011 可愛い教え子アーチとクロード先生
お昼の営業が終了した食堂で私はヨナスさんの息子、アーチと仲良くカウンターに並んで座り遅めの昼食を取っていた。
魔法学校で寮生活が長かったし、バルトシーク家のメイド業務も大抵決められた時間に食事を取れていた。だから「毎日決まった時間に食事を取る」その事は息をするように当たり前の事で、案外私は何の疑問も抱かず生活をしていた。けれど学食で働く人達やキッチンメイド達は、私達の食事時間を優先し、生徒や主人、それにキッチン以外で働く使用人達が昼食を終えた後、時間をずらして昼食を取っていたのだ。そんな事に気づいたのも、この食堂で働き始めてから。
当たり前に受けている恩恵は、どれも誰かの手を借り成り立っている。私は最近細かい所で人に感謝する事を覚えた。人としての成長である。
「もうすぐ、ルミナ先生の誕生日だって父さんが言ってたけど、欲しいものある?」
「えっ、そうだっけ?」
「そうみたいだけど違うの?」
隣に座るアーチがコテンと首を傾げる。小麦色のフワフワとした髪に空色でタレ目な少年。将来はさぞ女泣かせになりそうな可愛らしい十歳の美少年が私の生徒アーチだ。
「確かにもうすぐ誕生日かも」
「やだな、先生もうボケちゃったの?」
「違うわよ。忙しくて忘れていただけです。ええと、欲しい物かぁ。そうだな……魔法部が公認販売しているユーゴ様のトレカの新しいやつが欲しいかも」
私は環境が変わっても相変わらず魔法部のユーゴ様を生きる糧としている。ユーゴ様に婚約者が存在しながらも私の旦那様だという不思議な事実。そして私がユーゴ様に近づく限り、ユーゴ様は戦場で経験したテオドル様との悲しい出来事を忘れ去る事が出来ない。それらを考慮すると私はきっぱりユーゴ様の事を忘れ、新たな推しを見つけたほうが自分も楽だと気付いてはいる。けれど私の心がユーゴ様に猪突猛進。忘れたくても無理と叫んでいる。だからもうこれはライフワークの一部のようなものと諦め、私は未だユーゴ様の大ファン継続中。よって新発売のトレカは喉から手がでるほど欲しいという欲求に繋がるわけで。
「えー、トレカって、ルミナ先生は先月もそんなの買ってたじゃん」
十歳のアーチに呆れた声をかけられる私。
「全くマニアの気持ちをわかってないわね。アーチ君。君はそんなんじゃ立派な魔法使いになれないわよ!!」
「えっ、そうなの?」
目を丸くするアーチに私は年長者らしく答える。
「敬愛する魔法使いを目指し日々精進する。それは教えたよね?」
「うん」
「その敬愛する心を満たすため、推しである魔法使いのグッズは必要なのよ。ほら、それを見る度やる気が出るでしょ?」
「何個も?」
うぬぬと私はスープに浸したスプーンの動きを止める。小さいからと侮るなかれ。アーチは意外に洞察力の冴えた子なのである。
「そ、それはまぁ懐具合にもよるけど。少ないよりは多いほうがいいに決まってる。魔力と同じよ」
「なるほど。一理あるかも」
「そもそも魔法部ったら最近味を占めたらしく、精鋭四人の魔法写真カードをランダムにして販売し始めたの」
「ランダムって、中身にどの魔法使いが入っているかわからないってこと?」
「そう。鬼畜な仕業よね。しかもエドヴァルド様、フロリアン様、アルフレッド殿下。そして尊きユーゴ様、各々の四パターンを。私が欲しいのはユーゴ様の四枚だけなのに。しかもそのうちの一枚はとてもレアなんだって。千枚買って一枚入っているかどうかとか。もうね、魔法部広報許すまじ、守銭奴めって感じなんだから!!」
私は怒りをパンにぶつけ、ブチリと引きちぎった。そしてパクリと口の中に入れる。
こんな時に魔法学校で親友だったローザとレティ。それにバルトシーク家の趣味友メイド達が傍にいればそれぞれの推し同士を交換出来るのにとついため息が出てしまう。
