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035  エリン・ギブソン=グレネル伯爵令嬢

「じゃ、お手並み拝見ということで」


 エドヴァルド様の言葉に一体どういう意味だろうと首を傾げる。

 するとエドヴァルド様は話し込むユーゴ様とエリン様に突然声をかけた。


「おーい、お二人さん。今は勤務外だろ?その辺にしておけ」

「そうですよ。それにこちらにユーゴの奥様がいらっしゃるんですから。仕事の話は控えるべきかと」


 エドヴァルド様の声にフロリアン様が息のあった調子で言葉を追加する。すると、ようやくエリン様がこちらに体を向けた。


「そうだったわね。私ったらつい、いつもの調子で。ごめんなさい」


 エリン様が感じの良い笑みを私に向ける。以前お会いした時は怒った感じで家族通行証を私の目の前で破ったりと、若干怖い感じだった。けれど今は全くその時のピリピリとした空気を感じない。


「エリンさー。ユーゴの奥さんにお前がユーゴと婚約してるって言ったんだって?」


 エドヴァルドが発した言葉に私はギョッとする。もう少しオブラートに包むべきでは?と思ったからだ。けれど他の聞き方を思いつかなかった私は、まぁ含みをもたせる聞き方よりは誤解されない分いいのかなと思う事にした。


「え?何の話かしら?」


 エリン様は自然な感じで素知らぬフリをする。


「こちらがユーゴの奥様、ルミナ・ラージュ、その人って事は知ってるよね?」


 フロリアン様は私の肩を持ってツツツとエリンさんの前に突き出す。


「そうだな。紹介しよう。こちらは僕の妻、ルミナだ。そしてこちらは魔法部第一部隊で、事務をしているギブソン」


 エドヴァルド様とフロリアン様に挟まれた私の腕をユーゴ様が取る。そして自分の横に並ぶ位置まで私を引っ張りながらエリン様の事を紹介してくれた。


「ユーゴ、私は事務じゃなくて、庶務よ」

「あぁ、そうだったな」


 エリン様は仕方ないわねといった感じで優しくユーゴ様を睨みつける。それからその顔を私にも向けた。


「以前、ユーゴの執務室の前で一言二言、言葉をかわしましたよね。改めまして、私はエリン・ギブソンです。実家はグレネル伯爵家ですの。エリンと呼んで下さいね」


 ユーゴ様に紹介されたエリン様はとても綺麗な淑女の礼をとった。それを眺めながら私はふとある事に気付き、思わず気持ちが昂ぶった。


「私はルミナと申します。私の事もルミナとお呼び下さい。それと、いつも()()がお世話になっております」


 オホホホホ。これよ、これ。と私は妻にしか許されない言葉をハッキリと口にする。するとエリン様はわずかばかり、頬をピクリと強張らせた。

 先程理解不能な業務感満載な会話で私からユーゴ様を取り上げたリベンジは、今ここに果たされたのである。


「あの時はその小さな体に似合わず、とてもパワフルに魔法部の執務棟の壁に穴を開けて何処かへ行かれましたから、その後がとても気になっていたの。お元気そうで何よりですわ」

「壁に穴……ハッ、賠償金」


 エリン様の口から飛び出した言葉に私はハッとする。

 しまった。そう言えば私は軍施設の壁に穴を開けて未だ弁償していない。しかも魔法学校を卒業してからの義務である、二年の入隊も果たしていない。そう言えばあれはどうなったんだろう。


