002 どうやら家を追い出されるようです
ベルンハルト王国軍の第一部隊に所属し中将だった父の葬儀は同じ戦争で命を落とした者達と共に国葬とされた。陛下が弔辞を述べているのを私は遺族席にて静かに聞いた。
そして一連の葬儀が終わると、教会の鐘が鳴らされた。それから私達は父を埋葬する墓地へと向かい、静かに最後のお別れをした。
「すまなかった」
「申し訳ない」
「立派だった」
「勇敢だった」
黒い軍服を身に着けた父の部下だという人達に散々励ましの声をかけられた記憶がある。けれど長い葬儀の疲れと精神的な疲労の限界を迎えていた私は、声をかけてくれた人に何か言葉を発していた気がするけれど、その時の記憶は曖昧。あまりよく覚えていなかった。
「お父様にもう会えないのかぁ……」
いつもと同じ青い空。街を行き交う人々の忙しさは通常通り。葬儀を終え屋敷に戻った私はぼんやりと窓の外を眺める。何ら変わらぬ日々のように見えて、だけど私はもうお父様に会えない。ダイニングの椅子もリビングのソファーもお父様の定位置だったそれらの椅子にはもう誰も座る事がない。屋敷に戻った途端、その現実を目の当たりにし急に悲しくなった。
「とうとう一人になっちゃった」
これからの事を不安に思い、私は胸に抱いたユーゴ様をデフォルメした人形を抱きしめる。
「でもま、魔法学校に戻ったら大丈夫だよね。早くローザとレティに会いたい」
その時の私は自分の生活からぽっかりとお父様だけが抜け落ち、後は元通りになるのだと疑いもせず親友との再会を待ち遠しく思っていた。
けれど世の中はそんなに上手くいくはずもなく。
父の葬儀が終わって数日後、父と住んでいた屋敷に我が物顔で訪れた父の腹違いである弟、私にとって叔父にあたるアダム様によって私には本当の試練がもたらされる事となったのである。
★★★
我が家の応接間。いつもはお父様が新聞を広げ腰を下ろしゆったりとくつろいでいた一人掛けのソファー。どっしりと重厚な見た目をしているそのソファーに、現在当たり前のように腰を下ろしているのは叔父様だ。
「国王陛下の許可が下り、私がこの家を正式に引き継ぐ事になった。まぁ、バルトシーク伯爵位を陛下より任命されたハイゼ家の直系男子は私しかいないからな」
私は突然屋敷を訪れたアダム叔父様に応接間に呼びつけられそう告げられた。
でもそれは妥当な判断であると私は思った。
そもそも伯爵位を持っていた父には私しか子どもがいなかったし、この国の決まりで女性に爵位継承の権利はない。つまり父の持つ爵位を継げるのは現在の所、誰がどうみても叔父であるアダム様のみということ。
それに加え私は父と慕っていたテオドル・ハイゼ=バルトシーク伯爵と戸籍上は親子関係を結んでいる。けれど実のところ血の繋がりはない。
以上の事から冷静に考えてみれば、叔父様の主張は妥当だと思われた。
ただ、叔父様が我が物顔でお父様の定位置、お気に入りだったソファーに座る事だけはとても受け入れ難く、嫌な気持ち満載だ。
「人のいい兄は誰かに押し付けられるまま、お前を一人で呑気に育てていたが、私はお前を家族と認めるつもりはない。所詮、お前は私にとって赤の他人だ」
厳しい顔を私に向け、きっぱりとそう言い切る叔父……いや、アダム様。その言葉を受け、私は内心「ですよね」とやっぱり納得した気持ちになる。
今まではテオドル・ハイド=バルトシーク伯爵。今となっては前伯爵ではあるが……とにかく、理由や経緯は不明。けれどテオドル様の完全なる善意の上で私はここまで何不自由なく生きてこれたのである。その事に感謝し、私は屋敷の全てをアダム様に明け渡そうと覚悟した。
正直なところ、私にとって恩人とも言えるテオドル様の椅子に腰掛けるアダム様を見たくなかった。自分とテオドル様の思い出を穢されるような気がして、心から耐えがたかった。だからもうこの家とはおさらばだと直ぐに屋敷を出る決心を固める事が出来たのだと思う。
「アダム様、今までありがとうございました」
私はアダム様に頭を下げる。実際の所アダム様に何かをしてもらった記憶はない。むしろ生前テオドル様は口癖のようにアダム様について私や周囲にこう漏らしていた。
『あいつは駄目だ。俺も駄目だが、あいつはもっと駄目だ。見栄っ張りで浪費家。あいつにこの家を任せるくらいなら、爵位返還の方がずっとこの国の為になるだろう。だからいいか、絶対にあいつの話を信じてはいけないし、近づくなよ』
