017 わりと本気でこの国の将来が気がかりだ
シンシアからの国外逃亡に向けた便りを待つ私の心の支えはやっぱりユーゴ様。というのも着の身着のまま拉致された私は、いつもの癖でポケットにユーゴ様仕様、ダブりのトレーディングカードノーマルバージョンが入っていたのである。
お仕事シリーズと呼ばれるそれは、様々な職業に扮したユーゴ様に出会えるまさに夢の企画。現在私が手にしているのは、黒い帽子を被ったユーゴ様で、その手には大きなブラシが持たれている。顔に煤をつけ屋根の上で煙突にもたれかかっているという構図だ。どこからどう見ても煙突掃除人である。
公爵家の三男であるユーゴ様が煙突掃除人になるなるんて現実ではあり得ない。あり得ないけれど、このカードではあり得るという不思議な感覚。そして煙突掃除人という社会的ステータスの低いとされる不人気職にユーゴ様が化ける事で、職業差別を無くそうという狙いもある気がする。だってユーゴ様のお陰で煙突もブラシも職人さんもとても素敵に思えるから。
それにユーゴ様は危険を伴う煙突掃除に便利な魔法のブラシを開発した功績者。ユーゴ様の考案した魔法のブラシは肢の部分にかけられた魔法によって、伸縮自在になっているのが特徴だ。だから煙突に潜らなくとも勝手に煙突の凸凹に合わせ形を変え、隅々まで掃除する事を可能にした。その結果煙突内での死亡事故はかなり激減した。
つまり、ユーゴ様はベルンハルトの煙突掃除人の命を多く救った救世主。やはり尊い人物である事は間違いない。
「ユーゴ様、助けて」
私は手のひらサイズのユーゴ様に救出の願いを口にする。本人から逃げておいて困った時にだけ助けを求めるだなんて図々しい事は百も承知している。だけど、王城の一室に幽閉された私には、このカードしか心から信頼できる者はいない。それにこうしてユーゴ様の姿を眺めていると、絶対逃げ出す、そして新たなカードを手に入れると前向きな気持ちになれるのだ。物欲最高である。
「待たせたな。会議が長引いた」
窓の外を眺めるフリをしてユーゴ様のカードを眺めていた私はその声にギクリとする。
「外に出たいのか?」
背後から近寄る気配に体が緊張する。私は咄嗟にユーゴ様のカードを胸の前で隠す。見つかったら絶対に取り上げられる。それだけは何としても阻止しなければならない。つまりポケットに仕舞い込むタイミングが重要。
「美しい鳥が空を飛んでいたので眺めていました」
実際は外なんて眺めていない。でも美しい人は眺めていた。殿下が邪魔しなければ永遠に眺めていられたのにと密かに嫌味を心で吐き出しておく。そして私は背後から私に近づくアルフレッド殿下に、はにかむ笑みと共に体を向ける。勿論後ろ手にユーゴ様のカードを隠して。
「おっ、今日は機嫌が良さそうじゃないか。そして変わらず美しいな、お前は」
人の趣味嗜好についてとやかく言うつもりはない。けれどアルフレッド殿下は私の見た目がお気に入りのようだ。正直前の私よりは確かに自画自賛してしまうくらい今の私は垢抜けて美人であると思う。
けれど冷静になって性格や態度を抜きに比べてみたら、シンシアの方が美人度は上だと私は自覚している。だからアルフレッド殿下はちょっとどうかしている人物。
まぁ、町で見つけたばかり。知り合いでもなかった町娘をこうして連れ込んで監禁している時点で相当頭がおかしい人だけれど。こんな人が王子だなんてこの国の行く末が恐ろしい気もする。
「殿下は会議に出席されていたんですか?」
アルフレッド殿下は私の顔を満足気に厭らしい顔で眺めている。あぁ、気持ち悪い。
「あぁ、全くくだらない会議だ。植物の土の質がどうとか、水やりの頻度だとか、あんなもの全部ユーゴに押し付けておけばいいものを。しかしお前の顔を見ると癒されるのは何でだろうな」
アルフレッド殿下が私の腰に手を伸ばし、正面から私を抱き抱えようとする。
「おやめください」
私は片手で、アルフレッド殿下の胸元を押す。強く強く押す。
「嫌がる顔も悪くない」
