108 神の怒りを鎮める
「ジルリーアでは古くから神の花と呼ばれるラフレイシア。それを正規の手順を踏まず、無理矢理増やそうとした。それは神の怒りに触れる行為だと言える。その結果がこれだ」
地上は遥か下。巨大なラフレイシアを前にジスラン様は宙に浮いた状態で怒りを含んだ声をあげる。その隣で私もふわふわと浮きながらラフレイシアを上空から見下ろしているという状況。
現在ラフレイシアは花びらから花粉のような黒い粉を放出し続けている。そのせいだろうか。花びらは私が今まで目にしてきた、どのラフレイシアより遥かにどす黒く染まっているように見える。真ん中にポカリと空いた大きな口の中には剣山のようにトゲトゲとした物がついていて、そこからダラリと粘液のような物まで吐き出している。
控えめに言って、気持ちが悪いという感想しか抱けない。
「でもこれが神の花……」
この世界を創造した神がいる。そんな風に確かに言い伝えられている。けれど既にここがベルンハルト王国だと確立されてから誕生した私達は、普段神という存在を忘れがちだ。
とは言え、神というのはこの世界を超越した存在であるという概念から、比較的美しい存在だと何となく私達は思い込んでいる。現にこの世界に流通する絵画や彫刻に描かれ、形どられている神は揃いも揃って美男美女ばかり。
「神の使いがラフレイシアだったとしたら、神様はゲテモノ好き……」
私が小さく呟くと、その声を拾ったのかラフレイシアの花ビラが僅かだがピクンと動いた。やだ、怖い。防衛本能が働いた私は咄嗟にジスラン様の背後に回る。
「ルミナ。言葉には気をつけなさい」
「はい、すみません」
「しかし、思ったより状況は深刻だな。全てを飲み込む勢いで成長し続けているようだ。一刻を争う事態であることは間違いなさそうだ」
ジスラン様の言葉を受け私は巨大化したラフレイシアを再度見下ろす。
「花びらについた水疱。あれが僅かに発光しているのがわかるか?」
私は目を凝らし、嫌々ながらも赤い花びらについた白いぶつぶつを凝視する。すると確かに水疱のようになった白い点が明るく発光しているのが確認出来た。気持ち悪さマシマシだ。
「あれは養分を吸っているという証拠だ」
「養分って、まさかあの植物人間になった枝に絡まる人達ですか?」
状況的にそう閃いてしまった私はジズラン様に尋ねる。
「そうだろうな」
「つまりラフレイシアは人喰い花になっちゃったって事ですか?」
「人間に例えるならば闇落ちしてしまったという状況に近いだろうな」
「闇落ち……」
果たしてラフレイシアにその言葉が当てはまるのか私は疑問に思った。けれど確かに目の前の状況を鑑みるに、ジスラン様の例えはこの状況にピッタリだと思わざるを得ない。
この世界の多くの人を救う可能性のある万能薬を生み出す救世主な魔植物だったラフレイシアが、今やこのアルカディアナ大陸を枯らそうとしている。うん、闇落ちで間違いない。むしろそれだ。
「闇落ちラフレイシアを救う方法を考えないとですね。ジスラン様は何かご存知ないのですか?」
「私が知る限り初めての経験だ。しかしかつて同じ様な状況になった事があるとジルリーアにいた頃、耳にしたような」
うーんと顎に手を当てて思考を巡らせた様子のジスラン様。その姿をぼんやり眺め、私はふといい案を思いついた。我ながら天才かも知れない。
「あっ、閃きました!!」
「どうした?」
「万能薬を投げつけたらいいんじゃないでしょうか?」
ラフレイシアの万能薬。あれは凄いパワーを秘めいている。何故なら戦争を引き起こした原因の一つになるくらいだから。と言うことはこの危機的状況、闇落ちラフレイシアを正常に戻す力も秘めているかも知れないと私は気付いてしまったのである。
「確かに悪くない案だとは思う。しかし、この巨大なラフレイシアを元の状態に回復するには相当数、ジルリーアの実が必要だろう。それに何より成長し続ける速度の方が早そうだ。その案は悪くない。けれど現実的には無理だということで、却下だな」
「あー確かにそうですね」
「ん?でも待てよ」
「えっ、閃きですか?」
「いや、思い出した。確か神に許しを乞えばいいんだ」
「神様に?でもどうやって」
「ラフレイシアの口の中。あれに飲み込まれるんだよ」
「私は無理です」
ジスラン様の言葉に私は頼まれるより先に自分の気持を口にした。
「君の即決力はとても素晴らしい。誰だってあの中に入るのは無理だ。ならばこの土地で暮らす。悪いけれどそれはもう諦めてもらうしかないね」
「え、ジスラン様はあの中に突入しないんですか?」
私は素直に驚く。何故ならこの状況を目の当たりにし、直ぐにラフレイシアの元に向かおうと決断したジスラン様の事だ。てっきりその強大な力で何とか解決してくれる。私はそのお手伝い要員程度の役割。そう思ってここにいた。それなのに今の言い方だと仕方ないから帰ろうか的な、とてつもない諦めを感じる。
この邪悪な物体をまさか放置しておくつもりなのだろうかと私はジズラン様を疑いの眼差しで見つめる。
「え、まさか君は私が何とかすると思ったのか?」
「勿論そうです」
「……君は何もわかっていないな。私は正直この地が枯れ果てたとしても全然構わない」
「そうなんですか?でもここはジスラン様の故郷があったアルカディアナ大陸ですよね?」
「そうだね。だけど私と君の両親を騙し、裏切った土地でもある」
