027 好きの違いが判明しました
スースーと小さな寝息を立て、アーチは私の膝の上に頭を乗せて爆睡中だ。
「ちょっとやらせ過ぎたかな」
クロード先生がアーチの寝顔を見つめながら不安げな声を出した。
「新しい杖を買ってもらったばかりってみんなこうなりますよ。つい力んじゃって魔力切れ。私も何度も経験したなぁ」
「まぁ、確かに。子供の頃って新しい杖を買ってもらうと、魔法が上達した証拠のような気がして嬉しかった記憶はある」
「ですよね。ってそうだ。クロード先生の杖。それは何処で買ったんですか?」
今がチャンスとばかり私はユーゴ様モデルと思われる杖の購入先をリサーチする。
「これはエンムリオの杖だが」
「えっ、じゃ、やっぱり完売してるんだ……」
私はガッカリする。でも今思えばアーチの杖を制作してもらう為にエンムリオの杖を訪れた時、店内にそれらしき杖は販売されていなかった。つまりそういうことである。
しかし流石二十五代目エンムリオさんだ。本物と見劣りしない出来なのは彼が監修したからだと私は納得する。
「完売?」
「だってその杖、ユーゴ様モデル。レプリカですよね?」
「あ、な、なるほど。そういう事か。まぁ、これはうん。色々と」
歯切れの悪いクロード先生。その様子を見て私は全てを悟った。クロード先生はきっと、個人的にユーゴ先生の杖のレプリカを作ったに違いないと。知り合い特権を生かしたから本物そっくりな杖を作る事が出来た。それはずるい事で、人にはあまり言いたくはない。その結果の歯切れの悪さ。納得である。と同時に私は悔しさが込み上げる。なるほどその手があったかと。
しかしエンムリオの杖はそうそう気軽にオーダー出来るものではない。となると私がユーゴ様の杖のレプリカを手にする事が出来るのはまだまだ当分先のようだ。誠に残念である。
「また何か変な事を考えているのか?」
「いえ、真っ当な事なので大丈夫です」
私に疑うような視線を向けるクロード先生。今日も丸メガネがキラリと光っている。丸メガネ……。
「クロード先生、眼鏡を外していただけますか?」
「な、何でまた急に」
「そう言えばクロード先生の眼鏡なしバージョンのお顔を拝見した事がないなと思って」
クロード先生はこう言っては何だが全然格好良くはない。
身に付けている服やグッズは小綺麗にしているけれど、見た目が何となくもっさりしているのだ。
私はクロード先生をジッと見つめる。あちらこちらに飛び跳ねた焦茶の髪。こちらにギョッとした顔を向ける瞳の色は琥珀色。鼻筋は通っているし、耳の形も悪くない。だとすると、クロード先生がどこか垢抜けない感じの原因は明らかに丸くて分厚い眼鏡でしかない。
「クロード先生って眼鏡を取ったら、実は素敵になるのかも」
「え!?だ、だめだ。僕はこの眼鏡を外したら……」
「外したら?」
「は、外したら……それはもう……病気になる」
「え、命の眼鏡!?一体それはどういう原理で。やっぱり魔法で?」
「冗談だ。でも駄目だ。外さない」
頑なに外さないと口にするクロード先生。そう言われると逆に素顔をもっと見たくなるというのが人間心理。
「アーチと一緒にお昼寝したらどうですか?」
「遠慮しておく」
「では、ちょっと私の近くに来て下さい」
「断る」
「じゃ、今度顔にパイを投げつけていいですか?」
「いいわけないだろう」
「カエルは?」
「やめてくれ」
クロード先生は両手の指先で眼鏡のテンプル部分をしっかりと押さえながら私の提案をきっぱりと拒絶した。
「減るもんじゃないのに、クロード先生はケチですね。アーチには杖を買ってくれたのにな」
「君も何か僕に買って欲しいのか?まさかそこまで生活が困窮しているとか?」
真面目な顔でそう問われ、私は思わず苦笑いになる。
「冗談ですよ。物を恵んでもらうほど困ってはいません。そりゃユーゴ様グッズは湯水の如くお金を使えるなら全て欲しいけど、そっちに投資して食べることを疎かにするほど私は愚かではありません」
いや、本当はそうなりかけた事もある。アダム様の所を飛び出してまだ間もない頃。自由を手に入れた反動のせいか、ユーゴ様グッズを沢山購入してしまい、パンすら買えなくなった事は今となっては懐かしの苦い思い出。あの時は水が頼りだったし、マンドラゴラの休息亭で出される賄いに救われた。というか今も賄いがなければ、ユーゴ様グッズを私は購入出来ていないだろう。
「君は本当に僕……ユーゴに憧れているんだな」
「僕って言いかけましたよね?」
「いや、言ってない」
「まさかクロード先生は私が好きなんですか?」
「え?普通このタイミングでそういう事を聞くか?しかも本人に単刀直入的な感じで」
「あー、確かにそれはデリケートな問題ですもんね」
「そうだ」
まぁ今の感じからすると、クロード先生は私が好きなのだろう――って、待ってそれは困る。何故なら私は人妻だ。
