106 帝国の皇帝陛下
ザブーン、ザブーンと揺れる船の上。現在私はユーゴ様と共に祖国ベルンハルトがあるアルカディアナ大陸を目指している。
乗船している船は、修復が無事完了した帝国の戦艦第二アース。機動力抜群の戦艦は船の上を滑るように目的地まで進んでいる。
「アルフレッド殿下はちゃんとやってるかな」
「叔父上はあんな風に見えても結構しっかりしてるから大丈夫だよ。少なくともルミナ先生よりは頼りになるかも」
船の甲板。私と共にデッキブラシ片手に掃除に精を出しているのは私の癒やし、アーチである。とは言え、アーチも私があちらこちらに寄り道をしている間、とうとう十一歳になってしまった。そのため手放しに「天使」と喜べる無垢な感じが薄まり、確実に生意気になってきているのは否めない。
「うーん、そうかな?私の前だとわりと嫌なやつだけど」
「あー、男ってのは好きな子には意地悪したくなるらしいから」
「逆効果なのに。あ、でもユーゴ様になら意地悪されてもいい」
「ルミナ先生ってほんっと、ブレないね」
「お褒めの言葉ありがとう」
軽口を叩きながら私とアーチはゴシゴシと甲板の板を磨く。なんせタダ乗りをさせてもらっている訳で、こうして労働で恩を返すしかないのである。
「アーチはさ、ベルンハルトに戻ったら何したい?」
「出来たらでいいんだけど」
私の何気ない問いかけにアーチはデッキブラシを動かす手を止めた。
「どうしたの?」
「僕、フムニア王国でお土産を買ったんだ。だから、その、あげたいなぁと思って」
アーチが言いにくそうに口にした情報によると、どうやらお土産をあげたいらしい。主語がすっかり抜けたその言葉から察するに……。
「ヨナスさん達にね?」
「あ、うん。まぁそう」
「何買ったの?」
「秘密」
アーチはプイと横を向いてゴシゴシとブラシを動かし始めた。
全くこういう所である。成長は嬉しい。けれど先生は連れないアーチがとても悲しい。
「あー、いたいた」
パシンと私の背中を叩くのはイヴァンナだ。彼女は仲間の元に帰り元気ハツラツ。毎日ご機嫌で船乗り生活を楽しんでいるのである。
「いたい」
「ねぇ、どうなると思う?」
イヴァンにも私は主語がなく突然問いかけられた。もしかして船上では主語を抜いて喋る事が流行っているのだろうかと私はイヴァンナに探る眼差しを向ける。
「なによ」
「言え別に」
睨まれてしまった。とは言え、イヴァンナの発した「どうなると思う」について私は心当たりがある。
その心当たりとは、現在この船に乗船しているアルフレッド殿下の事である。しかもアルフレッド殿下は捕虜でもなく、同盟として乗船しているのである。
『俺はラフレイシアの恩恵は全ての者に還元するべきだと思っている』
アルフレッド殿下が以前ユーゴ様が汚れ仕事をしたと思われる農場にある研究室で私に口にした言葉。それを今まさにアルフレッド殿下は実行に移そうとしているのである。
勿論アルフレッド殿下は現在ベルンハルト王国の正式な国王ではない。しかし帝国は、ベルンハルトの持つ魔力に対するノウハウを担保に、アルフレッド殿下に手を組まないかと協力する話を持ちかけたらしい。さらに帝国側はアルフレッド殿下がベルンハルトを統治するようになったらラフレイシアを提供するようにも言ってきているようで。
今日はその事について、この船に乗船している帝国の上層部達とアルフレッド殿下、そしてユーゴ様が現在会議中なのである。
そんな状況の中、私が一番気になるのは、ラフレイシアの種を増やす方法についてだ。
