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031 はじめまして私はユーゴ様の妻です(いい響き

 転送魔法でヒポグリフレースの会場について、私はユーゴ様に素朴な疑問をぶつけた。


「そう言えば、バルトシーク伯を叔父様が名乗っている以上私達は庶民です。それなのに今日の催しに参加してもいいのですか?」

「その件なら大丈夫。確かにいま僕は庶民だ。けれど、魔法部の第一部隊は特別。貴族だろうと庶民だろうと、魔法部の第一部隊って肩書にはみんな無条件でひれ伏してくれるから。それに陛下からの招待状もちゃんとあるし」


 胸元のポケットから取り出した一枚の真っ白な紙をヒラヒラとさせながらユーゴ様はサラリと「ひれ伏す」という言葉を口にした。


 遠くから眺めていた時は気付かなかった。けれどユーゴ様は時折悪魔みたいになる時がある。今がそれだ。でもまぁ、ユーゴ様にひれ伏す。それはあながち間違っていない。私はいつだって喜んでユーゴ様にひれ伏したいのだから。みんなもきっとそうなのだろう。


 私はそんな事を思いながらユーゴ様の隣を歩く。すると案の定、早めに会場に到着した私達はマノラの言葉通り注目の的となった。


「結婚されていたというお噂は本当だったのですね」

「いつの間にこんなに可愛らしい方を」

「流石魔法部のエース。奥様選びにも抜かりなくといった所ですかな」

「最近ラージュ少佐の雰囲気が柔らかくなったのは、さては奥様のおかげですな」

「「「あはははは」」」


 こんな調子でユーゴ様と添え物である私は沢山の人に声をかけられた。そしてユーゴ様の直接の知り合いではない人達からは刺さるような、探るような視線を全身に浴びた。私はそれを甘んじて受ける。何故ならユーゴ様の隣に並ぶ事を決めた瞬間から覚悟していた事だから。それに私も逆の立場ならきっと心でユーゴ様の隣に並ぶ人は、男性だろうと女性だろうと切り取るし、値踏みするように見てしまう事は間違いない。


 以前は遠くから見ているだけで満足だった。しかし一度でもユーゴ様に近づいてしまい、ユーゴ様が口にする「妻のルミナです」を聞いてしまい、その幸福感を知るともう二度とあの頃の、遠くから見ているだけの奥ゆかしい私には戻れそうもない。あぁ、独占欲って恐ろしい。


「大丈夫か?」

「はい、元気です」

「なら、良かった。まぁ、僕の傍にいれば君に変な事をしようだなんて……あぁ、あいつの存在を忘れていた」


 苦々しいといった感じでユーゴ様が思い切り険しい顔を一点に向けた。私もユーゴ様にピタリと焦点を当てていた視線を急いでユーゴ様の見つめる先に動かした。


「げ、叔父様!!うわ、一家勢揃いだし」


 キリキリした顔でこちらにイノシシのように向かってくるのはどうみてもアダム様だ。そしてその後ろを、赤と金色の派手なドレスを身に纏った女性が早歩きで闊歩している。赤いドレスが叔母で金色のドレスがシンシアのようだ。

 彼女達のセンスはどうであれ、まだ衣装にお金をかける余裕はあるらしい。だけどそのお金は、きっとテオドル様が残していってくれた大事な物を売ったお金に違いないと屋敷で受けた仕打ちを思い出し、私は沸々と湧き上がる怒りに震える。


「ま、今回は奴らに僕達が表に出たって事を伝えるだけだから……ってルミナ?」


 ユーゴ様が私の名前を呼んでくれた。その事が私のやる気に直結する。私はもう逃げない。むしろ今までの恨みを込めて噛み付いてやるのだ。


「おい、落ち着け。今はまだ牙を向く時じゃない。えーと、どうどう」


 突然ユーゴ様が、変な言葉を口にしたので私の怒りが中断された。


「なんですか、それ?」

「以前君が僕を落ち着かせようと、僕を馬扱いしただろ」

「あ」


 確かに以前ユーゴ様に失礼にもそんな事をした気がする。


「だから仕返しだ。とにかく今回は僕に任せて」

「え、でも……叔父の事は私の問題ですし」

「彼に纏わる事は軍の方でも把握しておく必要がある」


 厳しい口調で告げられ、私はピクリと体を強張らせる。確かにアダム様には軍の機密情報を漏らしたという嫌疑をかけられている。本来なら全て任せておくのがいいのかも知れない。だけど私もアダム様に個人的に許せない気持ちは抱いているのだ。やられっぱなしは悔しいと私は唇を噛んだ。