アルフレッド殿下が私の顔を見つめたまま、無理矢理私の腰を抱く。そして自分の体に私を密着させようとする。気持ち悪さマックスだけど今がチャンスだ。私はさりげなくユーゴ様のカードをポケットに仕舞い込む。セーフである。
「ほんと、やめて」
私は両手でアルフレッド殿下の体を全力で押しのける。ユーゴ様のカードを隠し通せた私にもはや怖い者はない。案の定、私の反撃に少しだけ後ろによろめくアルフレッド殿下。私は腰からアルフレッド殿下の手が離れた瞬間、後ろに後退し危険な男と距離を取る。
「あのな、お前は俺がこの国の王子だと理解はしているんだよな?」
「はい、一応」
認めたくはないけれど。とこっそり心で付け加えておく。
「つまり、俺が願えばお前如き、すぐに傷物にできるということだ。その意味が流石におまえにだってわかるよな?」
腕を組みニヤリと口角を上げるアルフレッド殿下。
「それをしないのは、無理矢理ではお前があまりも可哀想だと、俺は最大限、お前に情けをかけているつもりなのだが」
何を偉そうにと私は目の前の人物に怒りが込み上げる。けれどどんなに理不尽でムカついてもアルフレッド殿下の言う事は正しい。この男が王子である限り、私の意見などミジンコ以下だ。
「ありがとうございます。そこには感謝しています……わりと」
そもそも何でこんな目に遭わなければならないのかという最大の疑問はさておき、今の所無理矢理襲って来ない事だけは感謝しなくもない。それは本心だし、永遠にそうであって欲しい。
「お前は何故ユーゴなんかがいいんだ?もしかして何か弱味を握られているのか?」
「いいえ」
「じゃ、どうして」
「心がそう叫んでいるからです」
「理解不能だ」
アルフレッド殿下は呆れたように首を振り、部屋に備え付けられたソファーにドサリと腰を下ろし、ポンポンと隣を叩いた。そこに座れと言う事だろう。
「失礼します」
私は一応礼儀として断りを入れ、仕方なくアルフレッド殿下の隣に座る。というのも、最初はこのソファーセットは確かに向かい合う二脚がセットで置かれていた。しかし毎回頑なに向かい側に座る私を懲らしめるためなのか、早い段階で対になったソファーの一脚が部屋から非情にも搬出されてしまったのである。
つまり現在この部屋には三人掛けのソファーが不自然に一脚だけ置かれた状態。だからソファーに座れと指示された場合、アルフレッド殿下の隣に腰を落ち着ける羽目になる。私には選択肢がそれしか残されてないからだ。
ただ、私は最後の抵抗とばかり肘掛けに張り付くように腰をかける。そんな私の姿を見てアルフレッド殿下はクスリと微笑んだ。
「懐かない猫を手懐ける。その過程が困難であればあるほど、こちら側に落ちた時の喜びは刺激的でたまらないんだろうな。楽しみだ」
足を組み背もたれに両腕を伸ばすアルフレッド殿下。私の髪の毛先を指先で弄びながらすこぶるご機嫌。楽しそうである。
「悪趣味ですね」
私は不機嫌さ全開で容赦なくその手をはたき落とす。
「今日は統計的に如何に私がユーゴより優れているかをお前に示そうと思う」
あぁ、やっぱりそう来るのねと私は不毛な時間の始まりにダラリと全身の力を抜いた。
「デニス、あれを」
アルフレッド殿下に言葉をかけられたのはよくある茶色い髪にこちらは幾分珍しいオレンジ色の瞳を持つ青年。王城に勤める文官の制服、黒いスーツに身を包んでいるデニス様だ。
彼とはマンドラゴラ亭で一度会っている。早くオーダーをしろとイラつく私に気付いた人物だ。デニス様は人の気持ちを察する事の他に、気配を消す事に関しても長けている。そしてアルフレッド殿下に振り回される被害者の会において、名誉会長という職にもついている。ま、ここに監禁されてから私が勝手に設立した会ですけれど。
「こちらを」
デニス様はアルフレッド殿下に大きめな紙の束を見せた。それを見てアルフレッド殿下は満足気な声をあげる。
「良くまとめてあるじゃないか。では打ち合わせ通り、よろしく頼む」
「御意」
一体何が起こるのだろうかと、私は警戒しつつも、デニス様が胸に抱えこちらに向けた紙の束の表紙に目を向ける。
『魔法部公式グッズにおける販売実績ランキング』
悔しいけれどだいぶ気になる文字が書かれている。