 というか、もしかして私はここで軍部に捕まるのだろうか?とユーゴ様を含む軍人に囲まれた状況に気づき私は怯える。気分は逃走を続ける凶悪犯。まずい。非常にまずい。


「ユーゴ様、私は気分が突然悪く――」


 私はゆっくりとその場を離れようと足を一歩前に出した。


「空いた穴の壁代は僕が払っておいた」


 ユーゴ様の言葉に私は踏み出した足を目にも留まらぬ速さで戻した。


「なんと!!ありがとうございます。ついでと言っては何ですが、入隊義務の件は……」

「あー、そちらもリヒテンベルク家名義で軍部に違約金を払ってある」


 何と言う事だ。まさか、そこまで完璧に根回しをしてくれていたなんてと驚きと感謝でユーゴ様の足元に私はうっかりひれ伏しそうになった。

 本当にユーゴ様には何から何までお世話になっている。それなのに私はまだ何も返せていないと今度は沈んだ気持ちになる。全くユーゴ様と関わると浮き沈みの激しい変態になりがちだ。


「ユーゴ様、ありがとうございます」


 私はせめて感謝の気持ちだけでもと頭を下げた。


「気にするな。君の配偶者は僕なのだから」


 うわっ、ユーゴ様から配偶者頂きました。

 ユーゴ様が私を表すその語彙のレパートリーが増えた事に私の沈んだ心はすぐに何処かに飛んでいった。配偶者も特別感があっていい。何故なら許された人にしか使えない言葉だから。


「それで、さっきの質問だが、エリンお前はユーゴと婚約しているって本当に彼女に言ってないのか?」

「ちょっとしつこいわよ、エド。私はそんな事言ってないし。それに陛下が許可された婚姻を私は祝福してるのよ?」

「それは本心ですか?その割には相変わらずユーゴの執務室に入り浸っているように思えたので」


 えっ、入り浸る!?それは一体どういう感じで?と私はフロリアン様の言葉に身を乗り出しそうになったが何とか堪える。エリン様が余裕ぶっている状況で取り乱すのは格好が悪いと思ったからだ。何となく女の意地である。


 それと、ユーゴと呼び捨てからのエド。まるで私は愛称で呼ぶ事を許されているほどの仲なのよとさりげなくアピールされているようで、正直それも悔しい。


「リアン、常識派のあなたまで私を悪女に仕立てようとしてるわけ?私はこの国の未来を思って、ユーゴの手伝いをしてるんじゃない。それに最近ユーゴはやたら休みがちだし、一体何をしている――」

「黙れ。それ以上口にするな」


 ユーゴ様が私の目の前で、エリン様にとても怖い顔で迫った。それはいけない。近づきすぎだ。


「ユーゴ様、お、落ち着いて下さい。ほら、ヒポグリフが次々とゴールしてますよ。うわぁ、やっぱり本物のヒポグリフは綺麗ですねぇ」


 私は慌ててユーゴ様とエリン様の間に割り込む。そして青い芝生の上を走るヒポグリフをピシリと指差した。


「そうだ、ユーゴ落ち着け」

「休みがちなのは自分の都合ですよね?エリンに八つ当たりするのは格好悪いですよ」


 エドヴァルド様とフロリアン様にそう声をかけられたユーゴ様は顔を顰めて「すまない」とエリン様に謝罪の言葉を口にしたのち、ようやくエリン様から距離をとってくれた。一体ユーゴ様が何に対してそこまで怒ったのかよくわからない。けれど一先ずこの場は収まったようだしユーゴ様がエリン様と適切な距離になって私はホッと一息ついた。


「久しぶりに見たわ。ユーゴが理不尽に怒り出す所」

「だから、すまない」

「気にしてないから大丈夫。むしろ最近のユーゴは我慢しているように見えて、ちょっと心配だったから」


 エリン様は「我慢している」と口にした時、目線だけ私にチラリと向けた。それはつまり、私がユーゴ様を我慢させていると言う意味を込めた感じなのだろう。


「別に我慢をしているわけじゃない。僕にも色々と事情があるんだ。お願いだから僕にこれ以上構わないでくれ」

「構わないでって言うけど、私がいないと仕事がちゃんと回らないくせに、良く言うわ」

「それは……感謝している。だけど、今日僕は妻と水入らずを楽しんでいるんだ。だから、失礼」


 不機嫌そうな声でそう口にしたユーゴ様は一人腕を組んで、フィールドに視線を向けてしまった。そしてそんなユーゴ様にエドヴァルド様とフロリアン様が肩を組んで何かコソコソと話している。

