018 ユーゴ様を何てこと!!この鬼畜め!!
アルフレッド殿下には私以外にもお気に入りの子がいるらしく、夜はもっぱらそちらで過ごしている。だからその日もきっとそうだろうと思い込んでいたのがまずかった。それに昼間に「無理矢理は可哀相だと情けを……」なんて言葉を聞いた事もあり私は完全に気を抜いていたのである。
「これは何だ!!誰がお前にこんな不吉な物を渡したッ!!」
「不吉じゃないですし、持ち込んだのも私です。だから帰して下さい」
私はアルフレッド殿下によって高く掲げられたユーゴ様のカード目掛け思い切りジャンプをする。
「自分で持ち込む?まさかお前は常にコイツのカードを持ち歩いているのか?」
「当たり前です。因みにそれはダブリの観賞用カード。つまり我が家には保管用が別にありますが、それはそれ。とにかく返して下さい」
「全部ユーゴの物を?」
「当たり前です」
「気持ち悪いな」
「えぇ。充分自覚しています。だけど私のその執着心を向けられているのはユーゴ様であって、つまりユーゴ様にしか迷惑をかけていません。だから返して下さい」
私はアルフレッド殿下の手からカードを奪おうと狙いを定め、大きくジャンプをした。しかし、残念ながらヒョイとかわされてしまう。
「意地悪しないで下さい」
「意地悪ねぇ……」
アルフレッド殿下は忌々しそうな顔でユーゴ様のカードを見つめると、ふと、何かを閃いたような顔になると私の顔を見てニヤリと意地悪く口元を歪ませた。
「わからず屋のお前には思い知らせる必要がある」
何を?と疑問に思った瞬間、アルフレッド殿下はユーゴ様のトレーディングカードを宙に放り投げた。
私は咄嗟に宙を舞い落下するそれを奪おうと手を伸ばす。そして私の指先がカードの端に触れた瞬間、こちらに笑顔を向けるユーゴ様がボッと燃え上がる。
「熱ッ」
一瞬で塵となり、パラパラと灰となって床に落ちるカードの残骸を眺めながら私は目の前の出来事にただただ「大変な事が起きた」と青ざめる。
「いい気味だ」
「酷い」
いつの間にか取り出していたのか、杖をくるくる指先で回し得意げなアルフレッド殿下。私はその悪びれない様子に呆気に取られながら静かに怒りを内に溜め込む。
「睨むな。このカードはまだ家にあるのだろう?」
「そうですけど、だけど……」
今手元にあるカードはこれだけで、ここに監禁されている間はもう新しいカードは手に入らない。それに何より、ここ数日における理不尽な仕打ちの間、私を救ってくれたのはユーゴ様……のカードだ。
ダブリでノーマルなユーゴ様で市場価値は限りなく低かったとしても、今の私にとってはスーパーレアと等しい価値あるカード。それを燃やされてしまった今、私はもう生きていけない。私は力なく床に這いつくばり涙を堪える。
「私が何をしたって言うんですか」
「俺よりあいつを選んだ」
「選んだって、そもそも殿下と私の接点は今まで何もなかったじゃないですか」
私は理不尽な気持ちをアルフレッド殿下にぶつける。
数日前ロナウゼナに突然現れて絡まれた。そしてユーゴ様への滾る気持ちを口にしたらこのザマだ。ここ数日間で私が感じたのは、アルフレッド殿下がユーゴ様に対し並々ならぬ負けたくない気持ちを抱えていることくらい。その理由はわからない。だけど正直、その事と私は無関係である。
「俺が兄より目立つ為には同じ属性持ちであるあいつが目障りだし、ユーゴを好きだと公言するお前も気に食わない」
「個人の趣味嗜好くらいほっといてよ」
私は本音を漏らしながら涙の粒をポトリと床に落とす。
「お前はひたすら素性を隠しているつもりだろうが、ルミナ・ラージュ。あいつの妻なんだろう?」
アルフレッド殿下が私の前に立つと上から衝撃的な言葉を私に浴びせる。いつから知っていたのだろうか。ここに私を監禁した事。それに日々繰り返される茶番が全てを知っていた上で行っていたとしたら、アルフレッド殿下は私が思うよりずっと、気が狂っているし、危険人物である。その事に気付いた途端、目の前の人物を怖いと怯える気持ちが私の中で初めて沸き起こった。
