003 突然引き止められても困ります
アダム様に他人宣言されてから丁度四日目。急ピッチで進めていた身辺整理も一段落しこの分だと早めに屋敷を出られそうだと、そんな目処を立てていた私。しかしアダム様にまたもや応接室に呼び出された。
そして、私は今度こそ本当に絶望という言葉の意味を、身をもって知る事となったのである。
★★★
「お前は他人だ。しかし私もそこまで鬼畜ではない。兄の意思を受け継ぎ、今後は私が引き継ぎお前の面倒を見る事にした」
「えっ!?」
私は素で驚きの声をあげる。一体どういう風の吹き回しなのだろう、正直迷惑と激しく動揺する。
「これは決定事項であり、お前の異論は認めない」
「でも、私は既に軍の」
入隊が決まっていますと言いかけて、私は慌てて口を噤む。
何故ならアダム様もテオドル様同様軍人だと思い出しから。だからきっと私の入隊予定をなかった事にする。その手続きは今ならきっと簡単に出来てしまうかも知れないと私は気付いた。
正直私はアダム様に面倒を見てもらうつもりはない。アダム様の庇護下に置かれるくらいならば、この国を逃げ去るのが一番いいとすら思っている。けれど、残念ながら私には頼るあてがないのだ。
『いいかい、ルミナ。君の両親はジルリーア王国の王と王妃。でもその事を誰かに言ってはいけないよ』
生前、テオドル様に言いつけられた言葉だ。そしてテオドル様はその言葉にこう付け加えた。
『ジルリーア王国はこの大陸を神より司った者の子孫が代々王として統治する尊き国。私達アルカディアナ大陸に住まう者は皆、ジルリーアの王に忠誠を誓っている。これまでも、これからも永遠にだ』
テオドル様はそれはもう、誇らしげな顔をして私に教えてくれた。けれどそれを聞いた時私は自分に関係する事だとは思えず、どこか上の空でその話に耳を傾けていた。なるほど、お父様は案外メルヘンチックなのねと言った感じに。
そもそもジルリーア王国なんて聞いた事がないし、アルカディアナ大陸の地図上に存在しない国。だから私はジルリーア関連の話について完全に今でも「お父様の作り話」だと思っている。
因みにお父様の作り話には続きがあって、私の本当の家族だと言う人物の最後もしっかりと設定が練られていた。
『君の本当の父親は第一次帝国大戦で君の家族と共に戦死したんだ。だから実質ジルリーア王国は滅びてしまった。今や直系の血を引くのは君だけなんだよ、ルミナ。そしてその血は必ず後世に残さねばならない。全てのアルカディアナ大陸に住まう民の為にね』
今思えば陳腐な話だ。いくら帝国が強いとは言えそんなに簡単に一国がやられるわけがない。何故なら私達アルカディアナ大陸には魔法があるから。
帝国は魔法の代わりに科学が発達した国だと言われている。けれど幾度となく帝国から挑まれる戦いの中、未だこの大陸は帝国に侵略されていない。つまりそれは魔法の方が科学より優れているということを意味している。そして優れているからこそ、帝国は魔法を持つアルカディアナ大陸を自分の支配下に置きたいと懲りずに何度も戦いを挑んできているのである。
因みにもしテオドル様の話が本当だったと仮定した場合、第一次帝国大戦と呼ばれる戦争で私は祖国と本当の家族を失った。そして最近ようやく停戦した第二次帝国大戦において、私は育ての父であるテオドル様を失った。つまり私は戦争が起きる度に家族を失った事になるのだ。流石にそんな現実はあまりに耐え難い。だから私はやっぱりジルリーア王国なる国の存在も本当の家族がそこの王族だったという話も一切信じていない。
私が育ったのはここ、ベルンハルト王国で、私の父は育ての親であり、軍人でもあったテオドル・ハイド様ただ一人。そう思う事が一番シンプルで私自身も理解しやすい。しかしそうなると問題はアダム様。私はテオドル様からも評価の低かったアダム様の世話になんてなりたくはない。だけど現状、アダム様は私の面倒を見る気満々のようである。困った。ピンチだ。
私は先程まで確かに「魔法部でユーゴ様のお姿が拝見出来る!!」などと浮かれていた。けれど今は「軍に入隊出来ないなんて」と絶望感満載。まるで天と地が引っくり返ったように自分の心が乱れ、ひたすらどんよりとした気持ちに包まれた。
「お前の面倒を見るにあたり言っておきたい事がある。今までこの屋敷は兄のルールで成り立っていた。だから全くの他人であるお前の我儘も許されていただろう。しかしこれからはお前も、そして使用人達も私のルールに従ってもらう。金輪際、私のする事に口を出さないように」
アダム様は既に屋敷の主とばかり、やっぱりテオドル様専用だったソファーにふんぞり帰りながら私にそう告げた。
「それから、これからはバルトシーク伯爵家の娘と言えば、我が娘シンシアの事になる。お前は今日からただの使用人だ。シンシアに敬意を持って接するように」
「…………」
「返事くらい出来ないのか?役立たずで金食い虫のお前の面倒を見てやるんだぞ?もう少し私に感謝の気持ちを示すべきではないのか?」
私はあんまりな物言いに唇を強く噛んだ。だけど私はアダム様にとって赤の他人だし、役にも立てていないのが現状。
それなのに生きているだけでお腹が空くし、出来たらユーゴ様グッズだって欲しいという願望持ちでもある。つまり切実にお金が欲しい。使用人でもいい。賃金を得なければならないのだ。
