041 王都の屋敷にお引っ越し
いつもお読み下さって本当にありがとうございます。
第二部スタートです。
アーチが何者かによって襲われた問題から派生して、ジルリーア王国絡みので私への問題が浮上した。そしてユーゴ様の推しを辞めるかどうか。クロード様への恋心。そんな大変難解な問題を抱えつつも私は一先ずその全てを保留とした。何故なら今立ち向かうべき早急な問題が勃発したからだ。
「え、ここですか?」
「とりあえず仮住まいって事で」
私はユーゴ様が仮住まいだと口にした新居を見上げ愕然とした。
通りに沿って同じようなレンガ作りの家が並ぶ中に新しく我が家となる家があった。四階建ての細長い家だ。どうやらその一棟がまるまる私達の住まい。しかも仮ということらしい。
「今は僕達が住むけど、いずれちゃんと落ち着いたら、ここは貸しにだしてもっと郊外に広い屋敷を買おうと思ってる。悪いけどそれまで手狭なこの家で我慢してくれるとありがたい」
「な、なるほど」
嫌味かと疑う暇も与えないほどスマートにそう口にするユーゴ様。
確かに私の実家である伯爵家やユーゴ様のご実家、リビデンベルク侯爵家に比べたらユーゴ様と私の新居は小さくて狭くて上に細長い気もする。けれど、今からこの家に住むのは大人二人にアーチという子供が一人。総勢三名の仮住まいにしては大袈裟で広すぎるのではないのだろうか。
「掃除も大変そう」
こんなに大きな家の場合、床の拭き掃除で一日が終わりそうだと私は少しどんよりとする。何せ私はロナウゼナ領で一人暮らしを経験し掃除の大変さと重要さを身をもって知ったのである。
「心配するのはまずそこなんだ。だけど掃除はハウスメイドがやってくれるだろう?」
「ハウスメイド……」
久しぶりに聞いた言葉だ。そう言えばバルトシーク家ではいつも役割分担したメイド達が屋敷を綺麗にしてくれていた。何なら私もその一員として働いた事もある。なるほど、この屋敷にもメイドは配置してくれるつもりらしい。確かに今は庶民とは言え、本来ユーゴ様は公爵家のご子息でしたもんねと私は納得した。
そしてユーゴ様はポーチの階段を数歩登り、玄関を開けようとして何故かくるりとこちらを振り返った。
「おかえり。今日からここが君の我が家だ」
キラリンとユーゴ様を取り巻く光が私には見えるような気がする。それくらい尊い笑顔だった。けれど問題はそこではない。
「ははは、御冗談を」
私は引き攣った笑顔をユーゴ様に向ける。
「アーチに言ったんだけど。君って意外と自意識過剰なんだな」
私への皮肉まで飛び出し、とても嬉しそうでご機嫌なユーゴ様である。しかしそんな尊いユーゴ様を堪能する余裕が今の私にはない。
何故なら私は今、とても大きな覚悟を迫られているから。私は不安な気持ち前回でもう一度目の前にそびえ立つレンガ造りの屋敷を見上げる。
この屋敷に足を踏み入れたら最後、ユーゴ様と同じ屋根の下で暮らし、ユーゴ様をいってらっしゃいと送り出し、おかえりなさいと迎える覚悟が必要なのである。うぬぬ、愛の巣。響きは最高。けれど私の精神的力が果たして持つかどうか。そこが大変不安だ。
「さ、アーチ。君は今日から僕たちと暮らす。つまりもう僕の家族でもあるということだ。最初は慣れない地で寂しいかもしれないが、魔法学校に入学する為の私塾に行けば、直ぐに友達が出来るだろう。だからそれまでは少し頑張ろうな」
「うん、あ、はい」
「家族に敬語はなしだろ?」
「でも、流石に魔法部のエース、尊きユーゴ様だし」
アーチの言葉を聞いたユーゴ様は私を睨んだ。うっ、鋭い視線。いつもながらご馳走様です。
「先ずは君の変態的な思考を何とかしないと。アーチの情緒教育に悪い影響を与えまくっているようだから」