「ユーゴが密かに結婚していた事実には何か裏があるのではと驚きを隠せない気持ちもある。それにお前のその髪色と瞳の色。その事が示す意味合いを考えるとユーゴを恐ろしくも思う。しかし妻を奪われた時のあいつの悔しがる顔を俺は見てみたい」
アルフレッド殿下は床に両手をついて項垂れる私の前にしゃがみ込むと、私の顎を持った。そして私の顔をクイッと上げる。
「正直お前があいつの妻でなければ俺もお前にここまで執着したかどうかはわからない。けれどお前はユーゴの妻だ。恨むならあいつを恨むんだな」
アルフレッド殿下の抜けるような青い空と例えられる瞳が私を捉える。
私はその瞳を見つめながら思う。どうしてアルフレッド殿下がこんなにもユーゴ様にそんなにライバル心を向けているのか私にはわからない。けれど、こんな状況に陥った原因がユーゴ様だったとしても、私はユーゴ様を推す事はやめない。例えその事で世界中にあいつは懲りない馬鹿だと罵られても、ユーゴ様を推す事は私にとって人生を賭けてもいいくらい価値のある事なのだ。
「あのさ、その歪んだ思考を僕の妻に向けるのやめてくれないかな」
とても不機嫌そうな声が私の耳に入る。黒く淀んだ心に一滴の清涼剤。その声の主は間違いない、ユーゴ様だ。その事に思い当たった私はアルフレッド殿下を全力で押しのけ、声のした方に顔を向ける。
「あっ、本物みたいなユーゴ様」
「君はさ……まぁいいや、文句はいつでも言えるし。おいで、ルミナ」
ユーゴ様は私の傍に歩いてくると、スッと私に手を伸ばした。
「まさかの、名前呼び……これは夢なのか。いやむしろこんな夢みたいな状況はあり得ない。とすると、私は死にかけて、だから自分に都合の良い夢を見させてもらっているという説が浮上?やだ、まだ死にたくない」
「いいから、帰ろう」
「えっ、どこへですか?」
帰ろうという言葉はとても魅力的だ。けれど、ユーゴ様と一緒に帰る場所に思い当たる節はないし、私に向かって伸ばされたユーゴ様の手は尊い。
私はガバリと起き上がると後ろに後退し一先ずユーゴ様から距離を取る。
「君は僕の妻だろう?何処って、それは僕たちの住まいに決まっているだろう?」
「僕たちの住まい……」
私はその言葉を脳裏で反復し、あまりにその破壊的なシチュエーションに胸が苦しくなった。何故なら推しは「遠くで愛で隊」派の私にとって推しと同じ屋根の下なんて、ある意味毎日水の中で暮らすようなもの。つまり息ができない、窒息してしまうというわけだ。
それに私はユーゴ様と離婚しようと決めたばかり。そもそも逃げ出した事や自分がユーゴ様のトラウマになっていること、そんな事情を一気に思い出し私は青ざめる。ピンチに駆けつけてくれたユーゴ様の存在は嬉しいし、何ならこのまま死んでもいいかもと思えるほどだし、全世界のユーゴ様推しが一度は夢見るシチュエーション。けれど問題を多く抱えた私にとって、ある意味ユーゴ様の登場は解決しなければいけない事が増えたとも言える。まずい、非常にピンチだ。
「お前、何でこの部屋に入って来れたんだ。城の警備はどうなっている!!」
立ち上がりユーゴ様に杖を向けて怒り出すアルフレッド殿下。すっかり忘れかけていたけれど、確かにここは難攻不落の王城内の更に奥。流石にユーゴ様がアルフレッド殿下のいとこで魔法部のエースだったとしても簡単には通して貰えそうにない場所である。
「殿下、ここはそもそもあなたの部屋ではない。来賓用の客間です。そして今この部屋に滞在しているのは私の妻。以上の事から妻の部屋に夫が入る事には何の問題もないかと。むしろ人の妻の部屋に夜分遅くに侵入している殿下の方が問題ありなのではないでしょうか?」
「くっ……」
「しかも、あなたは私の妻を同意なく、勝手に拐って行ったと目撃情報が多数寄せられております。いくら殿下とは言え、流石にそのような行為はまずいのではないでしょうか」
「し、知らなかったんだ」
「おや、さっき私の妻だと仰っていましたよね?」
「それは……き、今日知ったんだ」