「それに何より君は僕の妻だ。だから純粋に僕の問題でもある。ほら、笑顔」


 ユーゴ様はそう口にすると徐に私の顔を覗き込み私の口元に手を伸ばした。そして親指と人差指を器用に使って、私の口角をニュッと上に上げる。その瞬間「キャー」と遠くの方で高い声の集団による悲痛な叫びのハーモニーが生み出された。出来ることなら私もその合唱団に参加したい。


「うん、それでよし」


 少し照れた様子で、けれどふわりとした優しい笑顔を惜しげもなく私に晒すユーゴ様。大事件である。ユーゴ様が私の顔に、口元に触れたのだ。普段は正確で最強な魔法を繰り出す杖を握るその手の指先で。これは夢か?私は明日死ぬのだろうか。というか顔が燃えるように熱い。緊急事態だ。


「ルミナ、お前は連絡もせず、一体どこで何をしてたんだ!!」


 全ての思考がユーゴ様が触れた口元に集中している私に大きな怒鳴り声が掛けられた。アダム様である。私が顔をあげるとワナワナと小さく体を震わせ、額に青筋を立てたアダム様とバッチリ目が合ってしまった。


「まぁ、一体何が?」

「あれは、バルトシーク伯爵?」


 私達の周囲がざわつき始める。正直悪目立ちをするから辞めて欲しい。

 それに私は今アダム様の相手をしているほど暇ではない。ユーゴ様に触れられたのだ。今はまだその衝撃の余韻に浸らせて欲しいというのが正直なところ。


「お前が家出して、俺がどれほど!!」


 普通ならば心配したと思っているんだ、そう続くと誰しもが想像する。だけどアダム様は「俺がどれほどお前を憎らしいと思ったことか」そう口にしようとしていたに違いない。


 私は折角ユーゴ様への思いがヒートアップしていたのに、それを妨げられ、途端に不機嫌になる。それに、こっちだって逃げたくて逃げ出した訳じゃない。アダム様が私を監禁しようと企んでいるのを知って逃げたのだ。正当防衛である。正直もう私の事なんて捨ておいて欲しい。


「怒っていらっしゃるのかしら?」

「今日は陛下主催の社交の場だ。まさか事を荒立てるとは思えないが」

「しかし、穏やかな雰囲気には見えないが」


 周囲からそんな言葉が漏れ聞こえた。私の耳に届いたという事は漏れなくアダム様にも届いていると言うこと。現にアダム様はその言葉で我に返ったのか、突然ぎこちない笑みを私に向けた。頬が引き攣っている。

 私はその顔を見て、無理をしなくていいのに。どうせなら怒りを私にぶつけ恥をかけばいいのにと意地悪く思ってしまう。


「突然いなくなるから、心配したんだ」


 今までの怒り声から一転、猫撫で声を出すアダム様。気持ち悪い。ドン引きだ。


「そうよ。シンシアなんて心配のあまり食が細くなって。ほらこの通りやつれてしまったのよ」


 ドロテア様が隣に並ぶシンシアをズイと私の前に押し出した。


 内心私は全然そうは見えないと指摘する。まとめ上げた髪の色艶もいいし、肌の調子もすこぶる良さそう。むしろ私が屋敷を飛び出した時より若干ふくよかになって、健康度が増している気がする。


「ルミナ、無事で良かったわ。本当に私との約束を破って急にあなたがいなくなったちゃったから、あなたに何があったのかって、とても心配したのよ」


 シンシアは私の手を徐に掴むと、目に涙をためぎこちなく微笑んだ。

 その笑みを浴びながら、私は嘘つきと心でシンシアに言い返す。喪に服していた私の事を「陰気臭い」と言っていた口で良くもまぁ「心配していた」などと言えた物だと私は呆れた視線をシンシアに送る。それにちゃっかりアルフレッド殿下の元で会った時の事を「約束を破った」と私を責めている。確かに頼み込んでおいて勝手に逃げ出した事についてはやや悪いなと思う気持ちもなくはない。だけどユーゴ様が救出に来てくれたのだから、そりゃユーゴ様に着いていくに決まっている。