「反省しています。けれど後悔はしていません。何故なら真実だから!!」
調子に乗った私は、コチンと軽くユーゴ様に頭を叩かれた。うわ、触れ合いだ。今のは即死コースだ。
「それとこの家のルールだけど、出来る限り食事は一日一回でもいいから、みんなで顔を合わせて取ること。それだけだ」
「それだけ?」
アーチは驚いた声を素直にあげている。
「そう。毎日当たり前の事で一見簡単そうに見えるだろう?だけどそういう簡単な事ほどちゃんとルールを決めておかないと、いつの間にか一人で食事をする事が普通になっちゃうからな」
「わかりました。っとわかった!!」
「アーチには敬語を使わない事。それもルールに追加しなきゃだな」
「うっ、頑張りまする……」
ユーゴ様は意外にアーチと馴染んでいる。どうやら子供が好きらしい。これはとても意外でレアな情報だ。極秘情報である。
「君は普段の僕を一人の人間として見ること。幻滅しても構わないから、ちゃんと僕を見て、その尊いだとか、推しだとかいう概念を、出来れば捨てて欲しい」
「そんな殺生な」
「そこは譲れないし、譲る気もない」
きっぱりとそう言うユーゴ様。私だってユーゴ様を尊いと崇める気持ちは譲れないし、譲る気も今の所ないのですが。
「あっ、し、し、寝室はどうします?」
恥じらいつつも私はしっかりとユーゴ様に尋ねた。とても重要な問題だからだ。この身を差し出す事で、無防備なユーゴ様を観察するチャンスが得られるならば安いものと思いかけて、それは流石に無理かと項垂れる。というか悩む前に私達はそもそも夫婦だった。
「……そんなの別に決まってるだろう」
ユーゴ様は私の顔色をうかがい、しばし悩んだのち同室を呆気なく拒否した。チッ、漏れ出す変態思考を先読みされてしまったようだ。
「でも夫婦ですし」
「君の隣なんかで寝たら、悪夢を見そうだからしばらく却下」
「しばらく!?」
「悪い、言葉のあやだ。ということで当分、いや永遠に?とにかく却下だ」
「ユーゴ様は意外にケチですね。減るもんじゃないのに」
「君がそういう事を口にするな」
私はユーゴ様にまた睨まれた。そしてユーゴ様がプイと私から顔を逸しついに屋敷の、愛の巣の扉を開けてしまう。
「うぅ、生きて帰ってこられるように頑張ろう」
「ルミナ先生、念願叶ってよかったね」
私の横に並び手を繋ぐアーチが笑顔で私にそう声をかけてくれた。
「えっ、念願?」
「だってユーゴ様と結婚したんでしょ?」
「あぁ、まぁ。うん」
「おめでとう、先生。僕も色々不安だけど、頑張ろうと思う」
アーチはそう言って顔を真っ直ぐ前に向けた。その姿を見て私は自分が少し恥ずかしく思った。こんな小さな子も前を向いて一歩進もうとしているのだ。しかも私はアーチの先生。常に彼の進む道を導く立場。それなのに逃げ出そうと、そう思ってばかり。そんな自分が情けない。
「ありがとう、ユーゴ様と三人で頑張ろう」
私はアーチの手をしっかりと握り屋敷の中に勇気を出して足を踏み入れたのであった。
★★★
「お嬢様、この前ぶりです!!」
屋敷に入るなり私達を迎えてくれる黒いワンピース姿のお仕着せの集団の中からマノラが笑顔で私に声をかけてくれた。
「だめよ、マノラ。エーリヒ様がご挨拶する前に喋るなんて失礼よ」
マノラに戒める声をかける子も、バトルシーク家で見かけた事のあるメイドだ。
「何人かリヒデンベルク家の屋敷。というより母の指示でこちらに移動してもらった。多分バルトシーク家で働いてくれていた者だと思う」
ユーゴ様がそう説明してくれた。どうやらオリビア様のご配慮のようだ。本当に流石公爵夫人。とても気配りの出来る、優しい方だ。
