阻止する為にも朝から晩までラフレイシアの如くユーゴ様に張り付いていたい。けれど私も一応ユーゴ様の妻。世界でたった一人の妻なのである。だからお手紙の返事を書いたり、奥様のお茶会に参加したりと今まで放置気味だった仕事もある。だから泣く泣く、断腸の思いでユーゴ様のお仕事姿を眺める業務の回数を減らす事を許諾したのである。
「大人気な所悪いけど、この装置に君の魔力を吸引させてもらっていいかな」
いつも通り、黒いローブ姿のユーゴ様が私に向かって装置の先についた棒を向けた。
「ユーゴ様、それは何?」
アーチが興味津々といった表情でユーゴ様の持つ怪しい装置を見つめている。
「これは戦場などで活用を期待されている、魔力保管装置だ。事前に魔力を溜めておけば、戦場で倍以上の魔法を使うことが出来る優れもの。とは言え、まだ実験段階で実用化には程遠いのだが」
少しがっかりした表情で、脇にある巨大な四角い箱をポンポンと叩くユーゴ様。確かに戦場で持ち運び出来る大きさではない。その上溜め込んだ魔力は日々劣化していってしまうそうで。つまり魔力保管装置はまだまだ改良の余地アリの装置なのである。
「なんか、痛そう」
「アーチ、痛くないから大丈夫だよ。私は既にもう何度も吸われてるし」
「えっ、そうなの?」
「うん」
「というか、ルミナ先生の頭にかぶりついてる花が怖い」
「だから全然怖くないよ。ねールゥちゃん」
私がポンポンと自分の頭を叩くと、栄養補給満タンになったのかルゥちゃんが私の頭から口を離した。
「ルゥちゃんはこう見えてミントの香りがするから、ほら見て。私の髪の毛もいい匂いになったでしょ?」
私はルゥちゃんを頭から下ろし執務机に置いた。そして私は身を屈めアーチに私の頭の匂いを嗅がせる。別にこれは天使に自分の頭を嗅がせるという変態的な行為に興奮しているのではないし、何ならユーゴ様に纏わりつく香りとお揃いだと興奮している訳ではない。
ラフレイシアの見た目は邪悪な感じの花。しかし何と言ってもジルリーアの国を象徴する国花だ。アーチにも怖がらず慣れ親しんで欲しいと私はそう考えたのである。断じて変態ではない。
「どう?いい匂いがしない?」
「あ、うん」
恐る恐る私の頭に可愛らしい顔を近づけ、クンクンと鼻をさせるアーチ。
「本当だ。ユーゴ様と同じ香りがする」
「でしょう?むふふ」
「おい、やめろ。アーチにまで変態を振り撒くな」
「す、すみません」
いけない、ユーゴ様にこの前気持ち悪いと言われたばかりだった。私のこの気持ちは今更ではあるが、今更だからこそ隠し通さなくてはいけないのである。
「とにかく、ルゥちゃんは怖くないし、全然」
平気だよと口にしかけた時、私の目の前を物凄い速さで赤い物体がよぎった。
「うわっ」
「アーチ!!」
ルゥちゃんは私の目の前を目にも止まらぬ速さで通り過ぎ、そのままアーチの頭に一直線のち、現在見事にかぶりついている。
「やはりそうきたか」
一人冷静な声はユーゴ様。やはりって、何だ、やはりって。
「だ、大丈夫?」
私はルゥちゃんに噛みつかれたアーチに慌てて駆け寄った。
「確かにルミナ先生が言ったみたいに、痛くはないけど」
「気分は悪くないか?」
「えーと、あれ、何かくらくらする……うわ」
突然アーチが頭にルゥちゃんを乗せたままその場に倒れ込んだ。間一髪という所で、ユーゴ様が咄嗟に発動させた蔦の魔法でアーチをくるむ。そしてそのままアーチを床から浮かせた。
「アーチ、大丈夫?ルゥちゃん、もうお腹いっぱいでしょ?離れなさい」
私はルゥちゃんの満開に咲いた花びらの後ろにあるガクの部分を引っ張る。しかしルゥちゃんは一向にアーチから離れない。
「ルミナ、ちょっとどいて」
ユーゴ様に名前を呼ばれた……といつもの感動に浸りながら、私は指示された通りルゥちゃんから離れた。するとユーゴ様は水色のキラキラとした玉を杖の先から発射した。するとルゥちゃんはまるで犬がボールに向かって走るように、その玉に向かってジャンプした。これは以前私が助けてもらった時と同じ魔法。
『植物にだってストレス発散は必要だから』
そのような理由でユーゴ様は時折、ルゥちゃんに向かって水を固めた魔法の玉を発射するのだ。因みにユーゴ様は地属性が得意だが、全く他の魔法が使えない訳ではない。上位魔法と呼ばれ習得するのが難しいとされるレベルの魔法技術に到達出来たのが、地属性というわけである。
だからベルンハルトの魔法使いは皆、得意な属性を持ちつつ、生活魔法レベルの様々な便利魔法を扱う事も出来るのが常識。
「アーチ、大丈夫?」
私はユーゴ様の蔦を体に巻いた状態で宙に浮くアーチに声をかける。しかし一向に返事が返ってこない。
「やだ、起きて。死なないで」
まさかルゥちゃんに噛まれたショックで心肺停止!?と私は最悪の予感が頭をよぎる。けれど直ぐに冗談じゃないとアーチを蔦から救い出し、私の腕に抱える。しかし意外にズシリと両腕にアーチの体重がかかり、私は床にアーチを抱え込んだまま、ペタリとお尻をつけた。
「おい。どうした?目覚めないのか?」
ユーゴ様が心配そうな声を出しながら私に近づく。
「どうしよう、アーチが目覚めません」
私はアーチの上半身を抱きかかえながら泣きそうになる。力なくグッタリしていて、返事がない、ただの屍のようだといった状況だ。
「あっ、ルゥちゃん。今すぐ万能薬の元を吐いて!!」
私はルゥちゃんに頼み込む。しかし勿論返事はない。ただの……巨大な花だ。
「無理を言うな……うむ。脈もしっかり打ってるし、これは気絶しているだけだな」
「そうなんですか?」
ユーゴ様はアーチの首筋から手を離すと全身を確認した。それから噛まれた頭を髪の毛をかき分けながら観察している。
「傷もないし、床に頭を打ちつけた訳じゃない。だから大丈夫だと思う。しかし一応医務室に連れて行くか」
ユーゴ様が私からアーチの体を受け取った瞬間、パチリとアーチの目が開いた。
「うわ、開眼!!こわっ」
「アメリ?」
「違うよ、ルミナだよ」
私はアーチの琥珀色の瞳とバッチリ目を合わせながらひたすら驚く。
「ルミナ?あれ、ちょっと待ってくれ。君のその髪色に瞳の色は私の縁者である証……それに、その花は」
突然人が変わったように、落ち着いた喋り方になるアーチ。正直気味悪い。けれど私は閃いてしまった。
「あ、まさか前世の記憶が表に出てきたとか!?」
小説などでよく見かけるアレだ。きっとそうに違いない。冴えてる。私って凄いと自画自賛する。
「まさかとは思うが。ええと、君は自分の名前がわかるか?」
ユーゴ様は私の言葉に半信半疑と言った感じてアーチに尋ねた。
「私の名前は……コルネリアス。そうだ。私はジルリーア王国第七十六代国王、コルネリウスである」
「えっ!?」
一体それは何の冗談だろうかと私はひたすら間の抜けた顔をアーチに向けたのであった。