「ありがとうございます。アダム様」
私は自分の境遇を受け入れ、頭を下げる。テオドル様がいい人だっただけ。本来であればどこの馬の骨かもわからない私を十六年も無償で育ててくれた人の家族に私が何か恩返しをしなければいけない立場なのだ。その恩返しの機会は今まさにアダム様より与えられた。
その考えに行き着いた私はフッと肩の力が抜けた。意地を張っていてもいい事はない。
だって世の中は非情なのである。
私の境遇に関係なく、次々と発売される新たなユーゴ様グッズ。それを手にする為にはしばらく貞順な使用人を演じた方がいいに決まっている。今私が信じられるのはユーゴ様グッズ。そしてそれを手に入れる為のお金なのだから。うん、それなら頑張れそうであると私は前向きな気持ちになった。
「わかればいい。私はお前を厄介だとは思うが、だからといって虐めたいわけではない。物分り良く静かにこの屋敷で使用人として過ごす事を約束すれば、必要最低限の援助はしよう」
「ありがとうございます。喜んで働かせて頂きます」
「それと、家の事は主に我が妻、ドロテアが取り仕切る。それについても――」
「口出しは一切しません」
「わかればいい」
アダム様は急に態度を変え、頭を下げる私に満足そうな顔になった。
「そうだ、お前の部屋はシンシアに使わせる予定だ。新たな部屋に直ぐに移動してくれ」
「はい、かしこまりました、ご主人様」
「うむ、それでいい」
屋敷の主とばかり偉そうにふんぞり返るアダム様。これからは毎日この姿を見る羽目になるのかと思うとげんなりした気分になった。だけどこれが現実だ。一先ず受け入れるしか今の私に選択はない。何故ならユーゴ様グッズを買うため。
私はこうして、挫けそうな気持ちを全て尊い推し魔法使いであるユーゴ様で打ち消した。
そして私は今まで主の娘として住んでいた屋敷のメイドとなった。物語の中では伯爵令嬢から使用人へ人生がさま変わり。それは良く見かけるシチュエーションだ。けれど、自分の身に降りかかるとなると、想像してたよりずっと、精神的に堪えるのだと私は直ぐに思い知った。
何故なら父の葬儀を終え一ヶ月もしないうちに、古くから父に仕えていた者が解雇され、屋敷の模様替えの為に沢山の内装業者が屋敷を出入りするようになったからだ。
歴史ある骨董品は次々と売り払われ、空いたスペースには近代的で流行りのよくわからない美術品が飾られた。各部屋の壁紙も情緒ある落ち着いた色から如何にも成金趣味といった下品な柄の入った壁紙に。室内が一気に目がチカチカする感じに塗り替えられていったのである。
そして屋敷がアダム様の色に染まるのと同時に、アダム様の奥様とお嬢様。以前は叔母様、シンシアお姉様と会えばそれなりに仲良く過ごしていた人物の化けの皮が剥がれる現場を私は度々目撃するようになった。
「これは売ってもいいわ。とても手の込んだ素敵なスーツだけど主人には残念ながら似合わないし。それに彼の遺品を残しておくと、いつまで経ってもテオドルを思い出して辛くなりますものね」
家に呼びつけた骨董品を扱う業者を前に、尤もらしい理由をつけたドロテア様。テオドル様の形見である装飾品や衣類はほとんどその業者に売り払われてしまったようだ。
「ねぇお母様、それを売ったら私の新しいドレスが欲しいわ。喪中はルミナだけでしょう?折角伯爵令嬢になれたんだから、黒いドレスばかりじゃ夜会で恥ずかしいし」
母親が手際良く売りさばく姿を眺め、私より二歳ほど歳上であるシンシアは次から次へと派手なドレスを母親にねだっていた。
「あら、ルミナなんて子はこの屋敷にはいないわよ、シンシア」
「そうだったわね、お母様」
テオドル様の喪に服す時間も与えられす、既にメイド服に袖を通し窓拭きをしていた私。テオドル様の部屋から次々と運び出され、売られていく品々を寂しい気持ちで見送っていた。そんな私に気付いたドロテア様とシンシアはわざわざ私に近寄ってきた。
「ほらここ。まだ汚れているわよ」
拭いたばかりの窓にべったりと指先をつけるドロテア様。香油でヌルヌルテカテカとした白い指先が窓に新たな油の膜を作った。
「あっ、やだ。通り道に置いてあるからつまずいちゃったわ」
わざとらしくそう言ってから、私の足元に置かれた水の入ったバケツを蹴って倒すシンシア。
「シンシア。ドレスが汚れますよ」
「そしたらまた新しいのを買えばいいじゃない」
「ふふ、それもそうね」
腕を組み仲良く廊下を歩く、傍から見たら美しい母と娘。だけどその心は醜くて、きっとあの人達は悪魔に魂を売ったに違いないし、そのうちきっと罰が当たると私はそう思う事にし怒りを鎮める。
「これを拭けば、また一つユーゴ様グッズが買えるしね」
私はひたすら自分を励まし、メイド服の下に隠した魔法の杖を取り出す。そして周囲に誰もいないことを確認すると、杖の先を水浸しになった床に向ける。そして杖の先でくるりと床の水をすくいあげ、ポイと窓の外に汚れた水を投げ捨てた。
「キャー!!」
「シンシア、あらピンポイントで雨かしら?」
「最低。私、生乾きの臭いがするわ」
「泥臭くもあるわね」
「一体何が起こったのよ!!」
私は窓の外。中庭から聞こえる愉快な声に「復讐は果たされた」と一人気分良く掃除を再開したのであった。