「まぁ、感動の再会ですわね」

「あの子は確か、バルトシーク伯シンシア様でしたかしら」

「あの子がそうなのね。うちの息子が夜会でお見かけしたらしくとても気にかけているの。確かに噂通り可憐な子ね」

「我が子もよ。心根の優しい子なのね。悪くないわね」


 事情を知らないであろう私達を取り巻くギャラリーからそんな声が飛び出す。確かに伏し目がちに、私を如何にも心配していた。無事で良かったと涙ぐみむシンシアは傍から見れば悔しいけれど可憐な女性である。

 一方で棒きれのようにやせ細り、マノラが頑張ってお化粧をしてくれたとは言え、どうしたって日頃のスキンケアを怠っていた私の肌は繕った感じで嘘っぽい。

 それに何より私はユーゴ様の妻という全人類が憧れてやまないポジションに収まっているのだ。きっとみんな心では嫉妬に狂って私を殺したいほど憎んでいるに違いない。だってユーゴ様は素晴らしい魔法使いだから。その結果この場でシンシアを援護したくなるご婦人達の気持ちは痛いほどわかる。何なら私も自分に嫉妬しそうなくらいだ。


「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はベルンハルト王国軍魔法部第一部隊のユーゴ・ラージュと申します。以後お見知りおきを」


 爽やかな香りを纏うユーゴ様が私をまるでアダム様達から庇うようにスッと前に出た。その瞬間、アダム様は眉間に皺を寄せ、ドロテア様とシンシアは顔を明らかに赤らめた。シンシアに至っては私の手を素早く振りほどいて隣に並ぶユーゴ様に視線はまっしぐら。それからユーゴ様に媚びたようないやらしい表情を向けた。最低だ。悪霊退散、今すぐ消え去れ。絶対に渡してなるものか。このお方は私の今の全財産だ。


「あぁ、君がルミナと結婚したという噂の物好きな、リヒデンベルク侯爵家の三男か」


 その無礼な舌を引っこ抜いてやると私はアダム様を睨みつける。ユーゴ様は好きで私と結婚したのではない。これは政略結婚だ。だから物好きなのではないし、仕方なくである。


「私の事は既にお調べのようですね」


 ユーゴ様は顔色一つ変えず穏やかな口調と表情でそう口にした。スルースキルが半端ない。やはりユーゴ様は完璧だ。


「ルミナは兄の忘れ形見ですからね。それに今は私が彼女の後見人になっている。大事な姪の周囲をうろつく優男の事を調べるのは当たり前ですよ」

「その件ですが、何か手違いがあったようで。ルミナは二年前から私の妻です。ですから、後見人は必要ありません。夫である私がこうして彼女と共にいるのですから」


 あぁ、こんな時だけど、やっぱりユーゴ様は凛々しくて格好いい。もうアダム様なんて自分の視界に映していたくない。ずっとこの美しいユーゴ様だけを眺めていたい、切実に、そして永遠に。


「何を企んでいる」


 私はユーゴ様の怪しい笑みに見とれまくっていた。けれどアダム様はユーゴ様の何処か挑戦的にも見える表情を見て、何かを悟ったようだ。思い切り顔を顰めている。


「この一年間、バルトシーク中将の事で妻は憔悴しきっていました。それこそ、食べ物が喉を通らなくなるほどに」


 ユーゴ様はそう言ってわざとらしく私の手を取った。


「これでも以前よりは随分とマシになったのですよ」


 ユーゴ様は私の枯れ木のような腕に優しく触れ、アダム様に、そして周囲で様子をうかがう人達に惨めな私をアピールする。


「そうだったの……」

「確かにお父様が亡くなられたんですもの。直ぐには立ち直れないわ」

「確かバルトシーク伯爵はお一人でお嬢様を育ててらしたし」

「父一人、子一人だったわけか」


 同情の言葉が周囲から漏れる。でもちょっと待って欲しい。私が痩せてしまったのはテオドル様のせいだけではない。むしろ、少ない予算でユーゴ様グッズを買い漁ろうと節約した結果である。というか、腕。ユーゴ様に触れられているんですけど。このまま倒れていいですか。と私はユーゴ様が掴む私の腕をジッと眺める。うむ、これは現実だ。