「ごめんなさい。私は人妻です」
「知ってる」
「それにクロード先生のお知り合いのユーゴ様の。むふふ」
いかん、つい変態が漏れ出してしまった。だけど「ユーゴ様の妻」という響きの破壊力たるもの半端ない。それが全て悪いのであって、漏れ出す変態は致し方無い。不可抗力である。
「君こそ僕が好きなんじゃないのか?」
「え?」
「あいつに、ユーゴにそう言ったんじゃないのか?」
「あ、言いました。というか、クロード先生とユーゴ様ってもしかして」
私はジッとクロード先生を見つめる。
「な、なんだよ」
慌てた様子で眼鏡の真ん中を押さえるクロード先生。これは確実に怪しい。
「えーと兄弟なんですか?」
「あー、まぁ。そんなところだ」
「えっ、本当に兄弟なんですか?」
カマをかけたつもりが正解だったらしい。そう言えば何処と無く顔の輪郭はユーゴ様に見えるような?そんな気もしなくない。
「いや、その、まぁ、遠縁。そう、母方のそのまた母方の……つまり遠縁だ」
「ほほう、何となく色々と謎が解けました」
やたら親しいのは、母方のそのまた母方の遠縁だったからだ。ええとそういうのは一般的に何と言うのだろうか……と、とにかく。クロード先生とユーゴ様は他人ではないから、密に連絡を取り合う中なのだろう。ちょっとスッキリした。
「だから私はクロード先生の事をいいなって、思うんだ」
「えっ、まさかの告白か?」
クロード先生は丸い瓶底のような眼鏡のせいで元々大きく見える琥珀色の瞳を更に大きくした。まずい、勘違いさせてはいけない。
「説明しますので、落ち着いて下さい。ええと、私はユーゴ様が大好きで尊敬していて、生きてくれてありがとうって感じなんですけど」
「大げさ過ぎないか?」
「まぁ、ファンとはそういうものです」
「なるほど?」
全く納得していない顔をクロード先生は私に向けた。けれど私は自分の中に沸き起こる「推し」「尊い」という気持ちをクロード先生に上手く伝える事は出来ない。自分でも良くわからないからだ。その気持は理解するものではない。感じるものだから。
「それで、ユーゴ様に対し、私は明らかに特別な感情を抱いています。ですが、クロード先生の事もまた、気になるというか」
「それはもう好きなのでは?」
「そうなんですかねぇ。クロード先生とは素に近い感じでお話出来るので、楽だなぁとは思いますけど。好きかぁ。まぁ、好きなのかなぁ」
それは恋愛的にという事なのだろうか。だとしたら、恋愛的に好きというのは実に穏やかな感情だと私は思う。
ユーゴ様に対して感じる、全てを超越し、たただひたすら「好き、尊い、死ぬ」といった燃え上がる炎のような感情をクロード先生には全く感じないからだ。
でもだからといってそういう爆発する気持ちを感じないクロード先生が嫌いなわけではないし、無関心でもいられない。クロード先生の好きな食べ物を知りたいと思うし、もっと一緒の時間を過ごしてみたいなとも思う。明らかに刺激は足りない。だけどなるほどそうか、これが恋なのか。ふむふむ。
「つまり僕たちはその、お、思い合っていると」
思い合っている?それってクロード先生も私が好きって事確定?え、でもそれってまずくない?そう思った瞬間、私の脳裏に「痴情のもつれの末」という危険な単語が浮かんだ。全然穏やかではない単語だ。
「ごめんなさい。私はクロード先生とは付き合えません」
「あー、まぁそうだな。君はユーゴの妻だ」
「えっ、随分あっさりと納得されるんですね」
その程度の好きなのねと少しだけがっかりする。けれど恋愛的な好きは穏やかな気持だと、そう言えば私は先ほど気づいたではないか。
ユーゴ様に感じる好きは燃え盛る炎で爆発的。
クロード先生に感じる好きは波打ち際で濡れる砂といったじわじわとする穏やかなもの。つまり、引き際も意外に呆気ないのかも知れない。
「僕は君に、ちゃんとユーゴの姿で見て欲しいと思っている」
「ユーゴ様の姿ですか?」
突然真面目な顔になったクロード先生。その顔を凝視してみるが、残念ながら顔のパーツはユーゴ様の圧勝だ。異論は認めない。
「君はユーゴの何が好きなんだ?それは僕に感じる気持ちとどう違う?」
「あ、それならいまさっき考えて結論がでました」
なんてグッドタイミングなんだろうと私は得意げに口にする。
「ユーゴ様は問答無用で燃え盛る炎の如く好き。クロード先生は波打ち際の砂のように好き。それが二人に対する好きの違いです!!」
どうだ、バッチリだろうと私は胸を張る。
「わかるような、わからないような。はぁ……何でこんなややこしくなっちゃったんだろう」
クロード先生はそう口にすると頭を抱えてしまった。それを見て全然ややこしくないのになと思いながら、私は膝の上でぐっすり眠るアーチを見て穏やかな気分で満たされていたのであった。