相変わらず私は友人達に消息を経ったままだ。もし居場所を教えてしまえば、軍やアダム様、それからユーゴ様と言った私が裏切った人達に「あいつはどこにいる」とみんなが責められてしまうかも知れない。それを思うとみんなに連絡する踏ん切りが、一年経ってもつかないでいる。
「先生、次はユーゴ様と結婚出来るといいね」
何気なくアーチが口にした言葉に私の心臓は跳ね上がる。
「結婚はあり得ないの」
「えっ、どうして?だって先生はユーゴ様の事大好きじゃん」
キョトンとした顔で私を見つめるアーチ。全く可愛い。そんな事を思いながら私は切ない自分の事情を口にする。
「確かに私はユーゴ様が大好き。だけどね、こんなに大好きで憧れている人が隣にいたらいつだってドキドキしっぱなしで、寿命が縮まる事は間違いなしでしょ?よって早死にしたくない私はユーゴ様との結婚など却下!!」
私が強い口調でそう言い切ると、ガタンと何かが床に落ちる派手な音がした。
「あ、クロード先生、こんにちは」
アーチは椅子から立ち上がると、青ざめた顔のクロード先生が落とした本の束を拾い上げ手渡した。
いつからそこにいたのか。何故青ざめているのか。クロード先生は気配を消すのが上手いので、いつも気付くと近くにいる事が多い。やっぱり謎な人物だ。
「あぁ、すまない。こんにちは、アーチ。それにルミナ先生」
「こんにちは、クロード先生。どうぞお座りになって下さい」
私は自分の座っていた席をクロード先生に進める。そして食べ終わった食器を持って無人となった厨房に向かう。
「いつものでいいですか?」
「ありがとう」
私は厨房の冷蔵庫を開けて、クロード先生のためにレモネードを用意する。この一杯はヨナスさんからの差し入れ。クロード先生は大抵レモネードを所望する。
私は腰に下げた杖のフォルダーからシュルッと杖を取り出す。そして杖の先に冷気を集め作り出した氷をグラスに入れた。そしてレモネードを注ぎ、今度は風魔法に乗せてかき混ぜる。こうするとキンキンに冷えて美味しくなるのである。
「わールミナ先生って、氷魔法も使えるの?」
カウンターに身を乗り出しアーチが驚いた顔を私に向けた。
「ふふふ、まぁね」
私は調子に乗ってクルクルとレモネードをかき混ぜる。いつになっても褒められるというのは素直に嬉しい。
「君の専攻は、確か地属性の魔法だったと記憶しているのだが」
クロード先生が私に不思議そうな声を出した。
「あれ、私そんな話をしましたっけ?」
「していた……」
身元をやや偽っている私としては、かつての自分に繋がる事はなるべく口にしないようにしていたつもりだった。けれど意外に私はお喋りなようだ。気をつけなければ。
「確かに私は地属性の魔法を専攻してました。でもそれは私の邪な気持ちが全開な結果の専攻なんです。本当は私って器用貧乏だからこれが得意というより、どれもそこそこって感じなんです」
私が第一部隊に憧れて手が届かない原因はそこにあると思われる。
チームを組んで戦う魔法部は何かに特化している方が優秀とされているからだ。自分に足りない部分はチームで補う。だから何か一つを極められない器用貧乏な私は正直、その魔力を優秀な人に分け与えた方がよっぽど役に立つかも知れない。
とは言え、魔力のリミッターを解除した今の私ならば案外第一部隊に配属されるんじゃないかなと、自分の有り余る魔力に淡い期待を抱いている。ま、軍に入る道を断たれた私には一生叶わぬ夢だけれど。
「だから、あの時……空を……逃げられたのか……」
「あー、ルミナ先生。ユーゴ様と一緒に勉強したいから地属性の魔法を選んだんでしょ」
クロード先生が小さな声で何かを呟き、その声を元気なアーチの声が見事にかき消した。
