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005 新たな決意とミラクル

 ドレスの補修を何とか終わらせ私は自室に戻る。一日中針を持っていた指先は痛いし、肩も凝った。もう私は生きる屍のようである。


「ルミナ、遅かったじゃない」

「今まで働かされていたの?」

「お給料はちゃんと貰えたんでしょうね?」


 矢継ぎ早に質問を投げかけながら、ルームメイトでもあり趣味友のメイド仲間が老婆のようにヘロヘロになり枯れ果てた私を各々のベッドの上で迎えてくれた。


 元々いた部屋をシンシアに奪われた私は現在、大部屋の住人だ。半地下にある狭い部屋には四台ほどベッドが並べられている。以前からここはメイドの部屋であった。でも確か二人部屋だったはずだ。それが今や四台のベッドがぎゅうぎゅうに詰め込まれ、個人スペースはベッドの上のみといった感じ。まぁ何というかとにかく狭い。

 それでも趣味友件同僚達との会話は毎日ピクニックをしているみたいで楽しいし、わりとこの環境は気に入っていたりもする。


 私は入り口に近い場所に置かれたベッドに迷わず向かう。


「ドレスの補修も終わったし、お給料も貰ったよ。だけどちょっとヘトヘト。肩と背中もバキバキって感じ」


 私はもう今日はお終い。ここから二度と離れないという意思を込め、急いで靴を脱ぐ。そして自分のベッドにバタンとうつ伏せに倒れ込む。決してお日様の香りはしない、むしろ湿気を吸い込みねっとりしているし、埃っぽくもある気がする。それでもベッドに横になれる幸せを私は噛み締め、顔を布団にムニムニと押し付ける。そして、大事な事にふと気付く。


「あ、そう言えばトレーディングカード。みんなはちゃんと買えた?」


 私は顔を横に向けそう声を上げた。


 今朝は私のせいでみんなの出発が遅れてしまった。そのせいで私と同じ熱量を持って楽しみにしていたカードが買えなかったとしたら、流石にそれは申し訳ないと思った。だから今日一日「どうか買えますように」と祈りながら、私はみんなの帰宅を待っていたのである。勿論心に出来た僅かな隙間で「出来たら二パック購入できていたらいいな」と思う邪な気持ち込みで。


「買えた、買えた。しかも今日は何と初売りって事でね」


 ふふふと含みを持たせ笑顔を見せる趣味友。


「ご本人が店頭で購入特典としてサインをしてくれてたの」

「えっ!!」


 私は一気に疲れが吹き飛び、ベッドから跳ね起きる。


「ユ、ユ、ユーゴ様は!?」

「いたわよ」

「うん。とっても不機嫌そうにサインされてたよね」

「生ユーゴ様かぁ。そっかいいなぁ」


 正直よだれが垂れそうなくらいみんなが羨ましかった。時間を戻せる魔法があるなら戻したいし、許されるなら今からその店に残り香を嗅ぎに行きたい。流石に疲れてるし気持ちだけで実行は無理だけど。そのくらいのポテンシャルを持ってしまうほど、私はみんなが羨ましいと思った。


「それでね、トレーディングカードはやっぱり一人一パックの制限があって買えなかったの。ごめんね」

「全然気にしないで。そのうち絶対に買うから」


 眉根をハの字に、申し訳無さそうな顔を見せる趣味友に私は明るくそう答える。


「あ、でも完売してたけど……」

「入荷未定って言ってた」

「次の販売は既にもう第二弾になるかもって話もしてた」

「う、そ……」


 バタリと私は力なくベッドに横たわる。まるで金槌で頭を打たれたような衝撃だ。つまり私はこの先一生、第一弾。記念すべき戦勝記念バージョンのトレーディングカードが入手不可能だという事なのだろうか。