 つまり「妻と水入らず」と言っておきながら放置された状況。ということは、私はエリン様に話しかけられたら、このまま二人で会話を続ける羽目になるようだ。


「ルミナさんはびっくりしたかしら?」

「えっ、何をですか?」

「ユーゴって結構気性が荒いから」

「いいえ、とても素敵だと思います」


 突然エリン様に話しかけられた私は正直に答える。私にとってユーゴ様はいつだって、どんな時も素敵だ。


「ルミナさんはユーゴがどんな研究をしているかご存知?」

「いいえ、存じ上げません」


 だけど執務室のドアから怪しい蔦と葉っぱが見え隠れしていたのは知っている。だけどそれだけだ。ユーゴ様が普段何の研究をしていて、どんな事を軍でしているかなんて、一般人である私には知るよしもない。


「知りたいと思わないの?」


 案に私は知っているとばかり、いつの間にか開いた扇子を口元にあて、急に私に挑戦的な感じの口調で話しかけるエリン様。


「知りたいとは思います。けれど、私は軍の人間ではないので」

「ユーゴの研究は凄いのよ。是非あなたにも教えてあげたいけれど、あぁ、でも口にしてはいけないのよね。軍の守秘義務だもの」


 うわぁと私は感動すら覚える。ユーゴ様がエリン様から気が逸れた途端この変貌っぷり。その小賢しさと逞しさは見習いたいくらいだ。


「ねぇ、私は言ったわよね。ユーゴを不幸にしないでって」

「はい」

「それなのに何故、未だにウロチョロとネズミみたいにユーゴの周りにまとわり付いているの?」


 随分な言い方である。だけど私には選ばれし者しか口に出来ない最強の魔法の言葉がある。


「だって、私はユーゴ様の()ですもの」


 勿論、余裕たっぷりニコリと笑みを返す事も忘れない。


「妻ねぇ。一緒に住んでるわけでもないし、ユーゴは罪悪感であなたの面倒を見ているだけだと言うのに、あなたって、ほんとお気楽ね」

「そうですよね。実は私、エリン様の言葉通り、ユーゴ様の前に居てはいけないと思いまして」

「あら、いい心がけじゃない」

「私と離婚をするようユーゴ様に進めたのですが、彼がそれに応じてくれないのです」

「なっ、なんですって」


 私の言葉に今まで余裕な様子だったエリン様が初めて驚いた声をあげた。ふふ、効いてる、効いてる。エリンさんも大概だけれど、私も相当性格が悪いのだ。


「ほんとあなたって目障りだわ。あなたがそうやって妻の座に固執するなら、私だって同僚というポジションを有効利用させてもらうから」


 エリン様はそう口にすると扇子で顔を隠しながら私を睨みつけてきた。


「それは、私への宣戦布告ですか?」

「えぇ、そうね。私はユーゴをそしてあなたを諦めないから」


 正々堂々と口にしたエリン様。ある意味清々しいくらい。だけど私はこの時、本当にユーゴ様を誰にも渡したくはない、そう思う自分の気持ちに火がついた気がした。

 だから「あなたを諦めない」というエリン様が発した不穏な言葉は右から左に抜けていた。それどころか、私は胸を張ってきっぱりと口にした。


「私だって、負けませんから」


 既にある意味ゴールみたいな、妻であるのに、これ以上何を望めばいいのかと思わなくもない。けれど、ここまで言われて、指を加えているだけなんてもう無理だ。だから私はエリン様の宣戦布告をしっかりと正面から受ける事を告げたのである。

 尊きユーゴ様をかけた女の戦いが今ここに開幕なのである――くらいの勢いで。

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