「だとすると更に問題ですね。私の妻だと知った日の夜にこうして部屋を訪れる。誰に聞いても倫理的に問題ありと答える行為だと思えますが」
「しかし私は王子だし、お前より優れている」
「だからって他人の妻をこんな風に閉じ込めていいわけがないでしょう。僕が気に食わないのならば、正々堂々といつもみたいに嫌がらせをすればいい。関係のない妻を巻き込まないでくれ。さぁ、帰ろうルミナ」
ユーゴ様はあっという間に私に近づくと、有無を言わさぬ勢いで私の腕を掴んだ。ふわりと私の鼻先にミントの香りが漂い、私は思考を放棄せざるを得ない。だって尊いし大好きだ。
「おい、待て」
アルフレッド殿下が私とユーゴ様に杖の先を向け、円を描くように軽く宙で振った。すると床から茶色い根っこが生えてきて、私の足首にぐるりと巻き付いた。ルートと呼ばれる足止め魔法だ。
「アル、お前いい加減にしろ。僕と彼女の結婚に同意しかねるのならば議会を通せ。といっても、既に陛下によって彼女との結婚は承認された物だけど」
ユーゴ様は苛々とした様子で、まるで知人に話しかけるような調子でアルフレッド殿下にそういい捨てた。
「またそうやってお前は俺を馬鹿にするんだな」
「悪いけど、彼女は僕の妻だ。それに僕に馬鹿にされたくなければいい加減その歪んだ性格をどうにかしろ」
「お前こそ、その減らず口を今すぐ閉じろ」
アルフレッド殿下は大声でユーゴ様を怒鳴りつけた。そもそもの理由はよくわからない。けれどこの二人はどうも拗れた関係のようだ。
「これ以上僕の妻を足止めするというのであれば、残念だけど今回の件はクロヴィス陛下に報告する」
「なっ」
アルフレッド殿下はユーゴ様の言葉に突然顔色を悪くし落ち着かない様子で目を泳がし始めた。どうやらアルフレッド殿下の弱点は彼のお父様でもあるベルンハルト王国の国王、クロヴィス陛下のようだ。
「こ、今回は見逃してやる」
見逃してやるとはこちらのセリフでは?と私は密かに指摘する。アルフレッド殿下は唇を噛み締め悔しさ一杯といった感じの様子で私の足元にかけた足止めの魔法を解いた。
「次に僕の妻に同じ様な事をしたら、許さないからな」
キリリとした表情でアルフレッド殿下を睨みつけるユーゴ様。発した言葉の全てが私の為にだと思うと嬉しくて鼻血が出た。
「あっ」
「えっ!?」
咄嗟に身を引いた私の鼻血はドレスに染みを作ること無く床に敷かれた真っ赤な絨毯の上にポタリと落ちた。多分セーフである。
「なんなんだよ……」
「すみません」
呆れた様子で私を見下ろし、それからユーゴ様はポケットに手を入れて、真っ白なハンカチを私に差し出してくれた。
「鼻血、拭きなよ」
「ありがとうございます」
私は密かに「これぞまさにオフィシャルグッズ!!」とユーゴ様のハンカチに狂喜乱舞し、ギラギラした瞳をハンカチに注ぎながら、しおらしい態度を全力で醸し出しハンカチを受け取る。
「まぁ、そういうことだから。あ、彼女の持ち物を返してもらえるだろうか?」
「あ、あぁ、そうだな」
ユーゴ様の言葉に素直に答えるアルフレッド殿下。
アルフレッド殿下は自分のズボンのポケットを探ると、小さな鍵を取り出した。そして部屋に備え付けられたキャビネットの引き出しをその鍵で開ける。ガサゴソと引き出しの中に手を入れたのち、私の私物が入っていると思われる赤いシルクの巾着を手渡してくれた。
「この中に君の私物がある」
「ありがとうございます」
さっきまでピンと糸を張ったように緊張していた私達の周囲を漂う空気がダラリと弛んだようになる。何となく私も、それからアルフレッド殿下も間抜けな感じだ。
「じゃ、今度こそ失礼する」
「あぁ」
ユーゴ様は紳士的にアルフレッド殿下に別れの挨拶を告げた。それから徐に私の手を握る。
「うおっ」
この状況でまずいですってと更なる鼻血に私は警戒する。
「転移するから」
「えっ、どこへ?」
ユーゴ様への素朴な疑問を口にしたと同時。私は有無を言わさぬ勢いであっという間にユーゴ様の杖の先から繰り出された魔法の粒に体を飲み込まれたのであった。