「それは……」
私は言葉に詰まる。何故なら私にとってはここはユーゴ様という尊い人物に出会えた場所だし、私を育ててくれた恩のある大陸だ。けれどジスラン様にとってみたら、今口にした通り。恨みの籠もった土地でしかない事は確かな事実だ。
「私は六歳で両親が殺された。それからずっと私は帝国と共に生きていた。だから君が思うよりずっとこの地に対し恨みこそあれど、助ける義理を感じてはいない」
「…………」
「それに、ラフレイシアを無理に増殖させようとし神の怒りに触れたのはベルンハルトの人間だ。ここは運良く他の大陸から離れているし、瘴気だって海を渡れはしないだろう。だから今後死の土地となるのはここアルカディアナ大陸のみ。神は世界を見限ったわけではない。だから私はこの件に関しジルリーナの人間として必要最低限の知恵は貸す。けれど、手を貸すつもりは毛頭ないよ」
きっぱりと告げられたジズラン様の言葉は私を落ち込ませるに充分だった。
それに加え、どうしてそんな酷い事を口にするのかという怒りも感じる。だけど私には産みの親の記憶はない。でもジスラン様にはある。そこが決定的に違うのだ。
私とジスラン様は確かに同じ親から誕生した。けれど、育った環境があまりに違いすぎて、アルカディア大陸に対し正反対の気持ちを抱いているのが現状越えられない壁。そしてその気持は平行線を辿るばかりで今の所交わる気配を感じない。
そんなジスラン様と私の気持ちが和解できるのは、全ての問題が解決し、アルフレッド殿下がベルンハルトを統治した後。帝国と同盟を組んだ時にようやく歩み寄れるようになるのかもしれない。
となると、この土地を助けたいと思い、なおかつ瘴気の影響を受けない人物は必然的に私だけになるわけで。
「一人であの中に行かなきゃいけないんですか?」
私は巨大なラフレイシアを極力視界にいれないようにしながら、ジスラン様に問う。
「同伴が許されるかどうかは神のみぞ知るって感じじゃないかな。あの中でどんな試練が待っているかはわからない。つまり死ぬ可能性もある。そこまでしてこの国を助ける義理があるのかどうか、君は良く考えるんだな」
ジスラン様は私に「あそこに行くな」と遠回しに私に告げる。
ベルンハルトを助けたい気持ちはある。本当にある。だけど生理的に無理な物も確実にこの世には存在する。そして無理な物は今目の前にある赤に白いブツブツのラフレイシアだ。
「そうですよね。最悪もう滅びる方向に向かうのも仕方がないのかも。その代わり新天地目指し帝国領に移民として私達を保護してもらう約束をして。うん、何かそういう解決策もアリな気がしてきました」
私はうつむいたまま正直にそう答える。
取り敢えずここは退散。せめてユーゴ様と一緒なら、二人きりの密室になれると自分を誤魔化しあの中に飛び込む勇気が出るかも知れない。けれど現在私は一人きり。そして現実的に考えて瘴気の影響を受ける事間違いなしであるユーゴ様を巻き込むだなんてとんでもない。全私が異議ありと叫ぶだろう。
よって「私が世界を救います!!」だなんて正義の味方ぶってあのオドロオドロシイ花の口の中に単身、身を投げ込むなど私には無理。
「ま、最悪な状況である事は判明した。一先ず戻ろうか」
「そうですね。いやぁ、ほんと、ラフレイシアって怖いですね」
「怖いのは自分の私利私欲の為に、ラフレイシアを魔改造をした人間の方だと思うけどね」
「あはは、それは確かに」
私は苦笑いをジスラン様に返す。
「さ、戻ろう。このまま防御壁を越えて行こうか」
「はい」
ジスラン様はラフレイシアに背を向け、上昇気流の風にふわりと乗ってあっという間に更に高い位置まで登っていってしまった。それを見て私も後を追おうと、周囲を漂う風に体を任せる。
「ん?」
いつもならば鳥の如く風に乗ってふわりと浮く体が全く動かない。それどころか、何となく足首ににゅるっとした物が巻き付いている感触がする。
「やめてよ、絶対やだから」
私は自分の足を恐る恐る確認し、絶望的な気持ちになった。何故なら私の足首にはどうみてもラフレイシアの物と思われる緑のツタがしっかりと巻き付いていたからだ。
「ジスラン様ーー。ちょっといいですか?」
私は大声で叫ぶ。すると気持ちよさげにかなり先を飛んでいたジスラン様がくるりとこちらを振り返った。そして目を丸くした後直ぐに、私に向かって目にも留まらぬ速さで杖の先から燃え盛る炎の塊を飛ばして来た。
「うおっ、容赦ない!!」
私は火の玉を避けようとその場で動いた。その途端、もの凄い勢いで後方に足首から引っ張られる。
私の周囲をジスラン様の放った無数の火球がピュンピュンと風を切る音と共にラフレイシアの花びらや至る所に伸びた茎に着弾する。命中率が半端ない上に容赦もない。流石戦場でベルンハルト側から「人の心を捨てた銀色の悪魔がいる」と言われた男であると私は改めて実感した。
「ルミナ、すまない。私の魔法はこいつの栄養にしかならないみたいだ。魔法を当てれば当てるほどぐんぐん成長している事を確認した。だからとりあえず大人しく食われて待っていてくれ!!」
「えっ、嫌です。駄目です、無理です、うわぁぁぁぁーー」
私の足首に巻かれたツタがシュルリと音を立てて離れる。そして今まさに眼下で大きく口を開けたラフレイシアの口の中に私は頭から容赦なく落とされたのであった。




