国境なき世界
※注意:作者は移民や特定の国の外国人が大嫌いな国粋主義者ですが、あくまで国境が無くなったらどうなるかを考え、可能性の平行世界線としてこの小説を書いています。移民を推奨している人やガチで世界平和を考えている人を必要以上に貶す目的はありません。もしかしたら全ての人間が文化や肌の色の違いで争わず、共栄できる異世界もあるかもしれんせんね。
ジョン・レノンがImagineと宗教や国境のない世界を歌ったのは1971年のこと。かの曲は発表されて半世紀が経とうとしているのにいまだに色あせることなく様々な場で流され、歌われています。
ドイツにおいてベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツの統一がなされたのは1990年のこと。長年の悲願であった再統一が成された当初は東西の経済格差による不況に悩まされ、いまだにその影響から完全に離脱しきれてはいないもののユーロの導入を転機とした労働市場改革により世界でも有数の経常黒字国へと成長しました。
そして近年、トランプ大統領の誕生を予見したフランスの経済学者ジャック・アタリ氏はいずれ国境は有名無実化するか無くなると予想しているようです。
『到着いたしました。国境なき世界、国境なき世界でございます。お降りの際は足元にご注意ください。』
プシュ―とエアが抜けた音とともにハッチが開くと、打ちっ放しのコンクリートで造られた時空ステーションの無骨なホームが見える。
狭いハッチをくぐり抜けてホームに降り立ちキョロキョロとあたりを見回していると、真っ白なスーツに身を包んだ若い男性が声をかけて来た。
「ようこそ行政区へ。見学者様ですね。私はこの世界のガイドを務めさせていただくジョンといいます。チケットはお持ちですか。」
ガイドは私がさし出したプラスチックのカードをリーダーに通すと、にこりとほほ笑む。
「確認しました、大丈夫です。チケットはいかなる理由があろうとも再発行されませんので絶対に無くさないでください。
それとシャトルの中で聞いているとは思いますが、規定ですので注意事項をいいます。
・いかなる物質をも持ち帰らない事。
・フィールドに出るときは必ず空間ジャマーを使用し、生命体との接触は避ける事。
・物質に対する破壊行為や生命体に対する死傷行為はしない事。
・ガイドに従うこと。
これらに違反した時は現地の法に裁かれるか、もしくは時空裁判所のお世話になります。
現地の法で実刑もしくは執行猶予付きの刑を言い渡された場合、二度と元の時空には帰れませんし時空渡航ラインに乗ることはできなくなります。
まあ、この世界が気に入ったのなら時空監理局に申請してください。申請が認められれば移住することもできるみたいですよ。」
軽い口調で言うガイドにこくこくとうなずく私。それを確認してカバンをあさった彼はカラーで印刷された小冊子を渡してきた。
表紙にはデフォルメされた地球とオリーブの枝を咥えた鳩が描かれている。
「これがこの世界の解説書になります。移動しながらこの世界の成立の経緯を話しますのでまずは1ページを開いてください。」
ガイドが手元のスイッチを押すと小さな駆動音と共に床が動き出す。
「国境なき世界は見学者様の世界とは50年前に分岐した世界です。
大きなきっかけは大国同士が全面核戦争寸前までいった事件です。
核戦争を回避するという共通利益を見出した大国同士は平和協定に調印し、さらには国際連盟でも各国に向けて協定加盟を推し進めました。
そして5年をかけてすべての国家が平和協定に調印すると、今まで民衆の上に重くのしかかっていた軍事費に疑問が噴出し、大衆の中で国境撤廃運動が盛んになりました。
国境撤廃運動は世界的大きな流れとなり、国連での世界政府樹立を経てあらゆる国は行政府という形に変わり、国境なき世界が実現しました。
それではシューターに到着しました。フィールドワークを開始します。準備はいいですね?」
足元には全面ガラス張りのシューターを通して青い星が見える。
星をつつむ大気が淡いベールのように大地の輪郭をぼかし、母なる海の青さが長い旅の疲れを奪い去ってゆく。
