053 ベルンハルト王国の歴史
アルフレッド殿下と王立図書館で遭遇した日の夜。
私はその事を早速ユーゴ様に報告した。勿論ユーゴ様のお部屋で。
けれど今日のユーゴ様はワインを嗜む様子はない。至って冷静に私と向き合ってソファーに座っている。酔っぱらいなユーゴ様はこちらがドキドキして死にそうになるくらい妖艶でアダルト。毎日は無理だけどたまにはそんなユーゴ様も全然アリだと思う私は少しだけシラフのユーゴ様にガッカリしたことは秘密だ。
「なるほど。アルの奴また君にちょっかいを……」
ソファーに座るユーゴ様は思い切り顔を顰めた。私もアルフレッド殿下の横暴な態度を思い出し、ユーゴ様同様険しい顔になる。
「私もついうっかり煽られて調子に乗ってしまったと思います。だけどあんなに自分勝手な人がこの国のリーダーになる可能性があるなんて、正直この国の未来が心配です」
「まぁ、そう思ってしまう気持ちもわからなくはない。ただ、アル自身は女性に不誠実と思える態度を悪いと思っていない。そしてそれはこの国の根深い問題なんだ」
ユーゴ様は珍しくアルフレッド殿下を庇うような言葉を口にした。
「そもそも現ベルンハルト王国の国王、クロヴィス陛下は若くしてその地に就いた」
「そうですね。前陛下が急な病で亡くなったから」
私が生まれた時には既にクロヴィス陛下がベルンハルト王国を統治していた。だから前国王の事は歴史の授業で習う程度でよくわからない。
「前陛下が亡くなった、その死因も毒殺なのではと疑われる状況だったらしい」
そんな噂を私も耳にしたことがある。ただ噂程度だし、部外者にとっては現在クロヴィス陛下の統治下で問題がないため、多くは探らないし語らない。だから真相は闇の中という感じのままだ。
「そんな中、クロヴィス陛下が国王になられると同時に帝国との戦いが勃発した。今で言う第一次帝国大戦の事だ。当時は内政を整える暇もなくという感じだったようだから、きっと僕らが思っているより陛下はずっとプレッシャーを感じていたんだと思う」
「クロヴィス陛下はその当時まだ、十六歳とかその程度だったとか」
今の私と大体同じ年齢。自分がもしベルンハルト王国を統治しろと言われたら絶対に無理だ。相当優秀な側近をわんさか付けてもらっても、最終判断を迫られたら、それが全ての国民の為になるかどうかなんて私には決められないと思った。勿論クロヴィス殿下は将来国王になるべく小さな頃から教育されていた。それでもユーゴ様の言う通り国を背負う、そのプレッシャーは半端なかっただろうと安易に想像できた。
「そうだね。しかもクロヴィス陛下の母上は早くに亡くなられている。そういう要因もあって、クロヴィス陛下は女性にその、奔放というか、まぁだらしないというか、政治や戦に程遠い所に存在する女性に安らぎを求める傾向にあった。そして周囲はその事で陛下の心のバランスが取れるのであればと大目に見ていたんだ」
「まぁ、推しを思う気持ちは癒やしや生きる糧ですもんねぇ」
私はクロヴィス陛下の気持ちがわかるような気がした。私だって何度もユーゴ様ご本人とトレカを含む推しグッズに随分と救われている。
「推しとはちょっと違うような気もするが……とにかく、そんな背景もあってクロヴィス陛下は女性に奔放だ。そしてそんな陛下は腹違いと言える王子、王女を沢山抱えている」
「……複雑ですね」
みんなで推しを愛でたい。その気持ちはわかるし、今までは私もそうだった。だけどユーゴ様の妻という存在になって見て、もうみんなで愛でるだなんて呑気な気持ちは私にはない。独り占めしたい気持ちで溢れている。
多分これは推しが恋愛対象に昇格したからなのだと思う。そしてその気持になってしまうと、もう平和主義には戻れない。全く厄介な気持ちなのだ。
「ここでようやくアルの話に繋がるのだけど」
「ふむふむ」
「そもそもフレデリック殿下とアルの母親は違う。その上フレデリック殿下の母はこの国の伯爵家出身。そしてアルの母は侯爵家出身であり、ずっとクロヴィス陛下の妃になるべく教育された方だった」
「あーそれはもうトラブルになるべくしてって感じですね」
私はこの先を聞かなくとも安易に泥沼確実な愛憎劇が想像出来た。
「君の想像通り。そもそも陛下に集まる女性は言い方は悪いけれど何かしら思惑を持って近づく者が多い。だから王妃同士が上手くいくはずもなく、案の定アルの母がフレデリック殿下の母を殺したとされている」
「え?」
「そしてその事を病み、アルの母も自殺した。勿論これは公然なる秘密として皆口を閉ざしていることだけれどね」
そりゃそうだろう。あまりにセンセーショナルすぎて私もびっくりだし、誰かと気軽に噂が出来る話でもない。
「その結果、陛下に倣うように女遊びの激しかったフレデリック殿下はきっぱりとそれを自粛されレナータ様と結婚された。そしてアルはまだ、全然王妃様の死から立ち直れていないんだろうな」
「その結果がアレなんですね」
「まぁ、そうだと僕は思っている」
ユーゴ様はふぅとため息を大きく一つ吐いた。
「昔からアルが僕を毛嫌いするのは、僕にはうざいくらいに僕を気にかけてくれる父や母。それから兄達がいたからだと思う。その事に僕が気付くのが遅すぎて今更関係修復は無理だけど、でもアルの事は全てが嫌いな訳ではない」