「流石にそれは堪える」


 私は泣くもんかとベツドの上でうつむいて、シーツをギュッと握りしめる。


「でもね、頑張り屋のルミナにお土産があるんだ」

「そう。ミラクルが起こったんだよ」

「ほんと、あたし今度からユーゴ様推しになるかも!!」


 やたらみんなの興奮した声に私は顔をあげる。お土産も気になるし、ミラクルとやらも、ユーゴ様に推し変案件も、とにかく全て気になる。


「はい、これ。お土産」


 私の顔の前に隣のベッドの住民、リンダからスッと一枚の長方形のカードが差し出される。一体なんだろうと私はそれを受け取り、ユーゴ様と目があった。


「う、何これ、見たことない。軍服着てるし、黒いローブも素敵だし、風吹いてるし、凄い凛々しい表情してるし、何これ知らない。だけど尊い」


 私が手渡されたツルリとした手の平サイズのカード。察するにこれが例のトレーディングカードという物なのだろう。魔法写真になったユーゴ様はカードの中で杖を素早く前方に突き出して手前に戻してを繰り返している。その表情はいつになく真剣で、若草色の瞳が大きく見開かれていて、疲れが一気に吹き飛ぶほど、最高に格好良かった。


「あのね、今回は戦勝記念だったから購入者にはサイン入りのトレカをプレゼントしてたんだ」

「混乱を避けるために、告知はしてなかったらしいんだけど」

「トレカってのは、トレーディングカードの略ね」


 なるほど。早速略語まで出来ているとは、トレカ恐るべし。ではなくて……。


「じゃ、誰かがユーゴ様のトレカを買ったってこと?でもみんなの推しは違うよね?あっもしかして浮気症のリンダが!?」


 今朝アルフレッド様に推し変すると口にし、現在はユーゴ様に推し変すると口にした浮気性の趣味友リンダに私は顔を向ける。カードがダブったら一枚買わせてください。お願いします。一生のお願いです。くらいの熱い視線を私はリンダに向けた。


「違うってば。あたしは結局本人を前にしたらさ、やっぱ、エドヴァルド様がいいって初心に返ったから。ほらこれ」


 私と横並びのベツドの住人、リンダは扇子を広げるように六枚のカードを私に見せてくれた。確かにそこには様々なパターンのエドヴァルド様の素晴らしく尊い瞬間が閉じ込められていた。ダブりもない。

 しかしだとすると、何故ユーゴ様のカードがここにあるのだろうかと私は手元のカードを眺め、ユーゴ様と目が合い顔が緩む。へへへ、大好き。


「実はね、サイン会の会場でエドヴァルド様の隣にユーゴ様が座っていたんだけど、買えて良かったねってサインしながらエドヴァルド様が私に話しかけてきて、もうそれだけで昇天って感じに、エドヴァルド様の周りに天使が見えた気がしたんだけど」


 早口でとてつもない熱量を私は浴びせられた。でも気持ちはわかる。推しに話しかけられるなんて、同じ状況になったら私だって確実に天使が見えてしまうだろう。


「ちょっとリンダ。一旦落ち着こ?吸ってー、吐いてー。吸ってー」


 私はリンダに興奮を押さえる呼吸法を伝授する。しばらく私と共にスーハースーハーと呼吸を整えいたリンダがもう大丈夫と、手を前に出した。


「ありがと、ルミナ。落ち着いたわ。それで、何だっけ?」

「もうっ、エドヴァルド様と話したってまだそこよ」

「ここからが良い所なんだからね!!」


 向かい側のベッドから野次が飛んでくる。


「そう、ここからが大事。いいルミナ、気を確かに持つのよ」

「う、うん」


 私はリンダの言葉に緊張しながら頷く。意味は全くわからなかった。けれど気を確かに持たなければいけないほどの大事件がこの先に待っているのだろうと言うことは、ウキウキした様子がダダ漏れのみんなの様子からわかったからだ。