「大正解!!」
「えっ、じゃ、ルミナ先生はユーゴ様と一緒に勉強したことあるの?」
「同じ教室の最前列と最後列。そのポジションになったことはあるよ」
数回だけだけど。でもそれは口にしない。アーチが私に向けた尊敬するような眼差しを裏切る訳にはいかないからだ。
「わー、すごい」
こちらの予測通り、アーチは目を輝かせた。それを見て私は嬉しくなる。こんな小さな子にとってもやっぱりユーゴ様は特別な魔法使いなのだ。私は自分の事のように誇らしい気持ちになった。
「はい。クロード先生。どうぞ」
私は上機嫌でクロード先生にレモネードをカウンターの中から渡す。
「ありがとう。君はその、優秀な魔法使いだと思うけど」
突然クロード先生が私を褒めてくれた。それから喉がよっぽど渇いていたのか、私の冷やしたレモネードをグビグビと喉に流し込む。
「ありがとうございます。クロード先生の魔法も私は慎重で正確で、とても綺麗だと思います」
私はお礼に内心思っていた事を口にする。クロード先生は私が観察した所によると、相当魔法が出来る人だ。そんな人が後任を育てたいからという理由はあれど、何でわざわざ出身地でもないこの町で家庭教師をしているのだろうと私は常々不思議だった。けれどそれを彼に問うことはしない。詮索されたくない事が多いのは確実に私の方だから。
「あ、ありがとう」
クロード先生は私の褒め言葉に私以上に照れた様子で、今となってはなかなか食べられない、チョコレート色をした髪をポリポリと掻いた。
「そうだ、ねぇクロード先生。王都で新発売らしいトレカって手に入る?」
「トレカ?」
「ルミナ先生がお誕生日に、ユーゴ様のトレカが欲しいんだって。ね、そうだよね?」
「ま、まぁ……」
思わず歯切れ悪くアーチに返事を返す私。
流石に年頃の娘として、同じ年代だと思われる男性に推しである魔法使いのグッズを収集している事が知られてしまうのは、私的にいたたまれない気がする。
「そんなものが欲しいのか……手に入らない事はないとは思うけれど。そうか、君はもうすぐ誕生日なのか。なるほどということは二年か……」
二年とは一体何だろうと私は首を傾げる。しかしクロード先生はブツブツと普段から独り言が多い。だから私はクロード先生が呟いた二年という言葉を気にしない事に決めた。
「あ、クロード先生、何もいらないですからね。アーチもだよ。気持ちだけでいいから。もう誕生日が嬉しい歳じゃないし」
毎年祝ってくれたテオバルト様のいない、生まれて初めての誕生日。その事を思い出した私は嬉しいより寂しいが勝る日になりそうだと少しだけ暗い気分になる。
「そう言えば、ルミナ先生はいくつになるの?」
「十七歳よ」
「へー。意外に大人なんだね」
「む、まだ若い。いける」
「クロード先生は今度のお誕生日が来たらいくつになるの?」
「十九だ」
「えっ!?」
意外に若かったと私は驚く。
「僕はそんなに老けて見えるのだろうか」
しょんぼりとした声でクロード先生が切なげな顔をレモネードに向けた。
「えっと、いいえ。全然そんな事はないというか、見た目はもさっとしてるけどちゃんと若い感じもあるような。あ、雰囲気がやけに落ち着いているというか、貫禄があるというか、先生みたいというか……」
「ルミナ先生。喋れば喋るほど墓穴をほってるよ?」
「ははは。何のことかな?じゃ私はそろそろ一旦帰るね。クロード先生。アーチをよろしくお願いします。アーチ、また夕方来るね。頑張ってね」
「うん。頑張る」
本日アーチを教える担当はクロード先生だ。私は洗った食器を立てかけ、エプロンを外すとカウンターの端に置いた。そしてアーチをクロード先生に頼み、逃げるようにして店を飛び出したのであった。