「ベルンハルト王国は国民に対し、より身近に軍人を感じてもらいたいと願い毎月公式グッズを販売しております。その中でも一番人気なのが月ごとに発売されるトレーディングカードとなっております。こちらのグラフを御覧ください」
デニス様はそう言うと、ぺろっと胸に抱えた紙をめくった。するとそこには青い棒グラフが描かれていた。
「こちら、左側の目盛は販売数。下側にアイテム名が書かれています。ではこのグラフからわかる事をお答え下さい」
デニス様とアルフレッド殿下が同時に私の顔を見た。なるほど、回答者は私だということか。まぁ、これは簡単だ。
「ポスター、ハンカチ、チャーム、ステッカー、トレカ……この中で一番の売上がトレカ。そして二番がステッカー。次いでポスターだという事がわかります」
つい魔法学校時代を思い出しながら私は真面目に答えた。すると私の答えを受けたデニス様は胸の前に抱えた紙をスマートにめくり、次の紙に差し替えた。
次に現れた紙には立体的な円グラフが描かれている。
「こちらは個人別に販売しているアイテムの売れ行きをグラフ化したものです」
デニス様が手に持った紙に書かれた円グラフを指し示しながら説明を口にした。円グラフは細かく四つに色分けされている。
「こちらがエドヴァルド様、こちらがフロリアン様、そしてこちらがユーゴ様、さらにこちらがアルフレッド殿下となっております」
色分けされた円グラフはパッと見てエドヴァルド様を示す領域の面積が一番多い。つまり魔法部グッズの中で、エドヴァルド様の人気が断トツで高いというわけだ。次いでフロリアン様。見栄えする炎と氷の使い手。確かに派手な見た目の属性からファンが多いのは事実である。
「ほら、これを見てみるといい。私の方がユーゴより優れている」
アルフレッド殿下が紙に描かれた自分の領域を指差した。確かに三番目に塗られた面積が多く見えるのは、手前に描かれたアルフレッド殿下の領域だ。残念ながらその後ろに追いやられたユーゴ様の割合が一番少ないように見える。しかし、私はその円グラフを凝視して違和感を覚える。
「あのう、これって明らかにグラフの傾き加減から、手前のアルフレッド殿下の面積が多いように見えているだけですよね?」
「いいや、気のせいだ」
「そうかな。あ、ここに小さく数字が書いてありますけど」
私は目立たないように小さく紙の端に書かれた文字を発見する。そしてそれを読み上げる。
「エドヴァルド様四十、フロリアン様二十六、ユーゴ様二十ニ、アルフレッド殿下十二。これって割合なんじゃないですか?」
確実にそうだろう。やはり立体的に描かれた円グラフはあてにならない。配置の仕方や傾きによって受け取り手は視覚操作されてしまうのだ。
「デニス、余計な情報は排除しておけと指示しただろう」
「広報に情報は正確にときつく申し付けられておりまして。それにこれはそもそも魔法部のエースがランダム封入されているトレーディングカードについて一切考慮されていない結果ですし」
「そうですよね。だから実際に誰がどれくらい人気があるかなんて正式な割合はわかりませんよね」
デニス様に加勢する私に不服そうな顔を見せるアルフレッド殿下。
「俺のグッズは王族公式でも出しているからな。皆そちらを購入しているのだろう」
確かにそれは正しい。王族マニアの人向けにオフィシャルグッズも販売されている。とは言え、怪しい円グラフを見せられた後だと完全にアルフレッド殿下の負け惜しみにしか聞こえない。
「大体売れ筋とか自分の推し変には全く関係ないですし」
むしろ、こんな無駄な物を作成する暇があるなら、政務に取り組めと私は真っ当と思える意見が喉まで出かかる。
「とにかく、お前が俺を一番だと認める事を望む」
「そうですね。アルフレッド殿下は一番ですよ」
私はもう投げやりに何度繰り返したかわからないその言葉を口にする。
「そういうのじゃない。もっと心から本気でそう思わせたい」
大真面目な顔と声を私に向けるアルフレッド殿下。私は今日もまた無駄な時間を過ごしていると、この不毛な時間に深い溜め息をついたのであった。