私やジスラン様といったエルフの末裔と呼ばれる、ジルリーアの人間の魔力がラフレイシアの発育に本当に必要なのかどうか。その事が私は非常に気になっている。もし私の力が必要だとると、アルフレッド殿下がベルンハルトを統治した暁に、私はラフレイシアと共に帝国に住まいを移すかもしれない可能性が出てくるわけで……。
帝都はとても楽しかった。だけどあれは旅をしてちょっと触れたから楽しかったのであって、暮らすとなるとやはりベルンハルトがいいなと、そんな風に思ってしまう。
それにそもそもラフレイシアの種はジルリーアのクロヴィス陛下が戦争の道具にしてはならないと言っていたような気もする。とまぁ、最近すっかりハレム漬けになっていた為何かと忘れかけていた事を次々と思い出し、私は問題の山積み加減に何となく明るい気分に浸れないという状況だ。
「帝国はまだラフレイシアが欲しいの?」
単刀直入に私はイヴァンナに問いかける。
「そりゃないよりはマシでしょ」
「そうだけど。帝国にその花を持ち帰っても、私がいないと駄目なんでしょ?あーあ、やっぱ私は帝国で暮らす羽目になるのかな?」
「羽目って、あんたすこぶる感じが悪い女になってるわよ?」
「あ、いや。そんな深い意味はなくて」
私は慌ててイヴァンナに訂正する。
「わかってるって。そりゃ生まれ育った祖国にいたいに決まってるもんね」
「うん、ごめん。ほんと」
「ま、でもフムニア王国であんたの旦那がラフレイシアからジルリーアの実の取り出しに成功したんだから、色々手段はあるって事じゃない?」
確かにそうだと私は思い直す。と同時にその件が成功したのは青汁キャンデイーをラフレイシアにあげたからだとユーゴ様が話して言いた事も芋づる式に思い出す。つまりやっぱりラフレイシアと私の相互関係は切っても切り離せないと言える。全く困ったものだ。
「ラフレイシアで思い出したけど、そう言えばあいつ、カディル殿下は今どうなんだって」
イヴァンナはついでと言った感じでさり気なく私に探りを入れてきた。けれど気になっているのはミエミエだ。素直ではないけれど、だからといって非情な人間ではない。むしろ仲間認定した人物には情が厚いタイプ。私はイヴァンナの事をそんな風に分析している。
「ラダム王国の独立を認めたらしいよ。しかも話し合いで。そして両国は正式に同盟を組んだみたい」
「なるほど、話し合いか。じゃ、フムニアにとってもきのこ王国にとってもまぁ、良かったってことか」
イヴァンナの言葉には完全に同意はしかねると私は思った。何故ならラダム王国のレイラはスナを。そしてカディル殿下は兄と母を失ったのだ。犠牲の上に成り立つ平和。それが果たして良かったと言える事なのか。その判断は非常に難しい。
「カディル殿下はあんなに国王陛下になることを嫌がってたのにね。それを考えると果たして良かったかどうか、微妙じゃない?」
私は何となく本音を誤魔化しイヴァンナに問いかける。
「まぁ、帝国はフムニア王国と同盟を組めたし。こんだけ大きな国が後ろ盾についたんだからしばらくフムニアは大丈夫じゃない?それに何と言っても私が橋渡しをしたと、その功績を讃え臨時ボーナスが入ったし、個人的にはおいしい寄り道仕事だったけどね」
臨時ボーナスという言葉に私は目ざとく反応する。
「私も頑張ったのに。いいな臨時ボーナス」
「だったら帝国軍に入ればいいのよ」
「やだよ。私はベルンハルト国民なんだから」
私は胸を張って答える。確かに私はジルリーアの民だ。けれど前に私はベルンハルト国民だとユーゴ様がはっきりそう言ってくれた。だから私はベルンハルト国民なのである。
「ジルリーアの国民じゃないの?」
「滅亡したし」