「エドヴァルド様に話しかけられて、つい浮かれた私は、何故か急にルミナの事を思い出して「ルミナも来られたら良かったのに」ってエドヴァルド様の前で呟いちゃったのよ」

「そしたらミラクル!!」

「人間にあんまり興味を示さないと噂のユーゴ様が「ルミナって、バルトシーク家の?」ってリンダに聞いてきたんだって!!」


 私は衝撃で固まる。これは夢だろうか。ルミナとユーゴ様の口から名前が発せられたなんて!!一体それは私の事なのだろうかと愕然とし、あ、多分、いや絶対私だと思い当たり、恥ずかしさと嬉しさで私は布団にパタリと倒れた。


「ちょっとルミナ、大丈夫?」


 趣味友の言葉に息も絶え絶え、ベッドに顔を埋めたまま私は、何とか指でオーケーマークを作り「生きている」とみんなに生存報告をする。


 ユーゴ様が発したルミナという言葉。それが私だと考えられる理由は唯一つ。

 実は魔法部の第一部隊に所属するユーゴ様は亡きテオドル様の部下だったのである。だから私と直接面識はなくとも、テオドル様の娘はルミナ。そのくらいは知っていたのだろう。それに私の名前はあまり聞かない上に、独身だったテオドル様が養女として私を引き取った事はそれなりに有名な話。だから特に深い意味はないけれど、ユーゴ様が口にしたルミナは私である可能性が高い……というか、私かもしれない。いや絶対私だ。


 私は荒ぶる思考を整理し、何とか昇天を免れ落ち着きを取り戻した。そして布団から顔を引き剥がし、趣味友達に改めて顔を向ける。


「そ、それで、リンダはユーゴ様に何て答えたの?」

「バルトシーク家のメイド仲間のルミナ、私の同僚ですって」

「あ……うん。そうだよね」


 リンダは正しい。今の私はメイドのルミナだ。でも何だろう、ユーゴ様にはメイドをしていると知られたくなかったような気もする。変な詮索をされても嫌だしって、自意識過剰すぎる。ユーゴ様ともあろう優秀でお忙しいお方が私如きの事など気にかける暇も余裕も理由もあるはずがないのだ。というか、リンダはユーゴ様と会話をしたわけで、実に羨ましい限り。


「それでその時は「あっ、そう」って感じで話が終わったんだけど」

「お店を出た後、店員さんが私達を追いかけてきて、それでユーゴ様のサイン入りのカードをリンダに手渡してくれたの」

「確かにそれはミラクルかも」

「だよねー。理由はいつも応援してくれてるからって言ってたけど、あのコミュ力低いユーゴ様だからね。これは完全にミラクルだよ」


 ミラクルだ。確かにミラクルだ。よくわからないけれど、私の手元にはユーゴ様のトレカが存在している。これをミラクルと言わずして何と言おう。実にミラクルだ。


「人生頑張ってるといいことってあるのかも……ってやだ。ここにルミナへって私の名前が書いてある!!」


 カードの上。薄く光る文字で『ルミナへ』と入っている。少し右肩上がりで、だけど全体的にバランス良く配列された文字は間違いない、本人直筆である証拠。まずい、興奮してきた。鼻血でそう。


「今日はね、みんな名前を入れてもらえたんだよ。凄いよね」

「良かったね、ルミナ」

「ほんと、お喋りなあたしに感謝しなさいよ」

「うん、ありがと。ほんと嬉しい、家宝にする」


 私はユーゴ様のカードから視線を逸らし、趣味友達に感謝の気持ちを込め笑顔を見せた。それから、やっぱりこれは譲れないとカードを見つめる。そして私はユーゴ様にだらしなく微笑みかける。


「では、取り敢えず」


 私はカードに描かれた文字に鼻を近づけ、思い切りユーゴ様の残り香を嗅ぎ取ろうと空気を吸い込む。


「あるあるだよね」

「まぁ、気持ちはわかるけど」

「傍から見ると結構、何というか変態」


 呆れたような声が私の耳に入る。変態でもいい。今日はこのミラクルに身を委ね、私は荒んだ心をユーゴ様のカードで満たしたのであった。


 因みにユーゴ様のトレカは、魔法転写紙の香りしかせず、そこはちょっと残念だった。悔しい。

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