110 運命の日
眩しいくらいに真っ白な部屋。部屋の奥の扉は大きく開け放たれており、そこから向かい側にそびえる黒い岩肌を流れる滝、そして山々の木といった雄大で素晴らしい景色が一望できた。
そしてその部屋の中央に置かれたベッドの上には、私が今まで出会った人の中で一番儚げで、そして誰よりも美しい女性が小さな子を抱いていた。
『アメリ、まだ目は開かぬのか』
女性と寄り添うようにベッドに座り込み、おくるみに包まれた赤ちゃんを覗き込むコルネリウス陛下。
『えぇ。でも確認した所ちゃんとエルフの公平な瞳を持ってましたわ』
『そうか。良かった』
コルネリウス陛下は安心したように顔をふわりとほころばせた。
『父上。もうこの子の名前は決めたのですか?』
ベッドの上、コルネリウス陛下と同じ様に、母親であるアメリアナ王妃殿下に寄りかかりながら、やはり王妃殿下の腕に抱かれた赤ちゃんを笑顔で覗き込むのは、幼き頃のジスラン様だ。
『決めたぞ。ルミナだ。呼びやすいだろう?』
『ルミナ……まぁ、悪くないかも』
ジスラン様は照れたように鼻を掻いた。それから「ルミナ」と私の名前を何度か練習するようにこっそりと口にしている。そんなジスラン様を微笑ましい顔で眺めるコルネリウス陛下とアメリアナ王妃殿下。とても和やかで、温かい光景だ。
「何か不思議な気分ですね」
十七歳の私はここにいる。けれどアメリアナ王妃殿下が腕に抱く子もまた生まれたばかりの私なのである。
「普通は自分がこんなに小さな時の事なんて覚えてないからね」
「ユーゴ様はきっと生まれた瞬間から確実に光り輝いていたと思いますよ」
私は確信を持って伝える。何なら天使が確実にユーゴ様の誕生を祝うラッパすら吹いていたはずだ。
「いや、兄上達にいいように遊ばれていたと思う」
やけに真面目な顔でユーゴ様にそう返された。何かトラウマがあるのかも知れない。
私は深くは追求せず、大人な対応に徹した。つまり色々と詮索したい気持ちを堪え、ノーコメントを貫いたのである。
『お前とルミナ。力を合わせ代々受け継がれた血を後世に伝えるんだぞ』
『うん』
『あなた、ジスにまだそんな責務を負わせないで。まだ子供らしく沢山遊んでいっぱい食べて。それで大きくなったら、あなたの思う平和な世界を作ればいいのよ』
『うん、ルミナとね!!』
ジルベルト様が笑顔で答え、そんなジルベルト様の頭を優しく抱え額にキスをするコルネリウス陛下。それを優しく見守るアメリアナ王妃殿下。そこには確かに幸せな家族の姿があった。
「君はちゃんと愛されていたんだな」
「そう、ですね」
私には両親の記憶はない。だけど今日からはこの光景を絶対に忘れない、そう思った。そして自分がユーゴ様と紡ぐ家庭も、今目の前に映るただひたすら幸せな空気に包まれる優しい家庭でありたいとそう願った。
「あっ!?」
急に世界が反転したようになり、目の前から両親とジスラン様の姿が消えた。そして暗闇の中、人々の怒号が飛び交っている。
『ジスを頼む、万が一私に何かあれば国外へ逃してやれ』
『はっ』
『ルミナ殿下がいない』
『うわぁ、妃殿下がっ!!』
『アメリアナ!!』
悲痛な声がして私は咄嗟にハレムの王の部屋。床に寝転ぶ血まみれのシンシアの姿を思い出し、目を瞑り頭を抱えその場でうずくまった。すると一切の音がシャットダウンされる。
「大丈夫か?」
ユーゴ様の声が聞こえる。それからモゾモゾと虫がローブを這い上がるような感触があり、私の顔をペチペチと小さな手が叩く。
「落ち着いて。今君が目を閉じた事でここの時間は止まった状態だ。ゆっくり深呼吸をして」
ユーゴ様は「吸って、吐いて」と私に優しく声をかけてくれた。だから私は目を閉じたまま、言われた通りゆっくりとその場で深呼吸を繰り返す。
「大丈夫、わりと小さいけど僕がいるから」
ユーゴ様がかけてくれた励ましの言葉に私は思わずクスリと笑う。
「ユーゴ様は小さくたって、魔法転写紙の中にいたって、私にはいつだって勇気と元気をくれる尊い存在です」
「うーん、素直に喜べない気もしなくはないけど、まぁ君の役に立ってるなら良かった」
目を閉じているのでユーゴ様の顔は見えない。だけど声だけでも充分だ。私にはユーゴ様が何者にも代え難く、誰よりも頼りになる大事な人なのだから。
「怖い訳じゃないんです。ただ、シンシアの事を思い出して」
私はゆっくりと気持ちを整理するつもりで本音を口にする。
「そうだよな」
「シンシアはあんな風に呆気なく最後を迎えなければいけないほど悪いことをしたのかとか。それに最後、仲直りも出来なかったし、文句を言い合う前に突然死んじゃったから」
「気持ちが追いつかないんだろ?」
耳元でユーゴ様の声が聞こえる。どうやらユーゴ様は私の肩にしがみついたようだ。
「そう、だと思います」
「人の死に心を痛めない人間はいない。僕はそう思う。それが敵であってもだ。何故なら命の重みは人間だって動物だって、魔植物だって変わらないから。だけど、時には辛い選択を迫られる場合だってある。今がそうだ。君が目を開ければ、この時間は動き出すんだと思う。そしてきっとこの先に待つ光景は君にとって辛いものだ。だけど、これを見せている何者かは、意味があってこの場に君を呼んだんだと思う。それは試練なのか、嫌がらせなのかはわからないけど、君が試されている事は確かだ」