「私は憔悴しきった妻が少しでも元気になればと、地方でルミナを療養させました」

「しかし、連絡くらいは寄越せたのではないか?私達もルミナの事を心配していたのだから」

「そうですね。その件につきましては私の不徳と致す所です。申し訳ございません。なんせ私もバルトシーク中将がお亡くなりになられたこと。その事に深く悲しみを受けていたもので……」


 ユーゴ様が憂いある顔になる。さっきから嘘ばかり口にしているユーゴ様。だけどこの時ばかりは、本当の気持ちを口にしていると私は感じた。何故ならユーゴ様はテオドル様の死に責任を感じているから。


「一年ほどかけて私達は共に助け合い、心の傷を修復し、こうして皆様の前に揃って姿をお見せ出来るようになりました」


 ユーゴ様は私の腰をグイッと掴む。私は無条件にユーゴ様の左側にピタリと張り付く。ユーゴ様の香りを強く感じる。私はもう思い残すことはないと昇天しそうになり、口をギュッと閉じた。そして魂が口から飛び出さないよう、ひたすら耐えた。

 今私の腰を抱いているのは、ユーゴ様に化けたじゃがいもだ。じゃがいもはホクホクして美味しい食べ物だ。よって、私の腰を抱いているのはユーゴ様ではない、じゃがいもだ……あぁ、尊い。


「だからお姿を夜会で見かけなかったのね」

「それに随分と穏やかになられて」

「あの子の性格の悪さは親もお手上げだったもの。本当に結婚して改心してくれてよかったわ」


 ん?しんみりとしたご婦人の声に混ざって、ユーゴ様の悪口が聞こえたような。しかもオリビア様の声だったような。

 私はさり気なく私達を取り巻く人垣に視線を向ける。すると私の予想通り扇子を口元にあてたご婦人方の中に、グレーのドレスを身に纏った一際美しいオリビア様がいた。そしてオリビアは私と目が合うと、軽く片目を閉じた。うぉ、あれはどういう意味だろう。

 私は取り敢えずオリビア様のウインクの意味を「頑張れ」だと好意的に受け止めた。


「ラージュ少佐は戦後、まるで別人のようになられたと軍でも噂されていたが」

「あぁ、戦場で誰かと入れ替わったのではないかとまことしやかに囁かれていたのを俺も耳にした」

「戦場で経験された事がきっかけで温厚になられたということか?」

「もしくは奥方の影響?」

「なるほどな、色々と納得がいった」


 オリビア様の言葉をキッカケに、ユーゴ様がまるで以前は冷酷な人間だった。そんな言い方をしている集団の声が私の耳に飛び込む。ぜんぜん違うのにと思い、ふと私の脳裏に軍に入隊しようとした私の対応をしてくれた事務員さんの言葉が蘇る。


『何か意地悪をされた。睨まれた。無視された。蔦にからまれた。そういった事の積み重ねでご主人と距離を置きたい。そう思われているならば、まずはこちらへ相談された方がいいかと』


 その言葉と共に、私はマーガレット女子修道院こころの相談所の連絡先をもらった。あの時は何の事だかさっぱりわからなかったけれど。


「え、ユーゴ様って裏の顔をお持ちなの?なにそれ、二度美味しい的な?」

「取り敢えず、君は黙ろうか」


 ユーゴ様の声が頭の上で響き、私は顔をあげる。するとそこには一見すると素敵でしかない笑顔を私に向けているのに、目だけは人を殺せそうなくらい鋭い感じで私を睨むユーゴ様がいた。

 それを目の当たりにした私は、とても素敵な二面性だともれなくユーゴ様に見惚れた。そしてふと思い出す。


『あいつは僕の行く手を遮る事に情熱を注いでいるんだ』


 ユーゴ様と密会した時耳にした言葉だ。あいつとはアルフレッド殿下。ユーゴ様は自分に関わる人にアルフレッド殿下が嫌がらせをするから、敢えて孤高の魔法使いを演じていただけ。

 本当はとてもお喋りだし、悪魔だし、優しい人だ。そんなユーゴ様のいい所をもし、みんなが知ってくれたら私は嬉しい……いや、一人占めしたいような気もする。


 そんな恋する気持ち全開で隣にいるユーゴ様を見上げると、私がまた変なことを言い出さないか警戒している顔をしてこちらを見ていた。少し残念である。

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