「今度オリビア様にお礼のプレゼントをお贈りしておかないとですね」
「あー。確かにそうだな。君が顔を見せるのが一番喜ぶとは思うけど。まぁ、そっちは追々ということで。今は彼を君達に紹介させてくれ」
ユーゴ様の言葉に黒いスーツに身を包んだ老年の紳士が私とアーチの前に立った。
「彼は僕の仕事意外、プライベートの細かい事を管理してくれている執事のエーリヒだ。僕がいない時、困った事があれば、彼を頼るといい」
ユーゴ様の言葉が途切れると親しみやすい優しい笑みをエーリヒさんは私とアーチに向けた。
「ユーゴ様の奥様にご挨拶をする日までは死ねないと、棺桶に足を片方入れながらも何とか耐える日々を送っておりました。奥様、お坊ちゃま。この日ずっとお待ちしておりました。老いぼれですが、何なりとこのエーリヒにお申し付け下さい」
大袈裟に芝居じみた感じで話すエーリヒさんに、思わず失礼かなと思いつつも、私とアーチはクスクスと笑ってしまった。
「ごめんなさい。でもとても楽しく生活できそうです。私はルミナと申します。そしてこちらはアーチ。私達は庶民生活が長かったので、色々と粗相をしてしまう事があるかとは思いますが、その都度教えて頂けると有り難いです」
私はアーチの肩を抱きながらそう告げる。本当は私に限って言えば一年ちょっとの庶民生活だ。けれどその前は十二歳から魔法学校の寮でのびのびと生活をしていたし、貴族のマナーについて不安なのは、アーチと同じくらい、もしくはそれ以上かも知れない。
「アーチ、挨拶できる?」
「うん。はじめまして。僕はアーチ・レッフラーです。魔法学校に入るための勉強をする間、こちらにお世話になります。どうぞよろしくお願いします」
自慢の生徒だ。完璧である。しかも笑顔まで顔に作って、ペコリとお辞儀をした。
「うっ、可愛い」
「お人形さんみたいだわ」
「天使かしら」
「あぁ、抱っこしたい」
メイド軍団からそんな声があがる。私も完全同意。どうやら一瞬にしてアーチはこの屋敷の女性達の心を母性本能経由で鷲掴みにしたようだ。
「ユーゴ様のお株をすぐに奪われそうですね」
「うるさい。別に僕は女性の気を引きたくてこの顔に産まれてきたわけじゃないし」
エーリヒさんの言葉にユーゴ様が真っ赤になって答えている。それを見ながら私は思う。案外、上手くやれそうだと。先程まで私が抱えていた何処か不安だった気持ちを今は感じない。どうやら暖かく私達を迎えてくれた使用人達によって不安な気持ちはかなり緩和されたようだ。
「どう、やっていけそう?」
「はい、色々とありがとうございます」
隣に並んだユーゴ様から香る、爽やかミントの香り。
「そっか。良かった。僕は君とようやく一緒に住むことになって安心してる。これで君とアーチをちゃんと守る事が出来るから」
そう言ってユーゴ様はふわりと優しく笑った。え、何それ、反則なんですけど。そんなに素敵な笑顔を向けられたら、それはもうお決まりのアレ。最近ようやく粘膜が修復っしかけたというのに、緊急事態。鼻血が出そうである。しかし、ここで出してなるまいと私は自分の手で火照った顔を仰いだ。ついでに鼻に気合を込め力を入れる。
「少しずつでいいから、僕にも早く慣れて。はい、ハンカチ……」
ユーゴ様が私にハンカチを差し出すのと、私の鼻からたらりと温かいものが垂れる感触と、それからマノラが大声を出すのが同時だった。
「お嬢様、また鼻血が出てますよ!!」
うん、わかってる。
大変恐ろしい事にページの通し番号がダブっており、全百十五話が百十六話になってしまった事をひっそりと謝罪と共にお知らせします。