ユーゴ様は私の語彙力では到底言い表す事が難しいくらい、複雑な表情を私に向けた。正直私はアルフレッド殿下が嫌いだ。ユーゴ様を困らせるし、私にも嫌がらせばかりしてくるから。
だけどユーゴ様は私と違い、アルフレッド殿下をただ嫌いなだけではない。殿下の置かれた環境に同情し心を痛めている。何も考えずただ嫌い。その方がきっとずっと自分は楽でいられるのに、それが出来ないくらい深く関わってきたのだろう。
「ごめんなさい。私がうっかり図書館なんかに行ったから」
ユーゴ様の悩ましげな表情に堪らず私は謝罪した。
「君は悪くない。自分のルーツを知りたいと思う事は君が前に進み始めた証拠だし。それに何だかんだ言っても、僕だってあいつが君にちょっかいを出す事は到底許せないし、アルが今のままだったら僕も君と同じ。この国の未来の為にも、あいつを次期国王だなんて認められないから」
ユーゴ様はそう言うと、冷めた紅茶に口をつけた。
「前にも話したけど、ここの所クロヴィス陛下のお体の調子は良いとは言えない。今は陛下が上に立っているけど、近いうち必ずこの国は多少なりとも混乱する。そして、きっとその混乱に君も巻き込まれる事になるだろう」
「それって、やっぱり私がアルフレッド殿下を煽ったからですか?」
前回アルフレッド殿下に監禁されてから、私の周囲に殿下が出没する事はなかった。私はてっきりユーゴ様にお灸を据えられ反省したのだと思い込んでいた。しかし今日のあの態度を見る限り懲りてはいない感じだった。
そこに私が反抗的な態度を取り火に油を注ぐ形となってしまった。
やはり私は余計な事しかしていないようだ。今更ながら私は深く今日の行いを反省し、項垂れた。
「どうだろう。正直あいつがただ純粋に君に興味を持ったのか。それとも君の持つジルリーナ王国という後ろ盾に惹かれたのか」
「あとは私がユーゴ様のつ、妻だから意地悪しようと思ったのか」
私は思わず妻という言葉に過剰に反応しどもってしまった。
「そうだね。僕の妻だから近づいたってのもあるかもな。うん、君は僕の妻だしね」
ユーゴ様の口から「僕の妻」という言葉が飛び出す度、私はいちいちピクリと肩を揺らし反応してしまう。そしてその様子をユーゴ様は確実に楽しんでいるようで、必要以上に「僕の妻」という単語を連呼した。鬼畜だ。でも腹黒なユーゴ様も私は好き。
「僕は前回の戦い、第二次帝国大戦で取った自分の行いを恥じている。だから今度はもう同じ失敗はしない」
ユーゴ様はきっぱりとそう言い切った。恥じている。その部分は不意に訪れた乱戦の際、私情を挟んでしまった事だと思われた。
失敗はない方がいい。特に戦争なんて生きるか死ぬかの場所では尚更許されない事だ。だけど、ユーゴ様は失敗した。そしてそれを認めた上で次はないと口にしている。つまりそう思うユーゴ様は確実に強くなっている。
「ユーゴ様なら絶対大丈夫だと思います」
私は確信を持って口にする。後はテオドル様に対する罪の意識がなくなれば最強だ。だけどそれは流石に心に思うだけにしておいた。
「だといいけど」
「大丈夫ですよ。私は信じてますから。だってジルリーナ王国とやらのお姫様である私の推しですからね、ユーゴ様は。最強って事です」
今まではテオドル様のお伽噺だと思っていた癖に、私は都合よくジルリーア王国の王女だと口にする。私は案外この言葉の使い勝手がいい事に気付いてしまったのだ。もう使用前に後戻りは出来ない。
そんな私を見てユーゴ様はふわりと頬を緩める。
「君のその盲目的な僕への信頼は時にうざいけど、でもわりと心地いいな」
「そう言って貰えるとファン冥利につきます」
私は胸を張ってそう答えた。と同時に私はふと思う。
ユーゴ様と夜のひと時を過ごす私。本日は甘さのかけらもなく、ただひたすらお互いの情報をすり合わせるという作戦会議のような状況だ。はっきり言って、少し、いや、だいぶ勿体ない状況だ。
夜だし、密室だし、少しくらい甘い雰囲気になっても許されるのではないだろうかと、私の肉食な心が突如始動し始める。
「ということで、アルフレッド殿下の件も片付きましたし、そっちに座っていいですか」
今にも襲いかからんとばかり私はソファーから立ち上がる。
「意味がわからないし、何一つ片付いてないし、よって却下」
「えっ、でも私達は夫婦」
「君は僕に迫ってもらいたいわけ?」
「ええ。わりといつもそう思ってます。あ、でもどちらかというと迫られるより、攻めたい的な」
「ふぅん」
ユーゴ様はそう言って怪しく目を細めた。それを見て私の脳裏にふとこの部屋でワインに酔ったユーゴ様に迫られた時の事が思い浮かんだ。
あれは貴重な経験だった。しかし正直こっちの心臓がもたない感じだった。つまり私は未熟者。
「わかった、おいで」
ユーゴ様が自分の隣のソファーの座面をポンポンと叩いた。それを見てもう充分だと思った。何なら鼻血が出そうである。
「じ、自分から迫っておいてなんですが、今のでもう充分です。さ、ユーゴ様。健全に夜を明かし、このまま話を続けましょう!!」
意気地なしの私は折角のユーゴ様のお誘いを華麗に断り、元々腰を下ろしていた場所に出戻った。そしてその拍子にユーゴ様の発した「おいで」という甘い言葉が私の頭の中で爆発し、私の鼻の下には生暖かい感触が。
「あぁ、またこのパターンか」
慣れた手付きでユーゴ様は身近に用意されていた布をすかさず私に差し出しだのであった。流石夫婦である。