ああ、世界線は違えど久方ぶりに見る故郷、地球だ。
「それでは、見学者様のご希望に沿いまして分岐したこの世界での故郷にあたる位置に転送します。
惑星の自転と同期、60秒お待ちください。・・・3、2、1、転送。」
機械的な駆動音、わずかな浮遊感と共にぐんぐんと地表が近付いて来る。
厚い雲を突き抜けて私が育ったのと寸分たがわぬ北海に浮かぶ島国の全貌が見え、都市部のビル群が豆粒のように見えてくる。
はて、都市部を囲むように建てられた何重もの壁のようなものは何だろう。
「システム、グリーン。ドアを開ける前に空間ジャマーを使用してください。」
私が腕に装着した時計型ジャマーの起動を確認すると、シューターの壁面が開く。
ジャマーにより私やガイドの姿は現地人から完全に見えなくなっているはずだ。
「それではフィールドに降り立ちます。見学コース通りでいいですね?」
大きな公園の周りには高層ビル群が立ち並び、鏡の様な窓が初夏の爽やかな空や雲を映してきらきらと輝いている。
公園には散策する老夫婦やキャンパスに向かって絵筆を走らせる女性がゆったりした時間の中穏やかな表情で過ごしていた。
「ここは市民公園です。国境の撤廃で多くの移民が行政区に仕事を求めて押し寄せました。
安価な労働力が大量に手に入ったために多くの市民は仕事に余裕ができ、余暇を有意義に使っているんです。
つぎはショッピングモールに行ってみましょう。その世界の情勢や文化を見るならばショッピングモールが外せませんからね。」
ガイドが手元のスイッチを押すと軽いめまいと共に空間転送が始まる。気が付くと私は有名なショッピングモールの前に立っていた。
私の世界線でも存在した大きく掲げられた特徴的なロゴが誇らしく掲げられ、少しだけ懐かしい気持ちになる。
モールの中に踏み込めば多くの人が行きかい、棚には溢れんばかりの商品が並んでいる。
「どうです、この品ぞろえ。値段も驚くほど安いでしょう?
これは関税が撤廃されて他行政区で作られた安価な製品がそのままの値段で売られているからなんです。他の行政区に行っても輸送コスト分の価格の上下はありますが、似たような値段で買えるはずです。」
たしかに私が知る商品の値段より何割か安い。そのうえ珍しい海外産の商品が驚くほど安値で陳列さえている。
「さあ、そろそろ次へ行きましょう。この世界を知るならやはり、空港に行くしかありませんよ。」
せかすガイドが手元のスイッチを押し、景色が空港の小さな屋上に切り替わる。
滑走路に続くアスファルトの上には小さな数人乗りのレシプロ機や小型ジェット機が数多く並び、滑走路ではひっきりなしに航空機が離着陸をしている。
大型機は別の滑走路を使用しているようで、どこからか大型ジェットエンジンの轟音が聞こえる。
「見てください、最近は自家用の航空機を持つのが流行しているんです。駐機料と維持費はかかりますが、いつでも好きな時にどこにだって行けるんですよ。
それに自家用航空機を持っていなくてもパスポートなど無しで航空券さえあれば世界中どこにだって行けます。本当に世界は狭くなりました。
通貨も統一されていますので、両替や為替相場を気にする必要なんてありません。
さて、しばらく見たら昼食に行きましょう。世界各地から取り寄せた珍味の数々を食べられますよ。」
そういえば巡って来た場所全てでずっと向こうに高い壁が見えた。シューターで降りる時も都市を何重にも囲む壁が見えた。
いったいあの壁は何なのだろうか。
「壁ですか、困りましたね、残念ながら壁の外は危険なためフィールドワークの予定に入ってないんですよ。
ああ、説明だけでしたら壁ができる前から管理局に勤務している人を呼びますので、少々お待ちください。」
そう言うと彼はポケットから通信端末を取り出し、どこかへと連絡を取り始めた。
しばらくしてこちらに転移して来たのは、古ぼけてよれたスーツを着た老人だった。
「少々長く、つまらない話になりますがよろしいですか。」
うなずく私にぽつり、ぽつりと老人が語りだす。