「あー、確かに。だけどジスラン様の心はジルリーアにあるって言ってたよ」
「そりゃ、ジスラン様はジルリーア王国で暮らした事があるから」
「え?もしかして知らないの?」
「何が?」
「帝国の皇帝陛下のこと」
「皇帝陛下?ジルリーアじゃなくて?」
何でいきなりそんな話になるのかと、私は軽く混乱する。
「うん。ジスラン様」
「ジスラン様がどうしたの」
「だから今の帝国における皇帝陛下ってジスラン様なんだけど」
「え?」
あまりに突然の事過ぎて、頭が真っ白になった。
ただ、少し進んだ先にいるアーチが風を受け靡く金色に輝く髪色がとても綺麗だな。そんな事を考える余裕はあった。
★★★
「帝国に寝返ったわけではない。そう前に私に言いましたよね?」
「うん、言ったね」
「寝返ってるじゃないですか!!」
私はバンと船内に置いてあるにしてはやたら重厚な机を叩いた。
現在私はイヴァンナがサラリと口にした真相を確かめるため、ジスラン様の仕事部屋を訪れている。
「だから寝返った訳じゃない。確かにルブラン帝国と名はついている。しかし今その帝国を押さえているのは私だ。つまりそれはもうジルリーナ帝国と言っても過言ではない。つまり寝返ってはいない」
「そんなの、言葉遊びみたいな感じじゃないですか」
「まぁ、そんなに怒るな、妹よ」
ジスラン様が私を期待した目で見つめる。これは多分「お兄様」と呼べという雰囲気だ。しかし私は断固拒否をする。何故なら怒っているからである。
「なんでそんな事になっているんですか?ちゃんと説明して下さい」
私は語尾を強める。滅亡したとは言え、目の前の美丈夫な優男はジルリーアの王でもあるはずだ。残念ながら国民は私は一人だけれども。しかしその唯一の国民である私を裏切った事実は見過ごせない。そんな大事な事を秘密にしていた、それは許されない事で間違いない。
「帝国はこの世界で占有領土率ナンバーワンの大きな国。つまり多民族国家な訳だけれど」
「それはわかります」
私は髪色も瞳の色も、そして肌の色も様々な人が一緒に暮らす帝都をこの目で確かに見た。だからそれは正しい情報だと頷く。
「だからこそ、誰にでも皇帝の座に着くチャンスはあるらしくて。ま、簡単に言うと私より強い者がいなかったんだよね」
「ジスラン様から殺戮の臭いがぷんぷんします」
「やだなぁ。ちょっと魔法で脅しただけだよ。でもまぁ、前皇帝の推薦があったのも事実なんだけどね?」
悪びれもせずこちらにニコリとさわやかな笑みを返すジスラン様。
「私が帝国のトップだったとしても、君には既に夫がいるし、政略結婚させようだなんて思ってないから安心しなさい」
どうやらジスラン様は私の顔色を見て勘違いしてくれたようだ。
「当たり前です。私の夫はユーゴ様ただ、一人です!!」
「でも別に、僕の一存で帝国に君の為のハレムを作る事は可能か。そしたら沢山夫を持つことは出来るし。君は貴重なエルフの子孫だしね、子沢山は悪い事じゃないだろう?」
「私にその役を押し付けないでください」
「冗談だ」
「ジスラン様が口にすると全然冗談っぽく聞こえません」
「あ、そうだ。君に貸したお金。ちゃんと返してもらおうと思うんだけど、現金払いか、私の為に働くか。どっちがいい?」
机に肘をついてニコリと私に微笑むジスラン様もとい、皇帝陛下。
その事を持ち出されてしまえば、私は口をつぐむしかない。結局のところ、私は言いたかった文句の半分くらいしか口に出来ず、やはり一筋縄ではいかない男だと私は歯をキリキリさせた。
「歯ぎしりはマナー違反だよ。妹よ」
ひたすらごきげんなこの男。やはり厄介であると私は無言で睨みつけておいたのであった。