私はテオドル様にそう刷り込まれた事もあって、貞順なフリをしながら、実際はテオドル様に言われていた「近づくなよ」を思い出し、ますます屋敷を出る方向に思考が全力で傾いていた。
「それで、大変申し訳ございません。ご迷惑だとは思うのですが、せめて最後に屋敷を出る準備をさせて頂く、そのお時間だけでも下さると大変有り難いのですか……」
「うむ、確かに着の身着のまま放り出しては外聞が悪い。期限はそうだな……一週間。それを過ぎたらお前は速やかにこの屋敷を去る。それで決まりだ」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
私はアダム様に頭を下げ、それから慌てて自室に戻った。持っていく物は既に決まっている。一番大事なお母様の形見だといういくつかの宝石。そしてユーゴ様グッズ。後はお父様から「なにかあった時に」と言って渡されたお金。出来たら今後の生活の目処が立つまで食いつないで行く為に、もう二度と袖を通す事のないであろうドレスに装飾品も売り払いたい。
私はひたすら合理的に自分の財産に成り得る物を数日かけて判断し、質屋で換金しユーゴ様グッズや日用品、それにお金をトランクケースに詰め込んだ。
「お嬢様、とうとう私達もこの屋敷をおいとまする事になりそうです」
一番仲良しだったメイドのマノラから突然私はそう告げられた。彼女は屋敷を出る用意を手伝ってくれたり、庶民として生きていく知恵をここ数日で授けてくれた、いわば友人のようなメイドだ。
「マノラもなのね。今まで本当にありがとう。何もしてあげられなくてごめんね。もし不当にアダム様に追い出されちゃうのなら、私が何とか雇い続けてもらえるように口利きしてみるけど」
多分駄目だろうなと半ば諦めつつ、けれど今までお世話になってばかりだったマノラ達、気の良い使用人達の為になるのであれば、最後にせめてもの恩返しとばかり、アダム様に雇用を続けるようにと頼みこんでみようと私は思った。
「いいえ、ご主人様がお亡くなりになられてしまいましたし、お嬢様がこの屋敷を離れる事になるならと、退職願を出した者は多くおります。それに私達に声をかけて下さったお屋敷がありまして」
「そうなのね。良かった。マノラはとても気が利くし、明るいし、働き者だし、新しいお屋敷でもきっと可愛がって貰えると思う」
「ありがとうございます、お嬢様」
「私は何もしてないわ。で、その次のお屋敷はどこ?落ち着いたらお手紙交換をしない?」
「それが、今はまだ言えないんです。王都ではあるんですけど。とてもいいお屋敷で……」
言葉を濁しながら、私のトランクに丁寧に折りたたんだドレスを詰めてくれるマノラ。次のお屋敷が具体的にどこなのか言えないのは、もしかしたらそういう契約なのかも知れないと思い当たった私は、マノラの今後について深く追求する事にしなかった。
長いこと一緒にいたマノラとこれっきりになるのは正直寂しい。けれど私も王都を離れるつもりは今の所ないので、そのうち偶然何処かで会える可能性にかけようと私は思った。
「お嬢様はどうされるんですか?」
「実は魔法学校の先生が、魔法部に推薦状を書いて下さったの。だから私は軍に入隊するつもり」
「軍にですか。あ、でも入隊義務があるから」
「そ。魔法学校は中退しちゃう事になるけど、二年間は今までお世話になった分、きちんと軍で頑張るつもり」
私は特段目立った成績を取っていたわけではない。けれどテオドル様が軍属だったせいか、魔法学校の先生に一連の経緯を話して伝えると快く魔法部の推薦状を書いてくれたのである。
「いつか偶然警ら中のお嬢様にお会いしたりして」
「そうかも。見かけたらちゃんと声をかけてね」
「お嬢様が意外と元気に用意されていたのは、入軍が決まっていたからなんですね」
「だって、魔法部にはユーゴ様がいるから」
「あぁ。そうでしたね。お嬢様は興奮するとすぐに鼻血を出しますので、そこだけは気を付けて下さい。ハンカチは最低でもニ枚ほど常にポケットに忍ばせておいて下さいよ」
「そうよね。ユーゴ様とすれ違ったりしたら鼻血注意報よね」
「えぇ、本当に」
大真面目な顔で頷くマノラと目があって、それから私達は屋敷を追い出されるというピンチに陥っているはずなのに、何だか未来に期待しちゃうよねとお互いの顔を見合わせ笑い合ったのであった。