「壁ができた経緯からお話ししましょう。
国境の撤廃に伴い関税が無くなりました。関税が無くなったおかげで今まで輸出入にかかっていたお金が削減され、先進国だった行政区では海外製品が安く購入できるようになりました。
その反面、国庫収入の半分以上を関税に頼っていた経済の発展段階が低い開発途上国だった行政区はさらに貧困になりました。
この区内でも安価な他行政区の肉や穀物が流通するようになり、庶民が安価な製品をこぞって買い求めるために第一次産業に分類される農業、漁業は壊滅的な打撃を受け、失業者があふれかえりました。」
「それと同時に安全な住居や清潔な服、なにより富を求めて貧しい移民が大量に先進国だった行政区に押し寄せました。
富裕層にとっては安価な労働力として期待された移民の流入でしたが、そんなに甘いものではありませんでした。
安価な労働力が大量にあるということは今まで働いていた人々の仕事が減ることを意味します。低賃金で働いていた労働者は失業に追いやられ、さらには第二次産業に分類される建設や製造の下請けも軒並み廃業に追い込まれました。
町工場や小さな工房で連綿と継承されてきた技術は失われ、見た目だけは今までと変わらない粗悪な製品が市場に出回りました。
一次産業と二次産業の打撃による多くの失業者は治安の悪化をもたらし、移民との摩擦がそれに拍車をかけました。
世界各地で起こる暴力的なデモから始まった混乱はいつしか血で血を洗う内戦の様相を呈し、多くの命が失われたました。」
きっと失われた命の中には老人の大切な人や友も居たのかもしれない。きつく握りしめた老人の手は何かをこらえるように震えている。
「たいていの移民は他の行政区に来てもその行政区に連綿と続いてきた文化やルールを理解しようとはしません。自分の暮らしていた土地の文化で暮らし、自分たちに都合のよい主張を重ね独自のルールを押し通そうとします。
この映像をご覧ください。」
老人がホログラムを起動すると、荒れ果てた駅のホームが映し出された。
高い天窓から降り注ぐ陽の光がもの悲しくひとの絶えた構内を照らしている。
なぜそうなったのかを尋ねる私に老人は悲しげな顔をして語る。
「二十年前に撮影した世界一美しい駅の一つにも数えられた場所です。
そこらかしこにゴミが投げ捨てられ、マーカーでの落書きや施設の破壊、備品の持ち去りなどは日常茶飯事でした。
駅だけではありません。メインストリートも商店も住宅街すら同じようなありさまでした。
だから行政区に住む富裕層は行政区の中央に自分たちを守るために壁とあたらしい行政区法を築いたのです。
そしてその行動は一般庶民たちにも伝播し、幾重もの壁が築かれて職も住処も持たない移民や犯罪者は壁の外へ追放されました。
壁を築いたのはここだけではありません。ほぼすべての先進国だった豊かな行政区はいまや壁の中に引きこもっています。
移民は主に壁の外での単純労働や農業畜産に従事しており、壁を越えれば行政区法によりその場で銃殺になります。
なぜなら一番外側の壁と我々の住居の間の数メートルは書類上機密軍事施設扱いになっているからです。」
「彼らは特権階級が望んた通りに低賃金で過酷な労働をしていますが、奴隷ではありません。
行政区が所有する土地から出て行けば納税の義務もありませんし、この地に留まることを強要することもありません。
壁の中に住む者を害さない、土地にかかる税金を払う。これだけ守れば壁の外は移民たちの自治が認められているのです。
もっとも、壁の外は暴力や略奪が吹き荒れる危険地帯ですが。」
老人は心にたまった諦めを吐き出すように大きくため息をつくと言った。
「たしかに国境は消え去りました。私たちはパリやニューヨーク、東京やモスクワ世界中どこにだって面倒な手続き無しで行けますし、共通の通貨で買い物もできます。
危険な無法地帯を通り抜ける覚悟さえあればどこにだって歩いて行けますし、その歩みを縛る法はありません。
ですが民族の違いによる摩擦や支配構造の壁は国境がなくなる前より露骨に、今すぐそこに目に見える形で存在しているのです。」
老人は遠くの壁を指差した。