ユーゴ様はきっぱりとそう言いきった。
その言葉で私は思い出す。巨大化したラフレイシアの暴走を止めるには神に赦しを乞う事だと。だとしたら、これはその一環なのかも知れない。
「そうですね。もしアルカディアナ大陸を枯れた土地にしたくなければ、目を開ける必要がありますよね」
「無理をするなと言いたいけど。でもたぶんそうだと思う。それに先に進まなければ君と僕は一生ここから出られない」
「……それは嬉しいけど、でもやっぱり困ります」
「うん」
「ユーゴ様グッズも買わなきゃだし、一分の一スケールのユーゴ様にも会いたいです」
「お、おう」
「では、頑張ります」
「うん、君なら乗り越えられる。ま、駄目な時は僕に頼ればいい。これでも一応君の夫なのだから」
ユーゴ様の愛情たっぷりな言葉が私の背中を押した。
私はパッと目を開け、そして目の前に広がる光景をしっかりと目に入れる。
『アメリ、何故!!』
『殿下、お逃げ下さい』
私の目の前にはぐったりとするアメリアナ王妃殿下の姿。そして王妃殿下を抱えるコルネリウス陛下の姿があった。
『うわぁぁぁぁーー』
大きな声がして室内に爆音が響き渡る。そして、どうみてもベルンハルトの軍服に身を纏う者達が一斉に部屋になだれ込んできた。そしてコルネリウス陛下の周囲を守るジルリーアの白いローブ姿の者達を次々となぶり殺して行く。
『ベルンハルトの、そしてアルカディアナ大陸の平和の為に、お許しください』
切羽詰まったような、よく知った声がして振り向くとそこにはテオドル様が大鎌を持ったレイスと呼ばれる、黒いローブフードを被った死霊騎士を召喚していた。
「お父様が禁忌魔法を!?」
「そうみたいだ。まさかここまで手段を選ばないとは」
ユーゴ様の声に怒りが籠もる。
『そのような物まで召喚するとは、ベルンハルトも落ちぶれたものだ』
床に膝をつくコルネリウス陛下。アメリアナ王妃殿下を片手で抱きながら、低い声を出した。そんなコルネリウス陛下にテオドル様が次々とレイスを召喚し、そしてコルネリウス陛下を容赦なく襲わせた。
「お父様!!」
私は思わず、コルネリウス陛下にそう叫ぶ。
「ルミナ、これは何者かが見せている幻惑だ。落ち着いて」
小さなユーゴ様が私の髪を撫でる。
『馬鹿が。そのようなまやかしの存在で私は倒せん』
コルネリウス陛下が明るく光る玉をレイスに当てる。すると光に当たったレイスはこの世のものとは思えないおぞましい叫び声を上げ、灰になって消えた。
『コルネリウス、もしこの子の命が惜しければ、素直にラフレイシアの種を渡せ』
クロヴィス陛下が部屋の中にゆっくりと侵入してきた。そして隣にいるベルンハルトの軍服を着た兵士の腕には私が抱かれている。
「嘘でしょ……私が人質だったの!?」
私はガクリと項垂れる。そしてもう耐えられないと目を瞑る。
この流れだと、絶対にコルネリウス陛下は死んでしまう。しかもそれは私が人質に取られてしまったからだ。突然、シンシアの言葉が頭の中に響く。
『最低な女。悪魔のエルフ。お父様が亡くなったのだって、お母様が私を捨てたのだって、それに戦争だってみんなあんたのせい』
私に纏わりつくシンシアの恨みの籠もった言葉。それを追い払おうと私は小さく頭を振る。けれど私のせい。私のせい。私のせいと心が自分を激しく攻め立てる。
「私のせいだ」
「いいか、僕の話を良く聞くんだ。この時の君はまだ生まれて間もない。目も開かない幼い子だ。だから君のせいではない」
「でも、私が生まれなかったら」
「君が生まれなかったら、君は僕に会えないし、僕だって君に出会えなかった。そんな世界線でいいの?」
「え、それは嫌です……」
悲しいかな、取り乱した心がスッと冷静になった。やはり推しの力は偉大である。私は最推しであるユーゴ様の言葉に背中を押され、この先をきちんと見届けなればともう一度勇気を振り絞り目を開ける。
『愚かな男よ。娘の為であればこのような物くれてやる』
コルネリウス陛下は杖の先から明るい光を発した。すると床にポトンと麻袋が落ちた。
『謎大き、神の花ラフレイシア。果たしてお前達は育てられるのだろうか。見ものだな』
『残念だが、お前はそれを見届ける事は出来ない。何故ならここで死んでもらうからな』
『なるほど、帝国のせいにしようと言うのだな』
『悪く思うな。コルネリウス。運命は私に微笑んだのだよ』
クロヴィスが私を抱える兵士にチラリと視線を送る。それを見たコルネリウス陛下は覚悟を決めたような表情をみせる。そして床にぐったりと寝転ぶアメリアナ王妃殿下に優しく口付けた。
『テオドル、お前にコルネリウスの首をはねる名誉をやろう』
『しかし、流石にそこまでは……』
『お前の主人は誰だ』
『……仰せのままに』
苦悶した表情のテオドル様がコルネリウス陛下に近づく。
『申し訳ございません』
テオドル様が魔法ではなく、腰に下げた剣を引き抜くと、無抵抗なコルネリウス陛下の首めがけ、剣を振り上げた。
「お父様!!」
私は叫んだ。と同時に、私の視界は真っ赤に染まり、何も見えなくなったのであった。




